第2章:森のサバイバルと、対数関数の呪い

1. 静かな夜と相棒


夜の森は、静寂に満ちていた。


追放されて三日目。ナオトは慣れた手つきで野営の準備を進めていた。


火打石を打ち、乾いた枯れ葉に火花を散らす。小さな炎が育ち始めると、ナオトは最低限の着火魔法——キャパシティ1にも満たない微小な熱操作——で火を安定させた。


「……これでいい」


無駄な魔力は使わない。サバイバルの基本だ。


焚き火が安定すると、ナオトは懐から石板を取り出した。


表面は泥だらけだった。今日一日、森を歩き回った証拠だ。彼は近くの小川へ向かい、冷たい水で丁寧に石板を洗い始めた。


ざあ、ざあ、と水音が響く。


月明かりの下、石板の表面が少しずつ本来の黒色を取り戻していく。ナオトは指先で縁をなぞりながら、小さく呟いた。


「……君も、よく頑張ってるね」


この石板は、彼の唯一の相棒だった。


学院に入学する前、スラム街のゴミ捨て場で拾ったもの。割れかけていた縁を自分で削り、表面を何日もかけて磨き上げた。貴族の生徒たちが使う魔法羊皮紙のように華美ではないが——


「この石板だけが、僕の計算速度についてこれる」


ナオトは石板を胸に抱きしめた。


「……学院の連中は、この価値を理解できなかったけどね」


彼は焚き火の前に戻り、石板を火の近くで温めながら乾かした。炎が揺らめき、石板の表面に踊る光を映し出す。


ナオトは眼鏡を外し、疲れた目元を手で押さえた。


_前世では、こんな生活は想像もしなかった。受験勉強に明け暮れて、友達もいなくて……それでも、屋根のある家で、温かいご飯が食べられた_


_今は何もない_


_でも——_


彼は石板を見つめる。


_計算ができる。数学がある。指数関数という最強の武器もある_


_それだけで、僕は生きていける_


ナオトは眼鏡をかけ直し、石板を膝の上に置いた。


「さて……明日からは食料の確保だな。この森、魔物がいるらしいけど」


彼は淡々と呟く。


「まあ、消し飛ばすのは簡単だ。問題は、どう"調理用"に仕留めるか、だね」


焚き火が、ぱちぱちと音を立てる。


ナオトは石板を抱いたまま、目を閉じた。


夜の森で、彼と石板だけが、静かに呼吸していた。


---


2. 全滅したパーティとオーク


翌朝。


ナオトは森の奥へと足を踏み入れた。食料——具体的には食用可能な魔物——を探すためだ。


「川沿いに動物の足跡がある。大型の獣が水を飲みに来ているな。追跡すれば……」


彼はそこまで考えて、足を止めた。


異臭。


血の匂いだ。


「……これは」


ナオトは警戒しながら、匂いの元へと近づく。


そして——彼は息を呑んだ。


地面に、四つの死体が転がっていた。


冒険者たちだ。革の鎧を身に着け、剣や杖を握ったまま、無残に引き裂かれている。


「……全滅、か」


ナオトは冷静さを保ちながら、現場を観察した。


地面には、巨大な足跡。人間のものではない。おそらく二足歩行の魔物——オークだろう。


そして、周囲には魔法の痕跡が残っていた。


焦げた地面。火球魔法の跡だ。複数の魔力反応が重なり合っている。


「合体魔法(シグマ)を試みた痕跡……でも」


ナオトは地面を指でなぞり、魔力の残滓を確認する。


「……連携が成立していない。四人のうち、一人の魔力タイミングが0.3秒ずれてる。足し算が成立せず、火力が閾値を超えられなかった」


彼は倒れている冒険者の配置を見る。


四人のうち、一人だけ他の三人から離れた位置に倒れている。おそらく最初に狙われ、残りの三人の連携が崩壊したのだろう。


「可哀想に。でも……これが合体魔法の限界だ。一人でも欠けたら、全てが瓦解する」


ナオトは石板を取り出し、地面に残った魔力痕から敵の耐性値を逆算する。


「火球の出力……おそらく四人合計でキャパシティ200相当。それでもダメージが通っていない。ということは、敵の耐性値-z-は——」


z > 200


「質量依存型の耐性だな。オークの推定質量を150キログラムとすると……」


彼は素早く計算する。


「比耐性係数を10と仮定。 z = 10 × 150 = 1500。彼らの火力では、まったく届かない」


ナオトは立ち上がり、周囲を警戒する。


「オークがまだ近くにいる可能性が——」


ずしん。


背後から、重い足音が響いた。


ナオトはゆっくりと振り返る。


そこには、身長2メートルを超える巨体が立っていた。


オーク。


筋骨隆々とした緑色の肌。手には、人間の頭ほどもある棍棒。そして、血走った小さな目が、ナオトを捉えていた。


「……来たか」


ナオトは眼鏡を押し上げた。


オークが咆哮する。


「グオオオオオオッ!」


地面が震えるほどの轟音。


しかし——ナオトの表情は、まったく動じていなかった。


「指数関数 y=3^x で消し飛ばすのは簡単だけど……」


彼は石板を取り出し、チョークを握る。


