薄曇りとホケミと便宜的悪魔
天萌 愛猫
第1話 雨のち曇り
「うわ。雨降ってら」
古馴染みのスーパーから出た瞬間、視界を埋め尽くす土砂降り。
「まいったな。粉がしけちまう、どうにか濡れないように帰らないと」
きょろきょろとあたりを見回し、手近なところにあったアーケードの下に身を落ち着ける。
しばらくはここでやり過ごすことにしよう。
「……」
スマートフォンを取り出し画面を見る。
待ち受けにしているメイクばっちりの明るい顔も、この分厚い雲の下ではどうも地味に見えてしまう。
数分ほど、決まった秒数ごとに切り替わるコロンで分断された四ケタを見つめる。
暇潰しにゲームでもしようかと思ったが見にくいのでやめておいたほうが吉だろう、誤タップするとうっとうしそうだ。
顔を上げ、ぼうっと周囲の景色を観察する。
傘を差したひとが数名、往来をつまらなそうに歩いている。
(いや、それにしても異常なレベルで暗いなあ。空も、この雨宿りしてるところも)
横には背の高い男がいたが、容貌はおろか服装さえ判然としないほどの光のなさ。
と。
ふいに彼がこちらを向いた。
日中でならキラキラ輝いていたであろう色を抜いた髪も、よく見ると少し濡れているように見える。
さては同士かもしれない。
傘も持っていないようだし、通り雨にやられておなじように止むのを待っているクチだろうと判断する。
「いや、ほんと困りますよね。こんな急にざあざあ来られたんじゃ、もう濡れねずみですよ」
とりあえず話しかけると、びっくりしたように目を見開く。
「くっくっく」
含み笑い。
「え。なにかおかしかったですかね? ヘンでしたか、すみません」
機嫌を損ねたかもと思い、やや遅れぺこりと頭を下げる。
「あーあー、謝らなくったっていいよ。別に怒ってはねえから。話しかけただけでオカンムリなんて悪魔も真っ青だぜ?」
「は、はあ」
悪魔、とは。
ワードチョイスが少々風変わりなひとのようだった。
キョドキョドしているうちに、ずずいと距離を詰めてくる。
「……な、なんですか?」
「まあ、これから確実にお前がトサカに来るようなことを言っちまう予定なんだけどな。気にしないでやってくれ、これは単なるひとつの試金石なんだし」
唇をいたずらっぽくとがらせ、無遠慮に人差し指を突き出してくる。
「ひっでぇ曇り空だよな。まるで――あんたの人生みたいだ。自分でもそう思うだろう?」
不明瞭だった輪郭が突如明らかになってきた。
空はまだ光を取り戻さず、依然として澱んだ水滴を上から振りまいているのに。
全容が見えるようになり、ごくりと唾を呑む。
「は、羽が……ある?」
日常生活ではまずお見かけすることのできないであろう美貌。
そしてととのったつくりのかんばせよりも目を引く、――コウモリに似た黒い一対の翼。
おなじく漆黒のスーツの背中でそれをバサバサと広げてはためかせ、にやりと彼が笑った。
「人間って、おれみたいなのが目の前に現れたらどんな具合の反応すんだろうって思ってな。おもしろそうだったからさ、前からやってみたかったんだ」
「は、はあ」
「いや、世界にうじゃうじゃいる下等生物をからかうのってたのしそうじゃん?」
カラカラと笑い、気まずそうに頬を掻く。
「でも、そんなことも言ってられねえ状況になっちまってんだよな。おい、折り入って頼みがある、人間」
とりあえず、……。
黙り込み、視線を下にやる。
なにかあるのかとつられて顔をそちらに向けたのとほぼ同時に、ぐうぅう、とものすごい音が鳴った。
「……ん?」
「実はさァ、めっちゃくちゃいまおれ、おなかすいてんだよな」
もう一歩たりとも動ける気がしねえ。
このままだとこの冬の空気にやられてブッ倒れちまいそうだ。
言葉を切りちらりとこちらに上目遣い。
「こんな道のド真ん中で行き倒れたんじゃ、捕まって見世物にされるかもしれねえ。はたまた、金持ちの道楽でひどいめに遭わされるかも。おお、ぶるぶる」
「想像力豊かですね」
「だいたいお前らの考える風刺的なオチってこんな感じじゃね? 知らんけど」
「そうなんですかね?」
偏見に満ちあふれすぎているし、やや古典的な気がするが。
「おなかがすいてるんですか?」
「ああそうだよ。もう腹ペコだ」
お前食料品店から出てきたよな、今夜は何作るんだ。
カレーか?
それともシチューか?
ローストビーフなんてのもまあ、いいっちゃいいな。
期待を込めた眼がきらりと輝く。
「なんでもいいからおれにごちそうしろ。ほんとなんでもいい、腹がふくれれば」
手に提げている袋を見て揉み手をする。
「えっ。食べる気満々みたいですけどもね、まさかついてくる気なんです?」
「見たところ、なにかの粉みたいだな。お好み焼きか? それともたこ焼きか? もんじゃか?」
華麗な無視。
「その見た目で粉もの詳しいんだ……さっきは洋食を列挙してたのに」
「あんまりいっぱいは知らねえよ? 言うてもメジャーなのだけだぜ」
ふんふんと鼻歌を歌いながら、先に立って歩き出す。
「あ、ちょっと雨――」
「ダイジョブダイジョブ。MP使っちまうから気は進まねえけど」
「え、えむぴー?」
「おっ。ゲームにはあんまり詳しくないのかい? 言い換えると魔力だな」
ぶぉんっ、と耳慣れない音がして、頭上に透明な膜が張られた。
「わっ!?」
「人目はなさそだな~。よし。とっとと行くぞお前んちに」
先頭に立ってスタスタと歩き出す。
雨は弾かれ横に落ちている。
「あの、なんで俺の家知ってるんですか……」
「あー? それもあとで説明してやるよ。うまいもん食わせてくれたらな」
笑った拍子にのぞいた白い牙がすぐに引っ込む。
「なにしてんだよ、早くついてこいって。これけっこう消費激しいんだぞ」
ったく、空きっ腹がますます痛んできやがった。
もう背中とくっついちまいそうだぜ――。
そうは言いつつも、ブツブツ言いながら進む後ろ姿にはぐらつきなど不調じみた挙動はいっさい見受けられない。
やっぱり丈夫なのかしらん、と場違いな感想をいだいているうちに家についた。
アパートの階段を上りカギを開ける。
知らない者を入れるのは不安だったが、住まいを把握されているなら今さらだろう。
警戒心をアップデートすべきだろうな、と聞こえないようにため息。
いつのまにか雨が止んで、カーテンの隙間は多少明るくなっている。
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