地蔵、迷惑系ユーチューバーに救われる。
赤ぺこ
本文
ここ数日、なんだか左肩がチクリと痛む。チクリとだから、我慢が出来ないほどではない。例えるなら、戯れに楊枝でつんとされたほどの軽めの刺激だ。針灸の類と思えばむしろ心地よい。しかし痛みの原因は気になる。そう思い首を捻れば、本当に楊枝で刺したような小さな穴が開いていた。
「はてはて。これは一体どうしたことかしらん」
そう独りごちながらうんうん唸っていると、頭上から痛みの元が降りてきた。ぽたりと垂れる滴だ。見上げれば随分煤けた祠の天井に、大きな染みが拡がっている。染みの中央から落ちる小さな雨粒が小気味良く私の肩を穿つ。ぴっちょん、ぴちょんと、なんとも楽し気に。
何年かそれとも何十年か。なんとまあ気の長い。虚仮の一念とはまさにこのことか。肩を抉られた憤りもどこかに消え、思わずふむぅと感心してしまった。そうそう、コケと言えば適度な湿り気を好んだのか、肩をめがけて苔どもがふわふわ集まりだしている。抹茶のような肩掛けが完成するのも、おそらくそう遠くない未来だろう。そしてその頃には、木彫りの私の体は腐っているに違いない。まあ今さらじたばたしても仕様がない。ちょいと動けば済む話だが、そのまま穿たれることにした。
この世に生まれて二百年余。この地に居ついてからは百五十年近く経つ。地蔵としてはまだ青年を少し過ぎたばかりだが、これから何百年と働き続けることを想像するだけで、憂鬱になってしまう。雨粒に打たれ、苔むされ、朽ち果て自然に還るのもまた一興。
地蔵には、大きく二つの仕事がある。一つは人間の願いに耳を傾けること。これは割合に簡単だ。路傍や祠の中で、ひたすらじっとしていれば良い。後は勝手に人間が訪れ、勝手に願いを呟き、勝手にお供え物を置いていく。中には「悪いところが良くなりますように」と、腕やら胸やら頭やらを撫でつけていく者もいる。こそばゆくて辟易するが、世の中には願掛けと称して縄で縛られたり、化粧や泥を塗られたり、油をかけられたりする地蔵もいるのだから、私なんぞは恵まれているのだろう。贅沢は言えない。実は、もう一つがやっかいなのだ。
【六道を輪廻している衆生(命あるもの)を救済する為の一切の業務。衆生から感謝されるやりがいのある仕事です。経験が浅い地蔵には優しい先輩が同行するので安心! 勤務地…六道のいずれか(天道、人道、修羅道、畜生道、餓鬼道、地獄道) ※転勤あり】
ハローワークの求人情報風に書けば、こういった感じだろうか。肝心の仕事内容を具体的に示さずに、“一切”で済ますのが怪しい。“やりがい”なぞと抽象的な言葉で煙に巻くのが怪しい。“優しい先輩”が怪しい。自分で挙げた例に難癖つけるのも可笑しな話だが、つまるところ地蔵の仕事はブラックだ、ということが伝われば幸いである。
◆
ここは三途川、の川っぷち。地面を見ると、無数の石がごろりと寝転がっている。賽の河原。人間たちにはそう呼ばれている場所だ。そして私の現在の職場でもある。
「シャーシャー」と何とも品のない雄叫びを上げながら、牛頭鬼(ごずき)が金棒を薙ぎ払う。小さな石を積み上げた塔は、完成目前でがしゃこと派手な音を立て崩れていく。それを見た子供たちは、ごみ溜めの臭いがするため息を小さく吐き、それを嗅ぎつけた馬頭鬼(めずき)が、臭いの主を執拗に追いかけまわす。泣きながら逃げまどう子供たちを見下げ、二匹の鬼がお決まりの台詞を吐く。
