第2章 剣と魔法と……錆びた剣

王都ゼルクハイムへの道は、思いのほか整備されていた。


 石畳の街道が東へと伸び、その両脇には麦畑と牧草地が広がっている。時折、木造の農家が点在し、牛や羊がのんびりと草を食んでいる。


 鋼太郎は、村長から借りた革製の旅嚢を背負い、三日目の朝を迎えていた。


 ノルヴァンド村を発ったのは二日前のことだ。


 村の若い鍛冶師——エルクという名だった——は、結局、鋼太郎に何も教えてくれなかった。「見知らぬ流れ者に仕事の秘密は明かせない」という理由だった。


 それ自体は理解できる。職人が技術を秘匿するのは、どの世界でも同じだろう。


 だが、その「秘密」の中身があまりにもお粗末だったことに、鋼太郎は内心で溜息をついた。


 村を去る前日、鋼太郎はエルクの作業を遠目に観察していた。


 炉の温度管理が適当すぎる。鉄を加熱する時間も、叩く回数も、全て勘だけで決めている。焼き入れの際の冷却速度も不均一だ。


 結果として、同じ工程を経ても、出来上がる製品は毎回違う。


 品質のばらつき。製造業では最も忌避すべき事態だ。


 だが、この世界ではそれが当たり前なのだろう。「名人」と呼ばれる職人は、その「ばらつき」を経験と勘で最小化できる者のことを指すのかもしれない。


 なんと非効率な。


 なんともったいない。


 街道を歩きながら、鋼太郎は考えを巡らせていた。


 この世界で、自分に何ができるか。


 答えは明確だった。


 製造業の「基本」を、この世界に導入する。


 測定と記録。標準化と規格化。品質管理と工程管理。


 地球では産業革命以降、200年以上かけて築き上げてきた製造技術の体系。それを、この中世レベルの世界に持ち込む。


 できるだろうか。


 鋼太郎は自分の手を見つめた。


 30歳の、若い手だ。


 58年分の知識が、この若い肉体に詰まっている。


 できる。


 やってみせる。


 三日目の昼過ぎ、ついに王都の姿が見えた。


 丘の上から見下ろすその光景に、鋼太郎は足を止めた。


 城壁に囲まれた巨大な都市だ。直径は数キロメートルはあるだろうか。石造りの建物が密集し、中央には白い城がそびえ立っている。城壁の外には郊外の集落が広がり、街道には商人の荷馬車や旅人の姿が行き交っている。


