SCENE#188 バナナは、すぐに傷むものだ!
魚住 陸
バナナは、すぐに傷むものだ!
第一章:「黒いシミは、無知の兆し」
県立バナナ坂高校二年生、佐藤タカシは、放課後の誰もいない教室で、青ざめた顔をしてスマートフォンを見つめていた。彼の指先は微かに震え、検索窓には人には決して見せられない履歴が並んでいる。
『バナナ 形 曲がっている 異常』
『バナナ 黒いシミ 病気』
『平均的なバナナの長さ 日本』
画面に表示されるのは、出所不明の「バナナ専門家」たちの怪しいアドバイスや、不安を煽るようなサプリメントの広告、そして何より、現実離れしたサイズを誇る「海外製スーパーバナナ」の画像ばかりだった。
「……終わった。俺の人生、このバナナのせいで詰んだんだ…」
タカシは絶望の淵にいた。彼は自分という果実が、世の中の「標準」から大きく外れているのではないかという恐怖に支配されていた。思春期特有の過剰な自意識は、バナナの皮の一枚一枚を、重大な欠陥として認識させてしまう。
「そんなところでバナナの鮮度を気にしていても、シュガースポットは増える一方よ、少年!」
突然、背後から声をかけられ、タカシは跳び上がった。振り返ると、そこには白衣を羽織り、なぜか頭に完熟バナナの被り物をした謎の女性が立っていた。彼女はこの学校に新しく赴任してきた養護教諭、通称「バナナ先生」こと、花園麗子だった。
「バ、バナナ先生……!? 何ですか、その格好は…」
「これは正装よ。性に関する悩みは、直接的すぎると脳が拒絶反応を起こすわ。だからこそ、私たちはバナナを通じて真理を語らねばならないの。さあ、タカシ君。あなたのその傷みかけた悩みを、保健室という名の保冷庫でじっくり解凍してあげましょう!」
タカシは引きずられるようにして保健室へと連行された。保健室の壁には、世界各国のバナナの分布図や、品種改良の歴史、そして「正しい皮の剥き方」を解説した図解が所狭しと貼られていた。
「いい、タカシ君。バナナはね、すぐに傷むものなの。でも、傷むからこそ愛おしい。無知という名の害虫に食い荒らされる前に、正しい保存方法を学びなさい!」
こうして、タカシの人生を変える、世にも奇妙な「バナナ特別補習」の幕が上がったのである。
第二章:「皮を剥く勇気、剥かない慎重さ」
保健室の椅子に座らされたタカシの前に、バナナ先生は三本の異なる状態のバナナを並べた。一本は青々として硬いもの。一本は黄色く熟したもの。そして最後の一本は、皮の一部が黒ずみ、少しだけ反り返ったもの。
「さあ、タカシ君。この中で、どれが正しいバナナだと思う?」
「え……? それは、真ん中の黄色いやつじゃないですか。普通だし、綺麗だし…」
バナナ先生は、深く溜息をつき、教鞭で机を叩いた。
「落第ね。正解は、全部よ。バナナに正解なんてないの。あるのは個性だけ。あなたがネットで見た海外のスーパーバナナは、言ってみれば遺伝子組み換えの撮影用模型。あんなものを基準にするのは、エベレストを基準にして自分の家の裏山を低いと嘆くようなものよ!」
先生はホワイトボードに、バナナの断面図を精緻に描き始めた。
「まず、皮の問題。剥くべきか、剥かざるべきか。これは若きバナナ所有者たちが最初に直面するハムレット的な苦悩ね。無理に剥こうとして茎(スジ)を傷めれば、炎症という名の品質劣化を招くの。逆に、一生剥かずに閉じ込めておけば、内部で異常な発酵が進み、異臭を放つゴミ箱行き確定のバナナになるわ!」
タカシは赤面しながらも、先生の言葉に聞き入った。ネットの掲示板では「剥けていない奴は人間失格!」だの「手術費用は三十万…」だのという極論が飛び交っていたが、先生の説く「適切なタイミングと衛生管理」の話は、驚くほど科学的で説得力があった。
「自分だけのバナナを愛でることは、自己肯定の第一歩。他人と比較してバナナを磨きすぎるのはやめなさい。摩擦は皮を厚くし、感度という名の糖度を下げてしまう。自分のバナナが右に曲がっていようが、少し小ぶりだろうが、それは産地と個性の証明なのよ!」
先生は、黒ずんだバナナを指さした。
「この黒いシミは、まさしくシュガースポット。成熟の証であり、甘さのピーク。あなたがコンプレックスだと思っているそのシミも、見方を変えれば経験と成熟の予兆かもしれない。大切なのは、皮の見た目ではなく、中身が腐っていないかどうか。つまり、正しい知識という防腐剤を持っているかどうかなのよ!」
タカシは、自分のズボンのポケット越しに、そっと自らのバナナを確認した。先生の熱弁を聞くうちに、少しだけ、その果実が誇らしく感じられ始めていた。
第三章:「防護服を着ない果実の末路」
三日目。保健室の雰囲気は一転して、緊迫したものになっていた。バナナ先生はガスマスクを首にかけ、顕微鏡を覗き込んでいる。
「タカシ君、今日は戦場の話をするわ!」
「戦場……? 先生、ここは学校ですよ!」
「甘いわね。一歩外に出れば、そこはウイルスと細菌が飛び交うバナナの墓場よ。あなたがもし、防護服(ラバー)を着用せずに、未知の果樹園へ飛び込んだとしたら……どうなると思う?」
先生は、実験用のバナナに、紫色の不気味な液体を振りかけた。瞬く間に、バナナの表面には不気味な斑点が広がり、ドロドロとした粘液が溢れ出した。