「何を泣くことがあるだろうか。これも全て、お前たちが親より先に死ぬという重罪を犯したからではないか」
「親不孝な自分を恨みながら、永遠に石を積み上げるのだ」
親より先に亡くなった子供たちが石を積み、完成直前に石の塔を鬼が壊す。何千年と繰り返されたやりとりは、本日もつつがなく私の眼前で繰り広げられていた。
「相変わらず精が出ますね」
差し入れの日本酒を掲げると、牛と馬の顔が嬉しそうに綻ぶ。賽の河原における私たち地蔵の役目は、鬼たちのご機嫌を伺いつつ、河原から子供たちを救い出すこと。そのためには、手土産の酒は欠かせない。
地蔵は鬼と戦い、勝利を収めた後に子供を賽の河原から救い出す。これが正規の手順らしい。私が生まれるずっと前にはそうしていたと聞いている。しかし逐一戦っていては、お互いの身が持たない。何よりこれはあくまで仕事。少なくとも現場で働く私たちは、鬼に何も恨みはない。恐らくあちら様も同じ考えだろう。その結果、いつしか手順は形骸化の道を辿ることになった。
最初の頃は戦いを辞め、そのまま子供を河原から連れ出していた。しかし鬼側の幹部連中から抗議の声があがる。「断りも無しに連れ出すのはあんまりじゃないか」と。
あまりにも好き勝手をされては、鬼としての面目が丸潰れらしい。
「これでは子供たちに、我々の威厳が保てないではないか」
豪快な身体に似合わず、ちんまい性根の連中だ。もちろん地蔵側の幹部も黙ってはいない。
「毎度無様に負けて、醜態を晒す羽目になる癖に。こっちはそれを勘弁してあげようと言っているのです」
「地蔵は脳みそまで石で出来ているのか。鬼が本気を出せば、地蔵ごときに負けるわけなかろう」
「あら鬼さんたら。顔が真っ赤ですよ」
「元からだよ」
面子や体裁、損得、政治的駆引きなど、地蔵と鬼の下卑た思惑は複雑怪奇に絡まりあい、くんずほぐれず押し合いへし合いの様相を見せた。今の形に落ち着くまでは、ずいぶんと時間がかかったらしい。
結局、鬼たちに酒の賄賂を贈り、その便宜として子供たちの救出を見逃してもらう。といった腐った政治のお手本のようなやりとりが、双方の落としどころになったようだ。一見すれば鬼側に有利に見えるが、裏ではどんな取引があったのやら。
「おうおうよく来たな。今日は遅いって心配してたんだよ」
「いつも悪いな、酒がきれると仕事にならんもんでな」
二匹の鬼たちが、顔を綻ばして出迎える。もっとも視線は私ではなく、手元の酒瓶に釘付けになっているが。ちなみに酒の銘柄は『鬼殺し』だ。何の冗談だろうか。私が賽の河原エリアの担当になるずっと以前からの習わしだった。
流石にそのまま出しはしない。わざわざラベルを別の銘柄に貼り替える。ちなみに本日は『越乃寒梅』だ。この訳の判らぬ慣習を考案した地蔵は、よほど鬼が嫌いだったのか、それとも底意地が悪かったのか。いずれにせよ、このような嫌がらせが今日まで続くということは、地蔵側のちんまい精神もなかなかのものだと思う。
「ちょっくら休憩でもどうでしょうか」
私の言葉を待っていたかのように、鬼どもは懐からマイ酒枡を取り出す。八尺もある身体に合わせた特注品らしい。
「おっ、今日は『越乃寒梅』か。流石だな」
「寒梅に、乾杯~!」
