天気

一河 吉人

天気


 いつもは静謐な放課後の部室は、絶え間ない雑音に晒されていた。見えない乱入者たちにいいように荒らされ、とても活動を続ける気になれない。僕らはどちらからともなく席を立つと、窓辺に並び外を眺めた。


「はあ~。よりによって、まさに今帰ろうかというタイミングで降り出すとは」

「これはやられたねえ」


 つい先程まではそんな素振りも見せなかったというのに、突然の雨は勢いを強めるばかり。薄暗い空には破壊的な煌めきがその暴威を垣間見せていた。駅までは走れば5分、だけどその短い間に僕の身体のうち濡れそぼらない部分は無いだろうと思われた。


「仕方がありません」


 僕は覚悟を決めた。


「先輩」

「なんだい」



「相合い傘をしましょう」



「えっ……」


 僕を見返す先輩の両目には、戸惑いが揺れていた。


「この大雨の中、大事な先輩をずぶ濡れで帰すわけにはいきません」

「え?」

「友達に噂とかされると恥ずかしいですが、そうも言っていられない」

「う、うん」


 そうだ、何を恐れることがある。噂なんてしたい奴にさせておけばいい、大事な先輩の健康には代えられない。


「友達に『第二文芸部の2人、付き合ってるんだって』『やっぱり? 前々から怪しいと思ってたんだよね』と噂とかされると恥ずかしいですが、やむを得ません」

「う……」

「『ほら、前に恋愛色の強い日常の謎貸してたでしょ?』『飲みそびれたペットボトルのお茶をあげるとかもあったしね』と噂とかされると恥ずかしいですが、これも定め」

「内部事情に詳しすぎる! もはやスパイだよ!!」

「『確認! アルファとフォックス、交際確認!!』『やはりか……ボスに報告を!』」

「それは普通にスパイだよ! どんな友達だよ!!」

「『棚の上の本を取ってあげてたりしてたからな』『ふと目が合って恥ずかしそうに俯いたりな』『だから彼らが好きなんだ!』『ボス、緊急です!!』」

「どんなスパイだよ! あとそれくらい日常生活では普通で、恋愛感情なんて関係ないよ!!」

「なっ!? ……まあチャーリーもボブも訓練に次ぐ訓練で一般的な日常からは離れて久しいですからね」

「お友達、スパイには向いてないと思うよ……」


 マジか……。衝撃で見上げた曇天の彼方には、2人の笑顔が浮かんでいた。

 

「まあ彼らの再就職先はともかく、多少の噂は甘受する所存だと言うことです」

「う、うん」

米国防総省ペンタゴンに情報が共有されるくらいは我慢するということです」

「それは普通に嫌かな……」


 マジか……。灰色のスクリーンに、ボスのしかめ面が追加される。


 まあボスの再就職先もいい、大事なのは彼らの行く道ではなく僕らの帰路だ。僕は先輩に向い直すと言った。


「というわけで出してください、傘」

「……え?」

「え?」


 先輩は何故か目を見開いてこちらを見上げている。


「君が持ってるんじゃあないのかい?」

「? なぜ僕が傘なんかを?」


 荷物は可能な限り減らす派の僕が、よりにもよって傘を?


「ええ……」

「もしかして、本当に持ってないんですか? 傘」

「ない」

「そんなこと言って、一人で悠々帰宅する気でしょう! オラッ、ジャンプしてみろ!!」

「普通、傘はポケットに入れないんじゃないかな……」


 確かに、先輩は小柄だからポケットに異物があるとよく目立つ。収まりきらない文庫本がよくひょっこりと頭を出してる。僕はとりあえず逆ギレした。


「なんですかそれは! 人に期待させるだけ期待させておいて、あんまりというやつでしょう。こっちは相合い傘の覚悟すら決めていたというのに!」

「そこまで嫌がられると、普通に傷つくんだけど……」

「いえ、先輩はあれの危なさを分かってはいません。いいですか?」


 ため息を一つ付くと、メガネを押し上げ僕は続けた。


「相合い傘は――死にます」


「ええ……」


「正確には、社会的に死にます」

「いやいや、大げさ……だろう?」

「先輩は市内だからピンと来ないでしょうが――田舎の相合い傘は、死にます」

「そんな隠れ里の血塗られた呪いみたいな……」

「最新の研究によると、噂が伝わる速度は真空中で時速30万km」

「ただのインターネットじゃないか!」

「その膨張率は距離1Mpcあたり毎秒73km」

「ぱ、パーセク?」

「まあ、とんでもない速度だと思ってください。つまり、校門でひとたび相合い傘を目撃されたならば、次の瞬間うちの隣近所で『そろそろ3人目が産まれるんですって』『前世は【付与術師】だそうよ』『生まれた瞬間歩き出したらしいわ』などど噂されるわけです」

