蒼輝の念動術師(そうき の ねんどうじゅつし)
@hasourain1
1. 不完全なる降臨(ふかんぜんなるこうりん)
「また、その本か?」
静かな図書館の片隅。
分厚い古文書をめくっていた青年の手が止まった。
「お前、まだその伝説にのめり込んでるのか?」
声をかけた男は書架にもたれ、呆れたように笑う。
視線は自然と、青年の前にある本へ向かった。
『魔王オルタの最期』
黄ばんだ表紙。
いまや手に取る者もほとんどいない古文書だ。
「……何度見ても、おかしい」
アルゼンは本から目を離さないまま、低く呟いた。
「何が?」
「この記録。前後が合ってない」
男は椅子にどさりと腰を下ろした。
この会話――もう何十回目だろう。
「お前、何年その本ばっか覗き込んでるんだよ。
学会でも『信憑性なし』って結論が出てる文献だろ」
「そうだな。大半はそうだ。
オルタは魔王として記録され、
世界に災厄を撒き散らした悪として残っている」
アルゼンはゆっくりと頁をめくった。
古文書の文言が、静かに目へ滑り込んでくる。
『彼は黒き魂をまとい
世界の半分を焼き払った。』
『その出現とともに
あらゆる種族が息を潜めた。』
『その名はすなわち恐怖――オルタ。』
「……でも、一部の記録にはこうある。
オルタは『魔王を支えた側近の一人だった』って。
一度だって、自分を魔王だと言ったこともない」
「……それで?」
アルゼンは言葉を切った。
瞳が、かすかに揺れる。
「俺は……この歪められた歴史の
……真実が知りたい」
「……お前、ほんとにしつこいな」
男は無言で首を振った。
けれどその声は責めるというより、
敬意と諦めが混じった独り言に近かった。
その日もアルゼンは、静かに頁をめくり続けた。
そこには――三百年前、世界を揺るがした。
“魔王”と呼ばれたオルタの物語が、記されている。
◇
大陸西部。旧王国エルダインの外縁。
深淵の教団『黒太陽教団』の信徒たちが、
この地に身を潜めていた。
黒太陽の祭壇の中心に、
銀髪の子どもが静かに横たわっている。
まだ十にも満たないだろう幼い少年。
全身には儀式用の刻印と魔法陣が刻まれ、
微動だにしない顔からは、
すでに人としての温もりが消えたように見えた。
その上で、
黒太陽が本格的に目を覚ましはじめる。
空間全体が震えた。
祭壇を囲む司祭たちが頭を垂れ、
中央に立つ教団長が
低く、深い声で唱えた。
「アク・モル・ドレナン……オルタ・レ・バルシュ」
「ベルガ・ナ・アルケ。タル=ナル、タル=ナル……オルタ・イレス」
赤い魔法陣が火を宿し、
少年の身体がゆっくりと宙へ浮かび上がった。
全身に刻まれた刻印が同時に光を吐き、
黒太陽の中心から噴き出した力が
少年を貫く。
司祭のひとりが
震える手で胸を押さえ、囁いた。
「深淵が……応えた。ついに……」
別の司祭は
膝をつき、涙をこぼす。
「我らは……選ばれし証人だ……」
囁きが広がり、
抑えきれない高揚のまま
拳を握り締める者もいた。
黒太陽の光が
祭壇を呑み込む。
少年は宙に浮いたまま、
赤い刻印がひとつ、またひとつと消えていった。
やがて、光が止む。
宙にあった身体がゆっくり降り、
儀式は滞りなく終わったかに見えた。
「……終わった」
教団長が息を吐く。
司祭たちの間にも
安堵が滲みはじめた。
「魂が宿りました」
「降臨は……成功です」
そのとき、祭壇脇の魔導具のひとつが
「チッ」と短い音を立て、赤い灯を点滅させた。
「……ん?」
司祭が振り向く。
魔導具の表面に刻まれたルーンが揺れ、
魔力計測線が基準値の下で止まっていた。
「何かがおかしいです」
別の司祭が近づき、装置を覗き込む。
「数値が基準より明らかに低い。
正常な降臨なら……あり得ません」
教団長の表情が硬くなる。
「……そんなはずはない。すべて完璧だった」
「ですが魔力反応が弱すぎます。
もしや、器の問題では……」
