フレデリカの名前

Tempp @ぷかぷか

第1話 フレデリカの名前

かなめ、どうしたの」

「え?」

 ガラスのように透き通った声に目を上げると、ショートヘアの儚げな女子、フレデリカとテーブルに向かい合っていた。彼女は高校生くらいで、いつも制服を着ている。

 ああ、またこの夢か。

 だからホッと、息を吐いた。

 左右を見渡してもいつも通り私たちが向かい合う白いテーブルがあるだけで、他は何もない。というか、広さすらわからない真っ白な部屋にたった2人だけだ。多分、広さという概念がこの場所にはない。ここはいいことも悪い事も起こらずに、ただずっと留まっている。停滞した前線が横たわるようだ。変化に疲れ切っていた私に、この不変は少しばかりの安堵をもたらしていた。

「なんでもない」

 そう呟く私の声に重なって、どこかでカチコチと時計が進む音がした。


 ここはフレデリカの夢の中。目を手元に落とせば、白い皿の上に緑の葉っぱと黄色い花が乗っていた。ドレッシングも何もない。花は多分エディブルフラワーというやつで、仕方がなく皿の端に置かれたナイフで押さえフォークを突き刺す。食べたって味がしないことは知っている。

 この夢を見るのは多分、もう7回目。

 あまり美味しそうに思えないけど、たった2人きりでフレデリカと向かい合って、私だけ食べないというのはなんだか気が引けた。私の前にも用意されているのだから、食べるべきなんだろう。

 口に含めば少しだけ青臭いような感じがした。そう、これは感じ。味でも匂いでもない。夢というのは時々感覚がこんがらがる。この夢の中の私は味も臭いも感じない。けれど存在の体積のようなものを、きっと唇とか喉が感じている。この花や葉っぱが口を、そして喉を通過するときに。そしてそれは少し、気持ち悪い。ちょっとだけ、嘔吐感がある。


「大丈夫?」

 再び目を上げれば、フレデリカは手を止めてじっと私を見ていた。

「大丈夫だよ」

 慣れてないだけだから。いつもはこんな感じでご飯を食べたりしないだけ。

「そう? ならいいけど」

 フレデリカが自分の皿にたくさん散らばったみずみずしい淡い紫色の小さい花びらにフォークを刺すと、カツリと音を立てた。その音にまた、時計の秒針が動く音を思い出す。

 音。この空間の環境音はいつも静かな時計の音だけ。そして何かのきっかけがなければ、時間の経過とともに意識から外れてしまう。でもそれは自然なことだ。雑踏にずっといれば、雑踏の音なんて感じない。それは雑踏に入る時と、出て振り返る時に聞こえる音。そしてフレデリカの皿がいつもと違うことに漸く気が付いた。フォークは小さな花を突き抜け、皿にぶつかっていることに。

「あれ? だいぶん減ったね? 私のも食べる?」

「いらない。それは要のだもの」

 フレデリカはゆっくりと頭を横に振る。

 私の黄色い花。それはちっとも減っていない。けれど改めてフレデリカの皿を見れば、もう少しで食べ終わりそうだった。

 いつのまに?

 改めて思い返す。丁度この夢に巻き込まれた7日前から、フレデリカの皿は順調に減っていた、気がする。私と違ってフレデリカの皿の花は増えない。つまり、その皿にできた隙間が唐突にすべての終わりを想像させた。そのことに、奇妙に動揺した。

 夢の終わりは本来、歓迎すべきことだから。


 フレデリカの不思議な夢は、私がいつも巻き込まれる誰かの夢と違ってとても平穏だ。フレデリカとただ向かい合って、静かに花を食べるだけ。

 私には奇妙な能力がある。夢渡り。

 他人の夢に巻き込まれるこの力は外からみれば羨ましいものらしいけれど、巻き込まれる身としてはたまったものじゃない。夢の世界は夢主が支配する。そこでは時間の流れも、場面も、そして人の行動ですら夢主の無意識の思うがまま。

 だから機嫌を損ねればどう転ぶかわからない。経験上、他人の夢の中で私が死ねば、おそらく現実の私も死んでしまう。夢の中で溺れたとき、目を開けてすぐは息ができなかった。どうやって呼吸していいのかもわからなくてパニックになった。だから例えば私が夢の中で心臓が止まったと認識すれば、起きたとき私の心臓は動くのをやめているだろう。怖い。

