文学少女転生編②

複数の側仕えに囲まれながら、身体をタオルで綺麗にされていた。タオルはホカホカに温められ、皮膚に浮いた汚れを拭き取っていく。わたしはボーっと椅子に座っているだけ。身体は六歳だけど、精神は十九歳だ。大人しくしているくらいなら、いくらでもできる。もともとヨモギは大人しいで近所では有名だった。


十分に温められたタオルは、慎重にわたしの肌に当てられる。火傷しないように、何度も温度を確認している。しかし海で溺れて死んでしまっても、傷一つない強靭な肉体だ。火傷することなんてないんじゃないだろうか。この華奢な身体のどこにそんな強さが隠れているのか不思議だけど、この世界には魔力というものがある。今もわたしのおへその奥で、沸々と魔力は溜まっている。


綺麗さっぱり身体を磨かれて寝間着に着替える。サラサラの材質で、包まれるだけで寝落ちしてしまいそうなくらい着心地が良い。ベッドに入って、就寝の挨拶をする。「安らぎの竜トラコタルータの導きがありますように」というのは、日本でいうところの『おやすみなさい』と同じ意味だ。とはいえ、10日間も寝ていたのだから、すぐには寝れない。

 

天幕が閉じた暗がりのなか、わたしはこれからのことを考える。


わたしとしては今すぐに、ヨモギについての小説が書きたい。こうして一日、ウラフリータとして生きているなかで、ヨモギとしての自覚は確実に薄れている感覚がある。わたしのなかで、正しくヨモギとしての人生を回顧するために、一刻も早く文字を覚え、ペンと紙を手に入れなければいけない。


わたしがウラフリータとして生きる決心をするまで、周囲の人たちは待ってくれない。体調が安定したら、勉強が始まる。モルシーナが言うには、領主候補のわたしは将来のドラゴ・ノースアロライナに相応しい英才教育が施されるらしい。ちなみに、ドラゴとは領主の敬称で、ノースアロライナとは領地の名前だ。

 

勉強が始まれば、きっと文字を教わる。小説を書くのは、どうしてもその後になる。

てことは、わたしはウラフリータとして生きる決心をする前に、ノースアロライナの領主候補として、英才教育なるものを受けないといけない。わたしとしては不満が残る教育計画だ。


しかし、わたしには教育水準の高いであろう日本で、十九年も生きた記憶がある。六歳児に対する英才教育なんて、けちょんけちょんの、おちゃのこさいさい。ウラフリータは大船に乗ったつもりで、ヨモギに任せてほしい。


◇◇◇


いつの間にか寝てしまっていたようで朝はモルシーナに起こされた。窓から朝日、という名前で正しいのかどうか分からないけど、とにかく明るい光が差し込み、目が覚めてから少し経つと身体も起きてくる。


「活力の竜テスコラッソの導きがありますように」

「結びます」


挨拶には「結びます」と返すのがこの世界の決まり文句だ。


龍王書記という文献が、この時代の文化の礎になっている。ヨモギが知っている常識と、この世界の常識は違う。ウラフリータの記憶とすり合わせながら慎重に言葉を選ばなければ、わたしは非常識の烙印を押されることになる。この数日間は何でもかんでも人にモノを尋ねる、聞きたがりになって情報を集めないといけない。


あの光が太陽なのかも分からないのだ。


ベッドの上で身体を起こし背伸びを行うと、モルシーナが困った顔でジッとこっちを見つめていた。何か不味いことでもあったのかと背伸びを中断するけど、モルシーナの目線はわたしではなくベッドの方に向いていた。


「ウラフリータ様、ご粗相しましたね?」

「してません!」


粗相とはお漏らしのことだ。いくら六歳の身体とはいえ、精神は十九歳。そんなみっともないことするわけがない。物心ついてから、お漏らしをした記憶なんてない。小説を書くのに集中しているときだって、尿意を感じたら席を立っていた。


