魔道商人の不当解雇

@yutan2912

第1話 追放『した』側

 夜か夕方か。

 時計なんて見ていないが、酒場のざわめきで時間帯くらいは分かる。

 働き終えた連中がぼちぼち流れ込み始める、あの中途半端な時間だ。


 グレイバロウの中心街にある酒場「灰鹿亭」は、その時間帯がいちばん騒がしい店だった。

 仕事帰りの鉱夫、商人、傭兵、よく分からない流れ者たちが、安い酒とぬるい料理を目当てに群れてくる。


 入口近くの席では儲けを自慢している商隊の親父が笑い声を上げている。

 奥の丸テーブルでは、鎧を着たままの護衛が今日倒した魔物の大きさを手で誇張してみせている。

 壁際の席では、風変わりな刀を持った男と育ちが良さそうな娘が顔を合わせていた。



 客たちはそれぞれ勝手に喋り、勝手に酒をあおり、勝手に愚痴をこぼす。

 誰も他人の人生になんて興味はない。ただ、自分の話を聞いてくれる耳がほしいだけだ。



 そんな騒がしい空間の一角。

 窓際のテーブルで、空のグラスを握りしめていた男が、いきなりそれを机に叩きつけた。





「やっぱり俺の手柄って言えばよかったァァァァ!!!!!!」





 突然、甲高い怒鳴り声がざわめきの中に突き刺さった。



 近くの客がびくりと肩を跳ね上げ、何人かはそろって男の方を振り向く。

 窓際で叫んでいたのは、二十代半ばくらいの男だった。



 短く切り揃えたブロンドの髪は、寝癖なのか適当に流しただけなのか、少しだけ跳ねている。

 明るい髪色のくせに目つきは疲れていて、右腕には包帯が痛々しく巻かれている。

 軽装のコートにはベルトやポケットに魔道具らしき小瓶や札がぎっしり詰め込まれていて、歩くたびにじゃらじゃらと音がしそうだ。



 彼の名はライル・デッドウォーター。

 何でも屋『呼び水商会』の店主として、街ではそこそこ名が通っている男だ。


 

「……ま〜たライルか」「今日は何をしくじったんだ?」



 そんなひそひそ声が、すぐに笑い混じりのざわめきに紛れて消えていく。

 灰鹿亭にとってライルの大声など珍しくもない風物詩のような物だった。


 グラスの中身は残っていない。

 ライルはそれを恨めしそうに見下ろし、空になったグラスを指先でカタカタと揺らす。



「……クソ、割に合わない労働だったな……」





 誰にともなくこぼしたつぶやきだけが、騒がしさにかき消されずに重く残った。







 さて、何故彼がこんなにも盛大に叫んでいるのか。

 それを説明するには、少しだけ時間を巻き戻す必要がある。






***






 夜明け前。

 今が何時か、空の色でなんとなく見当はつくが、正確な時刻までは分からない。

 グレイバロウの東門の外は、白い息と車輪の音でいっぱいだった。



 荷車の一つが石に乗り上げ、がたんと大きく揺れる。

 そのたびに積まれた木箱同士がぶつかり合い、鈍い音を立てた。

 馬の鼻息、革紐の軋む音、商人たちの低い話し声。

 この街で商隊が出ていく、いつも通りの朝だ。



 ライルは門の脇で腕を組み、それを眺めていた。

 眠気はとっくに通り過ぎて、今は胃のあたりがじわじわと重い。空腹と緊張と少しの期待。

 朝の仕事は嫌いだが、金になる話は別だ、と自分に言い聞かせる。



 荷車は全部で三台。

 一台目は干し肉と保存食。二台目は街から出す穀物。

 問題は三台目で、覆い布の隙間から、ひやりとした魔力の気配が漏れている。


「……植物型のナマモノか」


鼻の奥をつんと刺す土臭さに、ライルは眉をひそめた。


隣町のブルーグリットでは、生きたまま魔物の研究が盛んだと聞く。

どこで仕入れたのかは分からないが、そこそこの利益になるんだろう。

そうでもなきゃ、わざわざこんな面倒な運搬はしない。



こいつが目的地まで大人しくしていれば高値で売れる。

暴れて荷車をひっくり返せば、被害の分だけ赤字になる。

上手くいってもギリギリ、ミスれば丸損。

そういう仕事ほど、なぜか自分のところに回ってくる。



(割に合ってるか?)