「尾ひれが大きすぎる!!」

「僕が帰宅する頃には見知らぬ孫が婚約相手を連れて来てますね」

「それは普通に怖いね……」

「そして僕は涙ながらに報告するわけです、先輩の写真に」

「勝手に人を殺すんじゃあないよ!!」


 いえいえ、長生きするのもこれはこれで大変なんです。


「と、このように大変危険でして、しかし……ふむ、そう考えると先輩の悲しい未来を避けるためにもやはり相合い傘は避けるべきか……」

「殺すんじゃあないよ」

「仕方有りません」


 僕は覚悟を決めた。


「先輩」

「なんだい」

「先輩は、僕の先を歩いてください」

「はあ」

「そして僕はこう、大名行列のように後ろから先輩に傘をさして続くんです」

「それは……君が濡れてしまうじゃあないか」

 

 それは、仕方のないことだ。


「ちょっと濡れるくらいなんですか、大事な先輩の健康には代えられません」

「で、でも……」

「ちょっと『見て、第二文芸部がまた後輩を』『あの上下関係の厳しさ、殆どいじめね』と噂されるくらいなんですか」

「それは一大事だよ!!」

「確かに、現場を押さえられるのはハラッサーには致命的かもしれませんが……」

「確定事項のように語るんじゃあないよ!」


 先輩は二度三度と足を踏み鳴らし駄々をこねたが、すぐに息を切らして窓辺に寄りかかった。いくらなんでも虚弱すぎる。


「はあ……まったく、いい加減止んでくれないものかねえ」

「今日の降水確率は0%だったはずなんですが」

「あれ、なんで0なんだろうね? 1%ならその1%が当たっちゃったと言い訳できるけど、ゼロじゃ言い訳も効かないだろう?」

「ああ、天気予報って現在の天気図と似た過去の天気図を並べてどれくらいの確率でどう推移したかを見てるだけで、実際に予測してるわけじゃないらしいですよ」

「え、そうなの?」

「十年以上前に読んだ子供用科学漫画の知識ですから、今は違うのかも知れませんけど」


 しかもうろ覚えだけど。


「ふーん、じゃあ0%は雨が降ったパターンが無かったってこと? でもさ、過去の天気図なんて相当な量になるだろうによく覚えていられるね」

「そこが腕の見せ所なんでしょう。気象庁の一角に専門家が集まっていて、新しい天気図が届くやいなやロッカーの森に散っていくわけです」

「それは……ちょっと格好いいね」

「きっと『西高東低のマサ』とか『停滞前世のキク』みないな人たちがいて、過去の膨大なデータから一瞬でマッチングしてたんでしょうね」

「だいぶ昭和だね……」

「『オホーツクのヤス』とか、『春一番のミキ』とかいたんでしょうね」


 僕は薄く煙るオフィスを幻視した。まだ海の色がコバルトで、男たちが自由に憧れた時代――


「ま、今は流石にパソコンですかね」

「だろうねえ」

「つまり、マッチングアプリですね」

「語弊のある言い方をするんじゃあないよ!」

「いいご身分ですねえ、僕たちが必死で納めた血税でマッチングアプリの開発だなんて」

「悪意のある表現はやめなよ」

「国費を湯水のように注ぎ込んだスパコンで、一番お似合いの、運命の相手を探してるんですよ」

「『2番じゃダメですか?』が急に変な意味に聞こえてきたね……」

「お見合いおじさん、お見合いおばさんは死に絶え、今は血も涙もないAIが2人の関係の鍵を握っているんですよ。『マッチング率……タッタノ5%……ゴミメ…』」

「そんなAIは嫌だよ!」

「『ピピピ……コレガ貴方ニピッタリノ相手デス』」


名前:ジョセフィーン

年齢:2日

家族:9人兄姉

年収:939(hPa)

