異世界転生×金属製品製造業 転生したら金属加工のチート職人だった件 ~異世界を"ものづくり"で救います~
もしもノベリスト
第1章 最後の日、最初の日
炉の温度が1,200度を超えた瞬間、鉄は言葉を発する。
神崎鋼太郎は、58年の人生のうち40年をその声に耳を傾けて過ごしてきた。
12月の工場は、外気の冷たさと加熱炉の灼熱が奇妙な均衡を保っている。午前6時45分。始業まで15分。鋼太郎はいつものように誰よりも早く現場に立ち、第3製造ラインの前で腕を組んでいた。
マシニングセンタが低い唸りを上げている。冷却液の甘い匂いが鼻腔を刺激し、床に敷かれたすのこが靴底を押し返す感触。この工場の空気を、彼は皮膚で記憶していた。
「工場長、今日も早いですね」
背後から声がかかる。振り返らなくても分かる。技術課の若手、村瀬だ。入社3年目。図面を読む速度は悪くないが、現場での判断がまだ甘い。
「お前が遅いんだ」
鋼太郎は振り返らずに答えた。視線はマシニングセンタの操作パネルに向けられたままだ。昨日の夜勤で加工した試作品のデータを確認している。
公差プラスマイナス0.01ミリ。合格。
当たり前のことを、当たり前にやる。それが40年間、神崎鋼太郎という男の信条だった。
株式会社カナヤマ製作所。従業員数87名。年商12億円。
自動車部品から産業機械、精密機器まで、金属加工のあらゆる領域を手がける中堅メーカーだ。大手の下請けとして創業し、いまや一次サプライヤーとして複数の完成品メーカーと直接取引を行うまでに成長した。
その成長を、現場で支えてきたのが鋼太郎だった。
高校を卒業してすぐにこの会社に入った。当時はまだ町工場に毛が生えたような規模で、先代の社長が油まみれの作業着で旋盤を回していた。鋼太郎はその背中を見て、ものづくりの何たるかを学んだ。
図面を読む技術。材料の特性を見極める眼力。機械の癖を把握し、最適な切削条件を導き出す経験則。
それらは教科書には載っていない。ベテランの職人から、手取り足取り、時には怒鳴られながら、身体に叩き込まれるものだ。
鋼太郎は、その全てを吸収した。20代で班長になり、30代で係長、40代で課長を経て、50歳のときに工場長に就任した。
いま、彼の下には87人の従業員がいる。そのうち製造現場に配属されているのは54名。日本人45名、外国人技能実習生9名。
全員の顔と名前を、鋼太郎は覚えている。それぞれの得意分野も、苦手な作業も、家族構成も。
工場長とは、製品だけでなく、人を見る仕事だ。
「村瀬、昨日の試作品見たか」
「はい。検査成績書、朝イチで確認しました」
「で、どう思った」
村瀬は一瞬言葉に詰まった。鋼太郎はようやく振り返り、若い技術者の顔を見た。
「……合格でした」
「そりゃそうだ。聞いてるのは、お前がどう思ったかだ」
村瀬の額に薄く汗が浮かんだ。12月の早朝、まだ暖房も本格稼働していない工場で、である。
「切削条件、もう少し追い込めたんじゃないかと」
「どこを」
「送り速度です。サイクルタイムをあと8秒は縮められたかと」
鋼太郎は無言で村瀬を見つめた。3秒、5秒、10秒。若者の視線が泳ぎ始める。
「根拠は」
「え……」
「8秒縮められると言った根拠だ。何を基準にした」
村瀬は口を開きかけ、閉じた。答えが出てこない。
「適当に言っただろう」
「……すみません」
鋼太郎は溜息をついた。怒りではなく、落胆でもなく、ただの習慣として。この40年間、何度同じやり取りを繰り返してきたか分からない。
「工具メーカーの推奨値と、うちの機械の剛性と、材料のロットごとのばらつきを全部計算に入れて、それでも安全マージンを確保した上で8秒なら、検討の価値がある。だが、勘で言ったなら論外だ」
「はい」
「製造業ってのはな、感覚と数字の両方がいるんだ。感覚だけでも駄目、数字だけでも駄目。両方揃って初めて、良い仕事ができる」