 自分に問いながら、ライルは木箱に貼られた刻印を目で追った。

 輸送保証を示す印が最低限だけ押されている。安い契約だ。


「なんでこういうのばっかり拾っちまうかな……」


 ぼそりとこぼしたところで、背後から紙の束が肩を小突いた。



「拾ってるんじゃなくて、ライルが自分で選んでるんでしょ」



 振り向けば、リオナ・グレイフィールドがいた。

 淡い焦げ茶の髪をざっくりと後ろでまとめ、片手に書類の束、もう片方の手にインク壺入りの木箱。

 眠そうな顔をしているのに、その目だけはしっかりと数字を数えている。


「ようリオナ……朝から小言か?」


「小言?ただの事実でしょ」


 リオナは東門の石壁に書類束を立てかけて、そのままさらさらとペンを走らせる。


 彼女の筆記具は街でよく見る安物の羽ペンではない。

 魔術式が刻まれた細いボールペンで、インクも減りにくい。中央から流れてきた高い道具だ。


 彼女が持つ領主の娘という肩書きは、リオナの服装のどこかに微かに残っている。

 布地の質、靴の作り、ボタンの細工。

 どれも街の平均より二つほど上等だが、形は地味で実務的だ。

 本人の性格がそのまま出ている、とライルはいつも思う。


「確認。荷車三台、護衛はうちの商会から三人。依頼主は『ケイロス商隊』。

 危険手当は森の入り口までが一日分、その先の薬草採取地までが追加で二日分。合計三日分の報酬。間違いない?」


「そう。で、薬草を無事に持って帰れたら成功報酬がひと山。

 この『ひと山』って表現が嫌なんだよな。山の高さがこっちと向こうで違う気しかしねえ」


「だから契約書に数を書かせるんでしょ。今からでも遅くないよ?」


 リオナは視線を紙から離さずに言った。

 淡々とした口調だが、ライルの返事を分かっているような声音だ。


 数を書かせれば交渉に時間がかかる。

 そのあいだに、別の護衛が仕事をかっさらっていくかもしれない。

 この街では、多少曖昧でも早く決める方が得なことの方が多いのだ。



 分かっていて、ライルは首をすくめた。



「今さら額を詰め直したら、あのケチな親父のことだ。仕事ごと他んとこに持ってくだろ。

 あいつら財布を開けるのも損だって顔してるぜ……皮が擦り切れちまう〜ってな」



「はいはい。分かってて受けたなら、どうせ何か利があるんでしょ?」



「当然。商人も護衛も信用の仕事だ、曖昧な書き方でぼったくってみろ……明日からあいつの席はないぜ。

 んまァ、ケチなおっさんとはいえ、その辺は弁えてるだろうしな」



「同族の気持ちは察しやすいのね」



 軽口を叩き合いながらも、リオナの手は止まらない。

 今日の仕事の条件、荷の中身、移動距離、必要な人数、想定される危険。

 全てをきっちり記録していく。



 ライルはその横顔をちらりと見た。

 まだ二十そこそこの年齢だが、事務に関しては完全に自分より上だと認めている。

 だからこそ、口答えする時は慎重に言葉を選ぶ。

 選ぶつもりはあっても、実際にはよく失敗するが。



「マコトは?」


 周囲を見回しながら尋ねると、リオナが顎をしゃくって門の方を示した。


「さっきからずっと馬の足を見てるよ。

 ああやって何も言わずに確認してると、商隊の人が勝手に緊張してくれて楽だよね」


 東門の影の中で、ひとりだけ静かな空気をまとった男がいた。

 長い蒼白の髪を低い位置で束ね、背筋を伸ばして立つ細身の侍姿。

 腰の位置で、黒い鞘に収まった刀がわずかに揺れている。


 マコトは、荷車の車輪と馬の脚を交互に見ていた。

 何か問題を見つけたわけでも、誰かを責めるわけでもない。

 ただ、事故の芽を前もって潰しておこうとしているのだろう。


「おーいマコト〜」


 ライルが声をかけると、マコトは振り向いて軽く会釈した。


「おはようございます、ライル。リオナ」


 声は柔らかいが、言葉遣いは崩さない。

 この男から乱暴な言葉を聞いたことは、ライルは一度もなかった。



「どうだ、壊れそうなとこは?」


「今のところは問題なさそうです。

 ただ、この馬達は森の匂いに少し敏感そうですね。

 植物型の魔物に近づく時は、一度ここで手綱を持ち替えた方がよろしいかと」


「ほらね」


 リオナが小さく笑う。


「流石中央上がり。馬の機嫌からこっちの機嫌まで管理してくれるってね」



 ここから遠く離れた中央都市区には、大きな組織や学院が詰め込まれている。

 マコトは、そういう場所をいくつか渡り歩いてきた、とだけ話したことがあった。



「中央にいればもっと楽に食っていけただろ。

 そんな奴がこんな寒い朝の街道なんか歩いてんだからすごいもんだよな」



 ライルがぼやくと、マコトは少しだけ目を細めた。



「楽かどうかは心の持ちようでしょう。

 あそこでは何をするにも誰かが上から見ていて、書類と印が必要でした。

 ここでは、少し危険ですが、目の前の相手と直接話して決められます。

 私にはその違いが大きいですね」



「それだけ?」



「それだけですよ」



 本当にそれだけかどうか、ライルにもリオナにも分からない。

 けれどマコトは、それ以上は話さなかった。

 彼なりの線引きがあるのだろう。過去の話と今の話。向こう側とこちら側。


「で、その中央から色々あって流れてきた剣士様と、領主の家出娘と、零細商人で三人組なわけだ」


 リオナがさらりと言った。



「んだよ、最後だけ雑だな」


「事実でしょ?」


 ライルは言い返そうとして、途中でやめた。



 かつてこの街道を通る時、呼び水商会の列には、もっと人がいた。

 大きな盾を前に構えて歩く男。

 弓を背負って、いつも無口だった女。

 荷車の上でふざけながら、いざとなれば真っ先に走り出す若いの。

 生真面目で、いつも危険を買って出た青年。



 今、その姿はない。

 一人は腰を痛めて引退し、一人は村に戻り、一人は「もっと安全なところで稼ぎたい」と言って他の商会に移った。



「……人手が足りないのは、まあ、そうだな。否定はしねぇよ」


 口にすると、改めて心細くなる。



「募集かければ、それなりに人は集まるんじゃないの。パイプだけはあるしね、うちは」


 リオナが石をつま先で蹴り飛ばしながら言った。


「簡単に集まる奴は、簡単にいなくなるんだよ」



 ライルは答えた。



「腕が良くて、頭もそこそこ回って、ちゃんと約束守る奴なんてそう何人もいない。二分の一だって、三つ重ねりゃ八分の一だ。

 そういうのはとっくにでかい商会か、中央の仕事に買われてるさ」



「身内にも容赦ないね」



「お前とマコトは例外だよ。二人とも本当はウチみたいな零細にいる器じゃねえ」



「ふーん、褒め言葉として受け取っとく」



リオナはペン先を紙から離さずに言った。


そんなやりとりをしていると、東門の方から、腹の出た中年の男が近づいてきた。

ケイロス商隊の親父だ。髭にはまだ酒の匂いが残っている。


「ライルの旦那、待たせたな」


「おう、遅い。夜のうちに積み込み終わってる約束じゃなかったか?」



ライルがわざと不満そうに言うと、親父はひらひらと手を振った。



「門の検閲がうるせえんだよ。あっちの商人から何か言われたとかでな、印の数と中身をいちいち照らし合わせやがる。

 あいつらちょっと顔が効くだけの阿呆の顔色ばっかり伺うからな」


「そいつはご愁傷様。検めが厳しいってことは、保険はちゃんと降りるってことだろ? 良かったじゃねぇか」


皮肉を混ぜて返すと、親父は苦笑いを浮かべた。

その横で、リオナがすっと半歩出て、書類を掲げる。


「ケイロス商隊と呼び水商会の護衛契約、最終確認します。

 森の入口までの護衛一日分、採取地まで二日分。合計三日分を基本報酬として──」


「おうおう、分かってる分かってる。書いたろ?」



 親父は手をひらひらさせて話を流そうとする。

 リオナは一歩も引かない。



「口頭確認です。あとで聞いてないって言われるのが一番困りますから」


きっぱりと言い切ると、親父は肩をすくめた。


「相変わらず固てぇお嬢ちゃんだな。……ああ、そうだ」


思い出したように、親父がニヤリとした。


「お前のとこの、ほら、細い坊主。名前が出てこねぇな……」


 マコトが静かに口を開いた。


「リュカ、ですね」


 声の調子は変わらないが、刀に添えた左手の指先がわずかに強くなる。


「ああ、それだ。それがよ、この前でかい草の化け物をな、綺麗にぶった斬ったって話だ。

 街に戻ってきたら、もう英雄様扱いだぜ。女も男も目をキラキラさせやがってよ」


 親父は面白がっているだけだ。

 危険の度合いよりも、酒場での話のタネの方を気にしている。

 そういう種類の男には慣れている。慣れてはいるが、今は笑えなかった。


 リュカ。

 数週間前まで、自分の隣で荷物を持ち、前線に立っていた〈ウチの〉前衛。

 几帳面で、真面目で、無茶をする時は理由を言葉にしてから飛び込む青年。


(あいつがまた、うまくやった)