 中世ヨーロッパの都市を、映画で見たことがある。


 それと似ているようで、どこか違う。


 建物の一部が、淡い光を放っている。魔法の灯りか何かだろう。空を飛ぶ影がちらほら見える。鳥ではない。竜のような生き物だ。小型の、荷物を運んでいるらしい。


 魔法が存在する世界。


 その事実を、改めて実感した。


 城門をくぐり、王都の中に入る。


 人の波に押されながら、鋼太郎は周囲を観察した。


 大通りには露店が並び、様々な品物が売られている。野菜、果物、肉、魚。布や革製品。そして——武具。


 鋼太郎は、武具を扱う露店の前で足を止めた。


 剣が並んでいる。


 短剣から長剣まで、十数本。


 鋼太郎はその中の一本を手に取った。


「おっ、お客さん、目が高いね。それはうちの一番の売れ筋だ」


 店主らしい中年の男が、営業スマイルを浮かべて寄ってくる。


 鋼太郎は無言で剣を観察した。


 刃渡りは約60センチ。片手で扱う長さだ。


 だが——。


 刃が曲がっている。


 微妙に、しかし確実に、左に湾曲している。おそらく焼き入れの際に均等に冷却されなかったのだろう。


 柄を握り、軽く振ってみる。


 バランスが悪い。重心が手元に寄りすぎている。実戦で使えば、すぐに腕が疲れるだろう。


 そして何より——。


 錆が浮いている。


 刃の根元、柄との接合部あたりに、赤茶色の斑点が見える。研ぎ直しの際に油を塗り忘れたか、あるいは保管状態が悪かったか。


「お客さん?」


 店主が怪訝な顔をしている。


 鋼太郎は剣を台に戻した。


「この剣、いつ作った」


「え? さあ……一ヶ月くらい前かな」


「一ヶ月でこの錆か」


 店主の表情が固くなった。


「何か文句でもあるのか」


 鋼太郎は溜息をついた。


 文句はある。山ほどある。だが、ここで言っても仕方ない。


「いや。悪かった」


 立ち去ろうとすると、店主が背中に声を投げかけた。


「ふん、田舎者が。王都の品物に文句があるなら、自分で作ってみな」


 その言葉に、鋼太郎は足を止めた。


 振り返り、店主の目を見る。


「……そうだな。そうするよ」


 王都の中を歩き回り、鋼太郎は様々な店を見て回った。


 金物屋、鍛冶屋、武具店、農具店。


 どこも、同じだった。


 農具は錆だらけで、刃先は欠けている。


 蹄鉄は左右で大きさが違い、釘穴の位置もバラバラ。


 包丁は歪んでおり、まな板に対して水平に当たらない。


 そして剣。この世界の花形製品であるはずの剣でさえ、一本として「正確」なものがなかった。


 ある鍛冶屋の前で、鋼太郎は立ち止まった。


 店先に、十数本の短剣が並んでいる。


 全て「同じ設計」だと、店主は言った。同じ長さ、同じ形、同じ材料。


 鋼太郎はそれらを一本ずつ手に取り、比較した。


 刃渡りが違う。最も長いものと短いものでは、1センチ以上の差がある。


 柄の太さも違う。握った感触が、一本ごとに異なる。


 重さも違う。最も重いものと軽いものでは、体感で50グラム以上は違うだろう。


「同じ」ではない。


 全く、「同じ」ではない。


「なあ、店主」


 鋼太郎は、店の奥で作業している白髪の老人に声をかけた。


「なんだね」


「この短剣、寸法はいくつだ」


「寸法?」


 老人は怪訝な顔をした。


「刃渡りと、柄の長さと、全体の重さだ。設計上の数値を教えてくれ」


「そんなもの、ないよ」


 鋼太郎は眉をひそめた。


「ないとはどういう意味だ」


「文字通りの意味さ。うちの短剣は、わしの手が覚えている形に作る。毎回、だいたい同じ大きさになる。それでいいだろう」


「だいたい?」


「そうさ。だいたいだ。どうせ使う人間の手も、だいたいの大きさなんだから」


 老人は、鋼太郎の疑問が理解できないという顔をしていた。


 この世界には——。


 「公差」という概念がない。


 「規格」という概念がない。


 「標準」という概念がない。