おしっこが出そうになったら、トイレに行くくらいはできる。この世界のトイレも経験済みだ。洋式の便座タイプのぼっとん便所で、穴から見える奥底にはスライムのようなものが置いてあって尿を吸収していた。気になる匂いもなく、というか、なんなら良い匂いがするくらいで、清潔に保たれている。さすがは高貴な身分が使っているトイレだ。


日本人の潔癖な性格からしても、この世界のトイレで用を足すのに嫌悪感はない。わたしはお漏らしなんてしていない。モルシーナの誤解だ。


「ウラフリータ様、そう申されましても、シーツは魔力でベトベトです」

「魔力?」

「はい魔力漏れです。それにウラフリータ様の身体はアルナシーム様の魔力で満たされています。自分と違う魔力を排出しようとするのは、生理現象です。仕方のないことですよ」


わたしはお股のあたりを確認した。魔力が漏れているという感覚はない。ベッドのシーツを見ても、魔力でベトベトというのは分からない。しかし少しだけ青っぽいような気がする。その青さが魔力だとするなら、鏡でウラフリータの身体を観察したときに感じた、若干の青いオーラが魔力なのだろう。


どうやらわたしはおしっこを漏らしたのではなく、魔力を漏らしてしまったみたいだ。日本で十九年過ごしても、魔力のことなんてこれっぽっちも知らない。いつの間に漏れていても気づくことができない。わたしはガックリと肩を落とす。漏らしてしまったのは事実のようだ。トホホ。


「本来なら時間をかけてアルナシーム様の魔力を排出するのですが、さすがはウラフリータ様ですね。魔力の質の高さは、アロライナの賢者とまで言わしめたアルナシーム様を上回っているということです」

「魔力の質が高いせいで、お漏らしをしてしまったのですね」

「貴族の子供なら誰しも経験することです。子供は魔力を感じ取る機能がまだ育っていないのです。魔力に関する感覚は、身体が大きくなる過程で、養われるものですから。気に病む必要はございません。それにこれだけ出せば、スッキリしたでしょう」

「スッキリ?」


そういえばおへそのあたりにあった熱が無くなっている。あれは他人の魔力への拒絶反応のようなものだったのだろう。モルシーナの言うとおり変な感覚がなくなってスッキリした。


しかし疑問が残る。モルシーナ曰く子供は魔力を感じる機能がまだ育っていないようだけど、わたしは魔力の青っぽさを認知できていたし、他人の魔力の熱を感じることができていた。それらが魔力だと知らなかっただけだ。十九歳の精神が身体に宿ったことで、魔力を認知する機能も成長したのだろうか。


いや、そんなはずがない。ヨモギは魔力を知らない日本人だ。きっとウラフリータの魔力の質の高さというのが関わっているのだと思う。質の高さだけではなく、魔力を感じる機能までウラフリータは人より優れていた。魔力の才能に溢れる女の子だったに違いない。


それが六歳という若さで、亡くなるなんて。なんだか悔しくて、今度は目から涙が漏れそう。でもこの悔しさは、ウラフリータとしての悔しさじゃない。ヨモギとして一人の女の子の悲運に共感しただけだ。ウラフリータを船から落とした犯人がいるのなら、わたしが懲らしめてやる。


また一つ、目標ができた。


「お風呂で身を清めましょう」

「魔力は水で洗うのですか?」

「いいえ。水では落ちません。魔力は体温よりも暖かいお湯に溶けるのです。ですから、ノースアロライナの温泉は、他人の魔力を浴びる機会が多い騎士に人気の観光地なのです。先の政変の際にも、ずいぶんと賑わったと聞きます」


どうやらこの世界では魔法をぶつけ合って戦争をするらしい。それから、ノースアロライナには温泉があるみたいだ。日本人の心を持つ者としては嬉しい限りである。


モルシーナによってベッドから降ろされる。最初にお漏らしを指摘されたときには気づかなかったけど、たしかに、お股のあたりがベトベトしている感じがする。これでは気持ちが悪いので、一刻も早く暖かいお湯で洗い流して欲しい。


