僕らの歩幅は、嘘でできている。

淡綴(あわつづり)

第一話(表):銅貨の重み

 世界は、確率の積み重ねでできている。  


 右足を踏み出すか、左足を踏み出すか。その些細な選択の果てに、僕たちの生死は容易く左右される。少なくとも、僕のような特別な才能を持たない凡夫にとっては。


 冒険者ギルド。  


 錆びた鉄の臭いと、安っぽい酒の匂いが混じり合うその場所で、彼女たちはひどく「浮いて」いた。


「あの……」


 声をかけてきたのは、金髪を短く整えた少女――ネアだった。  

 ギルドの薄暗い隅にまで、彼女の周りだけ春の陽だまりのような微かな熱が届いている気がした。  


 その隣には、深い夜の色の瞳を持つ少女、ルルが立っている。

 彼女が沈黙しているだけで、周囲の耳障りな喧騒が遠のき、世界から不必要な雑音が削ぎ落とされていくような錯覚を覚える。


 二人の装備は、初心者特有の安物だった。けれど、その刀身には傷一つなく、まるで行き先を待ち侘びる鏡のように澄んでいた。


「私たちと一緒に、薬草採取に行ってくれませんか? ギルドの人に、まずは慣れた人に頼めと言われたんです」  


 ネアが、祈るように手を重ねる。  


 僕は思わず苦笑した。慣れた人、というには僕はあまりに凡庸なFランクだ。

 けれど、彼女たちの視線に宿る、どこか捨て置けない切実さに押されるように、僕は頷いた。


「僕でいいなら、喜んで。カイルだ。よろしく」


 街の外に広がる『静寂の森』。  


 名前の通り、普段から静かな森だが、今日は一段と穏やかだった。


「カイルさん、あそこにあります!」  


 ネアが指差した茂みに、お目当ての薬草がまとまって生えていた。  


 一箇所でこれほどの数が見つかるのは珍しい。


「助かるよ。二人とも、目がいいね」  


 僕が感心して声をかけると、ネアは少し誇らしげに胸を張り、ルルは僕の影に入るようにして小さく頷いた。    


 収穫は驚くほど順調に進んだ。  


 ルルがふらりと歩いた先で希少な果実が見つかり、ネアが藪をかき分ければ、まるであらかじめ用意されていたかのように道が開ける。


「今日は、本当に運が良いな」  


 僕は籠を肩に担ぎ直し、満足げに微笑んだ。


 だが、森の奥へと進んだところで、不意に空気が沈んだ。  


 ガサリ、と重い足音が響き、巨大な影が姿を現す。  


 この森の主とも称される『大黒熊(グランドベア)』だった。


「――下がって!」  


 僕は反射的に二人を背中に隠し、剣を抜いた。  


 勝てる相手ではない。だが、逃げる隙くらいは作らなければならない。  


 背後でネアとルルが僕の服の裾をぎゅっと握り、小さな、けれど聞いたこともないほど透き通った声で何事か呟いているのが聞こえた。


 絶体絶命だと思った。  


 けれど、熊の動きが止まった。  


 獲物を狙うはずの鋭い眼光が、なぜか泳いでいる。まるで、僕の向こう側に恐ろしい天敵でも見つけたかのように、熊は喉を鳴らして後ずさり、そのまま一目散に森の奥へと逃げ去っていった。


「……助かったのか?」  


 僕は深く安堵の息を吐き、剣を納めた。


「信じられないな。あんなに大きな熊が、急に臆病になるなんて。……きっと、別の強い魔物の気配でも感じたんだろう。何にせよ、運が良かった」


「カイルさんが、守ってくれたからですね」  


 ネアが少し赤くなった顔で、安心したように微笑んだ。


「……カイル、ありがとう」  


 ルルも、僕の裾を掴んだまま、静かに呟いた。


 夕暮れの中、僕たちは街への帰路についた。  


 籠の中には、期待以上の薬草と果実が詰まっている。


「明日もギルドに来る予定はあるかな? 良かったら、また一緒に行こう」  


 僕が提案すると、二人は顔を見合わせて、嬉しそうに頷いた。


 空は澄み渡り、風に湿り気もない。  


 これなら明日もまた、穏やかな旅ができそうだった。  


 僕はそんなことを考えながら、二人と同じ速度で、ゆっくりと街の門をくぐった。

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