第5章 互換性という革命

三人の弟子を迎えてから、一ヶ月が過ぎた。


 神崎鍛冶の工房は、少しずつ形を成しつつあった。


 朝六時。


 日の出と共に、工房の一日が始まる。


「おはようございます、師匠」


 リーゼが最初に現れた。彼女は毎朝、誰よりも早く工房に来る。


「おう」


 鋼太郎は炉に火を入れながら答えた。


 数分後、ボルトが大きな欠伸をしながらやって来た。


「うーっす……」


「遅い。あと三分で日の出だったぞ」


「す、すみません……」


 最後にナットが、几帳面な足取りで入ってきた。


「おはようございます。本日の生産予定は、蝶番三十個、取っ手十五個、釘百本です」


「分かった。段取りを頼む」


 朝礼代わりの短いやり取りを終え、それぞれの持ち場に散っていく。


 これが、神崎鍛冶の日常になっていた。


         ◆


 この一ヶ月で、鋼太郎は三人の弟子に基本を叩き込んだ。


 リーゼには、測定と検査の技術。


 ノギスの使い方から始まり、図面の読み方、合否判定の基準、検査記録の付け方まで。彼女は几帳面な性格で、一度教えたことは確実にこなした。今では、鋼太郎が検査しなくても、リーゼの判定を信頼できるレベルになっている。


 ボルトには、鍛造と成形の技術。


 炉の温度管理、鉄槌の振り方、焼き入れのタイミング。彼は腕力だけでなく、驚くほどの器用さも持っていた。最初は力任せに叩いていたが、鋼太郎の指導で「力の加減」を覚えてからは、安定した品質の製品を作れるようになった。


 ナットには、生産管理と原価計算。


 材料の在庫管理、生産スケジュールの立案、製品一個あたりのコスト計算。彼の計算能力は抜群で、鋼太郎が教えた「原価管理」の概念をすぐに理解した。今では、材料の発注から納品までの計画を、ほぼ一人で回せるようになっている。