 そう思うと同時に、胸の奥に何かが引っかかる感覚が湧いた。

 人はそれを――嫉妬と呼ぶのだろう。


 黙っているライルの横で、リオナがふっとため息をついた。


「良かったじゃん。ライルのところにいたより、人前出る仕事の方が向いてたってことでしょ」


 軽く言っているようで、目はライルを見ていない。

 契約書の端を整えながら、淡々と事実だけを並べている。


「んだよ、俺が悪いってのか」


「悪かったんでしょ。少なくとも街の人から見たらそう見えてるよ。

 『ライルのところから追い出された護衛が、今は街の英雄〜』って、すっごい分かりやすい話だもん」


「追い出したって言い方はやめろ。相性が悪かっただけだ」


 言った瞬間、これはまずいなと自分でも思った。

 口に出してから気づく。いつもそうだ。

 リオナの目がぴたりとこちらを向く。


「毎回そう言うけど、あんたがそんな曖昧な理由で人材を手放す訳ないし、納得もできない。

 仮にそれが本当だったとして、自分で追放しておいてあとで愚痴るのはやめて」


 淡々とした声だった。

 感情を乗せて怒鳴るより、よっぽど堪える。


「……はいはい。俺が悪かったよ。

 だからさっさと仕事行こうぜ。森が荒れたらこっちの稼ぎ場がなくなるぜ」


 苦笑いを無理に貼り付けて言うと、リオナは鼻を鳴らした。


「どうせ思ってないクセに。まあいいや、サイン。ここ」


 差し出された紙に、ライルは乱暴にサインを書き殴った。

 ペン先がひっかかり、インクが少し滲む。


 その時、門の外のざわめきが少し変わった。


 低い話し声に高い調子の声が混ざる。

 人が集まる時の、あの微妙な空気の変化だ。


「来たな、英雄様だ」


 ケイロスの親父が顎で示した先を見ると、数台の荷車と一団の護衛が門の外にまとまりつつあった。

 その先頭に、見覚えのある背中がある。


 黒髪を後ろで結び、軽い鎧を身に着けた青年。

 特別大柄でも筋骨隆々でもない。

 それなのに、周囲の視線は自然とそこに集まっていた。


「この前のやつ、もうちょっと聞かせてくださいよ、リュカさん」


「根っこが道を塞いだって、本当なんですか?」


「街道の石ごと持ち上げたって、あれ脚色じゃないの?」


 荷車のそばにいた商人や護衛たちが、口々に声をかける。

 青年――リュカは、少し困ったように笑いながら答えていた。


「そんな、大げさだよ。

 グランデュロスがよく反応してくれただけさ」


 腰の剣の柄に手を触れる仕草が、妙に板についている。

 あの武器に名前が付いたのだと、ライルは噂で聞いていた。


 グランデュロス。

 地面から巨大な根を伸ばし、攻撃にも防御にも使える剣。

 その名を、彼自身の口から聞くのは初めてだった。


「本当に英雄って感じで話すんだね」


 荷車の陰から覗き込みながら、リオナが小声でつぶやいた。


「喋り方は昔とそんなに変わってねぇよ」


 ライルは思わず言い返した。


 少し丁寧で、少し理屈っぽくて、けれど嫌味にはならない声。

 仲間として聞いていた頃は、頼りになると思っていた。


 今は、ただ耳障りだった。


 出立前の簡単な打ち合わせが始まる。

 どの商会の荷車をどこに置くか。前に出る護衛、後ろを守る護衛。森の中で散りすぎないための確認。


「薬草組の前衛は、うちがやります」


 リュカと同じ列にいた男がそう言い、周囲の視線が自然とリュカに集まる。

 彼は小さく頷いた。


「前を引き受けられるなら、うちは根で足止めをします。

 横からの敵に気を付けてください。

 後ろは……」


 リュカの視線が、ふいにこちらに向いた。

 呼び水商会の三人と、魔物入り荷車。


「後ろは、呼び水に任せてもいいかな?」


 少しだけ間があった。

 その一瞬だけ、周囲のざわめきが遠のいたように感じる。


「元からそのつもりだ」


 ライルは肩をすくめた。


「前は前で派手にやってくれりゃいいさ。こっちはこっちで荷と尻ぬぐいをやる。そっちが取りこぼさねえなら、それが一番楽だけど」


「そうか」


 リュカは短く答えた。


 真正面から目が合う。数週間ぶりの距離だ。

 何か言うべき言葉がある気もしたが、喉が固まって出てこない。


 代わりに、リュカの方が先に口を開いた。


「追い出された側としては、失敗する余裕なんてないからね。

 そっちの荷まで危険に晒したらなおさらだ」


 声の調子は静かだった。

 責めているでもなく、笑っているでもない。


 それなのに、ライルの胸の内側には、ざらついたものが張り付いたままだった。


「……勝手にやれ」


 それだけ言って、打ち合わせの輪から離れる。


 背中に、いくつかの視線を感じる。

 英雄と、その元仲間。

 追い出した側と、追い出された側。

 今や三人しかいない、小さな商会の主。


 この場にいる誰もが、そのくらいの噂は耳に入れているだろう。


「ライル」


 戻ってきたところで、リオナに名前を呼ばれた。


「んだよ」


「顔、さっきよりひどいよ」


「ほっとけ」


 返事が短くなったのは分かっていた。

 押し殺したつもりの声が、喉の奥でかすれている。


 マコトが、少しだけライルの方を見た。


「出立前に、こちらの動きだけ確認しておきましょう」


「……ああ」


「私が荷車のすぐ後ろにつきます。

 ライルはその横。

 リオナは荷の状態と周囲の様子を見てください。

 倒れた人間を運ぶ余裕はありませんので、倒れないように動くしかない」


「分かった。わたしの戦闘力は期待しないでよ。その代わり、何かあったら一番に叫ぶから」


 リオナが肩を回す。


「三人しかいませんからね」


 マコトは淡々と言った。


「誰か一人が大きく崩れたら、その穴は埋まりません。

 だから、最初から崩れないように動きましょう」


「分かってるさ」


 ライルはコートの内側を確かめた。

 ベルトに吊った小さな革袋がいくつも揺れる。

 中身は凍結呪文を封じた小瓶、魔力を帯びた煙幕になる粉、簡易の跳躍札。

 どれも流れてきた中古品や、規格落ち品だ。


 新品を揃えられればどれほど楽か。

 しかし、そういう高級品は、今のリュカみたいな人気の隊に優先的に回る。

 残り物と、古い型と、誰かが持て余して売りに出したもの。

 それが現状のライルの手持ちだ。


(ま、マコトもいるし、どうにかなんだろ)


 自分に言い聞かせながら、ライルは荷車の一番前に歩み寄った。

 マコトは、自分が知っている中でも最強の剣士だ。

 そう、たとえばあのリュカなんかより――



 そこで、考えるのをやめた。


 馬の鼻面をつかんで目を覗き込む。


「おいエンデ、一仕事だ。間違っても大事な場面で転ぶなよ。儲けも俺も全部ひっくり返っちまうからな」


 エンデと呼ばれた馬は、つまらなそうに鼻を鳴らした。

 言葉なんて分かっていないくせに、返事だけは一人前だ。


「護衛が止まったら危ないのは、わたしたちじゃなくて商人の人達なんだけど?」


 リオナが呆れたように言いながら、書類を革筒にしまう。


「親父も荷も、両方守れるならそれが一番だ。なぁ、マコト」


「ええ。どちらかを切り捨てるのは、最後の手段にしたいですね」


 マコトはそう言って、腰の刀にそっと手を置いた。


 門の向こうには、朝靄の中に森の影が連なっている。

 そこに薬草があり、魔物がいる。

 英雄も、三人きりの商会も、同じ道をこれから踏み込んでいく。


(あいつのことを考えてる場合じゃねぇ)