 職人が、自分の勘と経験だけで、一品ずつ作る。


 だから、「同じ設計」のはずの製品が、全て違う寸法で出来上がる。


 修理のために部品を交換しようとしても、サイズが合わない。


 大量生産しようとしても、作る人によって品質がバラバラになる。


 これは——。


 これは、産業革命以前の製造業だ。


 鋼太郎の脳裏に、前世で学んだ歴史の知識が蘇った。


 18世紀のフランス。砲兵隊の技術将校グリボーヴァルが、「互換性」という概念を提唱した。


 同じ設計の大砲なら、どの部品も交換可能であるべきだ、と。


 それまでの大砲は、一門ごとに微妙にサイズが違っていた。だから、故障しても現場で修理できず、わざわざ元の製造者のところに送り返す必要があった。


 グリボーヴァルは、部品の寸法を厳密に規定し、「公差」の範囲内で製造することを義務付けた。


 結果、フランス砲兵隊は圧倒的な機動力を手に入れた。戦場で故障しても、予備の部品とすぐに交換できるようになったからだ。


 その思想は、後にアメリカに渡り、「アメリカン・システム・オブ・マニュファクチャリング」として発展した。


 銃器の製造から始まり、やがてミシン、タイプライター、自動車へ。


 大量生産と互換性。それが、現代製造業の礎となった。


 この世界には、その礎がない。


 だから、製造業は中世レベルで停滞している。


 鋼太郎は、街の中央にある広場に出た。


 噴水の縁に腰を下ろし、行き交う人々を眺めた。


 冒険者らしき者たちが、剣を腰に下げて歩いている。その剣は、どれも形が違う。同じ鍛冶屋で買ったはずのものでも、一本として同じものはないだろう。


 商人が荷馬車を引いている。車輪が軋んでいる。おそらく軸と穴のサイズが合っていないのだろう。


 子供が木製の玩具で遊んでいる。その玩具の部品が外れて、泣き出した。接合部の精度が甘いのだ。


 この世界の「当たり前」が、鋼太郎には異常に見えた。


 いや、異常なのは自分の方かもしれない。


 この世界の人々にとっては、これが普通なのだ。「同じものを同じように作る」という発想自体が、存在しない。


 だが——。


 だからこそ、俺がやる意味がある。


 鋼太郎は立ち上がった。


 目指すべき場所は決まっている。


         ◆


 鍛冶師ギルドは、王都の東区画にあった。


 石造りの重厚な建物だ。入口には、交差した鉄槌のレリーフが飾られている。


 鋼太郎は深呼吸をして、その扉を押し開けた。


 中は広いホールになっていた。


 カウンターがあり、その奥には事務机が並んでいる。壁には様々な金属製品が飾られている。剣、盾、甲冑、農具、工具、装飾品。ギルドに所属する職人たちの作品だろう。


 数人の男たちが、カウンター前で話し込んでいる。革のエプロンを着けた者、腕に火傷の痕がある者。皆、鍛冶職人らしい風貌だ。


「何か用か」


 カウンターの向こうから、若い女性が声をかけてきた。


 事務員らしい。羽ペンを持ち、帳簿のようなものを開いている。


「ギルドに入りたい」


 鋼太郎の言葉に、周囲がざわめいた。


「入りたい? 見たところ、どこかの工房の職人には見えないが」


「違う。鍛冶は未経験だ」


 ざわめきが大きくなった。


「未経験だと?」


「おい、冗談だろ」


「いい歳して、今から鍛冶師になるってのか」


 嘲笑混じりの声が飛ぶ。


 鋼太郎は動じなかった。


「ギルドに入るための条件は何だ」


 女性事務員は、少し困惑した様子で答えた。


「通常は、既存の工房で5年以上の修行を積んだ者が、親方の推薦を得てギルドに登録する。あるいは——」


「あるいは?」


「——入門試験を受ける方法がある。ギルドマスターが出題する課題をこなし、一定の技量があると認められれば、直接ギルドに登録できる」


「その試験を受けたい」


 周囲の嘲笑が、さらに大きくなった。


「未経験の素人が、入門試験だと」


「身の程を知れよ、田舎者」


