耳底の足音

@Hanaura

いつもの休日

もう、こんな時間か…。

腕時計を見る4時を少し過ぎた所だった。帰りに本屋に寄りたいと思っていたので、そろそろ行かないと帰りが遅くなってしまう。来月の文芸サークルの課題図書をいい加減買わないと間に合わなくなってしまう。

そんなことを考えながらエレベーターに乗ろうと思ったが、思ったより人が多かった。

「階段、使った方が早いかな。」

なんて、独りごちる。

祝日ということもあり家族連れなどが多くエレベーター前はすでに人だかりができていた。

すし詰め状態のエレベーターに乗るのも嫌だし、もう一度待つのも億劫だ。近くの階段を使った方が早そうだと思い、そちらに足を向けた。


カツン、カツン


そんな音を響かせながら上っていると、ふと違和感を感じる。

階段が長い。

本屋は二階上なので、とっくに目的の階についていてもいいはずなのに、まだ着かない。

私はどのくらい階段を上ったのだろうか。

階段の半ばで立ち止まり、考え込んだ。

何階なのかを確認しようと周りを見渡すと明るかったはずの照明がジリジリと耳障りな音を立て、薄く点滅し始めた。


コツ…コツ…


上から音がする。誰かが下りてきている。ただそれだけなのに背筋が凍るような感覚に陥る。言葉にできない不安が胸に募る。

音がする度、嗅ぎ慣れない赤錆の混じった、海のような不快な匂いが鼻についた。


コツ…コツ…


ゆっくり、ゆっくりと音が近づいてくる。

自分の心臓の音が耳もとで爆音で鳴っていると錯覚しそうなほど他に音が聞こえない。固唾を飲む音さえも、今はこの空間に鳴り響くように思えた。


コツ…コツ…。

足音とともにグチャ、グチャっと濡れた靴で歩くような音が聞こえた。今日は雨なんて降っていなかったのに、異質なそれが近づく度に少しずつ息が乱れる。


もう、自分の真上まで足音が来ている。

それは階段の折り返しから少しずつ正体を現すように下りてきた。

黒いパンプスにデニム、女性の細い足の様に見えた。

息を殺しながら無意識に1段下がる。

トンっと何かにぶつかった。先ほど周りを見渡した時は何もなかったはずの背後に、何かがいる。

背中に当たったナニかは無数の虫が這いずる様に、私のうなじを、背中を撫でた。


「アいたかった」


壊れたラジオのような掠れた声が耳元でそう囁いた。

不快感と冷たい感覚に思わず振り返ろうとした。

けれども、振り返ることはできなかった。


ゴツン。

 

強い衝撃とともに視界が反転する。

気がつくと、床に転げ落ちていた。寝ぼけてベッドから落ちたのだ。

痛みで目が覚めたはずなのに、なぜかまだ、階段を下りる「コツ…コツ…」という音が耳の奥で鳴り止まない。

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