 今日の仕事をこなせなければ、明日の飯代が消える。

 商人にとっては、英雄の噂よりも手元の銅貨の方が重いのだ。


「呼び水商会、出発する!」




***





 森の街道に入ると、雰囲気が変わったのが肌で分かった。


 街道の土はまだ固く踏み固められているが、両側の木々が近づき、枝の影が道の上まで伸びてくる。

 さっきまで頬に当たっていた朝の風は、いつの間にか湿り気を含んでいた。


 荷車は一列になって、軋みながら進む。

 先頭にケイロス商隊、その前に前衛の護衛たち。

 真ん中に薬草採取組。

 最後尾に、呼び水商会の荷車と魔物入りの覆い布。


 ライルは最後尾の少し横を歩きながら、耳を澄ませた。


 鳥の声が少ない。

 全く無いわけではないが、前に同じ道を通ったときよりも、間が空いている。


「静かだな」


 つぶやくと、荷車の向こうからリオナの声が返ってきた。


「確かに、もっと鳥の声がしてもいいけど」


「魔力が濃くなってるんだとよ。放浪商人の旦那が最近話してたよ」


 魔力が濃くなった森は、薬草も魔物もよく育つ。

 儲かる可能性も高いし死ぬ可能性も高い。

 この道は、何度かそういう死にかけの儲け話を運んできた。



 先頭の隊列が曲がり角に消えていく。

 その先で、僅かに金属の触れ合う音が聞こえた。



マコトが前方をじっと見つめる。


「……そろそろですね」


「もうかよ。まだ森の入口からそう離れてねえぞ」


「まあ、面倒事は早い方がいいでしょう」



 前方から、誰かの短い掛け声が聞こえた。

 続いて、木を叩くような鈍い音。

 土を削る音。

 乾いた悲鳴を押し殺したような魔物の声。


「始まったね」


 リオナが荷車の縁から身を乗り出した。

 木々の隙間からは、前の様子はよく見えない。


 荷馬車の列は、そこで一旦速度を落とした。

 薬草採取組の一人が、振り向いて声を張り上げる。


「後ろ、距離取ってくれ!万一こっちに流れたら止められなくなる!」


「了解」



 ライルはそう答え、後ろの馬の足を抑えた。

 荷車がきしんで止まり、車輪が黒い土にめり込む。



「マコト、どうだ?」


「音だけ聞く限りでは、前衛だけで押さえ込めているように聞こえます」


 マコトは耳を澄ませたまま答える。


「叫び声がない。荷車がぶつかる音もしない。魔物の鳴き声も、一度高く上がってから途切れている。

 今のところ、こちら側に流れてくる気配はありません」


「つまり、あいつが好き放題やってるってことね」


 皆の英雄さんがね、と付け足すリオナ。



「ああ……」


 ライルは舌打ちを飲み込んだ。


前衛はおそらくリュカを中心に動いている。

あの剣は地面に突き立てればその場から巨大な数本の根を伸ばし、敵の足を絡め取り、薙ぎ倒す。


それだけでも十分厄介だが、あいつの場合はそこからさらに踏み込み、止まった敵をきっちり叩き切る。



足止めと討ち取りを一人でやられたら、後ろにいる護衛の出番は大して残らない。



「……なあ、マコト」


「はい」


「これ、全部あいつらで片付いたら、どうなると思う?」


「仕事として、という意味ですか」


「そうだ」


 商会同士で護衛を分け合うとき、報酬の分け方は、大体最初に決める。

 距離や日数で割ることもあれば、危険度で割り増しすることもある。

 そして何より、次も声をかけてもらえるかどうかが一番の肝だ。



「前は前で全部済ませました、後ろは特に何もありませんでした、ってなったらよ」


 ライルは、葉に覆われた先の道を睨んだ。


「次に森の仕事を誰に頼むか、あの親父ならどう考える?」


 マコトは少しだけ考えてから、あっさりと言った。


「『同行できたなら、前の英雄にまとめて頼めばいい』と考えるでしょうね」


「だろ」


口にしたら、胃の重さがさらに増した。


 この仕事は、元々ケイロス商隊が声をかけてきたものだ。

 植物型魔物の輸送に加えて、薬草採取組の護衛。

 いつもより少し危険な話だから、呼び水商会に回ってきた。


 ここで「やっぱり呼び水は頼りになる」と思わせれば、今後も森の仕事は回ってくる。

 それなりに稼げる道が一本増える。


 逆に「別にいなくても良かった」と思われれば、その道はしぼんでいく。


「……面倒だなぁ」


 ライルは、頭を抱えたくなる衝動を押さえながら呟いた。


「何でもかんでもギリギリなんだよ。金も、人手も、信用も。

 ここで『何もしてない』って見られるのは、結構痛いだろ」


「だからといって、無理に前に出て怪我をしたら、もっとキツいよ」


 リオナがきっぱりと言った。


「契約上、後方護衛も立派な仕事なんだから。

 『何もしないで済んだ』なら、それはそれで正解じゃないの?」


「分かってんだけどな」


 分かってはいる。

 分かってはいるが、この街での噂の回り方も知っている。


「全てを防いだ英雄、その後ろで寝てるだけのライル」

みたいな話は、きっと酒場あたりですぐ出来上がる。



 実際に寝ていなくても、誰かの舌の上ではそういう形になる。



「……なあ」


 ライルは、わざとらしく明るい声を作った。


「ちょっと前、見てくるわ」


「えっ何。やな予感しかしないんだけど」


リオナがぎょっとして返す。


「前でどんな戦い方してるのか見といた方が、今後の仕事の参考になるだろ。

 あいつら全部根っこで抱えて安全圏作るなら、こっちもやれることが変わってくるしな。

 それに……このままだと、『呼び水は見てただけ』って話になるし」



 最後の一言だけは、言い訳ではなく本音だった。



「欲に負けただけでしょ」


「負けて何が悪い。俺は商人だ」



 リオナは小さく舌打ちした。


「分かった。止めても行くんでしょ。じゃあせめて、転ばないで帰ってきて」



 それだけ言って、もうそれ以上は踏み込まなかった。



「マコト」


 ライルは前を歩いていた男に声をかけた。


「少し前を見てくる。ここは任せていいか」


「もちろん」



 マコトは短く答えた。


「こちらは私とリオナで守ります。

 その代わり、戻ってきたときに『何もありませんでした』と言えるようにお願いしますね」


「努力目標にしとく」



 軽口で返し、ライルは腰の小袋をひとつ外した。

 中身を確かめてから、コートの内側に滑り込ませる。



 質のいい魔道具なんてない。

 それでも、空身で行くよりはマシだろう。



 リオナが、何か言いたげにこちらを見ていた。

 ライルは視線を合わせないまま、荷車の横をすり抜けて前へ歩き出した。




***








 荷車の横を抜け、前方の列との距離を詰める。

 木々の間から、次第に前衛の姿が見えてきた。


 森の匂いが濃くなる。

 湿った土の匂いと、潰れた草の青臭さ。

 その中に、血と焦げた魔力の匂いが混ざっている。


「おい、通るぜ」


 前で警戒していた他商会の護衛に声をかけると、男はそちらを一瞥してから肩をすくめた。


「勝手にしろ。ただ邪魔すんなよ、今のところ取りこぼしはねえんだから」



「それは結構」



 言いながら、ライルは樹と樹の隙間から戦場を覗いた。


 そこには、もう「戦い」というより「片付きかけた仕事」が広がっていた。


 太い幹の根元から、いくつもの木の根が地表に飛び出している。

 本来なら土の中に隠れているはずの根が、蛇のように地面を這い、ところどころで魔物の躯を縫いとめていた。



 倒れているのは、木の皮のような外殻を持った獣型の魔物や、腕の代わりに蔓を振り回す人型のもの。

 どれも急所だけがきっちりと斬り落とされている。


 根に絡め取られた魔物の首。

 蔓を叩き切られた腕。

 胸板を横一文字に切り裂かれた巨体。


 力任せの乱戦というより、手順を踏んだ処理に近かった。


 その中心に、黒髪を束ねた青年が立っている。

 