村瀬は深く頭を下げた。鋼太郎は再びマシニングセンタに視線を戻した。
「まあ、3年目でそこに気づけたなら上出来だ。俺は10年かかった」
午前8時、朝礼。
製造現場の全員が第1ラインの前に整列する。鋼太郎は全員の顔を一人ずつ見渡した。
グエン。ベトナムから来て3年目。日本語がだいぶ上達した。手先が器用で、バリ取り作業の速度は日本人の若手を凌駕する。
チャン。同じくベトナム人、2年目。最初は機械の操作に苦労していたが、最近ようやくNC旋盤を任せられるようになった。
ラマ。ネパール人、1年目。まだ言葉の壁がある。だが真面目で、誰よりも早く現場に来る。
彼らの顔を見ていると、40年前の自分を思い出す。右も左も分からず、ただ必死に先輩の背中を追いかけていた頃の自分を。
「今日の作業指示を伝える」
鋼太郎の声が、金属と油の匂いが染み付いた空間に響いた。
「第1ラインは昨日の続き、自動車部品のシャフト加工。数量500本、納期は明後日。第2ラインは産業機器向けのブラケット。図面変更があったから、技術課から展開図をもらえ。第3ラインは……」
指示を出しながら、鋼太郎は自分があと3ヶ月でこの場所を去ることを考えていた。
定年退職。60歳という区切り。
会社からは嘱託として残ってくれないかと打診されている。技術の継承が追いついていない、と。
分かっている。この40年で培った知識と技術を、後進に伝えきれていないことは。
だが、身体は正直だ。
50を過ぎた頃から、夜勤明けの疲労が抜けにくくなった。55を超えると、細かい図面の文字を読むのに眼鏡が必要になった。そして58の今、膝が軋み、腰が重い。
ものづくりは、体力勝負でもある。
現場を離れた工場長など、鋼太郎には想像できなかった。
「——以上だ。何か質問は」
誰も手を挙げない。鋼太郎は頷いた。
「よし。安全第一。いい仕事をしよう」
その言葉で、54名の作業者がそれぞれの持ち場へ散っていく。金属がぶつかる音、機械が回り始める低い唸り、圧縮空気が噴き出す音。工場が目覚める瞬間だ。
鋼太郎は、その交響曲のような騒音の中に立ち尽くした。
あと3ヶ月。
この音を聞けるのは、あと何日だろう。
午前10時32分。
事故は、予兆なく訪れた。
第2ラインのプレス機で、金型の交換作業が行われていた。担当はベテランの山下と、技能実習生のチャン。数百キロの金型をクレーンで吊り上げ、所定の位置にセットする作業だ。
鋼太郎は第1ラインの進捗を確認した後、第2ラインに向かっていた。
金型交換は危険を伴う。重量物の落下、挟まれ、巻き込まれ——製造現場における重大災害の多くは、この「段取り替え」の最中に発生する。
だから鋼太郎は、金型交換の際には必ず自分の目で確認するようにしていた。
第2ラインに近づいたとき、異音が聞こえた。
ワイヤーが軋む音。金属が擦れ合う音。そして、
「危ない!」
誰かが叫んだ。
視界の端で、金型が傾いた。
クレーンのフックから、数百キロの塊が滑り落ちようとしている。
その真下に、チャンが立っていた。
彼は何が起きているか理解していなかった。日本語の警告を、咄嗟に処理できなかったのかもしれない。ただ呆然と、頭上を見上げている。
鋼太郎の身体は、考えるより先に動いていた。
58年間で最も速く、地面を蹴った。
チャンの肩を両手で押す。若者の身体が横に飛ぶ。
そして、
世界が、重くなった。
痛みはなかった。
ただ、圧倒的な質量が身体を押し潰す感覚があった。
視界が狭まる。音が遠ざかる。
床に倒れた姿勢で、鋼太郎は天井を見上げていた。蛍光灯の白い光が、やけに眩しい。
誰かが叫んでいる。救急車を呼べ、と。圧搾機を止めろ、と。工場長、工場長、と。
騒ぎの中で、鋼太郎は不思議な静けさの中にいた。
死ぬのか。
そう思った。