「部屋の外に出ていいのですか?」

「もちろんです。アルナシーム様の魔力を全て排出なさったので」


そういえばアルナシームさんの魔力がわたしの体内に残っていることで、機能障害が起こるかもしれないみたいな話だった。全て排出したら体調が安定したってことになるのだろう。


モルシーナは他の側仕えに指示を出す。側仕えのなかにはモルシーナよりも明らかに年上な中年の女性もいた。一方でモルシーナはそれこそ十九歳くらいに見える。まだ若いのにバリバリ働いてすごい。ヨモギなんて働くのが嫌で、大学から催促される就活から逃げていた。


ウラフリータに生まれ変わって初めて部屋の外に出る。わたしの部屋は学校の教室ほどの広さだったけど、廊下は学校のそれと比べてもかなり広く大人数がすれ違うこともできるだろう。大きな窓が並んでいて、窓がないところには絵画が飾ってある。龍と人の象徴的な絵が多い。挨拶もそうだけど、芸術も、龍王書記なる文献に影響を受けているのだろう。


モルシーナに先導されてわたしは浴室に向かう。廊下ですれ違う人たちは、わたしたちとすれ違うときには端っこに立ち止まり頭を下げる。朝からお仕事お疲れさまです。逆にわたしとモルシーナが頭を下げることはない。モルシーナも領主の娘の側近として同僚に頭を下げることはしなかった。


わたしは領主の娘だから、そりゃ頭を下げる機会などそうそうにやってこないだろうけど、モルシーナはそうではないと思う。わたしに頭を下げた人たちのなかには、モルシーナよりも身分が上の人がいたのではないだろうか。わたしがいないときに、いびられたりはしないのだろうか。


ちょっと心配だ。


「モルシーナはわたしの乳母の娘なのでしょ? それなりに高貴な身分なの?」

「わたしの実家は中級貴族です。ですが、近年では中級のなかでも最も影響力がある家だと自負しております。先の政変の勝ち組というのもありますが、こうして、わたくしがウラフリータ様の筆頭側仕えを任されているのも、わたくしの実家が、ノースアロライナの社交で影響力を強めている要因でもあります」


六歳には難しい話を、スラスラと喋る。十九歳でもちょっと難しい。あまりにも流暢に答えるのでちょっと怪しいなって思う。まるでわたしにそのことを聞かれたら、こう答えるのだというマニュアルがあるみたいだ。まあ、あるのだろう。

 

ウラフリータの記憶に引っ張られて、モルシーナには無類の信頼とちょっとの煩わしさがあったけど、自分の立場がハッキリとするまでは他人を信用しすぎるのもよくない。せめてウラフリータは船から落とされたのか、事故なのか、落とされたとして、その犯人が罰せられるまでじゃ警戒を強めないといけない。命の危険に関わることだ。


廊下は思った以上に長く、浴室に着くまで時間がかかる。生活に関する施設なのだから部屋の近くに作れよと思うが、何か様々な理由があるのだろう。常識も知らないわたしには、文句の一つも言えない。黙って歩くだけなのも暇だ。この際なので、モルシーナに質問攻めをしてみることにした。


「あの空に浮かんでいる、光はなんでしょうか。とても眩しくて、気になります」

「あれは、龍神メテロノーレです」

「龍神ですか?」


太陽っぽい何かについて質問すると、斜め上の答えが返ってきた。龍に関することなので、どうせ龍王書記に書かれていることなのだろう。


「この世界を構成する二種類の原始的なエネルギーのうちの一つです。二種類のエネルギーというのは龍神メテロノーレが司る生命力と、龍神ウーデローネが司る魔力のことです。龍神メテロノーレが空にプカプカ浮いている間を昼と呼び、その間は大地に生命力が降り注いでいるというのは、数年前に貴族院で習いました」

「夜の間、龍神メテロノーレはどこへ行くのですか?」

「……そこまでは、分かりません。わたしも、龍王書記の専門ではないのです。申し訳ありません」

「部屋のこちらから昇って、廊下のこちら側へ沈みますよね。夜の間、龍神メテロノーレはこの世界の裏側に行くのかもしれませんね。ああ、解釈が逆かもしれません。龍神メテロノーレがこの世界の裏側に行っている間が、夜なのでしょう」