 リュカだ。

 鎧の上に泥と血の跳ねが点々と付いているが、呼吸は乱れていない。



 彼の足元から伸びた一本の根が最後の魔物の足を絡め取り、その身体を地面に引き倒した。

 リュカは一歩踏み込み、その首を一閃で断つ。


 動きに一切の無駄がなかった。

 ひとつひとつの動作が美しく纏まっている。



「……相変わらずだな、お前」


 口の中でだけ、ライルはそうつぶやいた。



 周囲の護衛たちが、ほっと息をつく。


「終わったか?」


「おう、リュカが全部やっちまった。こっちまで回ってくる暇もなかったな」



 誰かが笑い混じりに言う。

 戦いの跡地は既に、賑やかな報酬漁り場に変貌していた。


「さっさと解体始めろよ。魔力抜ける前に、核と蔓だけでも取らねえと」



 護衛の何人かは周囲の警戒に残り、残りの護衛と商人は慣れた手つきで魔物にナイフを入れ始めた。

 術式核、牙、爪、蔓。

 価値のある部位から順番に切り取っていく。



 ライルは木陰に身を寄せ、全体の様子を観察した。


 数はそこそこ多かったが、前衛の構えは崩れていない。

 リュカを中心に、他の護衛たちが半円状に散り、魔物が入り込む前に次々と潰していたのだろう。


 これなら、後ろまで敵が回り込んでくることはまずない。

 護衛としては、満点に近い仕事ぶりだ。



(そりゃあ、英雄と呼ばれて当たり前だ)



 嫌でもそう思う。


「……でかいのは、大体取るとこ決まってるな」


 ライルは、解体されていく魔物の躯を眺めながら呟いた。



 外から見ていても、どこの部位が高く売れるかは分かる。

 核、蔓、牙。

 この辺りは、どこの商会でも真っ先に持っていく。



 逆にあまり知られていない部位は後回しになりがちだ。

 値段もそこまで高くない。

 ――ただし、「最近ちょっとずつ上がっている」となれば話は別だ。



 (……あった)



 一体の魔物の腹部。

 解体屋が腹を裂き、中身をかき出している。

 その内側の壁に、薄い膜のようなものがまとわりついていた。


 淡い緑色を帯びた膜。

 触れると、指先にじんわりと魔力がまとわりつく。



 最近、街の薬師が欲しがっていた。



「『蔓巻く泥獣』の粘膜内皮が、どうも特定の薬と相性がいい」とかなんとか。

詳しい話はライルも聞き流していたが、「しばらく在庫を押さえておければ、そこそこ良い値で引き取る」とまではっきり言っていた。



 今、解体をしている連中は、そのことを知らないようだった。

 腹の中身をざっと空にしたあと、内側の膜には一瞥もくれずに次の個体へ移っていく。



(……おいおい。いいのかよ)



 ライルは喉の奥で笑いそうになった。


 腹の内側の膜は、取り出すのに手間がかかる。

 魔力の扱いに少し慣れていないと、破ってしまって価値を落とす。

 それに、知らなければただのぬるぬるした肉にしか見えない。



「どうせあいつら、核と牙と蔓くらいしか値段知らねえんだろ」


小さくつぶやく。



(こっそり剥がして、自分の荷に紛れ込ませちまえば……)



 頭の中で、銅貨の数が勝手に並び始める。


 内皮粘膜は、一枚で銀貨一枚。

 この魔物の腹から、うまく剥がせれば二枚分くらいは取れる。

 それを二、三体分押さえられれば、今回の危険手当の半分近くは、もう確保したようなものだ。



「別に、誰かから盗るわけじゃねえしな」


 魔物の腹の中なんて、普通なら捨てる部分だ。

 そこから価値を見つけて拾うのは、商人の仕事だ。


(あとで、みんなが離れたときにさっと寄って、さっと剥がして、さっと荷に入れちまえば──)



 その間だけ、ここから動かずに様子を伺っていればいい。



 解体に夢中の護衛と商人たちは、周囲への警戒が甘くなる。

 リュカも今は剣を地面に立て、手袋越しに魔物の皮をめくるのを手伝っている。

 意外とああいう細かい作業も嫌いではないらしい。


「英雄様も、これじゃただの肉屋だな」


 皮肉を込めてつぶやく。

 声が、少しだけ震えていた。



(とりあえず、今は待て)



 ライルはしゃがみ込み、木の幹の陰に身を隠した。

 ここからなら解体の様子も、周囲の見張りの動きも見える。



 リュカの根が盛り上がってできた土塁と、山になった魔物の死骸が、前衛から森の奥をちょうど隠している。


 視線は自然と、街道側とさっきまで魔物が湧いてきた方向に向きっぱなしだった。



 誰かの視線がこちらに向く気配はない。

 この距離なら声をかければ届く。

 けれど、今声をかける理由はない。



「……終わったら、ちょっとだけ失敬するか」



 誰にも聞こえない声でそう決めた。





 ──その時だった。





 森の奥で、風の向きが変わった。


 さっきまで前から吹いていた湿った空気が、一瞬だけ横から撫でていく。

 葉の裏がざわりと揺れ、細い枝がかすかに震える。


 音はほとんどなかった。

 それでも、何かが動いている気配だけは、はっきりと伝わってきた。



 喉の奥がひゅっと冷たくなった。



 森の影の奥で、一本だけ、動きがおかしい茎がある。

 風もないのに、地面を這うみたいに滑っている。



(速い……!)



 次の瞬間には、そいつの輪郭が見えた。


 背骨みたいに固く伸びた茎。

 節ごとに膨らんだ瘤が、内側から脈打つようにうごめいている。

 寄生して膨れ上がった魔物は、普通の個体より軽く、そして速い。

 大きく開かれた口から、禍々しい色の唾液が垂れていた。


 街道から少し外れた位置。

 前衛の列からは、ちょうど死角になる角度だ。


「気づいていない?」


 思わず口の中で声が漏れた。

 高速で思考が回転していく。



 前線には何人も護衛がいる。

 リュカもいる。

 森慣れした狩人も混じっているはずだ。



 それなのに、誰ひとりとしてそっちを向かない。

 視線は倒した魔物と、その周りの素材に落ちたままだ。



 おかしい。



(そうか)



 胸の奥で、嫌な汗がじわっと広がった。



 「森の魔力が濃くなってる」なんて話を、ちゃんと聞いているのは、こっち側だけだ。


 花の咲き方がおかしいことも、

 季節外れの芽が出ていることも、

 さっき街道で確認したのは、放浪商人伝いで聞いた自分たち三人だけ。


 他の商会は「デカいのが出た」くらいの噂しか持っていない。

 寄生して形が崩れた個体なんて、見たことがないのが普通だ。


 知らなければ、違和感にもならない。

 目に入っていても、ただの森の影にしか見えない。


 あの茎の走り方も、「初めから『獲物を噛みに行く』形を知っている目」で見れば異様だが、ただの木の根だと思っている連中には、精々「風で揺れた蔓」にしか映らない。



 更に、こちらは死角だ。

 張り巡らされた巨大な根が、彼らから魔物の動きを隠している。



 鼓動が早くなるのが分かった。

 喉の奥で、自分の心臓の音だけがやけに大きく聞こえる。



 距離を測る。

 寄生種から、剣を持たないリュカの背中まで。

 そこから自分の位置まで。



(今の速さなら──十数える前に届く)



 自分の足で走った場合。



 石と根っこだらけの地面を、全力で駆けたとして。

 一撃目の間に合う確率は、精々半分。



 足をやられれば、しばらく仕事にならない。

 腕をやられれば、魔道具も荷も扱えない。

 下手に内臓なんかを貫かれれば、医者と薬で財布が空になる。



 医者に払う金はどこから出す。

 店の家賃は。

 明後日払うはずの仕入れ代は。



(今ここで派手に死んだら、店ごと終わりだ)