牛頭鬼のうすら寒い音頭を合図に、即興の酒盛りが始まった。少し離れた場所では子供たちが再び石を積み上げ始めており、鬼たちはその様子をつまみ代わりに呑んでいる。
持ってきた酒瓶は一本、二本、と瞬く間に空になっていった。捨てられた空き瓶はごろりと転がりながら、子供が積み上げた石の塔を目がけ次第に加速していく。酔っていても役目はこなす、仕事の鬼。
「失礼。ちょいと厠に」
宴もたけなわな頃、私はそう言い場を離れる。いわゆる隠語であり、仕事に戻るという意味の合図だ。酒に夢中な鬼たちは「また今度な」と、こちらを見向きもせず手を振っただけだった。目指す場所はすぐ近く。石と格闘する子供たちの群れだ。
群れの中に入った私は、懐から黒塗りの名簿を取り出した。閻魔帳の一部を写しとったもので、一番新しい頁には、亡くなった子供たちの名前が記されている。
「ふくだく~ん、ふくだしんいちく~ん」
一人の子供が手を挙げる。
「おめでとう。今日で石積みは終わりだ。ここから出られるぞ」
つるりとしたむき卵のような顔を、少年は嬉しそうに綻ばせ、小さくガッツポーズをした。
「じゃあ、早いとこ準備をするんだ」
川岸の船渡し場を指さして、そこで待っているようにと促した。
正直に言うと、私は子供が苦手だ。というよりも、人間自体があまり好きではない。懲りずに諍いを起し、他人を欺き、都合が悪くなると神や仏や地蔵にすがる。そんな存在を何百年も見続けてきた結果、自分の仕事がなんとも無意味で卑しく思えてしまったのだ。
「次、ささきひろゆきく~ん。次、ありためぐみちゃーん。次……」
手元の帳簿を見ながら、機械的に名前を読み上げる。その声に反応するように、群れの中から子供たちが吐き出されていく。
「最後。あかねちゃーん」
「あかねちゃーん? いないのかなー」
「五月蠅いなぁ。何度も叫ばないでよ」
声がする方を見やると、子供と呼ぶには憚れる、女性らしい丸みを帯びた身躯の女性が立っている。慌てて名簿を確認すると、戸森アカネ。二十四歳と記されていた。
「つーかさ。“ちゃん”づけはないんじゃないかな。“ちゃん”はさ」
アカネはつかつかと歩み寄り、「いい大人なんだからさ」と言った。
「大人になれない大人がいる」といったニュースを耳にしたことはあるが、いやいや本当に居るとは。大人になってから河原を訪れる、そんな親不孝者が目の前に現れるなんて。何でも、中学二年の時に登校拒否になってから、ずっと学校に行っていないらしい。
しかし本人曰くそれは大いなる誤解だという。
「いじめが原因とかじゃないし、ただ校則とかが合わなかっただけだし。前向きな登校拒否って感じだから、そこんとこ間違えないでよね」
「失礼しました。じゃあニートってことでいいですね」
「いやいや、配信者として動画サイトで稼いでたから。迷惑系としてわりと有名だったんよ」
そう言うと彼女は、死装束の懐からスマホを取り出した。死者が持ち込めるのは三途の川を渡るために必要な六文銭だけではなかったのか。なぜ私の目の前で、「河原の石 効率よい積み方」を検索しているのだ。
「現金は持たない主義だからスマホ決済オンリーって言ったら、簡単に持込みOKだったよ。地蔵っち」
そんなわけがない。きっと彼女の詭弁に騙されたのでもしただろう。ん? それより今なんと?