 あの時ことを思い出せばいつも、背筋が凍る。他人の夢の中はいつも綱渡りだ。

 だから夢主に不快に思われないよう、いつも薄笑いを浮かべる。彼らはいつだって、夢の中で私を殺すことができるんだ。無意識に。とても簡単に。


 他人の夢は本当に大変。


 私が夢に巻き込まれるのは夢主の無意識が私を呼んだとき。

 町中で見かけて気になったくらいだと、呼ばれるほどの関係性は生まれない。けれど私と特定されて、私に対して何らかの強い感情が生まれれば、夢の中にふわりと呼ばれてしまうことがある。例えば昔あったのは、目の前に落ちた財布を拾って渡した時だった。あの時は夢の中でお礼を言われただけで済んだ。きっとあの時の落とし主は私にお礼がいいたかったんだろう。だから、それだけで夢から解放された。

 でも何かもっと複雑な理由があって、何かのきっかけの一つが私とか、何かの端っこが私だったとき。そんなときは呼ばれた理由が解消されるまで、私は何度もその夢に巻き込まれる。だからなるべく早く他人の夢から縁を切るために、起きているときに原因を探る。夢主が気にしていることが解決すれば、繋がりが切れて夢から解放される。

 その解決のために誰かの夢に巻き込まれた時、私が最初にすること。

「こんにちは。私は指原さしはら要。あなたは誰?」

 最初にフレデリカの夢に巻き込まれた時のことを思していた。

「私……?」

 目の前の同じ年頃の女子は見た覚えのない顔だった。けれど夢の中で顔は当てにならない。年齢も性別も、本人と違うことがある。だから危機的な状況でない限り、本人の自己認識、たいていの場合は名前を聞く。わざわざ自分に違う名前を付けているならともかく、名前を偽ろうとすることはあまり、ない。

 その子はしばらく私を見て、そして左右を見渡した。


 つられて見渡せば、そこにはその子以外何もない真っ白な空間が広がっていた。これはまずいかもしれない、ここまで白いと。経験上、そう思った。

「名前……わからない」

 目がふわふわと上下している。けれど困ったり困惑している様子もない。だから本当にわからないのかもしれない。夢の中ではそんなこともよくある。

「なくても大丈夫だよ」

「そう?」

「うん。ところで何をしてたの?」

 真っ白な部屋は、そのままにしておけば何が起こるかわからない。だからなるべく早く場所を作る。夢主が想像する世界がなんとなくわかれば、危険に対処もしやすいし夢から抜け出すヒントにもなる。

 例えば都市部が描かれればUFOは襲ってくるかもしれないけれど、魔法使いが襲ってくる可能性は少ないだろう。それにUFOが襲ってくれば、誰かに襲われることに不安がっているのかもしれないっていう推測も立つ。第一、こちらもUFOを作って対抗すればいい。夢の運営は夢主の納得にかかっているから、そう説得や誘導できる程度の可塑性はある。何かの設定が生まれる限り、設定をもとに対処しうる。

 けれどここの夢は未だ真っ白だった。

 何もない空間からは何が現れるかわからない。


「わからない。ご飯をたべてて、それから」

 その子との間にテーブルと椅子、それから花の乗った皿が現れた。だから私たちは席につく。それから私とフレデリカは向かい合って食事を続けている。ずっと。フレデリカというのは名前がないと呼びにくいから、仮につけた。特に意味なんてない。なんとなく、非現実的な存在感で、そんな、印象だったから。それに名前で固定しておくと、別の存在に変わりにくい。人の名前をつけている限り、突然恐竜に変わったりする可能性は乏しい。

 この夢は特殊。そのことに気づいたのは割と早い段階だった。

 夢はたいてい、アクロバティックに展開する。何の脈略もなく突然津波が起こったり、恐竜がビルの隙間から顔を出したり、次の瞬間には海にいて海賊が襲ってきたりしてもおかしくはない。

 けれどフレデリカとの夢はずっと同じだった。

 ただ、向かい合って、静かに花を食べる。それだけ。たまに言葉を交わすけれど、フレデリカは何も思い出せないから、会話が発展したりもしない。そしてそのことにやっぱり、特に困っていなさそうだ。

 最初はその世界の白さに何が起こるのかびくびくしていたけれど、本当に何も起こらなかった。ヒントを得ようといろいろ問いかけた。したいこと、いたところ。けれどフレデリカは何かを思いついたりはしなかった。だからなんとなく、フレデリカは病人なのかなと思った。

 例えば脳に何か障害か病気があって意識が朦朧としているか、ぷちぷちと断絶しているか、ともかくきっと、正常ではない。人が一つのことに注意を向け続けることは、脳の仕組みからして難しいと聞く。注意解放障害というそうだ。フレデリカは夢の中の物語を動かすことができない。夢を動かすには、発想力とか希望とか、何かのエネルギーが必要だ。