「……」


覚えた知識を繋ぎ合わせて、自分なりの解釈を述べたが、モルシーナから反応は得られなかった。もしかしたら少しやりすぎたかもしれない。まあ、やりすぎるくらいがちょうどいいだろう。自分の価値を見せつけたら周りも過保護になってくれるはずだ。


「では、モルシーナ。龍神ウーデローネはどこにいるのでしょう。魔力を司っているということは、わたしのお漏らしも見られたかもしれません」


小気味いいジョークを飛ばす。


モルシーナはクスっと笑ってから、口を開く。


「龍神ウーデローネは大地に宿ります。大陸の礎を作ったあとは、長い眠りについているようです。貴族院には、その象徴たる不老不死の龍樹がありました」

「てことは龍神ウーデローネを中心に、龍神メテロノーレは一周しているのでしょう。その一周を、わたしたちは一日と呼んでいるのですね」


しかし、わたしのこの解釈だと天動説だ。この世界では天文学は進んでいるのだろうか。まだ文明レベルもよく分かっていない。スライムトイレは2011年でも通用したと思うけど、ウォシュレットはなかった。このお屋敷のトイレにないなら、どこのご家庭にもないと思われる。とにかくこの世界の常識が、龍王書記に基づいていることはよく分かった。


「龍王書記はどこで読めるのでしょうか。読んでみたいです」

「ウラフリータ様、龍王書記は貴族院の図書室に写本がありました。しかし、昨日も申し上げましたが、竜結びの儀式があるまでは、本を読んではいけませんよ」

「分かっています」


それから、これから始まる英才教育とは具体的に何をするのか聞いたり、ノースアロライナの風土について教えてもらった。


龍神メテロノーレが昇る方角に、ローマ海洋が広がり、龍神メテロノーレが沈む方角には、サコスローラ山脈が連なる。豊なアロイド平野に流れる広大なサクラス川を中心に、ノースアロライナの人々は暮らしている。


寒くなると雪が降る。その雪解け水がアロイド平野を豊かにし、豊穣をもたらしてくれる。


研究者気質の領民性であり、工作や実験が大好きらしい。ウラフリータも船の模型を飾っていた。ノースアロライナで生まれ育ったからには、オタク気質になるのだろう。かくいう私も小説オタクではある。領民とは性格が合いそうだ。


脱衣所に着くと、魔力で汚れた寝間着を脱がされる。お風呂用の薄い肌着に着替える。着衣したままお風呂に入るのは気が進まないけど、これがこの世界の常識なのだから仕方がない。


浴室は、大衆浴場くらい広い。浴槽から湯気が立っているのが見える。お風呂を見て心躍るかと思ったのだけど、なぜか悪寒が走る。よく分からない気持ちの悪さだ。


「どうされました?」

「いや……」


入口で立ち止まっていると、モルシーナに声をかけられる。自分でも、どうして足が動かないのかよく分からない。どうされましたかと聞かれても、答えられない。


「なんでもないわ」


気丈に振舞い、足を踏み出す。湯に近づくにつれ、吐き気がする。脳やら、脊椎やら、身体やら、何から何までわたしに最大の警報を鳴らす。全身が必死になってわたしに危険を伝えてくる。

 

なにが?


そう思った瞬間、フラッシュバックする。身体がどこかへ溶けだすような、あの感覚。死ぬ瞬間、もしくは死んだあとの、臨死の体験。ウラフリータの幼い身体は必死にわたしに危険を伝えてくれる。


「っう」


気持ちが悪い。わたしは、その場でしゃがむ。


「ウラフリータ様!」


モルシーナが駆け寄って、わたしの側に寄り添う。他の側仕えに指示を出しながら、わたしの背中をさすってくれる。アルナシームさんから預かっている、魔力の排出を促す薬を持ってくるように指示している。

 

違うよ。


「モルシーナ、浴室から出ましょう」


わたしは吐きそうなのをこらえて、モルシーナに伝える。


「水が怖いです」

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