何も起きない異世界召喚 僕のスキルは、意味不明だった

一月三日 五郎

第一話 余分

 ドミノは、最後まで倒れなかった。


 途中で止まったそれを見た瞬間、

 張り詰めていた空気が、消えた。


 誰かが声を上げる前に、

 全員が同じことを理解したからだ。


 ――失敗した。

 そして、

 これはもうやり直せない失敗だった。


 文化祭の最終日。

 僕たちのクラスの出し物は、体育館いっぱいを使った巨大なドミノ倒しだった。


「……お疲れ」


 誰かがそう言って、拍手が起きる。

 泣いているクラスメートもいたし、悔しそうに笑っている人もいた。

 みんな、よくやったと思っていたんだと思う。


 僕だけが、ポケットの中に手を入れたまま、動けずにいた。


 作業が終わったあと、

 床に一枚だけ残っていたドミノを、僕は拾っていた。


 本来なら、

 余るはずのない一枚だった。


 でも、まわりはもう「終わった」という空気だった。


 誰かが片づけを始め、

 誰かが笑っていて、

 今さら声を出す場所はなかった。


 僕は何も言わないまま、

 その一枚をポケットに入れていた。


 結果は、この通りだった。


 ――あの一枚があれば、とは思わない。

 ただ、あのまま何も言わなかった自分が、どうしようもなく嫌だった。


 それから、しばらくの記憶は曖昧だ。


 家に帰って、何日か学校を休んで。

 気づいたら、見慣れない天井を見上げていた。


---

 石でできた天井だった。


「……?」


 体を起こすと、ひんやりした空気が肌に触れる。

 見渡す限り、広い空間。

 壁には松明が並び、奥には玉座のようなものが見えた。


 人がいる。

 鎧を着た人、ローブをまとった人、冠をかぶった中年の男。


「成功……したのか?」


 誰かが呟いた。


 意味が分からないまま立ち上がると、

 視線が一斉にこちらに集まる。

 逃げ場はなかった。


「名を名乗れ」


 玉座に座る男――

 王様だと、直感で分かった――が言った。


「え……えっと……」


 一瞬、言葉に詰まる。


 自分の名前を名乗る前に、

 ここがどこなのか、

 何が起きているのかを考えてしまう。


「僕は……高校二年で……」


 口をついて出たのは、

 どう考えても場違いな言葉だった。


 玉座の間に、

 困惑した空気が広がる。


 どうやら僕は、

 とんでもない場所に来てしまったらしい。


 ――異世界、というやつだ。


 そのときは、

 まだ知らなかった。


 この世界で、

 何が起きているのかを。


 世界各地で前例のない異変が起きていること。

 軍も学者も魔法使いも、打つ手が尽きていること。

 古い書物に記された「異世界召喚」の儀式に、

 最後の望みを託したこと。


 ただし、その儀式は――


「世界が必要と認めなければ、成功しない」


 そう書かれていたらしい。


 つまり、

 世界が「何かを必要としていた」ことだけは、確からしい。


 ただ――

 なぜ、それが僕だったのか。

 何をさせるつもりなのか。


 それは、誰にも分からない。


「……で?」


 王様は、こちらを見下ろした。


「貴様には、何ができる」


 答えられなかった。


 正直に言えば、僕は普通の高校生だ。

 剣も振れないし、魔法も使えない。

 特別な知識があるわけでもない。


 しばらく沈黙が流れたあと、隣にいた学者風の男が、恐る恐る杖を向けてきた。


「鑑定を……」


 杖の先についた水晶が淡く光る。


 学者は目を閉じ、しばらく黙り込んだ。

 やがて、確かめるように口を開く。


「……スキルが、確認されました」


 その一言で、

 玉座の間の空気が変わる。


 学者は、言葉を選ぶように一拍置き、

 続けた。


---

 【スキル:ドミノ】

 因果を連鎖させ、望む結果を引き起こす。

---


「……ドミノ?」


 誰かが、戸惑い混じりに呟いた。


(……ドミノ?)


 同じ言葉が、

 少し遅れて、頭の中で反響する。


 意味が分からない。

 そもそも、

 ここがどこなのかも、

 なぜ自分がここにいるのかも、

 まだ、何一つ整理できていなかった。


「因果を、連鎖させる……」


 王様が、低く呟いた。


「望む結果を引き起こす、だと?」


 玉座の間に、ざわめきが広がる。


「……ならば、

 何を“望ませるか”がすべてだな」


 その一言で、

 玉座の間の空気が変わった。


「待て……」

「“望み”次第では……」

「制御の条件を整理する必要がある……」


 学者たちが、抑えきれない声で言葉を重ねていく。


「因果の起点はどこだ……」

「連鎖の規模は……」

「対象は、人か? 現象か?」


 ざわめきが、熱を帯びて広がる。


 視線が、

 さっきまでの「異物を見るもの」から、

 期待と興奮を含んだものへと変わっていく。


 胸が、ざわつく。


「おい」


 王様の声が、空気を断ち切った。


「異世界の者。

 そのスキルについて、

 何か分かることはあるか」


 突然、視線が集中する。


「……え?」


 一瞬、何を聞かれたのか分からなかった。


「す、すみません……」


 言葉を選ぶ余裕もない。


「……すみません。

 スキルって言われても、

 よく分かりません」


 本音だった。


 スキル、という言葉自体は知っている。

 ゲームで見たこともあるし、

 特別な能力のことだという理解もある。


 ただ――

 今、目の前で説明された

 【スキル:ドミノ】が、

 どういうものなのかは分からなかった。


 王様は、じっと僕を見つめたまま、

 数秒、何も言わなかった。


「……よかろう」


 やがて、そう言った。


「分からぬなら、

 使えばよい」


 胸が、ひくりと跳ねる。


「ここでだ。

 この場で、

 そのスキルを使ってみせよ」


「え……?」


「世界は今、異常に満ちている。

 小さな結果で構わん。

 因果が動くなら、それでいい」


 命令だった。

 拒否という選択肢は、

 最初から存在していなかった。


「……」


 どうすればいいのか分からない。


 ただ、周囲の期待と視線だけが重い。


(……どうしろって言うんだ)