 見なかったことにして、引き返す手もある。


 後ろに戻って「嫌な気配がした」とだけ言う。


 ケイロスの親父に「前が騒がしいから一旦下がる」と言えば、文句は出るだろうが、契約違反とまでは言われない。



 前線で何が起ころうと、「ウチは後ろを見ていました」で押し通せる。



 叫んでマコトを呼ぶ案も頭をよぎる。

 あいつなら、あんな化け物一体や二体を殺すのに一秒もかけないだろう。



 声だけかけて、すぐ木の陰に退く。

 後はマコトの判断に任せる。



 ……が、距離と角度を測り直して、ライルは小さく舌打ちした。


 どう考えても間に合わない。



(今叫んだって、最初に噛まれるのは剣を持ってないリュカだな)



 叫び声が届いて、戦える誰かが振り向いた頃には、もう一撃は入っているだろう。


 マコトが飛び込んでどうにかするか、両方まとめて倒れるか。

 どっちに転んでも面倒に違いない。



 リュカが死ねば街はしばらくざわつくだろう。


 英雄がどうとか、追い出した商会がどうとか。

 そのたびに呼び水商会の名前も一緒に出される。



(やってらんねぇ)



 だからといって、自分が盾になっていい理由にはならない。

 命を張るなら、もっと見返りのある場面で張りたい。



 ここで飛び出して大怪我したら、当分仕事にならない。

 借りも返せない。

 マコトとリオナに「悪かった」の一言すら残せない。





 そうだ。






 行く理由がない。






 こんなことで命を張ることもない。





 やっぱり、一旦下がって──








 しかし。





 次の瞬間、ライルが聞いたのは──






 無防備な英雄を守らんと駆け出す足音と、






 雄叫びを挙げる、自身の声だった。







 「ああクソ──どいつもこいつもそんなスカシ野郎より、このライル・デッドウォーターを見てみろマヌケ面────!!」









***













 一歩。

 二歩。

 三歩。



 落ち葉が跳ねる。

 湿った土がぬるりと滑る。

 肺が、空気をかき込んだ。



 前方。森の奥から飛び出した「それ」が、一直線にこちらへ向かってくる。



 背骨みたいに節くれだった茎。

 節ごとに膨れた瘤が、内側から脈を打つようにぶくぶく動く。

 本来外に出ないはずの内側の肉が皮を押し破り、どす黒い色を露出させていた。



 形がおかしい分軽い。

 軽い分、速い。



「速えな……!」



 思ったより近い。

 距離なんてすぐに潰れる。



 胸の奥で後悔が顔を出す。

 一つでも違えれば、次の瞬間に命はないだろう。

 

 ライルは走りながら腰の袋をまさぐった。

 指先がガラスに触れる。

 掴んで、そのまま自分の足元に叩きつける。



「散れッ!」



 ぱん、と軽い破裂音。

 足元から、灰が混ざったような白い煙が一気に吹き上がった。


 足首。

 膝。

 腰。


 体をなぞるように、煙が立ちのぼる。

 視界が一瞬で白く塗りつぶされた。


 前も後ろも分からない。

 代わりに、肌の上で魔力がかすかに擦れる感覚が生まれた。


 魔物は『流れている魔力』で獲物を嗅ぎ分ける。

 煙幕の中には、ごく薄く魔力が混ざっている。

 そして、外側の輪には少し濃い魔力の粒子が散らしてある。


 仕組みは単純だ。

 「魔力の匂いが濃い場所」を叩きに行く習性を、逆手に取っているだけ。


 煙の中心、ライルの立っている位置は、あえて魔力を薄くしてある。

 うまく行くかどうかは、別の話だが。


 煙の向こうで、風が裂ける音がした。



 バチン。



 鞭のような蔦が、煙の輪を叩き割る。

 外縁に散らした魔力の塊を片っ端から殴り飛ばしている。


 煙の中まで、衝撃だけが入り込んでくる。

 頬を冷たい風がかすめるたびに、皮膚がひりつく。


「こっち来るなよバカ植物……ッ」


 愚痴をこぼしつつ、ライルは腰を落として横に走った。

 煙の中を、足探りで進む。


 足元は最悪だ。

 根。石。窪み。

 目が見えていても転びかねない。


 短い呼吸で距離を刻む。

 前じゃない。横だ。

 寄生種の横腹に出られるラインを頭の中でなぞる。


 煙の濃さが、少し変わった。

 肌に触れる魔力の感触も、かすかに薄くなる。



 外縁が近い。



その瞬間、一本だけ、やたら長い蔦が煙の中へ突っ込んできた。


他の蔦と違う軌道。

まるで、輪と輪の隙間を嗅ぎ当てたみたいに、一直線に深く入り込んでくる。


「ッ──」


避けきれない。


反射で身をひねった。

それでも、間に合わない部分が出る。


蔦の先端が、右腕を払った。


冷たいものが走ったあと、すぐに熱くなる。

布が裂ける感触。

皮膚が割れる感覚。

袖の中で、ぬるりとした温かさが広がる。



脳裏に閃く「死」の一文字。



「クソ……!」



 悲鳴というより、怒鳴り声に近かった。


 腕が痺れる。

 握力が一瞬抜けかける。

 だが、足だけは止めない。


 煙が薄くなっていく。

 向こう側の木の幹が、ぼんやりと透けて見え始める。



 ここだ。


 できるかの確信はない。

 だが、やるしかない。



 ライルは左手で跳躍札を掴んだ。

 封印の紙を、爪で引き裂く。



 ぱき、と乾いた音。

 足裏に魔力がじわっと広がった。

 