住所:大西洋


「災害級じゃないか!!!!」

「ダウナー系同士、お似合いですよ」

「ダウナーどころか滅茶苦茶アクティブでしょ、この人……」


 物理的に振り回されそう。


「でも大変ですよね、地球温暖化でこれまでのデータからはどんどんずていってるわけじゃないですか」

「もう日本には四季がある、なんて胸を張って言えるか怪しいからねえ。今日だって夕立というよりスコールだよ」

「秋とか完全に無ですからね。女心と秋の空、なんて言葉も死語になるでしょう」

「そうだねえ」

「『コレガ、オンナゴゴロ……』」

「そっちは失われないよ!!」


 どうだろう、女たちが優しさの時代は過ぎ去ったみたいだが……いや、むしろ自己を取り戻す系か?


「しかし、世界も社会も変わ、降水確率の予測はどんどん不安定になる。そんなものに税金を投入する価値があるのでしょうか?」

「と言ってもね、天気予報なんて公益の最たるものじゃないか」

「その考えが間違っていると言うんです。いいですか、最初から傘を持って出掛ければ晴れようが雨だろうが同じ、それ以上を求めるなら受益者負担、課金でもなんでもすればいい。本来不要なサービスを国が展開する必要は皆無、むしろ民業圧迫です」

「また極端な」

「21世紀ですよ? 晴れたから畑を耕そう、なんて時代じゃないでしょう」

「まあ、それは……」

「先輩みたいな引きこもりには天候なんてどうでもいいでしょう?」

「余計なお世話だよ!」

「まあ、晴読雨読の先輩と違い僕は晴れた日は畑の手入れを欠かしていませんが」

「へえ、意外だね」

「日々の細かい努力がランキングを支えているわけです」

「ゲームの話じゃあないか!」


 日々のたゆまぬ努力だけが地力を裏打ちしてくれる。晴ソシャ雨ゲーこそが勝利への王道だ。


「登山や釣りの人たちは専門の予報サービスに入ってるらしいですからね。それが当然ですし、仕事ならば経費で落とせばいい。そんなものより、他にもっと必要とされる分野があるはずです」

「はいはい、一応聞いておいてあげるよ」


 先輩はなぜか投げやりだ。政治に関心を持たない若者、実に嘆かわしい。


「いいですか? 国民が真に求めているもの、王道楽土、経国済民への道、国が公として取り組むべき喫緊の課題、つまり――



 ――スパチャです」



「お疲れ様でした」


 自席に戻ろうとする先輩の肩を掴んで引き戻すと、僕は続けた。


「世は一億総推し活時代ですからね。もはや推しへの課金は現代における基本的人権、憲法に記された健康で文化的な最低限度の生活と言えます」

「はあ」

「物価上昇、国際情勢の不安……どんどん生活が苦しくなっていく中、人々は爪に火をともすような暮らしで推しへの課金をひねり出し、なけなしの私財を投げ売ってスパチャを飛ばしてるわけです」

「やめなよ」

「江戸っ子の間では女房を質に入れてもスパチャするのが粋だとされました」

「変なしぐさを増すんじゃあないよ!」

「自分たちの人生を投げ捨ててでも推しの幸せを祈る、それが推し活」

「推しはそんなこと望んでないと思うよ」

「いや、僕には理解る! 先輩こそ、彼女の何が分かるっていうんです!?」

「それは邪教だから辞めたほうがいいと思うよ……」


 足らぬ足らぬは工夫が足らぬ、進め一億火の車の精神で臨んでいきたい。


「さて、そんな現代に一番望まれているのが推しに対する一定額の投げ銭保証です」

「そうだね」

「ベーシックインカムならぬベーシックアウトゴーです」

「そりゃただの税金だよ!」

「この政策下では政府からお米、飲料、日用品、投げ銭に使えるすごい券が毎月送られてきます」

「はあ」

「人民は先を争ってスパチャを投げ、経済が回り、GDPもうなぎ登り」

「へえ」

「再開発は進み、タワマンが乱立し、すごい券といろんなものに使える券が何故か交換できるふしぎなお店が駅前あたりにできます」

「シノギの臭いしかしないね……」


 何故か警察関係のOBが多そうだ……あ、ボブとアンドリューの再就職先にいいかな?