その瞬間、
少年の指先が小さく震えた。
儀式は確かに成功している。
黒太陽は静かに鎮まり、
祭壇は深い静寂に沈んでいた。
少年の身体がゆっくりと降りる。
皮膚を走っていた魔法陣の光が消え、
閉じていた瞼が静かに開いた。
「……ようやく目を開けたか」
教団長は低く呟き、
その存在を見下ろした。
だが、そこにあるはずの『意志』が感じられない。
魂の宿る器。
確かに目は開いているのに、
威圧も、怒りも、存在の格もない。
ただ、
虚ろな瞳で虚空を見つめる少年の顔だけが
そこにあった。
やがて司祭のひとりが近づき、
赤い感応石を取り出して少年の前に掲げる。
機械のように整えられた操作。
感応石の中心に刻まれたルーンが
闇の中で揺らめいた。
しばらくして、
石眼が脈打ち、赤い閃光を吐き出す。
空気さえ震えるほどの圧。
確かな魔力反応だった。
「……これは……」
司祭が一歩退き、
感応石を見下ろす。
最初の司祭が
ためらうように報告した。
「測定値が出ました……
現代基準では圧倒的な数値です。ですが……」
視線を逸らし、付け足す。
「予言書に記された数値には遠く及びません。
……足りない。大きく不足しています」
誰かが息を呑んだ。
別の司祭が慎重に続ける。
「しかし、魔族の魔力そのものは間違いありません。
ただ、流れが不安定です」
「正常な降臨なら、
もっとはるかに強いはずです」
「器が耐えきれなかったのか……
あるいは、力の一部だけが降りたのかもしれません」
教団長は無言で少年を見つめた。
ぼんやりと虚空を映す目。
「記憶反応がありません。
精神計測の結果……
単純な児童レベルの認知反応しか確認できません」
教団長はしばらく見下ろし、口を開く。
「……制御は可能か?」
司祭のひとりが頷いて答えた。
「むしろ不安定だからこそ……
魔導具を通じて命令を直接注入するほうが、
より容易だと判断できます」
別の司祭も言い添える。
「私も、制御については問題ないかと」
教団長が短く笑った。
それは安堵でも喜びでもなく、
計算どおりの結果に対する満足に過ぎなかった。
「我々の望む方向へ動かせばいい」
その言葉と同時に、
司祭たちが静かに動き出す。
ためらいも、同情もない。
彼らの手には、
すでに用意されていた装備があった。
少年は、ただそこに立っていた。
小さな肩は震えず、
目は虚空だけを見つめている。
やがて、冷たい金属の装備が
ひとつずつ身体に被せられていく。
頭には精神抑制用の封印具。
背には命令刻印を刻む制御板。
腕と脚、
そして心臓の周囲には、
魔力の流れを監視し制御する拘束具が
正確な位置へ固定された。
カチリ。
冷たい金属が肌に触れる音。
少年は何も言わず、
どんな反応も示さない。
ただ、
虚ろな目で
一度だけ瞬きをした。
「……この子、本当に何も分かってないのか……」
司祭の声には
どこか迷いが混じっていた。
隣の司祭が低く言う。
「余計な感情は捨てろ。
見た目が子どもなだけだ……
中にいるのは魔王の残滓だ」
装備が次々と嵌められるにつれ、
少年の輪郭はやがて
純白の全身甲冑の中へ埋もれていった。
鎧は白い。だが、
そこに収まる存在は
決して“純粋”などと呼べるものではない。
外見は清潔で洗練され、
まるで聖域を守る守護者のように見える。
しかし実態は、破滅の魂が不安定に定着した殻に過ぎなかった。
無表情なヘルム。
固く封じられた四肢。
鎧に飾りはなく、
機械的に変調された声だけが外へ漏れる。
それはまるで、
正義を装った殺戮兵器。
誰も想像しないだろう。
その内側に、
たった十歳の子どもがいるなど。
教団長が
ゆっくり視線を巡らせて言った。
「この子は失敗作ではない。
儀式は成功した。
この世界を制圧するに足る魔力量も持っている」
司祭のひとりが慎重に付け加える。
「不足分の魔力は、生体エネルギーで補填できます」