 困惑したまま、

 僕は、ただ立ち尽くした。


 それでも、何もしないわけにはいかなかった。

 僕は、一度だけ深く息を吸った。


(……スキル)


 名前しか分からない。

 効果も、使い方も、不明。

 それでも、

 これが“僕に与えられたもの”なら。


「……ドミノ」


 思わず、声に出していた。


 周囲の視線が、さらに集まる。


 ただ、

 何かが起きてほしいと願った。


 ――その瞬間。


 視界の端で、

 何かが立ち上がった。


 一枚のドミノ。


 空中に、

 ありえない形で存在している。


(……え?)


 驚く間もなく、

 それは、

 ごく自然な動きで倒れた。


 前に。

 音もなく。


 倒れた先。


 玉座の近くに置かれた、

 装飾用の壺。


 何も起きない。


 光も、

 衝撃も、

 魔法らしい変化もない。


 みんなが、息を呑んだまま、

 その先を待っている。


 けれど、

 何も続かなかった。


「……?」


 誰かが、困惑した声を漏らす。


 僕も、同じだった。


(終わり?)


 でも、

 視線を向けた瞬間、

 違和感が、はっきりと形になる。


 壺に生けられた花の中で、

 一本だけ、

 明らかに元気がない。


 理由は分からない。

 説明もできない。


 それでも、

 見なかったことには、できなかった。


「どうした」


 王様が眉をひそめる。


「い、いえ……」


 言いかけて、やめた。

 気のせいかもしれないし、今さら花一本の話をしても仕方がない。


 ――なのに。


 胸の奥に、引っかかりが残る。


 見なかったことにしたはずなのに、頭の片隅から消えない。


「……すみません」


 気づいたら、口に出していた。


「近くで、その壺を……見せてもらってもいいですか」


 空気が、凍る。


「壺、だと?」


 王様の声が低くなる。


「壺で何をするつもりだ」


「いえ、何かをするわけじゃ……」


 言い訳がうまく出てこない。


 でも、あの花が気になる。

 理由は説明できない。

 ただ、放っておくと後悔する気がした。


 重苦しい沈黙のあと、

 王様が、顎で合図をした。


「……渡してやれ」


 玉座の脇に控えていた兵士が、一歩前に出る。

 壺を抱え上げ、無言のまま、僕の前に差し出した。


 思ったより、ずっと重い。


「……重い」


 思わず、声が漏れる。


 兵士から受け取った、その瞬間だった。


 手が滑る。


「――あ」


 落ちる、と思ったときには、もう遅かった。


 鈍い音。

 陶器が割れる音。


 壺は床に砕け、中から――

 金貨が一枚転がり出た。


 それは床を転がり、

 王の足元で止まった。


「な……?」


 ざわめきが広がる。


 僕は、何も言えなかった。

 割るつもりなんて、なかった。

 ただ、確認したかっただけだ。


「……何を、している」


 王様の声は低かった。


 怒鳴ってはいない。

 だが、

 そこに含まれた感情の重さは、

 はっきりと伝わってきた。


「説明しろ」


 僕は口を開いた。

 けれど、言葉が出てこない。


 理由を言おうとして、

 自分でも分からないことに気づく。


 弁明しようと口を開くが、言葉にならない。


 花がしおれていたこと。

 理由のない違和感。


 どれも、説明できる材料じゃなかった。


「因果を連鎖させ、

 望む結果を引き起こす――

 そう記されていたではないか」


 王様の視線が、

 床に散らばった陶片と、

 転がった金貨に向けられる。


「だが、起きたのは何だ」


 声が、わずかに震えた。


 壺を持ち上げ、床に落として割り、

 その結果として、

 金貨が一枚、転がり出ただけだ。


 王は立ち上がると、

 足元に転がっていた金貨を拾い上げ、

 それを僕の前に突き出した。


「世界を救う力だと?

 これが、その結果か」


 短く、息を吐く。


「――笑わせるな」


 金貨が投げられ、

 硬い音を立てて床を跳ねた。


「金貨一枚で、

 世界が救えるのか!」


 その言葉を最後に、

 王は声を落とした。


 しばらく、

 玉座の間には音がなかった。


 怒りが冷めた、というより、

 結論が出たあとの沈黙だった。


「……それを持たせろ」


 王は、

 僕ではなく、

 傍らに控えていた兵士へ向かって言った。


 兵士が一歩進み、

 床に転がる金貨を拾い上げる。


 王は視線を外したまま、

 続けた。


「路銀だ。

 それ以上でも、

 それ以下でもない」


 兵士は何も言わず、

 金貨を僕の手に押し付けた。


 拒む暇はなかった。


「持っていけ」


 王様の声には、

 もはや迷いはなかった。


「貴様はこの城に不要だ。

 この国にもな」


 追放。


 そう宣告され、僕は城を出た。


 手の中にあるのは、たった一枚の金貨。


 何も、起こらなかった。


 少なくとも、そのときは。

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