 けれどその確信は私に安心をもたらした。

 フレデリカの夢ではきっと、私は危険な目に合わない。それは私にとって、とても得難いこと。私は他人の夢に巻き込まれることにいつも、疲れ果てていた。突然現れて、突然私を巻き込んで、油断するとあっという間に場面は変わり、簡単に死にそうになる。まるでテレビや映画でもみているように。

 だから私は他人の夢と繋がらないように、ずっと誰とも親しくならないようにしていた。

 家族とも最低限の会話をして、友達もいない。そんな空疎で簡素な生活はだんだん私の心を冷たくしている。それでも他人に殺されるよりは随分、まし。だから私はこのフレデリカの夢を気に入っていた。とても。フレデリカの夢に巻き込まれている限り、他の人の夢に巻き込まれることはない。すでにフレデリカと繋がってしまっているから。

 平穏で退屈で、何も起こらない生活。それは私の現実の生活に奇妙に一致していた。いつも息を殺して、目立たないようにして。でも現実に伴うそんな苦労と寂しさは、彼女の夢では縁がなかった。ここには本当に何もなかった。良いことも、悪いことも。だからフレデリカの夢にずっと、逃げ込んでいたかった。

 でも、そう思っていたのは私だけだったらしい。私だけ時間を止めたくて、だから私の皿の花はちっとも減らなかった。けれどこの部屋ではずっと時計の音がしていて、フレデリカの皿の花は減り続けていた。フレデリカの中で、時間は流れ続けていた。


 そうか。もう、終わるんだ。

 少しの平穏。

 それはきっと私が心から願っていたこと。

 そう、夢が終わる。

 私の心はきっとすでに疲れ果てていて、それが残念なことか、いつものように喜ぶべきか、一向にわからなかった。

 フレデリカはそんな私をじっと見つめながら最後の淡い花を口に入れて咀嚼する。

 ふと、思った。

 この夢が終わるとはどういうことだろう。


 現実の時間軸で、私はフレデリカに相当する人物を探した。いつもと同じように。

 今の現実は梅雨で、しとしとと雨が降り続けている。傘をさして町の中を歩けばいろいろな音がする。傘に打ち付ける雨の音、湿ったアスファルトに落ちる雨の生むいつもと違う響き、深く黒く垂れこめる雨雲、時折雲間にさす虹、校庭で背を伸ばし始めたひまわり、水たまりに足を引っかける音、それが弾けどこかにぶつかる音、庭の紫陽花の密集した小花、そこに引っかかっていた夏を待つ蝶の蛹、公園の池に落ちるたくさんの波紋、梅雨の終わりを予感する街頭のアナウンス、傘の内側と外側のぼんやりとした音の違い、それらの音は等しく道行く人に降り注ぎ、夏の訪れを待ちわび、そしてそれらがもたらす全てが世界に重層的に広がっていく。そんな中、知らない誰かを求めて心当たりを訪ねた。

 とはいっても私はもともと人づきあいは乏しい。だからよく訪れるところから順番に巡り、誰かいなくなっていないか、確認した。訪れる範囲では、不明者はいなかった。誰かが入院したりした様子もない。 

 だからフレデリカはきっと、私を一方的に認識したのだろう。


 そう思い返せば、この夢を見始める少し前に、私は交通事故を見た。私は何もせずに立ち去った。だけれどフレデリカが私を見て、例えば何かを考えてしまったなら。例えば助けてほしいとか。そしてその時酷い障害を受けて、そのほかに何も考えられなくなってしまっていたなら。

 もしそういうことなら、私はフレデリカを見つけることは不可能だ。

 そうするとフレデリカはもう、死んでしまうのか。

 フレデリカが私を見る目は平穏で、いつもどおり静かな湖畔のようで、何の動揺もなかった。まるで夢の終わりを受け入れることが当然のように。

 けれどなんだか、その喪失に私の心はざわめいた。フレデリカと私の間にはろくな会話は成立しなかった。今もフレデリカがどんな子なのか、ちっともわからない。けれどそれでも、フレデリカは私に平穏を与えてくれていた。

 7日間の夢。夢の中で時間の感覚は曖昧で、最初に時計の音が聞こえて最後に音が聞こえるまで、私たちはただテーブルの前で向かい合う。それは私にとって、私とフレデリカにとってどのくらいの時間なのか、最早よくわからない。

 でももうこの夢は終わってしまうの。

 本当に珍しく、言いようのない寂しさがさざ波のように私の心に溢れる。

 いつのまにか目の前からテーブルと皿が消失し、私たちの間には元の通りなにもなくなった。ただ、カチコチとなる音だけが再び認識された。時間の経過の意味するもの、それは終わり。