40年間、この工場で働いてきた。ものを作ってきた。図面通りに、公差の範囲内に、納期を守って。
良い仕事を、してきただろうか。
後進に、何かを残せただろうか。
視界がぼやけていく。蛍光灯の光が、白い霧のように広がっていく。
最期に見たのは、チャンの顔だった。
無事だった。良かった。
鋼太郎の意識は、そこで途切れた。
◆
最初に感じたのは、土の匂いだった。
湿った土。落ち葉の腐葉土。木々の青い香り。
工場の油と金属の匂いではない。
次に感じたのは、風だった。
頬を撫でる冷たい風。髪を揺らす、生ぬるい風。
空調の人工的な気流ではない。
鋼太郎はゆっくりと目を開けた。
視界に飛び込んできたのは、緑だった。
見上げる先に、木々の枝が広がっている。葉の隙間から、青い空が覗いている。
空。本物の空だ。
鋼太郎は仰向けに寝ていた。背中に感じるのは、柔らかい地面。枯れ葉と草が敷き詰められた、森の土だ。
「……なんだ、これは」
声が出た。
自分の声だ。だが、どこか違う。もっと若い、張りのある声。
鋼太郎は上体を起こした。
身体が軽い。
膝が痛くない。腰が重くない。
自分の手を見た。
皺のない、若い手だ。
爪の周りに染み付いていた油汚れがない。長年の労働で固くなった皮膚がない。
これは——誰の手だ。
慌てて立ち上がる。足が地面を蹴る感覚が、まるで違う。バネがある。力がある。
近くに小川が流れていた。鋼太郎はそこに駆け寄り、水面を覗き込んだ。
見知らぬ顔が、そこにあった。
いや——見知った顔だ。
30年前の自分の顔。
黒い髪。張りのある肌。精悍な目つき。入社して10年目、係長に昇進した頃の自分。
「……は?」
声が漏れた。
何が起きている。
ここはどこだ。
なぜ自分は生きている。
そもそも、これは生きていると言えるのか。
混乱する頭を抱えて、鋼太郎はその場にしゃがみ込んだ。
森の中で、どれくらいの時間が過ぎたか分からない。
少なくとも数時間。太陽が傾き、木々の影が長くなり始めた頃、鋼太郎はようやく思考を整理し始めた。
事実を確認しよう。
一、自分は工場で事故に遭った。金型に押し潰された。
二、おそらく、死んだ。
三、気がついたら、この森にいた。
四、身体は30歳頃の自分に戻っている。
五、周囲の環境は、明らかに日本ではない。
植生が違う。見たことのない広葉樹が生い茂り、聞いたことのない鳥の声がする。空気の匂いも、光の質感も、全てが異質だ。
結論。
これは——いわゆる、異世界転生というやつか。
鋼太郎は苦笑した。
孫が読んでいたライトノベルで見たことがある。トラックに轢かれたり、過労死したりした主人公が、剣と魔法の世界に生まれ変わるという話。
まさか自分がそうなるとは。
いや、待て。
本当に異世界なのか。まだ確定していない。
もしかしたら、これは死の間際に見ている夢かもしれない。脳が酸素不足で見せる幻覚かもしれない。
ならば、確認する必要がある。
鋼太郎は立ち上がった。
身体は軽い。膝も腰も痛くない。30年分若返ったこの肉体は、忘れていた躍動感に満ちている。
まずは、人里を探そう。
川に沿って下れば、やがて集落に行き着くはずだ。
鋼太郎は歩き始めた。
日が完全に沈む前に、村を見つけた。
小川が合流して少し大きな流れになり、その川沿いに開けた土地があった。木造の家が十数軒、畑と牧草地に囲まれた小さな集落だ。
その光景を見た瞬間、鋼太郎は確信した。
これは日本ではない。
建築様式が違う。石積みの土台、藁葺きの屋根、漆喰のような白い壁。ヨーロッパの農村を彷彿とさせるが、どこか違和感がある。
だが、それ以上に目を引いたものがあった。
村の入り口に、看板が立っている。
文字が書かれている。
読める。
日本語ではない。アルファベットでもない。見たことのない文字だ。だが、なぜか意味が分かる。
「ノルヴァンド村 王都まで東へ三日」
王都。
王都だと?