「夕食(肉)まで炭になるのは困るんだよね。燃え残りは食べられないし」


オークが棍棒を振り上げる。


ナオトは一歩も動かず、石板に数式を刻み始めた。


「よし。あの『対数理論』の実験台になってもらおう」


彼の瞳が、氷のように冷たく光った。


---


3. 対数(ログ)と合成関数


オークの棍棒が振り下ろされる——その瞬間。


ナオトは淡々と呟いた。


「魔法発動。『対数減衰(ロガリズム・ダウン)』」


石板に刻まれた数式が、光を放つ。


y = log10 x

空間に、光の文字列が展開される。数式が、まるで生き物のようにオークへと絡みついていく。


「この魔法は、対象の耐性計算式に介入する。質量-m-に比例していた耐性値を——」


オークの体が、淡い光に包まれる。


「——対数スケール log10 m へ強制変換する」


ナオトは計算を続ける。


「質量150キログラムの対数は……」


log10 150 =2.18


「比耐性係数10を掛けると……」


z' = 10 × 2.18 =22


「元の耐性値1500が、22へ激減。Q.E.D.」


オークの巨体を覆っていた強固な魔力の加護が——まるで薄紙を剥がすように——無力化されていく。


「グ……ガァッ!?」


オークが困惑したように、自分の体を見下ろす。


ナオトは石板に次の数式を追記した。


「さて、次は攻撃だ。でも……」


彼は眼鏡を指で押し上げる。


「単なる cos(x) では、振幅が足りない。威力不足だ」


ナオトのチョークが、石板を滑る。


「なら——一次関数を掛け合わせて、振幅を増幅させる」


新たな数式が刻まれる。


y = 10(cos(x))


「魔法名:『線形増幅・余弦収縮(リニア・コサイン・プレス)』」


ナオトは座標を指定する。オークの腹部、中心座標。


「10x で威力を増幅させ、cos(x) で負の方向——収縮——へ誘導する」


彼は入力値を設定する。


「入力値-x-は 3π。約9.42。この値で、cos(3π) = -1 となる」


空間に、複雑な光の幾何学模様が展開される。一次関数の直線と、余弦の波が交差し、美しい曲線を描く。


「コスト計算。係数10に入力値9.42を加えて……19.42。キャパシティ20以内で発動可能」


ナオトは淡々と計算を続ける。


「威力計算——」


y = 10 ×9.42×(-1) = -94.2


「負の出力、マイナス94.2。ダメージは——」


|-94.2| - 22 = 72.2


「防御貫通。致命傷確定」


ナオトは指を鳴らした。


ぱちん。


その瞬間——


ぐしゃり。


オークの腹部が、一瞬で圧壊した。


外傷はない。しかし内部から、空間そのものが激しく収縮したのだ。皮膚の下で骨が軋み、内臓が破砕される音が響く。


「グ……ガ……ァ……」


オークの巨体が、糸の切れた人形のように前のめりに倒れた。


どさり、と地面を揺らす音。


それきり、二度と動くことはなかった。


---


ナオトは静かに石板をしまい、倒れたオークを見下ろした。


「……計算終了(Q.E.D.)」


彼は眼鏡を押し上げ、小さく息をついた。


「振幅不足は一次関数で補う。合成関数の基本だね」


ナオトは倒れている冒険者たちの方を振り返った。


「彼らは四人でも勝てなかった。合体魔法(シグマ)でも、閾値を超えられなかった」


彼は再び、オークの死体に視線を戻す。


「でも、僕は一人で倒せた。計算だけで」


ナオトは石板を取り出し、今日の戦闘記録を書き込み始めた。


「対数減衰で耐性を削り、線形増幅で威力を確保し、余弦で負の出力を生成する。三段階の組み合わせ……再現性あり。実用可能」


彼は几帳面な字で数式を書き連ねる。


「指数関数ならオーバーキル。対数と三角の組み合わせならスマートキル」


ナオトは石板を閉じ、オークの死体に近づいた。


「状況に応じた最適解(ベストプラクティス)。……さて、肉の処理をしようか」


彼は冷静に、サバイバルナイフを取り出した。


---


夜。


焚き火の前で、ナオトは焼いたオーク肉を黙々と食べていた。


「……意外と、美味しいな」


彼は石板を膝の上に置き、今日の計算式を復習する。


「対数と三角関数の組み合わせ。消費魔力も少ない。指数関数に頼らなくても、工夫次第でいくらでも戦える」


ナオトは眼鏡を外し、火を見つめた。


「……でも」


彼は静かに呟く。


「僕、本当にこのまま一人でやっていけるのかな」


夜の森は静かだった。


焚き火の音だけが、彼の問いに答えるように、ぱちぱちと響いていた。


ナオトは眼鏡をかけ直し、石板を抱きしめた。


「……やるしかないんだ」


明日も、計算が続く。


生き延びるための、戦いが続く。


——第2章 終——

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