「地蔵…っち?」
「そう、カワイイでしょ」
人を食ったようなふてぶてしい態度が、ますます神経を逆撫でる。彼女の言葉を無視して残った仕事を続けることにした。
「あなたはこの度、賽の河原における贖罪をすべて終えました。これから三途川を渡りますので、急いで支度を済ませてください」
「う~ん、悪いけど今回はパスってことで」
「パス?」
思わず聞き返してしまった。こんなことは初めてだ。
「だってここから出たら、地獄に堕ちるんでしょ。むかし本か何かで読んだ気がする。三途の川の向こうは地獄だって」
正確には少し違う。全員が地獄に行くわけではない。生前の行いによって、衆生は六道(天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄)のどの道に生まれ変わるかが決まる。その行き先を決めるべく、これから三途川を渡り裁判を受けに行くのだ。
「ほら、ワタシが辞退すれば一人分枠が空くわけじゃん。他の子に譲ってあげるからさ」
「恥ずかしながら、私は現場のイチ地蔵。名簿の子供たちを集めて三途川を渡る。それしか出来ないんですよ」
「自分で決められないとか、もしかして新人? それともバイトくん?」
彼女の口調に明らかな軽蔑の色が混じる。
「ならちゃんと上司に確認しなきゃ。もしかしたら、イレギュラーなケースだってあるかもよ」
「しかしマニュアルには無かったから……」
「マニュアルマニュアルって、つまらない地蔵だねあんたも。そんなんじゃ、この先苦労するゾ」
何故私は、こんな小娘に説教を受けているのだろうか。
「…………ちょっとだけ待ってもらえますか。上の者に相談してみます」
「馬鹿かお前は。無理に決まっているだろう」
先輩の水子地蔵が、お供えの餡ドーナッツをぱくつきながら言った。物陰に隠れて事の始終を見ていたらしい。
「そこをなんとかお願い出来ませんか?」
「一人ひとりの都合なんて考慮していたらキリがなかろう。それとも何か、お前は全員の身の上話を聞いてやるというのか?」
ごもっともな意見が突き刺さる。ぐうの音も出やしない。
黙る私に、先輩は「三十点、赤点」と告げた。今日は、二百年続いた水子先輩とのOJT最終日。合格すれば晴れて一人前の地蔵として認められるが、この様子だと結果は知れている。
「ったく、お前は本当に落ちこぼれの役立たずだな」
それから一時間余り、水子先輩は、様々な語彙を駆使して私を罵倒し続けた。
薄々気づいている方もいるだろうが、地蔵は酷く口が悪い。「地蔵=優しそう」は、人間が勝手に作り上げた虚像である。地蔵界はバリバリ体育会系の縦社会。新米は先輩地蔵にも鬼にも、敬語が絶対。たかだか二百年しか生きていない私は、偉そうな口はきけないのである。
「いいか、人間を甘やかすな。そんな簡単なこともできないなら、お前も一緒に地獄に落とすぞ」
そう言うと、水子先輩は食べかけの餡ドーナッツを私に投げつけた。
先輩の言葉を伝えに戻ると、アカネは呑気に河原の石で水切りをしていた。平べったい石を探すために、子供たちが積み上げた塔を崩している。鬼よりも、鬼。
どう生きてきたら、こんな無法な人間が出来上がるのだろうか。ふと気になって、名簿を取り出して彼女の頁を開く。しかし、そこには他殺としか書かれていなかった。これは私たち地蔵が人間に余計な感情移入をしないための措置で、名前と性別、生年月日の他には、輪廻転生の履歴が書かれているぐらいだ。アカネの直近の前世はメスのカマキリだった。
「で、どうだったの?」
「すみません。やっぱりだめでした」
私の言葉を予測していたのだろうか。彼女は芝居がかかった様子でおおげさにため息を吐く。
「バイトだってもうすこし役に立つわよ。てか、あなたが怒られている様子をずっと見ていたけどさ、あんなハゲに言われ放題で悔しくないの?」
そんなことは言われるまでもない。
「だったらもっと頭を使いなさいよ」