「まあ待て」


 低い声が、ホールに響いた。


 笑い声が止まる。


 人垣の奥から、一人の男が歩み出てきた。


 巨漢だった。


 身長は2メートルを超えているだろう。肩幅は鋼太郎の倍はある。腕は丸太のように太く、両手には無数の火傷の痕と、タコが刻まれている。


 白髪交じりの髪と、鋭い眼光。年齢は60代か、あるいはそれ以上か。


 全身から、凄まじい威圧感が漂っている。


「お前が、未経験で入門試験を受けたいという男か」


「ああ」


「名前は」


「神崎鋼太郎。鋼の太郎と書いて、鋼太郎だ」


 巨漢は、その名を聞いて片眉を上げた。


「変わった名だな。どこの出身だ」


「遠い国だ。この大陸の者は知らないだろう」


「ふん」


 巨漢は、鋼太郎を頭からつま先まで観察した。


 その視線は、品定めをする職人のそれだった。材料の質を見極めるように、鋼太郎という人間を査定している。


「俺はガルド・ハンマーフェル。この鍛冶師ギルドのギルドマスターだ」


 やはり。


 鋼太郎は、この男がただ者ではないと感じていた。


「鍛冶は未経験と言ったな」


「ああ」


「だが、その手は労働者の手だ。何か別の仕事をしていたのだろう」


 鋼太郎は自分の手を見た。


 確かに、30歳の若い手ではあるが、どこか「使われた」感触が残っている。転生の際に、前世の記憶と一緒に、労働の痕跡も引き継がれたのかもしれない。


「金属を扱う仕事をしていた。鍛冶とは違うが、近い分野だ」


「ほう」


 ガルドの目が、わずかに光った。


「面白い。いいだろう、試験を受けさせてやる」


「ギルドマスター!」


 周囲から抗議の声が上がった。


「こんな素人に——」


「黙れ」


 ガルドの一言で、全員が口を閉じた。


「入門試験を受ける権利は、誰にでもある。それがギルドの掟だ。そして、落ちる者は落ちる。それだけのことだ」


 ガルドは鋼太郎に向き直った。


「課題は一つ。短剣を作れ」


「短剣?」


「そうだ。明日の朝までに、一本の短剣を作り上げろ。材料と道具は、ギルドの工房を使っていい。出来上がった短剣を、俺が評価する。合格すれば、ギルドへの登録を認める」


 シンプルな課題だ。


 だが、それだけに誤魔化しが利かない。


「分かった」


「一つ言っておく」


 ガルドの声が、低くなった。


「俺は、この目で数千本の剣を見てきた。小手先の誤魔化しは通用しない。お前の『実力』が、そのまま評価される。覚悟しておけ」


 鋼太郎は、その視線を真っ直ぐに受け止めた。


「望むところだ」


         ◆


 ギルドの工房は、本館の裏手にあった。


 広い作業場に、複数の炉と金床が並んでいる。壁には様々な工具が掛けられ、棚には鉄材が積まれている。


 夕方の今、工房には他に誰もいなかった。ガルドが「今夜は貸し切りで使っていい」と許可したのだ。


 鋼太郎は、まず工房全体を観察した。


 道具の配置が悪い。


 よく使う鉄槌が、炉から最も遠い位置に掛けられている。逆に、滅多に使わないであろう特殊な工具が、手の届きやすい場所にある。


 床に鉄くずが散らばっている。


 これでは、作業中に足を滑らせる危険がある。また、くずの中に紛れた良い材料を、誤って捨ててしまう可能性もある。


 炉の周りが煤だらけだ。


 火の粉が飛び散った痕跡があちこちに残っている。火災のリスクが高い。


 ——5Sができていない。


 鋼太郎は、小さく溜息をついた。


 村の鍛冶場と同じだ。いや、規模が大きい分、問題も大きい。


 だが、今はそれを指摘している場合ではない。


 まずは、課題をこなさなければ。


 鋼太郎は、棚から適当な鉄材を選び出した。


 手に取り、重さを確認する。目で見て、表面の状態を観察する。


 前世なら、材料証明書を確認し、成分分析の結果を見て、熱処理条件を決定する。だが、この世界にはそんな便利なものはない。


 経験と勘で判断するしかない。


