<一話>

 ――閉じた教室


 教室の扉を開けた瞬間、鼻の奥がつんとした。


 最初は、埃の匂いだと思った。


 だが、違う。


 「……血、だよね」


 隣にいた少女が、小さく呟く。


 否定できなかった。


 教卓の横。


 床に倒れているのは、男子生徒だった。


 制服の胸元は赤黒く染まり、


 血はすでに乾き始めている。


 「死んで……る」


 口に出して、ようやく実感が追いつく。


 頭が真っ白になるはずだった。


 でも、ならなかった。


 ――おかしい。


 驚いている。


 怖い。


 それなのに、どこかで冷静な自分がいる。


 教室を見渡す。


 ドアは内側から閉じられていた。


 鍵も、かかっている。


 「窓も……全部閉まってる」


 少女が言う。


 割れた形跡はない。


 机も乱れていない。


 「密室、だね」


 彼女の言葉に、思わず頷いていた。


 自然すぎる反応だった。


 (……なんで、こんなにすぐ分かるんだ)


 誰かに教えられたわけじゃない。


 なのに、考える手順が身体に染みついている。


 死体の近くに、紙切れが落ちているのが見えた。


 拾い上げる。


 血で滲んだ文字。


 《次は、二年三組》


 「予告……?」


 少女が、声を落とす。


 「みたいだな」


 口にした瞬間、背筋が冷えた。


 すでに一人、殺されている。


 次を示す余裕が、犯人にある。


 「止めないと」


 彼女が、強く言った。


 その言葉を聞いて、胸の奥がざわつく。


 止める。


 何を、どうやって?


 (……いや)


 なぜか、


 「できる」と思ってしまった。


 それが、何より気持ち悪かった。


 紙切れを握ったまま、俺は教室を見回した。


 静かすぎる。


 死体がある空間とは思えないほど、音がない。


 「……ねえ」


 少女が、小さく声をかけてくる。


 「ここ、いつからこうだったんだろ」


 「少なくとも、最近じゃない」


 血は乾きかけている。


 数時間以上は経っているはずだ。


 「じゃあ……」


 彼女は、言葉を飲み込んだ。


 分かっている。


 この学校には、俺たち以外にも“誰か”がいる。


 生きているかどうかは、別として。


 教室の時計を見る。


 針は動いている。


 だが、どこか違和感があった。


 「……時間、進んでる?」


 俺の問いに、少女は首を傾げる。


 「進んでるけど……遅くない?」


 やっぱりだ。


 秒針の動きが、微妙にズレている。


 まるで、映像を少しだけスロー再生しているみたいに。


 「長居はしない方がいい」


 そう言って、俺はドアに手を伸ばした。


 その瞬間。


 ――カツ。


 廊下から、足音が聞こえた。


 一歩。


 また一歩。


 一定のリズム。


 「……来た」


 少女が、息を呑む。


 電気を消す。


 教室は一気に暗くなった。


 足音は、ドアの前で止まる。


 静寂。


 次の瞬間、


 ドアノブが、ゆっくり回った。


 「……鍵、かかってるよね」


 「かかってる」


 声が震えないように、意識して答える。


 ギィ……。


 音を立てて、ドアが開いた。


 鍵が、意味をなしていない。


 入ってきたのは、


 教師の制服を着た人物だった。


 顔は、暗くてよく見えない。


 ただ、姿勢が異様に正しい。


 “それ”は、教室の中を見渡す。


 死体に視線を向けたが、反応はない。


 まるで、


 そこにあるのが当然だと言わんばかりに。


 俺は、動けなかった。


 逃げなきゃいけない。


 分かっているのに、身体が言うことを聞かない。


 ――視線が、こちらを向いた。


 その瞬間、頭の奥で警報が鳴った。


 見られたら終わる。


 理由は分からない。


 でも、確信だけがあった。


 俺は、少女の手を引いた。


 「今!」


 走る。


 教師は追ってこない。


 歩く速度も、変わらない。


 なのに、距離は縮まらない。


 いや――


 最初から縮める気がない。


 廊下を曲がる。


 階段を駆け下りる。


 息が切れる。


 背後の足音は、いつの間にか消えていた。


 「……追って、こない」


 少女が、肩で息をしながら言う。


 「追わないんじゃない」


 俺は答えた。


 「“見つけた”だけだ」


 意味は分からない。


 でも、そう言うしかなかった。


 廊下の掲示板が目に入る。


 《校内連続殺人事件について》


 その文字を見た瞬間、頭が痛くなった。


 内容を読もうとすると、


 意識が拒否する。


 なのに、知っている気がする。


 「……大丈夫?」


 「平気」


 嘘だった。


 でも、立ち止まれなかった。


 曲がり角の先に、


 あの使われていない部屋の扉が見えた。


 「さっきの部屋?」


 「多分」


 ノブに手をかけた、そのとき。


 別の足音がした。


 軽い。


 早い。


 振り向くと、生徒の制服を着た影が立っていた。


 顔は見えない。


 でも、声だけは、はっきり聞こえた。


 「次は……二年三組だ」


 紙切れと、同じ言葉。


 同じ温度。


 「……犯人?」


 少女が、震えた声で言う。


 「分からない」


 でも、


 “教師”とは別だと、直感していた。


 俺は、扉を開け放つ。


 「中に!」


 少女を押し込む。


 影が、一歩踏み出す。


 扉を閉めた瞬間――


 廊下の音が、すべて消えた。


 鍵をかける。


 静寂。


 さっきまでの緊張が、嘘みたいだった。


 部屋の中は、変わらない。


 簡易ベッド。


 ロッカー。


 机。


 そして、止まった時計。


 「……ここ」


 少女が、ゆっくり息を整えながら言う。


 「追ってこないね」


 「今は、な」


 断言はできない。


 でも、


 この場所だけは、世界から切り離されている気がした。


 机の上の端末が、静かに点灯する。


 <code

 記録地点を更新しました>


 意味は、まだ分からない。


 だが、なぜか――


 ここから先は、やり直せない気がした。


 俺は、端末から目を離し、少女を見る。


 「……名前、聞いてもいい?」


 彼女は一瞬だけ迷って、答えた。


 「観月。観月 澪」


 「俺は……」


 名前を口にしようとして、少しだけ詰まる。


 それすら、


 決められている気がして。


 「記野。記野 恒一」


 外で、何かが軋む音がした。


 時計は、動かない。


 事件は、すでに起きている。


 それでも――


 俺たちは、解かなければならない。


 この閉じた世界の、記録を。

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ゲームマスターの密室世界【学校編】 夜の叫び @3002464

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