第三話(表):凪いだ日常

 冒険者という仕事に、決まった休日は存在しない。  


 けれど、天候が穏やかで、懐にある程度の余裕があり、そして何より「心身が凪いでいる」とき。僕はそれを、休息の合図だと決めている。


 宿の食堂に降りると、すでにネアとルルが待っていた。  


 ネアの傍らには、昨日武器屋で新調したばかりの新しい長剣が立てかけられている。彼女は僕の姿を見つけると、少し緊張した面持ちで立ち上がり、腰に差していた「借り物」を両手で差し出してきた。


「カイルさん、今までありがとうございました。大切に、使わせていただきました」


 預けていた予備の短剣だ。  


 受け取って鞘から抜くと、朝日を反射した刀身が、以前よりもずっと清冽な輝きを放っていた。刃こぼれ一つなく、滑らかに整えられた刃線。そこには、彼女が夜ごとに重ねたであろう、静かな修練の跡が見て取れた。


「……綺麗に研げているね。驚いたよ、ネア。昨日今日で覚えられる技術じゃない。君は本当に、道具を大切にする才能があるんだね」


 僕が率直な感心を伝えると、ネアはぱっと顔を輝かせた。


「本当ですか? ……嬉しいです。カイルさんが教えてくれたことを、思い出しながら頑張ったので」  


 隣でルルも、どこか誇らしげに、けれど自分のことのように満足そうに小さく頷いている。


「さあ、今日は仕事のことは忘れよう。折角の休みだし、街を案内するよ」


 僕の提案に、二人は期待に満ちた表情で応えた。


 街の目抜き通りは、朝の活気に溢れていた。  


 焼きたてのパンの香ばしい匂い、露天商たちの威勢の良い声、石畳を叩く馬車の音。それらすべてが、昨日までの森の静寂とは対極にある、人間らしい喧騒に満ちている。


「カイルさん、あの赤い実は何ですか?」


「あれはこの時期にしか出回らない果実だよ。少し酸っぱいけど、お菓子にすると美味しいんだ。……ほら、食べてみるかい?」


 串に刺さった果実を奢ると、ネアは「美味しい!」と声を弾ませて頬張った。ルルも一口食べると、驚いたように瞳を丸くし、それから名残惜しそうに大切に咀嚼している。    


 市場を巡り、珍しい織物や細工物を眺め、噴水のある広場で一息つく。  


 何が起きるわけでもない。魔物に襲われることも、誰かに因縁をつけられることもない。ただ歩き、笑い、美味しいものを分け合う。


「……静かね。ここには、争う理由が一つもないわ」  


 広場のベンチで、ルルがふと呟いた。


「そうだね。平和なのは良いことだよ。僕たちが冒険に出るのは、結局、こういう場所を守るためでもあるからね」


 僕の言葉に、二人は同時に僕を見つめた。  


 その視線には、尊敬とも、あるいはもっと深い、言葉にできない熱量が含まれているような気がしたけれど、僕はそれを街の陽光のせいだと思い込むことにした。


 日が傾き始め、街が橙色に染まる頃。  


 僕たちは満足感と共に宿への道を歩いていた。


「カイルさん、今日は……今までで一番、素敵な一日でした」  


 ネアが、新調した剣の柄をそっと撫でながら言った。


「……ええ。とても、穏やかだった」  


 ルルも、僕の歩幅に合わせるようにゆっくりと歩きながら、その声を夜風に混ぜた。


 空には一番星が輝き始めている。明日の予報を気にする必要もないほど、空は深く、澄んでいた。  


 こんなふうに何事もなく過ぎ去る一日が、冒険者にとっては一番の贅沢なのかもしれない。  


 僕は隣を歩く二人の少女の、どこか満ち足りた横顔を見ながら、そんなことを考えていた。

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