 幸い、58年の人生で、鉄という素材については十分に理解している。


 この鉄材は、炭素含有量が低めだ。軟鉄に近い。


 短剣を作るなら、もう少し硬い鋼の方がいいが——仕方ない。与えられた材料で最善を尽くすしかない。


 炉に火を入れる。


 ふいごを使って風を送り、温度を上げていく。


 この世界の炉は、温度計がない。鉄の色で判断するしかない。


 暗赤色から、桜色へ。桜色から、黄色へ。


 十分に加熱されたところで、鉄材を炉から取り出し、金床の上に置いた。


 鉄槌を振り下ろす。


 カーン、という金属音が、工房に響いた。


 その音を聞いた瞬間、鋼太郎の身体に記憶が蘇った。


 40年前、新入社員として初めて工場に立った日のことを。


 先輩に連れられて、鍛造工程を見学した。真っ赤に熱せられた鉄塊が、巨大なプレス機で叩かれ、形を変えていく。


 その光景に、若い鋼太郎は息を呑んだ。


 ——金属は、生きている。


 熱を加えれば軟らかくなり、叩けば形を変え、冷やせば硬くなる。


 人間の手で、金属に「命令」を与えることができる。


 その感覚に、心を奪われた。


 それから40年、鋼太郎は製造業の世界に身を置いてきた。


 旋盤、フライス、研削、放電加工、レーザー加工——様々な技術を学び、経験してきた。


 だが、その原点は、この「鍛造」にあった。


 熱した金属を、鉄槌で叩いて形を作る。


 最も原始的で、最も直接的な金属加工の方法。


 ——久しぶりだな。


 鋼太郎は、無意識のうちに笑みを浮かべていた。


 前世で、自分で鍛造を行う機会は少なかった。工場長として管理業務が増え、現場で手を動かす時間は減っていった。


 だが、身体は覚えている。


 若い頃、先輩たちから教わった技術。夜遅くまで練習した、鉄槌の振り方。


 58年分の経験が、30歳の肉体を動かしている。


 鉄を叩く。


 形を整える。


 冷えてきたら、再び炉に入れて加熱する。


 その繰り返し。


 時間の感覚がなくなっていた。


 窓の外が暗くなり、やがて明るくなっても、鋼太郎は作業を続けた。


 短剣の形が、徐々に現れてくる。


 刀身の長さは約20センチ。柄を含めた全長は約30センチ。


 設計図はない。鋼太郎の頭の中にある「理想の短剣」の形を、鉄槌で表現していく。


 だが、単に形を作るだけではない。


 鋼太郎は、この短剣に「思想」を込めていた。


 まず、左右対称であること。


 刃の曲線が、中心線に対して完全に対称になるよう、細心の注意を払った。


 次に、重心バランス。


 柄と刀身の境目から、刀身側に約3分の1の位置に重心が来るよう、厚みと幅を調整した。この位置に重心があると、振り回したときの制御がしやすい。


 そして、刃の角度。


 切れ味を確保しつつ、欠けにくい角度を目指す。鋭すぎると刃こぼれしやすく、鈍すぎると切れない。その最適解を、経験則で導き出す。


 焼き入れの工程に入った。


 刀身を加熱し、水に浸けて急冷する。これによって、鉄の組織が変化し、硬度が上がる。


 だが、ここが最も難しい。


 冷却速度が均一でないと、刀身が歪む。最悪の場合、割れてしまう。


 鋼太郎は、刀身を水に入れる角度を慎重に調整した。


 刃先から入れて、全体を均一に冷やす。


 水面に蒸気が立ち上り、シュウウウと音がする。


 数秒後、刀身を引き上げた。


 ——歪みなし。


 鋼太郎は、小さく息を吐いた。


 研ぎの工程に移る。


 砥石を使って、刃を研いでいく。荒い砥石から、細かい砥石へ。段階的に、刃を仕上げていく。


 この作業は、時間がかかる。だが、ここで手を抜くと、全てが台無しになる。


 朝日が工房の窓から差し込む頃、ようやく短剣が完成した。


 鋼太郎は、出来上がった短剣を手に取った。


 美しい。


 自分で言うのも何だが、美しい短剣だ。


 左右対称の刃。滑らかな曲線。研ぎ澄まされた刃先。