そう言うとアカネはスマホを取り出した。そして、
「これで、地蔵っちの未来を変えてあげる」と不敵な笑みを浮かべた。
◆
四十八の子供と一名の大人、そして地蔵を乗せた船は、ぷかりと川を渡る。見渡す限り青い空が続いており、撫でる風が心地よい。
船着き場では、迎え役の奪衣婆(だつえば)が、苦みが走った表情を浮かべている。
「遅いよ。何やってるんだい」
「すみません。鬼たちがなかなか離してくれなかったもので」
奪衣婆はぶつぶつと文句を言いながらも、慣れた手つきで橋渡し用の板を船にかけた。
その言葉に急き立てられるように、私は順番に子供たちを降ろしていく。一人、二人と地面に降り立つ度に、名簿に書かれた名前に赤線を入れる。その瞬間、子供たちは此岸から彼岸へ旅立つ。あっと言う間に、残るはアカネ一人になった。
「それでは頑張ってください」と、私は彼女に向って右手を差し出した。
アカネは深く頷きながら強く手を握り返し――――たその瞬間、彼女は私の身体を強く突き飛ばした。そして自身も、引き込まれるように三途の川へと落ちていった。
「何してんだい。早く追っかけるんだよ」
奪衣婆の怒鳴り声があっという間に小さくなる。私とアカネは手を繋いだまま、濁流に身を任せることにした。
「というか、地蔵っちって浮くんだね」
「石じゃなくて木で出来ているんで」
「木とか、めっちゃウケる」
アカネは悪戯が成功した子供のようにケラケラと笑っている。いや、悪戯にしては壮大過ぎるか。一時間前の出来事が、頭の中を駆け巡る。
動画配信者の習性というのだろうか。私が水子先輩に怒られている様子を、アカネはこっそり撮影していたらしい。
「水子先輩でしたっけ? この動画を投稿したら、あなたきっと大炎上しますよ。私も迷惑系から告白系配信者にモデルチェンジしなきゃいけないかしらん」
ニヤニヤと下卑た笑みを浮かべるアカネ。焦った表情を浮かべる水子先輩。形勢は一目瞭然だ。
「何言ってやがる、現世に居ないお前に何ができるというのか」
水子先輩の言葉を待っていたかのように、アカネが私の腕を絡みとる。
「でも、その現世とあの世を行き来できる人――じゃなくて地蔵っちがいれば?」
(こいつを何とかしろ)といった心の声が聞こえてきそうな鬼の形相で、水子先輩がこちらを見る。少し前ならすぐに視線を外していたところだが、今は怖くない。うん、怖くない。
「私が撮影したこの動画を、地蔵っちに投稿してもらうの。そうすれば炎上間違いなしよね。お地蔵さんのイメージ、もの凄く悪くなるだろうなー」
さすが迷惑系。相手の嫌がるポイントを的確に突いてくる。衆生を救う存在である地蔵にとって、人間との信頼関係は何より重要である。だからこそ私たちは、昔話や民話を存分に駆使し、地蔵に好印象を持つよう何百年かけてステマしてきたのだ。
「…………何が望みだ」
どうや観念したらしい。絞り出すような声で水子先輩がアカネに尋ねる。まあ無理もない。この動画が現世に出回れば、地蔵界全体の問題に発展するだろう。所詮は水子先輩もしがない中間管理職に過ぎないのだから。
「望みっていうほどじゃないけど、見逃して欲しいのよね。地蔵っちから聞いたわよ。三途の川の下流に流されれば、転生しないで済むんでしょ」
滅多にないケースだが、この後の裁判を受けずに逃げ続ける人間はたまに表れる。
「なんだ、地縛霊にでもなりたいのか?」
水子先輩の言葉にアカネは気色ばむ。
「そんな辛気臭いのなんてまっぴらよ。ワタシはずっとワタシでありたいの。来世で極楽浄土に行けたって意味がないの」
亡くなった人を救う。その使命を持たされた私たち地蔵の存在意義を、丸ごと否定しかねない言葉だ。しかし、彼女の叫びがすっと心に染み込んでくる。私らしさとは何だろうか。少なくとも、先輩から餡ドーナツをぶつけられることではないのは確かだ。
