父は魔王・呂布。師は義将・太史慈。 二つの魂を継ぐ少年が、その「呪われた血」と「最強の矛」で、乱世の喉笛を喰いちぎる。
@saijiiiji
プロローグ:魔王の落日
建安三年、冬。
下邳(かひ)の城は、凍てつく泥水と紅蓮の炎に沈んでいた。曹操軍による水攻めによって城壁は崩れ落ち、そこへ火矢の雨が降り注ぐ。蒸発した水蒸気が濃い霧となって視界を遮り、そこかしこで上がる断末魔が、ここが地獄の底であることを告げていた。
中華最強と謳われた武神・呂布奉先(りょふほうせん)。その覇道が、今まさに尽きようとしていた。
「……息を乱すな。天(テン)」
轟音の中でも、その声は腹の底に響く雷鳴のように届いた。
崩れかけた城の本丸。玉座の前に仁王立ちする巨躯があった。全身に無数の矢が突き刺さり、鎧は砕け、血が滝のように流れている。だが、その男から放たれる闘気は少しも衰えていない。むしろ死を前にして、その存在感は膨れ上がり、周囲の空気を歪ませているようにさえ見えた。
「親父……」
少年――天は、切っ先が欠けた剣を握りしめ、父の背中を見上げていた。
十二歳。子供と呼ぶには、その眼光はあまりに鋭すぎた。
物心ついた頃から、父・呂布による地獄の英才教育を受けてきた。遊び道具の代わりに剣を与えられ、子守唄の代わりに敵の首の落とし方を教え込まれた。骨が折れ、吐血するほどの組手を毎日繰り返した。父は決して手加減をしなかった。「俺の息子なら、呼吸するように人を殺せ」。それが呂布の愛だった。だから天にとって、戦場は恐怖する場所ではなく、己の価値を証明する場所だった。
「曹操の本隊が正門を突破しました! 殿、もはやこれまで……!」
副官であり、呂布軍きっての忠臣・高順(コウジュン)が、血まみれで駆け込んでくる。常に鉄仮面のように無表情な高順でさえ、その声は悲痛に歪んでいた。
呂布はゆっくりと振り返った。その顔に、絶望の色は微塵もない。口元には、獰猛な獣の笑みが張り付いていた。
「高順。天を連れて行け」
「殿!? しかし……!」
「俺の首はくれてやる。曹操ごときにこの呂布の魂までは奪えん。だが、血は別だ」
呂布は手にしていた巨大な武器――方天画戟(ほうてんがげき)を、石畳に突き刺した。ズドンッ、という重い音が響き、床石が蜘蛛の巣状にひび割れる。
呂布は懐から、何かの金属片を取り出し、天に向かって放り投げた。
天は反射的にそれを受け止める。ずしりと重い、冷たい鉄の塊。それは、方天画戟の石突(いしづき)に使われていた、鋭利な刃の部品だった。
「天よ。十二年だ。俺が貴様に教えた武、その身体に刻まれているな?」
「ああ。全部、ここに入ってる」
天は自分の胸を拳で叩いた。声は震えていない。涙もない。ただ、父への誇りと、父を殺そうとする世界への激しい憤怒だけが渦巻いていた。
「ならば行け。泥水をすすり、石を投げられようとも生きろ。俺の血がお前の中で生き続ける限り、呂布は死なぬ。いつかその牙で、天下の喉笛を喰いちぎれ」
「……約束する。俺は親父の息子だ。誰にも負けねえ」
呂布は満足げに鼻を鳴らすと、巨大な掌で天の頭を一度だけ、乱暴に鷲掴みにした。ミシミシと頭蓋が軋むほどの力。それが、魔王なりの抱擁だった。
「行けッ!!」
裂帛の気合と共に、呂布は方天画戟を引き抜き、崩れ落ちた城門へと向き直った。
そこには、黒い波のような曹操軍の大群が押し寄せていた。数千、いや数万。
呂布はたった一人で、その大波に向かって歩き出した。
天は高順に担ぎ上げられ、秘密の抜け道へと走りながら、父の最期の戦いを目に焼き付けた。
それは、戦いというよりは災害だった。