 柄を握ると、手に吸い付くような感触がある。重心バランスが適切な証拠だ。


 軽く振ってみる。空気を切る音がする。


 ——これが、俺の実力だ。


 58年分の知識と経験を、一本の短剣に込めた。


 この世界の職人たちが、何と言うか。


 楽しみでもあり、不安でもあった。


         ◆


 約束の時間に、ギルドのホールに戻った。


 すでに多くの職人が集まっていた。昨日の騒ぎを聞きつけて、見物に来たのだろう。


 嘲笑混じりの視線が、鋼太郎に集まる。


「どうせ失敗作だろ」


「未経験の素人が、一晩で短剣なんか作れるわけがない」


「恥をかきに来たようなもんだな」


 ひそひそ声が聞こえる。


 鋼太郎は、気にしなかった。


「来たか」


 ガルドが、カウンターの向こうから歩み出てきた。


「見せてもらおう」


 鋼太郎は、布に包んだ短剣を差し出した。


 ガルドが布を解き、短剣を手に取る。


 その瞬間、ガルドの表情が変わった。


 眉がわずかに上がり、目が細くなる。


 短剣を様々な角度から観察する。刃を指で触り、柄を握り、軽く振る。


 ホールが静まり返った。


 さっきまでざわめいていた職人たちが、息を呑んでガルドの反応を見守っている。


「……左右対称だ」


 ガルドが、低い声で言った。


「刃の曲線が、完全に対称だ。これは——どうやった」


「目で見て、手で感じて、調整した。それだけだ」


「それだけ、だと?」


 ガルドは、信じられないという顔をした。


「この精度を、目視だけで出したと言うのか」


「ああ」


 周囲がざわめく。


 ガルドは短剣を持ち上げ、刃を光にかざした。


「研ぎも申し分ない。刃こぼれなし。焼き入れの歪みもない」


 ガルドは短剣を振った。


 空気を切る音が、ホールに響く。


「バランスも良い。手首への負担が少ない位置に重心がある」


 ガルドは、短剣を台の上に置いた。


 そして、鋼太郎を真っ直ぐに見た。


「合格だ」


 ホールがどよめいた。


「ギルドマスター! 本当にいいんですか!」


「素人を、一本の短剣で——」


「黙れ」


 ガルドの声が、ホールを黙らせた。


「お前たち、この短剣を見てみろ」


 ガルドが短剣を掲げる。


「この精度を出せる職人が、この中に何人いる? 正直に手を挙げろ」


 誰も手を挙げなかった。


「だから合格だ。この男は、お前たちの大半より、すでに腕がいい」


 職人たちが、悔しそうな、しかし認めざるを得ないという顔をしている。


 ガルドが鋼太郎に向き直った。


「神崎鋼太郎。鍛冶師ギルドへの入門を認める」


「——感謝する」


「だが、一つ聞かせろ」


 ガルドの目が、鋭く光った。


「お前は『鍛冶は未経験』と言った。だが、この技術は一朝一夕で身につくものではない。本当に未経験なのか?」


 鋼太郎は、少し考えてから答えた。


「……鉄を叩いたことはある。だが、それは剣を作るためではなかった」


「何を作っていた」


「部品だ。機械の部品。正確に、同じものを、大量に。それが俺の仕事だった」


 ガルドは、その言葉を噛みしめるように聞いていた。


「同じものを、大量に、か」


「ああ」


「面白い」


 ガルドは、初めて笑みを浮かべた。


「神崎鋼太郎。お前は面白い男だ。俺はお前に興味がある」


 その言葉の意味を、鋼太郎はまだ理解できていなかった。


 だが、異世界での「ものづくり」の第一歩を、確実に踏み出したのだ。


 ——これが、始まりだ。


 鋼太郎は、ギルドの紋章が刻まれた登録証を受け取りながら、そう思った。


 公差。規格。標準化。


 この世界にはまだない概念を、これから広めていく。


 その先に何があるか、まだ分からない。


 だが、ものを作ることでしか生きられない自分には、これ以外の道はないのだ。

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