 軽くなる。

 地面の重さが、半歩分だけ薄くなる。



「飛べ!」



 短く命じて、自分の足を蹴り出す。


 一歩で、二歩分。

 湿った土を蹴り、根っこを踏み越え、そのまま煙の壁を飛び越えた。


 視界が、一気に開ける。



 左手側。

 寄生種の横顔がそこにあった。



 茎の節がバラバラな方向を向き、瘤の中で樹液と血がぐるぐる循環している。

 皮の継ぎ目からは、圧に押されて薄い液体がじわりじわりと滲み出ていた。


 口だけが、やけに綺麗に開いている。

 食道の先、奥の方で、魔力が渦を巻いているのが見えた。



「そうやってかっぴらいてやがれ間抜けヅラ……!」



 ライルは、左手の指の間で、小さなビーズを弾いた。




「──『極小のフロストビット』ッ!!」




 爪の先ほどのガラス玉。

 ただの規格落ち。

 工房が捨て値で流していた、失敗作の山のひとつ。



 外で使っても大して冷えないくせに、体内に入ると馬鹿みたいな凍結反応を起こす簡易冷却材。

 誤飲で死人を出したせいで、正規の流通からは弾かれた不良品だ。



 どこかの商人が、そう酒のつまみにしていた話を思い出す。




 ガラス玉は、寄生種の開きかけた喉奥へ、すっと吸い込まれていった。




 一拍。




 寄生種の瘤が、内側からぴくりと跳ねた。



 次の拍で、茎の中に白いものが走る。



 節と節の間を、霜の筋が駆け上がっていく。

 中に溜まっていた魔力が、冷気とぶつかって一気に凍りついた。



「……ハッ、ざまあみろ」



 誰にともなく呟いた。



 内側から膨れ上がる凍結。


 瘤の表面にヒビが走る。


 ぱきん、と小さな音。



 それが合図のように、次々と節が割れ始める。


 内側から氷の爪でこじ開けられるみたいに、茎の皮が裂けた。

 樹脂と血と凍った肉片が一緒に飛び散る。



 寄生種の動きが止まる。



 振り上げかけていた蔦が、中途半端な位置で固まった。

 そこから先が、重みに耐えきれず、根元からぼきりと折れる。



 全体が、がくん、と沈んだ。




「倒れろ」



 ライルの言葉とほぼ同時に、寄生種は横倒しになった。



 地面が、どん、と鈍い衝撃で揺れる。

 氷の塊になった節が、地面を転がりながら砕ける。

 冷気が周辺に一気に広がり、さっきまでの血と魔力の匂いを上書きした。



 肺が悲鳴を上げた。


 さっきまで全力で走っていたことを、体がようやく思い出したらしい。

 だらんと情けなく腕を垂らしながら天を仰ぐ。



「っは、はは……ッ」



 肩で息をしながら、ライルは寄生種から距離を取った。


 節の一つを足で蹴る。

 中身ごと凍っていて、ぐしゃりとした感触はない。

 ただの氷の塊だ。



「……よし」



 右腕がずきずきとうるさい。

 袖は、すでに血を吸って重く垂れ下がっている。



 視界の端が少し暗い。

 それでも、まだ立っている。

 十分だ。



「今の、何を……」



 距離を取ったところで、声が飛んできた。


 振り向けば、少し離れた位置にリュカがいた。

 少し離れて戦闘したからか、まだ解体作業をしているからかは分からないが、他の護衛は誰もライルに気づいていないらしい。



 今の一連の動きを、真正面から見ていたのは、多分リュカだけだ。



 煙。突撃。飛躍。投擲。凍結。



「……ライル」



 名前を呼ばれる。


 息がまだ整っていない。

 喉の奥が焼けつくようだ。



 何か言おうとしたリュカの口が、わずかに開く。



「今の、どうやっ──」



 聞きたそうな顔。

 礼を言いたそうな顔。

 そんなものを、一気にまとめて押し返すように、ライルは先に口を開いた。



「ハハ……これくらい、余裕ってな」



 笑ってみせる。

 自分で分かるくらい、ひどい顔だった。



「たまたま懐に、便利なガラクタが入ってただけだ。

 本命を守るための、命綱みたいなもんだよ」



 右腕から血が滴る。

 ぽた、ぽた、と地面に落ちて、湿った土が黒く変色する。


 リュカの視線が、そこへ滑る。



「腕が──」



「かすり傷だ」



 遮るように言った。

 実際にはかすり傷で済んでないことくらい分かっている。


 それでも、口先くらいは。



「前は前で派手にやれ。英雄様の舞台を邪魔する趣味はねェよ。

 こっちはこっちで後ろの仕事をしてるだけだ」



 ぶっきらぼうに言い捨てて、踵を返す。


 背中に視線を感じたが、振り返らない。

 今振り向いたら、何か余計な顔をしてしまいそうだった。



 一歩、二歩。

 足を出すたびに、膝ががくりと笑う。

 跳躍呪文で慣れない負荷をかけたせいだ。



「……はー……やってらんねー……」



 誰にも聞こえない声で愚痴を吐く。



 右腕の痛み。

 冷えた空気。

 凍った魔物の残骸から立ちのぼる霜の匂い。



 全部まとめて胃のあたりに押し込んで、なんでもないように飲み込んだ。





***






 そして、時は再び現在へ。


 灰鹿亭は、いつもの騒がしさを帯びていた。

 鉱夫が「こんな岩だったんだよ!」と両腕を広げて見せ、商人が「いやいやもっと儲けが出る」と身振り手振りで吹き、傭兵が鎧のまま椅子に沈んでいる。

 油と酒と、よく分からない汗の匂いが空気に張りついていた。



 壁際のテーブルに、右腕にぐるぐる包帯の男が一人。



 そう、ライルだ。



「……で、その腕の理由を、そろそろ教えてもらおっか」



 向かいでスープを啜っていたリオナが、はっきりとした声で言った。


 三日間。

 同じ質問を、ずっと言い方だけ変えて投げられてきた。



「転んだ?」

「木の根っこに喧嘩売った?」

「実は隣町で女に刺された?」などなど。



「大したことじゃねえって。ちょっと滑って、ちょっと引っかけて、ちょっと盛大に血が出ただけだ」


「ちょっと??何がちょっとなの??こんな裂け方、普通しないからね?」



 リオナはじろっと包帯を睨む。


 その隣で、マコトが静かに盃を置いた。



「概ね同意見です。前衛に駆け込んだメンバーが帰ってきたら負傷していて、『転んだ』は通じないでしょう」


「お前まで……」



 ライルはエールをあおって、わざとらしく咳き込んだ。



「ごほっ……っ、だからさ、大した話じゃ──」


「大した話じゃなくてもいいから、話して?」



 リオナが、今度は静かに言う。

 満面の笑みと、恐ろしい声色を添えて。



「仕事中もずっと『後ろで何やってたの』って聞いてたのに、ずーっとはぐらかされてるんだよ?

 この三日で何回ため息ついたと思う?」


「数えてねぇよ」


「わたしは数えてたけど。十七回」



 マコトが、少しだけ肩をすくめた。



「リオナがここまでしつこいのは、相当気になっている時ですね。

 観念した方が、今後の精神衛生に良いと思いますよ、ライル」


「え〜……いつからそっち側についたんだよ」


「私は最初からこちら側です」



 ライルは、エールの残りを飲み干して、ジョッキをどんと置いた。


「……分かったよ。話せばいいんだろ、話せば」


「最初からそうして」


 リオナは腕を組んで、身を乗り出す。


「最初から最後まで、全部ね?変に端折ったら許さないから」


「分かった、分かったよ……」



 ライルは頭をがしがし掻き、視線をテーブルに落とした。


「えーっとだな。俺が前に行ったのは覚えてるだろ。前衛が一回目の群れを片付けたあと──」













「──って感じだ」


 話し終えたときには、二杯目のエールが半分ほど減っていた。


 木陰でこっそり待っていたこと。

 『蔓巻く泥獣』の腹から、誰も気づかない内皮をくすねようとしていたこと。

 その最中に、寄生変異種が音もなく飛び込んできたこと。

 煙幕でかく乱して、跳躍札で飛び込んで、『極小の霜』を放り込んだこと。

 あの一瞬、リュカだけが全部見ていたこと。

 そして、礼を言われる前に「余裕だ」と強がって、その場を離れたこと。



 全部。



 流石に、聞いている間はリオナもマコトも口を挟まなかった。


 リオナは、途中から匙を持つのを忘れてスープを冷ましていたし、マコトは表情こそ変えないものの、盃に口をつける回数が目に見えて減っていた。



「……あんたさぁ」



 最初に口を開いたのはリオナだった。

 

「うん」


「バカだよね?」


「否定は……できねえな」



 即答すると、リオナは大きくため息をついた。



「まず一点目。『素材をくすねようとしてた』ってところからバカ。

 二点目。寄生種に真正面から突っ込んだのもバカ。

 三点目。そのうえ『余裕』とか言って何も説明しないのは、バカのバカ盛り」


「ハ、ハ、ハだな」


「笑い事じゃないんだけど」



 口調はきついが、目は本気で怒っているというより、半分呆れて半分心底ほっとしている、そんな色だった。


 マコトがそこで、ようやく言葉を挟んだ。



「危険な判断だったことは、否定しません。ただ」


「ただ」


 盃を軽く指で回す。



「結果として、誰も死なずに済みました。

 あそこで誰も気づかず、前衛の中央にそのまま突っ込まれていたら……こちらに戻ってくる人数は、今より少なかったでしょう」



「まあマコトもそう言ってるし、今回はギリギリ許してあげる。それに、いい事もあるしね」



 リオナはそう言うが否や、書類を幾つか机に出した。



「そう。くすねた──まあ別に悪い事はしてないんだけど──素材のおかげで、結果的にはかなりの黒字なわけ」



 ぱらぱらとページをめくり、指先で数字を追う。



「まず隣町からの危険手当、三日分。

 薬草の成功報酬で銀貨十六枚。

 それから、例の内皮。あれ、一欠片で銀一枚どころじゃなかったよ」


「は?」



 ライルが顔を上げる。



「ほら、街の薬師のばあさん。ライルに『見つけたら絶対押さえとけ』って言ってた人」


「ああ、ミルダか。あいつそんなに払ったのか?」


「市場価格がまだ追いついてないだけで、薬師同士の間じゃもう取り合いだってさ。

 今押さえておいてくれたら、次の三回分は優先して呼び水に回すって条件付きで、ひと腹銀貨六枚。

 あなたがこっそり剥いだ分で、銀二十六枚分くらいになってる」


「二十六……」



 流石にライルも目を瞬かせた。


 危険手当と合わせれば、今回の仕事一回で、ちょっとした遠征一つ分以上の儲けになっている。

 ひと月は働かなくてもいいくらいだ。

 