別の司祭も頷いた。
教団長が締めくくるように言う。
「そうだ。
新たな器が整うまで、
それまではこの不完全な形のまま……
我々は予言を成す準備を進める」
言い終えると、
教団長は静かに背を向けた。
司祭たちも頭を垂れ、
祭壇から立ち去っていく。
そして――
鎧の中で、沈黙していた存在が
……ごく小さく、届かないほどの声で呟いた。
「……窮屈だ」
それは確かに、
誰かの意志でも、使命でもない……
ただの、子どもの声だった。
魔王でも、兵器でもない。
理解できないまま異質な身体に閉じ込められた、
小さな命の独り言。
そして、そうして『オルタ』は――
完全な復活に失敗したまま、
意志なき殻として、
この世界へ投げ出された。
◇
3年後。大陸南部、廃墟と化した都市のどこか。
かつてここは、海に面した活気ある商業都市だった。
港には商人たちの笑い声が漂い、
夜になれば酒場の灯が消えることはなかった。
だが今は、
影と瓦礫が濃く垂れ込める場所。
血の記憶だけが残る、死んだ土地。
その中心部を、白い完全甲冑の者が
誰かへ向けてゆっくり歩いていた。
「やめて……やめて……お願い……助けて……!」
建物の隙間に隠れていた中年の男が、
割れた硝子片に刺さった脚を抱え、這い出してくる。
その背後では、血まみれの子どもを抱いた女が
泣き叫んでいた。
「この子だけは……お願い……お願い……!」
叫びは反響のように散り、
救おうとする者は誰もいない。
街にとって悲鳴は、すでに聞き慣れた騒音で。
苦痛は、新たな魔力のための素材へ堕ちていた。
住民の大半は消えた。
それでも黒太陽教団が送り込んだ者たちは、
残った者すら目的のための材料にしている。
そして、その中心に――
オルタがいた。
固く封じられたヘルム。
内側から漏れる呼吸は、細く荒い。
「もう……やめたい……」
漏れ出た声は、確かに子どものものだった。
だが、
鎧の外へ滲み出る力は
圧倒的な魔族の気配だった。
少年は魔導具が反応するたび、
殺生の本能を強制的に起動される。
命令が下れば……
逆らうことはできない。
「進めろ。命を収穫しろ」
黒太陽教団の高位司祭が命じた。
すぐに、オルタのヘルムの側面に取り付けられた
精神干渉用の魔導具が反応する。
青い回路が細く光り、
移植された制御刻印がゆっくり発動していく。
「嫌だ……殺したくない……
俺は……俺は……」
だが魔導具に慈悲はない。
少年の感情は無視され、
意志は一息に折られた。
そうしてオルタは、また一度
理性を失った。
そのとき。
廃墟の向こうから、静かな足音が続いた。
砂と石屑を踏み、
武装した数人が慎重に姿を現す。
風に揺れる赤いマント。
色褪せた鎧に付いた土埃。
彼らは警戒を解かぬまま、
廃墟を注意深く見回していた。
「うわ……思ったよりずっと酷いですね」
「もう全部死んでるんじゃないのか?」
別の誰かが低く呟く。
「それより……噂じゃこの近辺で魔力反応が爆ぜたって話だろ」
その中のひとりが
崩れた建物の屋上へ上がり、小さな視界石を取り出した。
淡い紫の魔力がゆっくり渦を巻き、
その表面に、遠くの廃広場が映し出される。
しばらくして、
彼の瞳孔が細くなった。
「……何かいる。あそこ……中央の広場。
そっち、顔を向けてみろ。あれ……白い……鎧?」
冒険者たちは一斉に、そこへ視線を向けた。
廃墟の中心部。
青い魔力の痕が残る石畳の上。
白い全身甲冑の存在が、静かに立っていた。
「ぱっと見、人間みたいではあるけど……」
「感じるか? あの魔力。いったい、どんな化け物なんだ」
彼らは異様さに、言葉を失った。
その存在は何も語らず、動きもしない。
ただ、廃墟の中心に立っているだけだった。
「ちょっと……嫌な感じですね」
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