第九話(表):魔王降臨
絶望とは、思考が停止する瞬間に訪れるものではない。
むしろその逆だ。あらゆる可能性を演算し、残された道が「破滅」へと収束していく過程を、冷静に理解させられることこそが真の絶望なのだ。
「……はは、笑えねえな。本当に」
俺は、血の混じった唾を吐き捨て、聖剣を杖代わりに地面を突いた。
視界が赤い。それは夕闇のせいではなく、俺の額を伝う流血のせいだ。
街の外縁、かつてない濃度の「死」が立ち込めていた。
俺の前に立ち塞がっているのは、魔王直属の四幹部。
伝説に語られる災厄の化身たちが、あろうことか同時にこの地に集結していた。
「勇者よ。お前の光はここで潰える。我らが主の降臨に、これ以上の不純物は不要だ」
氷の魔族が放つ絶対零度の風が、俺の甲冑を、そして意思さえも凍てつかせようとする。
俺が一人を斬れば、背後から影の魔族が心臓を狙い、上空からは古龍の魔圧が俺の五臓六腑を押し潰す。
勝てない。
王都で受けてきた教育、蓄積してきた経験、そして勇者としての直感。そのすべてが、一秒ごとに俺の敗北を確定させていく。
俺がここで倒れれば、魔王は街へ入る。そして、あの「おっさん」の元へ辿り着く。
「……くそっ! どけよ! 俺には、やらなきゃいけない仕事があるんだ!」
聖剣を振り抜き、光の波動を叩きつける。
だが、幹部たちは嘲笑うかのようにその光を霧散させた。彼らの目的は俺を殺すことではない。俺という「勇者」をこの場に釘付けにし、魔王を討ち果たす役割から、俺を完全に隔離することなのだ。
焦りが、冷たい汗となって背中を伝う。
もし俺が魔王を仕留められなかったら。
もし、魔王がおっさんの前に現れてしまったら。
あのおっさんは、間違いなく、あの手入れだけは完璧な剣を手に、魔王の前に立ちはだかるだろう。
そうなれば、あの二人はどう動く?
ネアとルル。
彼女たちは、カイルを守るために「人間」であることを捨てるだろう。
魔王を、その周囲にある景色ごと、この世界の理ごと、塵一つ残さず消滅させるに違いない。
そうなれば、あいつらが大切にしていた「普通」は、二度と戻らない場所へ壊れてしまう。
「……それだけは、させねえ」
俺の役割は、魔王を倒すことじゃない。
あの二人の化け物に、本気を出させないこと。
あのおっさんに、世界の真実を悟らせないこと。
俺がこの「勇者」という役を全うしなければ、この歪で穏やかな箱庭は、一瞬で地獄へ塗り変わる。
「どけ……どけぇぇ!!」
心臓を燃やすような魔力解放。聖剣が悲鳴を上げ、銀色の閃光が森を切り裂く。
だが、幹部たちの連携は微動だにしない。俺の光は、暗黒の渦の中に吸い込まれ、霧散していく。
その時、街の中心部から、天を衝くような漆黒の光柱が昇った。
――降臨した。
魔王。
世界の終焉。
俺は、届かない距離に絶望し、唇を噛み切った。
おっさん、逃げてくれ。
俺が、俺が間に合わなかったせいで、あんたの「普通」が、今、終わろうとしている。
「あああああ!!」
俺は、身体の崩壊も厭わず、黒い光柱に向かって、ただ無様に、がむしゃらに剣を振るい続けた。
勇者としてのプライドなんて、もうどこにもない。
ただ、一人の凡人が明日も笑っていられるように。その一点だけの願いが、俺を辛うじてこの戦場に繋ぎ止めていた。
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