「つまり、あのバカみたいな突撃の採算は、一応取れてるってことだね」


「バカみたいは余計だ」


「じゃあ素直に『ありがとう、よく頑張ったねライル』って言ってほしい?」


「気持ち悪いからやめろ」



 やりとりだけ切り取れば、いつも通りの調子だ。


 けれど、喉に引っかかっていた棘のようなものが、ほんの少しだけ小さくなっているのを、ライル自身感じていた。


「ま、とりあえず今回は──」


リオナはわざとらしく咳払いをして、言い直した。


「よくやりました。あとでちゃんと薬塗って寝なさい。以上」


「はいはい」


「ほんとだよ?その腕ほっといたら、明日動かなくなって黒字も台無しだからね」


「分かってるって」



 ライルは、わざとだるそうに返事をしてから、空のグラスを振った。


「マスター、もう一杯」


 カウンターの向こうで、女将が「あんたらよく飲むねぇ」と笑いながらジョッキを洗う。



 マコトは盃をひとくちだけ傾けた。


「では、今回の仕事と、無事の帰還と、ライルの戦果に」


「お、珍しくマコトの方から乾杯?」


「たまには」



 三人の器が、軽く触れ合う。


 ごつん、と鈍い音。

 安酒の泡。

 鼻の奥に刺さるような匂い。



「さて」


 ライルはジョッキを置き、椅子の背にもたれた。


「明日の朝飯、どうするかね」


「わたしは昼まで寝たいかも。疲れた……」


「私は粥でいいですね。

 体調を整えるのが、次の依頼のためには一番です」


「お前そんなんばっかだな、休めよ」


「職業病です。あと、今回も私はライルほど動いた訳でもありませんし」


 くだらない話で笑っている時間だった。




 その時。




 灰鹿亭の扉が、きぃ、と軋んだ。



 誰かが入ってくる。

 よくあることだ。

 この時間帯、扉は常に誰かの出入りで動いている。




 だが、その瞬間だけは、店のざわめきが少しだけ違った。




「お、リュカだ!」


 入口近くの席から誰かが叫ぶ。


「英雄のご帰還だとよ!」


「おい席空けろ、座らせてやれ!」



 ライルの背中が、じわりと強張る。


 聞き慣れた声が、耳の奥に引っかかった。


「こんばんは。お邪魔します」



 穏やかな声。

 いつも少しだけ丁寧で、真面目で、どこかぎこちない。


 見たくはない。

 でも、見ずにいられるほど器用でもない。



 ライルは、ふいっと首をひねって入口の方を見た。


 扉のそばに、黒髪を束ねた青年が立っていた。


 鎧は脱いでいるが、動きにはまだ森の匂いが残っている。

 腰にはグランデュロス。柄に添えた手が、自然な位置に落ち着いている。



「この前の寄生種の話、聞いたぞ!」


「森の奥から飛び出してきたやつ、一人で仕留めたってな!」


「根が道塞いでたって噂、本当か?」


 客たちがわっと集まる。

 リュカは、少し困ったように笑いながらも、その輪から逃げない。


「え、ええと……一人で、というわけじゃなくて。

 あれは、先に気づいたライルが──」


「寄生されたやつって、普通のより速いんだろ?」


「見えねえくらいだったって話だぜ!」


「やっぱ英雄は違うなぁ!」



 言葉がかぶさる。

 説明の入り口で、何度も遮られる。


 リュカは「いや、だから」と続きを言おうとするが、そのたびに別の質問が飛んでくる。



「グランデュロス見せてくれよ!」

「一杯くらい奢るわよ!何飲む!?」

「女将、一番いい酒だ!」



 リュカの視線が、一瞬だけこちらに滑った。


 遠目でも分かる顔。

 「あの時のことを話したい」とか、「礼を言いたい」とか、そんな色が一瞬だけ浮かんで、すぐに酔客たちの影に紛れる。



「……リュカ、モテモテだね」


 リオナが、苦笑に近い笑みを浮かべて呟いた。


「まァ、あれだけ派手に仕事してりゃな」


 ライルはジョッキを回した。中身はもうない。


 マコトは無言で盃を見つめていたが、やがてぽつりと言った。


「寄生種の件を詳しく話そうとしているようですが……」


「無理だろ」



 ライルは肩をすくめた。



「あのテンションの中で実はですねって始めても、誰も認めねえよ。

 ここにいる連中がほしいのは、英雄がバケモノをぶった斬ったって話だけだ」


「だろうね」



 リオナはあっさり頷いた。



「お前なあ」


「だってそうでしょ。

 誰が好き好んで酒の場で空気を冷やかしたいと思う?」 



 正論だ。

 正論な上に自分で言ったことなのだが、正論であることと、胃のあたりでもやっとすることは別問題である。



 ライルは空のジョッキをぐるりと回し、そのまま握りしめた。



 別に、英雄になりたいわけじゃない。

 「ライル様最高!」とか言われたいわけでもない。

 いや、それは嘘か。少しは言われたい。



 ただ。



「……一声くらい、聞けよ」とどこかの気の短い自分が、耳元で小さくぼやいていた。



「ライル?」


 リオナが首を傾げる。


「なに」


「……辛かったら、言いなよ?」


「ほっとけ」


 椅子から立ち上がる。


「水、もらってくる」


「私が行きましょうか?」


「いい。座ってろ」


 グラスを片手に、客の間をすり抜ける。


 本当は水なんてどうでもよかった。

 ただ、このまま座ってたら、きっとまたリュカの笑い声が耳に刺さって、スープと一緒に変なものまで飲み込みそうだった。


 テーブルと椅子の隙間を抜けて、少しだけ開けたスペースまで出る。


 そこから入口までは、よく見えた。


 リュカの周りに、四人、五人、六人。

 みんな口々に何か喋っている。

 誰も、こっちの窓際のテーブルなんて見ていない。


 グラスを握り直した。


(……なんか、ムカつく)


 別に「俺のおかげだ!」と叫びたいわけじゃない。

 ……わけじゃないが、何も叫びたくないと言えば嘘になる。


 胸の中に溜まっていたものが、ちょうどいい温度まで煮え立っていた。





 だったら。




 

 せめて。





 自分の酒ぐらいは、自分で美味くしてやる。




 

 ライルは、窓際のテーブルにグラスを叩きつけた。


 周りのざわめきが、ぴたりと一瞬だけ止まる。






「やっぱり俺の手柄って言えばよかったァァァァ!!!!!!」







 ライル・デッドウォーター。

 これは後に世界中で名を轟かせる商人の、少し情けない冒険譚である。





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魔道商人の不当解雇 @yutan2912

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