「だから、ワタシと地蔵っちの脱走が成功したら、あの動画は削除する。それでOK?」
「お前はそれでいいのか? この仕事を失えば、地蔵としての存在意義は喪失するんだぞ」
いつもの勢いを失った水子先輩の眼をまっすぐ見て、私は縦に頷く。
「この仕事に未練はありません。私はアカネと旅をして、本当にやりたいことを見つけます」
もうブラック企業はこりごりだ。
◆
「じゃあ、地蔵っち。これからもよろしくね」
岸辺にたどり着いた私たちは、今後のことを話し合った。私は一度現世に戻り、人間に変化してスマホの充電器を大量に購入することに。アカネはロケハンがてら、とりあえず死後の世界をあれこれ巡ることになった。
「あの世の映像とか、一千万回再生は余裕でいくわよきっと」
「あんまり派手に動かないでくださいよ。追手が来るかもしれないし」
「地蔵っち、もしかして仕事辞めたこと後悔してる?」
相変わらず底意地の悪そうな笑顔だが、先ほど見受けられた軽蔑の色はそこには無かった。多少なりとも彼女に認められたからなのだろうか。それとも、私が成長したのか。その両方なのかもしれない。
「何千年も同じ場所にとどまる地蔵は、変化を恐れる封建的な性格なんです」
「まあ大丈夫だって。私も会社勤めなんて一度もしてないけれど、なんとか生きてるし」
死人のアカネは無責任に笑っている。その様子を見ていると、確かに悩んでいる のが馬鹿みたいに思えてきた。人間を救うはずの自分が、反対に救われている。同僚が聞いたら、地蔵の面汚しと非難することだろう。そんな恥ずべき経験をしたのだから、もう恐れるものは何もない。
充電器の購入を終え住処に戻る頃には、東の空は白んでいた。数日続いた雨はあがり、祠の中をひんやりとした空気が包んでいる。中には、抜け殻の地蔵がぽつねんと佇んでいる。死後の世界に仕事に行くとき、地蔵は魂だけを飛ばして本体は留守番をする。人間にばれないようにするためだ。地蔵は動けるし、化けることだって出来る。
祠に入るとどっと疲れが襲ってきた。私が祀られている場所は、千人にも満たない山村のそのまた外れにある。目の前の家には腰の曲がった婆さんが一人で住んでいて、一日中テレビがつけっ放しになっている。耳を澄ますとどうやら朝の情報番組らしく、人気ユーチューバーをランキング形式で紹介していた。もちろんアカネは入っていない。
足元を見ると、かりんとう饅頭が供えてあった。婆さんは気が向いた時にお供え物を置いてくれるが、殊更に信仰心があるわけではないらしく、多少ぞんざいなところが見受けられる。夕飯の残りの煮物はまだしも、いつだったか野良猫にやるキャットフードが置かれていたことがあった。その点だけは多少辟易するが、婆さんの素っ気なさは嫌いではない。死んだら便宜を図ってやるつもりだったが、残念ながら今の私には何の権限もない。婆さんの長生きを願うばかりだ。
私は懐から濡れた名簿を取り出し、アカネの「輪廻転生歴」をもう一度確認した。何代か前を辿ると、紅海という名前が記されている。江戸末期に生きた仏師として全国を行脚し、数多くの地蔵を残した。その大半は明治の頃に壊されてしまったが、中には今日まで生き残った地蔵もあった。例えばとある山村の、寂れた祠の中で雨漏りに悩まされている地蔵も、どうやらその一つらしい。
さて、明日はどこを案内しようか。閻魔大王による裁判を傍聴しようかしらん。八大地獄を巡るツアーなんかも面白いかもしれない。アカネのことだから、「地獄をぶっこわーす」なんて言い出しかねないが、それもまた一興だ。色々あったが、一日をなんとか終えられたことを良しとしよう。
婆さんの家から聞こえてくるテレビの音声が、次第に遠ざかっていく。とろりとした眠気が、身体を包み込んだ。
地蔵、迷惑系ユーチューバーに救われる。 赤ぺこ @akapeco
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