「そんなものに使われるくらいなら、まだマッチングアプリのほうがマシだよ」

「確かに、少子化は国を挙げて当たるべき問題ではありますね。ですがあれはあれで大変なんですよ」

「えっ!?」


 先輩が突如として振り向く。


「き、君も、そういった、その……」

「おや、先輩も興味が?」

「い、いや、別に……」

「まあ相談くらいには乗りますよ、こう見えて僕はマッチングアプリの達人ですからね」

「そ、そうなんだ」

「はい。いかに優れた相手にリーチできるか、研鑽に研鑽を重ねてきました。どういった紹介文が好まれるのか、逆にどんなメッセージは避けられるのか。おかげで今では入れ食いです」

「ふ、ふうん……」


 興味なさげな先輩の呼吸はなぜか荒い。心なしか目も血走っている。


「ふむ、いい機会ですから、先輩にも僕の力の一端をお見せしましょう」

「え?」

「マッチング率120%、アジのサビキよりも爆釣と言われた僕の手管の全てを!」

「そ、そんな急に……」


 細かいコツは色々あるが、結局は相手に思いを届けること。僕は息を呑む先輩を真っ直ぐ見つめると、素直な気持ちを吐き出した。



「風魔槍槍裏天穴崩壊ポ自由、求230↑水結闇弱火力火力」



「……は?」

「いやー、いいかげんマルチプレイじゃないと倒せないボスなんて時代じゃないと思うんですが、旧態然とした運営も多いですからね。少しでもまともなプレイヤーを集めるのもゲーマーとしての腕です」

「ああ、そう……」

「む、少し難しかったですか? これは風の魔法パーティーで主人公は槍の二刀流という意味で」

「はあ」

「被弾をポーションがぶ飲みで耐えつつ全員で天使の背後を取り」

「へえ」

「尻の穴を滅多突きにして速攻を仕掛けるという」

「最悪だよ!!」

「他にも前立闇絶頂宝物珍珍自由、闇は頭頂部パーツを部位破壊で他属性はボスの正面に立ち股間を物理攻撃で滅多殴りに、レアドロ2種のルーレット入札は自由という――」

「最悪だよ!!!!」


 声を荒げる先輩。そんなに分かりにくかっただろうか?


「バザーの方がわかりやすかったですか? 白汁 高品質 200k 100割1」

「そうだね、すごいね」

「新鮮野菜 5k~ 100まで 手押し 」

「そりゃ薬物だよ!!」


 ん、間違ったかな?


「と、こんな感じです。先輩もいつか世界を救う仲間を集める日が来たときには参考にしてください」

「そんな日は一生来ないよ……」


 先輩は疲れたような声色で一向に弱まる気配を見せない夕立を見上げ、僕もそれに習った。


「不毛だ……」

「不毛ですね……」


 灰色だった雲はいよいよ黒さを増していた。微かにうねり、少しずつ厚みを増していくそれをただ眺めた。なんと不毛な時間……。


「まあ、不毛も悪くないかも知れませんね」

「え?」

「天気に振り回される、それもまた人生じゃあないですか」

「そうかもね」

「それに、このにわか雨がなければこうして先輩と肩を並べて空を見上げることもなかったでしょうし」

「……え」


 雨粒が降り注ぐ音に、黙って耳を傾ける。


「先輩は姿勢が悪くていつも下向いてますからね」

「一言多いんだよ!」

「はっはっは。まあ、しばらくは雨の音でも楽しみますか」

「……うん」

「こうやって2人でいると」

「……うん」

「あの時を思い出しますね、ほら、僕が――あ、うん、何? え、ほんと? じゃ5分後に……あ、親が近くに来てて車で迎えに来てくれるらしいんで帰ります。じゃ、お疲れ様でした」

「えっ?」


 手早く荷物をまとめひんやりとしたドアを開ければ、一面のガラス窓から激しい雨音が耳を叩く。あれだけ大きく感じた部室でのそれも大河に流れ込む小川に等しく、後ろ手でドアを締めると僅かに聞こえていた音も完全に飲み込まれて消えた。電気のついていない部活棟は暗く、気温だけではない寒さを僕に覚えさせた。つい早足となった僕は湿った廊下をキュッキュと鳴らしながら下駄箱へと階を下り、窓の外で稲光が一つ瞬いて消えた。




「……えっ?」





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