 三人とも、驚くほどの成長速度だった。


 ——やはり、若いというのは武器だな。


 鋼太郎は、弟子たちの姿を見ながら思った。


 前世の工場でも、若い社員は覚えが早かった。固定観念に縛られず、新しいことを素直に吸収できる。


 逆に、ベテランほど「昔のやり方」に固執して、新しい技術を受け入れない傾向があった。


 この世界でも、それは同じだろう。


 だからこそ、鋼太郎は若い弟子を選んだのだ。


         ◆


 その日の午後、予期せぬ来客があった。


「神崎殿、お客様です」


 ナットが、工房の奥から声をかけた。


「誰だ」


「鍛冶師ギルドのギルドマスター、ガルド・ハンマーフェル様です」


 鋼太郎は手を止め、入口に向かった。


 ガルドが、数人の職人を連れて立っていた。


「久しぶりだな、神崎」


「ギルドマスター。わざわざ来てくれるとは」


「実は、見せたいものがある」


 ガルドが、後ろの職人に合図した。


 職人の一人が、木箱を差し出す。


 蓋を開けると、中には十数本の短剣が並んでいた。


「これは?」


「お前が開発したノギスを使って、ギルドの職人たちが作ったものだ」


 ガルドの声に、誇りの響きがあった。


「全て、同じ規格で作った。刃渡り8リール、公差±0.05リール」


 鋼太郎は、短剣を一本手に取った。


 ノギスで測定する。


 刃渡り——7.98リール。規格内。


 別の一本を取る。


 刃渡り——8.03リール。規格内。


 三本目。


 刃渡り——7.96リール。規格内。


 全て、公差の範囲内に収まっている。


「……大したものだ」


 鋼太郎は、素直に感心した。


「一ヶ月前までノギスを見たこともなかった職人たちが、ここまで精度を出せるようになったとは」


「お前の技術のおかげだ」


 ガルドが言った。


「ノギスが普及してから、ギルド全体の品質が目に見えて向上した。不良品が減り、やり直しが減り、結果として生産効率も上がっている」


「それは良かった」


「だが——」


 ガルドの表情が、少し曇った。


「問題もある」


「問題?」


「これを見てくれ」


 ガルドが、別の箱を開けた。


 中には、短剣の「柄」だけが数十本、入っていた。


「これは?」


「ギルドの別の職人が作った柄だ。同じく、規格に従って作ったはずなのだが——」


 鋼太郎は、柄を一本取り出した。


 先ほどの短剣の刀身に、柄を取り付けてみる。


 ——入らない。


 穴が小さすぎる。刀身の茎(なかご)が、柄の穴に入らないのだ。


 別の柄を試す。


 今度は——入りすぎる。穴が大きすぎて、ガタガタと動いてしまう。


「……なるほど」


 鋼太郎は、状況を理解した。


「刀身と柄で、規格が合っていないのか」


「その通りだ。刀身を作った職人と、柄を作った職人が、それぞれ別々に規格を解釈した結果、こうなった」


 ガルドは、苦々しい顔をした。


「お前の言っていた『互換性』とやらを実現しようとしたのだが、うまくいかない。何が問題なのか、教えてほしい」


         ◆


 鋼太郎は、問題の短剣と柄を作業台に並べた。


 弟子たちも、興味深そうに見守っている。


「まず、測ってみよう」


 鋼太郎は、刀身の茎をノギスで測定した。


「茎の直径——0.78リール」


 次に、柄の穴を測定する。


「穴の直径——0.72リール」


「差が0.06リールある。これでは入らない」


 ガルドが頷いた。


「そうだ。だが、どちらの職人も、『規格通りに作った』と言っている」


「規格は何だ」


「茎の直径0.75リール、穴の直径0.75リール」


 鋼太郎は、眉をひそめた。


「……同じ寸法では駄目だ」


「何?」


「茎と穴を、同じ0.75リールで作ったら、入らないだろう。物理的に考えれば分かる」


 ガルドは、困惑した顔をした。


「しかし、同じ寸法でなければ、ガタつくのではないか」


「そこだ」


 鋼太郎は、羊皮紙を取り出し、図を描き始めた。


「いいか、よく聞け。茎と穴のような『嵌め合い』の部品には、『隙間』が必要なんだ」


「隙間?」


「そうだ。茎が穴にスムーズに入るためには、穴の方が少しだけ大きくなければならない。その『少しだけ』の量を、『はめあい公差』という」


 図に数字を書き込んでいく。


「例えば、茎の直径を0.74〜0.76リールに設定し、穴の直径を0.76〜0.78リールに設定する。こうすれば、どの組み合わせでも、茎は穴に入る。かつ、ガタつきも最小限に抑えられる」