呂布が一振りするたびに、五人、十人の兵士が鎧ごと両断され、空中に舞い上がる。愛馬・赤兎馬(せきとば)が嘶き、蹄で敵兵の頭蓋を踏み砕く。矢の雨が降り注いでも、呂布は止まらない。体に矢が突き刺さるたびに、その咆哮は大きくなり、振るう戟の速度が増していく。人間ではない。鬼神だ。何百人もの敵兵が、たった一人の男に恐怖し、後ずさりしている。
だが、多勢に無勢。やがて縄が打たれ、網がかけられ、巨木が倒れるように父は膝をついた。それでもなお、三人の兵士が首にしがみつかなければ抑え込めないほどの暴れようだった。
「見ろ、天! あれが武人の極致! お前の父の姿だ!」
高順が叫ぶ。天は瞬きすらせず、その光景を魂に刻み込んだ。
処刑の瞬間。父は命乞いなどしなかった。曹操を睨みつけ、首に縄がかけられてもなお、傲然と笑っていた。
魔王は死んだのではない。伝説になったのだ。
***
それから、一年。
天は地獄にいた。
高順は天を逃がすために追手の囮となり、無数の矢を受けて立ち往生を遂げた。一人残された天は、人買いに捕まり、呉の南端「黒鉄(くろがね)採石場」へと売られた。
十三歳になった天の体は、過酷な労働と、父から受け継いだ骨格によって、既に大人の戦士をも凌駕する鋼の肉体へと成長していた。泥と垢にまみれ、着ているものはボロ布一枚。だが、その瞳に宿る凶暴な光だけは、あの日から一度も消えていない。
「おい、そこの小僧! 動きが鈍いぞ!」
監督官の怒号と共に、革鞭が唸りを上げて飛んできた。
天は避けない。岩のように動かず、鞭を背中で受け止める。皮膚が裂け、血が滲むが、眉一つ動かさない。
「……何の真似だ、その目は」
監督官がたじろぐ。泥の中から自分を見上げる少年の視線。それは、人間を見る目ではなかった。餌を見る猛獣の目だ。
「俺の名は天。呂布奉先の息子だ。貴様のような雑魚に、指図される覚えはない」
採石場が静まり返った。
呂布。裏切りの魔王。その忌まわしい名は、呉の辺境でも知れ渡っている。周囲の労働者たちは、「関われば呪われる」と距離を取った。
「ハッ! 裏切り者のガキか! 親が親なら子も子だな。ここで野垂れ死ぬのがお似合いだ!」
監督官が嘲笑い、鉄棒を振り上げた瞬間。
天の中で、父の言葉が蘇る。
――弱ければ死ぬ。強ければ生きる。
天の右腕が霞んだ。
ガシィッ!
振り下ろされた鉄棒を素手で受け止め、そのまま握り潰す。
「なッ……!?」
「親父を愚弄した罪。その命で償え」
天は監督官の腕をねじり上げ、枯れ木のようにへし折ると、そのまま彼を十メートル先の岩壁まで蹴り飛ばした。
ドォン、という衝撃音。
騒ぎを聞きつけた衛兵五十人が槍を構えて殺到する。
天は足元に落ちていたつるはしを拾い上げ、口元を歪めた。その笑顔は、処刑台の上の父と瓜二つだった。
「来いよ。全員、親父への手向けにしてやる」
一人の少年による、一方的な蹂躙が始まった。
槍をへし折り、鎧を砕き、大人たちをゴミのように吹き飛ばしていく。その姿は、まだ洗練されてはいないが、間違いなくあの「最強」の片鱗だった。
その光景を、丘の上から見下ろす一団がいた。
呉の猛将、太史慈(たいしじ)である。彼は巡察の途中でこの異様な殺気を感じ取り、足を止めたのだ。
「将軍、いかがしますか。あの少年、危険です。射殺しましょうか」
部下が弓を構える。だが、太史慈はそれを手で制した。彼の目は、泥まみれで暴れる少年に釘付けになっていた。
暴力の化身。制御不能の獣。だが、その奥底にある、決して折れない誇りの輝き。
「殺すな。……面白い獣を見つけた」
太史慈は馬を進め、殺戮の嵐が吹き荒れる中心へと降りていった。
この出会いが、天の運命を変える。
魔王・呂布に「力」を与えられ、義将・太史慈に「心」を教わることになる少年。
二つの魂を継ぐ凶星の物語が、今、幕を開ける。
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