第11章 北方からの暗雲
神崎鍛冶が開業して、三年目の春。
王都に、不穏な噂が流れ始めた。
「北方で、村が襲撃されたらしい」
「魔物か?」
「違う。魔王軍だと」
酒場で、冒険者たちが噂話をしている。
鋼太郎は、その声に耳を傾けながら、一人でエールを飲んでいた。
「魔王軍って、50年前に壊滅したんじゃなかったのか」
「残党が再結集したらしい。北の辺境で、勢力を拡大している」
「嫌な話だな……」
鋼太郎は、グラスを置いた。
——魔王軍か。
この世界に来て三年。魔王や魔王軍の話は、何度か聞いたことがある。
50年前、魔王が率いる軍勢が人類の国々を脅かした。しかし、人類の連合軍が魔王を討ち、魔王軍は壊滅した——そういう伝説だ。
だが、その「残党」が再び動き始めたというのか。
「まあ、辺境の話だ。王都には関係ないだろ」
「だといいんだがな……」
冒険者たちの会話は、やがて別の話題に移っていった。
鋼太郎は、店を出た。
夜風が、ひんやりと頬を撫でる。
——嫌な予感がする。
前世で培った勘が、警鐘を鳴らしている。
何かが、動き始めている。
◆
数日後、その予感は現実のものとなった。
「師匠、大変です」
ナットが、青い顔で駆け込んできた。
「どうした」
「北方の難民が、王都に流れ込み始めています」
「難民?」
「ええ。村を焼かれ、家族を失った人たちが、大勢——」
鋼太郎は、工房を出て、大通りに向かった。
そこには、異様な光景が広がっていた。
ぼろぼろの服を着た人々が、ぞろぞろと歩いている。
老人、子供、女性。皆、疲れ切った顔をしている。
荷車には、わずかな家財道具が積まれている。
「どこから来たんだ」
鋼太郎は、一人の男に声をかけた。
「北の村からです……。魔王軍に襲われて、逃げてきました」
「魔王軍? 本当に」
「ええ……。信じられないでしょうが、本当なんです。角と牙を持った化け物が、村を焼き払って……」
男の声が、震えた。
「家族は?」
「妻と子は、先に逃がしました。俺は、親父を連れて……でも、親父は途中で……」
男は、言葉を詰まらせた。
鋼太郎は、それ以上聞かなかった。
◆
それから、毎日のように難民が王都に到着した。
王都の行政は、対応に追われた。
仮設の宿泊施設が建てられ、食料の配給が始まった。
だが、難民の数は増え続け、対応は追いつかなくなっていった。
「師匠、うちにも影響が出ています」
リーゼが報告した。
「影響?」
「冒険者たちの装備の修理依頼が、急増しています。北方の討伐任務に向かう冒険者が増えているようです」
「どれくらい増えた」
「先月の三倍です。このままでは、対応しきれません」
鋼太郎は、考え込んだ。
「修理だけなら、協力工房に回せ。うちは新品の製造に集中する」
「分かりました」
「それと——」
鋼太郎は、声を低くした。
「在庫を増やしておけ。材料も、製品も。何かあった時のために」
「何か、とは」
「分からない。だが、嫌な予感がする」
◆
一ヶ月後。
王都で、緊急の会議が開かれた。
「各国の代表が集まったらしいですよ」
ナットが、情報を持ってきた。
「大陸中の王や貴族が、王都に来ているそうです」
「何のためだ」
「魔王軍への対策を話し合うためだとか」
鋼太郎は、窓の外を見た。
王宮の方角に、各国の旗が翻っている。
「……大事になってきたな」
「師匠は、どう思いますか」
「分からない。だが、製造業者として、俺にできることがあるかもしれない」
◆
会議の結果は、すぐに発表された。
「人類連合」の結成。
アルヴェリオン大陸の主要な王国・公国・都市国家が同盟を結び、魔王軍に対抗する——そういう内容だった。
「ついに来たか……」
鋼太郎は、発表を聞いて呟いた。
「戦争だ」
「師匠」
リーゼが、不安そうな顔で言った。
「私たちは、どうすれば……」
「分からない。だが、できることをやる。それだけだ」
その夜、工房に一通の手紙が届いた。
差出人は、王国宰相府。
封を開けると、中にはこう書かれていた。
「神崎鍛冶殿
人類連合の結成にあたり、貴殿の工房の力を借りたく存じます。
明日、王宮にてお目にかかりたく、ご来訪をお待ち申し上げます。
王国宰相 アルベルト・フォン・シュタインベルク」
鋼太郎は、手紙を握りしめた。
——来るべき時が来た。
彼の製造業の知識が、本当に試される時が。
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