「なるほど……」


 ガルドが、図を食い入るように見つめた。


「つまり、茎と穴で、公差の範囲をずらすわけか」


「その通り。これを『すきまばめ』という。逆に、穴を小さくして、茎を押し込む形にするのを『しまりばめ』という。用途によって使い分ける」


 鋼太郎は、図の横に表を書いた。


「神崎規格・はめあい公差表(案)」


 茎の直径:0.74〜0.76リール


 穴の直径:0.76〜0.78リール


 最小隙間:0.00リール


 最大隙間:0.04リール


「この表に従って作れば、どの職人が作った茎も、どの職人が作った穴にも、必ず入る」


「……素晴らしい」


 ガルドの目が、光を帯びた。


「これが、お前の言っていた『互換性』か」


「そうだ。同じ規格で作った部品が、どの組み合わせでも使えること。それが互換性だ」


         ◆


 その場で、実演を行うことになった。


 鋼太郎は、ボルトに指示を出した。


「茎を五本作れ。直径0.74〜0.76リールの範囲で」


「分かりました」


 リーゼには、別の指示を出した。


「ボルトが作った茎を、全て測定しろ。規格外のものがあれば、はじけ」


「はい」


 そして、自分は柄を作ることにした。


 穴の直径は0.76〜0.78リール。


 約二時間後、部品が揃った。


 茎——五本。全て規格内。


 柄——五本。全て規格内。


「では、組み合わせてみよう」


 鋼太郎は、最初の茎を取り、最初の柄に差し込んだ。


 ——スムーズに入った。


 次に、同じ茎を、二番目の柄に差し込んだ。


 ——入った。


 三番目、四番目、五番目。


 全て入った。


「次の茎」


 二番目の茎を、全ての柄に順番に差し込む。


 全て入った。


 三番目、四番目、五番目の茎も同様。


 五×五=二十五通りの組み合わせ、全てが成功した。


「……」


 ガルドは、言葉を失っていた。


 同行していた職人たちも、呆然としている。


「これが互換性だ」


 鋼太郎は言った。


「どの茎も、どの柄にも入る。誰が作っても、いつ作っても、組み合わせが成立する。部品の製造と組立を分離できるから、分業が可能になる。そして——」


 鋼太郎は、一本の完成した短剣を手に取った。


「戦場で柄が壊れても、予備の柄を持っていれば、その場で交換できる。茎のサイズを測る必要もない。規格が同じなら、必ず入るからだ」


 ガルドは、深く息を吐いた。


「……これは、革命だ」


 その言葉は、大袈裟ではなかった。


 この世界では、武器の修理は専門の職人に依頼しなければならなかった。


 戦場で剣が壊れたら、使い物にならない。新しい剣を調達するか、職人のところに持ち込んで直してもらうしかない。


 だが、互換性があれば違う。


 予備の部品を持っていれば、誰でも、どこでも、修理ができる。


「神崎」


 ガルドが、鋼太郎の肩を掴んだ。


「お前の技術を、ギルド全体に広めたい。いや、ギルドだけではない。王国中の職人に、この『はめあい公差』を教えたい」


「俺もそのつもりだ」


「協力してくれるか」


「もちろん」


 鋼太郎は、ガルドの手を握り返した。


「技術は、共有されてこそ価値がある。独占しても意味がない」


         ◆


 それから数日後、ガルドから正式な依頼が届いた。


「鍛冶師ギルド公式規格の策定」


 鋼太郎は、この大仕事を引き受けた。


 まず、基本的な部品の規格を定めた。


 「神崎規格・短剣」


  刃渡り:8リール±0.05リール


  刃幅:1リール±0.03リール


  茎直径:0.75リール(公差+0.01/-0.01)


  柄穴直径:0.77リール(公差+0.01/-0.01)


  全長:12リール±0.1リール


 「神崎規格・長剣」


  刃渡り:25リール±0.1リール


  刃幅:1.5リール±0.05リール


  (以下略)


 「神崎規格・蝶番」


  板幅:1.5リール±0.03リール


  板長:3リール±0.05リール


  (以下略)


 次に、測定器具の規格を定めた。


 「神崎規格・ノギス」


  測定範囲:0〜20リール


  最小読み取り:0.01リール


  精度:±0.005リール


 これらの規格書を、羊皮紙に丁寧に書き写し、ギルドに提出した。


 ガルドは、この規格を「ゼルクハイム鍛冶師ギルド公式規格」として採用した。


 略して「ZKG規格」。


 ギルドに所属する全ての職人は、この規格に従って製品を作ることが推奨された。


 規格を満たす製品には「ZKG適合」の刻印が押され、品質の証明となる。


 最初は、反発もあった。


「なぜ、よそ者の決めた規格に従わなければならないのか」


「伝統の技を、画一的な数字で縛るのか」


 だが、実績が物を言った。


 ZKG規格に従った製品は、品質が安定し、クレームが減り、売上が伸びた。


 規格に従わない製品は、品質にばらつきがあり、買い手から敬遠されるようになった。


 半年後には、ほとんどの職人がZKG規格を採用していた。


 そして、この動きは、王都だけにとどまらなかった。


 噂を聞いた他の都市のギルドが、ZKG規格の導入を求めてきた。


 鋼太郎は、規格書の写しを作成し、希望する全てのギルドに配布した。


 アルヴェリオン大陸全土で、「規格化」の波が広がり始めた。


         ◆


「師匠」


 ある夜、リーゼが鋼太郎に声をかけた。


「何だ」


「私、思うんです。師匠のやっていることは、すごいことなんだって」


 鋼太郎は、手を止めた。


 リーゼは、真剣な表情で続けた。


「ノギスとか、公差とか、最初は何のことか分かりませんでした。でも、今は分かります。これは——世界を変える技術なんですね」


「大袈裟だな」


「大袈裟じゃないです」


 リーゼの声に、力がこもった。


「私、父の工房で育ちました。父は腕のいい職人でしたけど、同じものを二つ作ることはできませんでした。『職人の作るものは、一つ一つが違うのが当たり前だ』って言っていました」


「……」


「でも、師匠は違うことを教えてくれました。『同じものを同じように作ることに価値がある』って。最初は意味が分かりませんでした。でも今は、分かります」


 リーゼは、自分の手を見つめた。


「同じものを作れるから、部品を交換できる。交換できるから、修理が簡単になる。修理が簡単だから、使う人が助かる。……そういうことですよね」


「ああ」


「師匠の技術は、使う人のための技術なんですね」


 鋼太郎は、しばらく黙っていた。


 そして、静かに言った。


「そうだ。ものづくりは、使う人のためにある。自分の腕を誇示するためでも、金を稼ぐためでもない。良いものを作って、使う人に喜んでもらう。それが、職人の本分だ」


「……はい」


「俺は前の——いや、遠い国で、そう教わった。そして、それを信じている」


 リーゼは、深く頷いた。


「私も、信じます。師匠の教えを」


 その言葉に、鋼太郎は小さく笑った。


 技術は、人から人へ受け継がれる。


 自分が前世で学んだことを、この世界の若者に伝える。


 それが、自分に与えられた使命なのかもしれない。


「よし、今日の仕事は終わりだ。明日も早いぞ」


「はい、師匠。おやすみなさい」


 リーゼが工房を出ていく。


 鋼太郎は一人残り、炉の火を落とした。


 窓の外には、異世界の星空が広がっている。


 見慣れない星座だが、どこか懐かしい光だった。


 ——俺は、この世界で何ができる。


 その問いへの答えが、少しずつ見えてきた気がした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る