「フレデリカ、気分が悪くなったりしてない?」

「してないけど」


 フレデリカの表情は変わらない。苦しくは、ないのだろうか。

 夢主が夢を見ている間に死んでしまったら、どうなるんだろう。私は初めてそれを真剣に考えた。普通は夢を見ながら死んだりしない。夢の中で他人が死ぬことはあったとしても。

 夢主が死んでしまえば、私はどうなるんだろう。この世界から追い出されるのか、それとも閉じ込められて一緒に死んでしまうのか。慌てて左右を見渡した。いつのまにか椅子も消え失せて、私たちは向かい合って立っていた。

 気が付けば、世界は次第に薄暗くなっていく。フレデリカの世界に訪れた、初めての劇的な変化。終わりが迫っている。この夢の。

「そろそろ行かなくちゃ」

 珍しくフレデリカから声がかかる。

「……行くってどこに?」

「……外、かな」

 フレデリカは、初めてにこりとほほ笑んだ。何故?

「外? 外って」

 フレデリカは小さく首をかしげた。

「わからない」


 いつもと同じ。フレデリカはいつも何もわからない。でもこんな風に何も変わらないフレデリカは好きだった。けれど死んでしまうなら、そう考えていると気が付けば頬に涙が伝っていた。

「どうしたの?」

 なんと答えていいのかわからなかった。夢とは覚めてしまうもの。いつか終わりが来る。でもこの夢の終わりというその意味は。私は一緒に死んでしまうのか。

 けれども、それも悪くない。ふと、そう思った。

 この夢から覚めてもきっといつか、誰かの夢であっけなく死んでしまうだろう。そんな未来しか見えなくなっていて。私はこの世界でたった一人で、誰とも深いつながりを持てなくて。それならフレデリカと2人でこの夢の中で平穏に。たった一人じゃない。そのことに私は酷く、執着していた。

 突然、目の前の薄暗い世界に雲間から光が差し込むように亀裂が入る。

「行こう」

 そうしてフレデリカは何でもないことのように、その光の中に躊躇なく飛び込んだ。

「え、ちょっと待って。行くってどこに」


 亀裂からは何も返事はない。突然のことに呆然としていれば、相対的に世界はますます暗くなり、気づけば光の亀裂も次第に閉じられようとしている。

 そうしてふと、背後が怖くなった。夢を作る夢主がいなくなってしまった夢はどうなるの。すでに時計の音はしない。この夢は終わってしまった。静かに閉じていく世界に、突然叫びだしたいような恐怖が襲う。

 一人だ。

 冷たい。寒い。

 ここにはもう、何もなくなってしまった。

 本当に何もない。

 これまで思っていた孤独とは次元の違う永遠。

 ひょっとして、ここにずっと、閉じ込められるの?

 叫びだそうと口を開いた時、突然、頭の中に再び声が響いた。

「行こう」

 声に導かれるように慌てて私も光に飛び込み、目を開けた。その瞬間、ぷつりと何かが切れる感覚がした。匂いでも、音でもない、感覚。それはいつも感じる、誰かの夢とのつながりが切れた感じ。ちりちりと部屋に光が入り込んでいる。朝。


 切れた方向をみれば窓。

 先ほどの夢の最後のようにカーテンの隙間から僅かに光が漏れていた。唐突に思い出した。カーテンと窓の間には庭にある紫陽花の枝をコップに刺していた。フレデリカが食べていたような、淡い紫の花がその先端に一房ついている。カーテンをそっと開いてみれば、紫陽花の枝にくっついた蛹から蝶が羽化して、柔らかな羽を広げるところだった。土砂降りの雨にこの蛹がさらされているのを見つけて、なんとなく枝を折って部屋にいれたのが確かに七日ほど前。

「まさか、あなたがフレデリカ?」

 どうして忘れていたんだろう。

 いつも通りなんの返事もない。そっと窓をあければきらきらと輝く陽光が差し込む。そういえばそろそろ梅雨が明けるとニュースで言っていた気がする。そうか。私とあなたはやはりこの世界でも会っていた。もしあのフレデリカがこの蝶だとしたら、名前も何もないのも納得だ。けれど。

「蝶って夢を見るの?」

 ぼんやりと眺めていれば、青い羽が渇いたのかそのままパタパタと飛び去って行く。フレデリカはこちらを振り返りもしなかった。その行く先を眺めれば梅雨は最後の雫をまき散らし、世界は明るくきらきらと輝いていた。


Fin

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