鋼太郎は看板の前で立ち尽くした。
異世界だ。間違いない。
王がいる。つまり、王国制の国家がある。
三日で行ける距離に王都がある。つまり、それなりに発達した文明がある。
そして——自分は、その世界の言葉が読める。
なぜかは分からない。転生の際に付与された能力か何かか。
考えても仕方ない。まずは情報を集めよう。
鋼太郎は村の中に足を踏み入れた。
村人たちは、見知らぬ男の出現に驚いたが、敵意は示さなかった。
鋼太郎は旅人を装い、道に迷ったと説明した。言葉が通じることに内心安堵しながら、村長を名乗る老人から様々な情報を聞き出した。
この世界は「アルヴェリオン大陸」と呼ばれている。
複数の王国が存在し、この村は「ゼルクハイム王国」の辺境に位置する。
魔物と呼ばれる危険な生物が存在し、冒険者と呼ばれる者たちがそれを狩っている。
魔法が存在する。一部の人間は、火を出したり、水を操ったり、傷を癒したりできる。
まさに、ファンタジー小説の世界だ。
鋼太郎は村長の話を聞きながら、周囲を観察していた。
技術者の目で。
「ところで、この鋤、もう少し使いやすくならないものかね」
村長の家で、夕食をご馳走になりながら、鋼太郎はそう切り出した。
テーブルの隅に、使い古された農具が立てかけられている。鉄製の刃に、木の柄。
だが、その「鉄製の刃」が酷かった。
錆だらけだ。刃先は曲がり、欠けている部分もある。柄との接合部はガタついており、力を入れれば外れそうだ。
「ああ、それはもう20年使っとる。鍛冶屋に直してもらおうにも、この辺りには腕の良い職人がおらんでな」
村長は溜息をついた。
「王都まで行けば立派な鍛冶師がおるが、わしらのような百姓が頼めるような値段じゃない」
鋼太郎は鋤を手に取った。
重い。バランスが悪い。刃の角度も最適ではない。
そして何より、整備がなっていない。
錆は放置すれば金属を蝕む。定期的に油を塗り、乾燥した場所に保管すれば、ここまで酷くはならない。
しかし、この村人たちは、その基本すら知らないのだろう。
いや、知っていても、それを実践する余裕がないのかもしれない。
「この村に、鍛冶師はいないのか」
「昔はおったが、亡くなってな。息子が跡を継いだが、腕は親父には及ばん」
鋼太郎は窓の外に目を向けた。
夜闘の中に、かすかな赤い光が見える。鍛冶場の炉の火だろう。
「その鍛冶師、会えるか」
翌朝、鋼太郎は村の鍛冶場を訪れた。
入り口に立った瞬間、彼は絶句した。
「……5Sすらできてない」
思わず、声に出していた。
鍛冶場の中は、混沌としていた。
床には鉄くずが散乱している。工具は無造作に積み上げられ、何がどこにあるか分からない。炉の周りは灰と煤で覆われ、火事が起きてもおかしくない状態だ。
整理——不要なものと必要なものが混在している。
整頓——必要なものの置き場所が決まっていない。
清掃——言うまでもない。
清潔——作業環境が維持されていない。
躾——そもそもルールがない。
製造業の基本中の基本、5S活動が全くできていない。
いや、この世界には5Sという概念自体が存在しないのかもしれない。
「あんた、誰だ」
奥から若い男が出てきた。20代半ば。がっしりした体格に、無精髭。手には鉄槌を持っている。
「昨日、村に来た旅人だ。鍛冶の仕事を見せてもらいたいと思ってな」
「見世物じゃねえよ」
男は警戒心を隠そうともしなかった。
鋼太郎は構わず、作業台の上に置かれた短剣を手に取った。
おそらく、この鍛冶師が作ったものだろう。
酷い出来だった。
刃は波打ち、研ぎが甘い。柄と刀身の接合部には隙間があり、少し力を入れればガタつく。
何より、左右対称ではない。刃のバランスが偏っており、振れば手首に負担がかかる。
「……これで、いくらだ」
「銀貨3枚」
相場は分からないが、この品質でその値段は、どう考えても割に合わない。
だが、村人たちには選択肢がないのだ。この鍛冶師に頼むか、三日かけて王都に行くか。
鋼太郎は短剣をテーブルに置いた。
「なあ、一つ聞いていいか」
「何だ」
「この短剣、同じものをもう一本作れるか。全く同じ寸法、同じ重さ、同じ形の」
男は眉をひそめた。
「何を言ってる? 手作りだぞ。同じものなんか作れるわけねえだろ」
その言葉を聞いた瞬間、鋼太郎は全てを理解した。
この世界には「規格」という概念がない。
「公差」という概念がない。
「互換性」という概念がない。
一人の職人が、一つの製品を、自分の勘と経験だけで作る。だから同じ設計でも、出来上がるものは全て違う。部品の交換も、修理も、効率的に行えない。
これは——。
これは、俺の知識が活きる世界だ。
鋼太郎の胸に、熱いものが込み上げてきた。
58年の人生で培ってきた全ての技術と知識。
図面の読み方。測定の方法。工程管理。品質管理。5S活動。QC活動。
地球では当たり前だったそれらが、この世界では——革命になる。
「なあ、兄さん」
鋼太郎は、若い鍛冶師の目を真っ直ぐに見た。
「俺に、鍛冶を教えてくれないか」
男は怪訝な顔をした。
「あんた、鍛冶師志望か? その歳で?」
30歳の見た目だ。確かに、この世界の基準では遅いのかもしれない。
だが、鋼太郎は笑った。
「遅すぎるってことはない。俺はな——ものを作ることしか、能がないんだ」
そう言った瞬間、鋼太郎は自分がこの世界に転生した意味を、確信した。
神様がいるなら、きっとこう言っただろう。
「お前の技術を、この世界で使え」と。
鋼太郎は深く息を吸い込んだ。
土と鉄と火の匂いが、肺を満たす。
新しい人生の、最初の一歩を——今、踏み出す。
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