「これが、性感染症という名の『黒カビ病』の末路。一度感染すれば、あなたのバナナは出荷停止、最悪の場合は焼却処分。あなたの将来のパートナーにまで、そのカビを移すことになってしまう。そうなれば、愛という名のデザートタイムは、永遠に訪れないわ!」
タカシは震え上がった。ネットでは「ナマの方が美味い!」だの「俺は大丈夫!」だのという、無責任なバナナ所有者たちの放言が溢れていた。だが、目の前で腐っていくバナナのリアリティは、それらを一瞬で粉砕した。
「いい、タカシ君。避妊と予防は、相手を守るためだけじゃない。自分という唯一無二のバナナを守るための、騎士の鎧なの。サイズが合わないからと言って鎧を脱ぐのは、戦場で全裸になるのと同じ。サイズが合わないなら、合うものを探しなさい。世の中には、極小から特大まで、あらゆるバナナに対応した防護服が流通しているんだから!」
先生は、色とりどりの「バナナケース」を机に並べた。
「装着の練習も必要よ。暗闇の中で、慌てて前後を間違えるバナナ。空気を残したまま装着し、摩擦で破裂させるバナナ。それらはすべて、準備不足という名の喜劇。でも、起きてしまえば、ただの悲劇。バナナは、とってもデリケート。優しく、確実に、根元までしっかりと守る。これが、紳士のバナナ・エチケットよ!」
タカシは、初めて手に取ったその「鎧」の感触を確かめた。それは薄く、けれど一人の人生を守るには十分な、頼もしい強度を持っていた。
「いいわ、タカシ君。これであなたは、無謀な特攻野郎から、思慮深いバナナ・ガーディアンへと進化したわ。でも忘れないで。最高の防護服は、あなたの『断る勇気』という心の膜なのよ!」
第四章:「賞味期限と、心の同意」
「タカシ君。バナナが一番美味しく食べられる瞬間は、いつだと思う?」
四日目の補習。バナナ先生は、高級そうな銀の皿に盛られたバナナを前にして問いかけた。
「うーん、やっぱり、一番熟して甘くなった時ですか?」
「半分正解。でも、決定的に欠けている視点があるわ。それは食べる側が、今、食べたいと思っているか?という視点よ!」
先生は、バナナをタカシの口元に無理やり押し付けた。
「ほら、食べなさい。今すぐ、全部。あなたが満腹だろうが、お腹を壊していようが、今の気分じゃなかろうが、このバナナは今が食べごろなの。食べないなんて、このバナナに対して失礼でしょう? さあ、口を開けるの!」
「ちょ、ちょっと待ってください先生! 無理ですよ、今はそんな気分じゃないし……!」
タカシが必死に拒絶すると、先生はぴたりと動きを止め、バナナを皿に戻した。
「そう。それが『同意』のすべてよ。どんなに立派なバナナであっても、相手がそれを求めていなければ、それはただの『生ゴミの押し売り』。もっとひどければ、凶器と同じ。愛という名の調理法には、必ず双方のサインが必要なのよ!」
先生はホワイトボードに、大きく『CONSENT』と書いた。
「世の中にはね、雰囲気に流されて、あるいは断るのが怖くて、無理やりバナナを食べさせられる、あるいは食べさせる状況がある。でも、それは冒険でも活劇でもない。ただの暴力。バナナの賞味期限を決める権利は、常に二人の間に対等にあるべきなの。一方が『ノー』と言えば、その瞬間にバナナは保冷庫へ戻る。それがルールよ!」
タカシは、以前、友人が言っていた「無理やりにでも行かなきゃ男じゃない!」という言葉を思い出し、背筋が寒くなった。
「タカシ君。あなたは将来、誰かのバナナを慈しみ、あるいは自分のバナナを誰かに託す日が来るかもしれない。その時、絶対に忘れないで。相手の瞳を見て、言葉を聞いて、心の底からの『イエス』を確認すること。沈黙は同意じゃない。曖昧な微笑みも同意じゃない。明確な、輝くような『食べたい!』という合意があって初めて、バナナは至高のスイーツになるのよ!」
先生は、自分の頭のバナナを直し、真剣な眼差しで続けた。
「自分を大切にできないバナナに、他人を大切にすることはできない。相手の賞味期限を尊重できる人間こそが、真のバナナ・マスターなのよ!」
第五章:「ネットに転がる偽装バナナ」
五日目、保健室のプロジェクターには、モザイクだらけの画像や、誇張された広告が映し出されていた。タカシが夜な夜な、罪悪感と共に眺めていた「あの世界」だ。
「タカシ君。あなたがスマホの向こう側で見ているバナナ。あれを『現実』だと思っているなら、今すぐその眼球をバナナの皮で洗浄しなさい!」
バナナ先生の言葉は鋭かった。
「あの世界に登場するバナナは、いわば『化学肥料まみれのモンスター』よ。撮影のために角度を計算し、ライティングで陰影をつけ、時にはCGで補正し、血の滲むような特訓を重ねたプロのバナナたち。あれを基準にして自分のバナナを嘆くのは、特撮映画の怪獣を見て『どうして俺のペットのトカゲは火を吹かないんだ!』と悩むのと同じくらい、不毛で滑稽なことよ!」
画面には、バナナが爆発したり、虹色に光ったりするシュールな合成画像が表示された。
「ポルノ動画という名の『偽装バナナ』は、快楽の最大公約数だけを抽出したファンタジー。そこには、相手の痛みや、準備の手間や、終わった後の片付けといった『面倒だけど大切な現実』が一切描かれていない。あんなものを教科書にすれば、あなたのバナナは現実のパートナーとのコミュニケーションを拒絶する、孤立したデバイスになってしまうわ!」
タカシは、自分が抱いていた劣等感が、いかに虚構に基づいたものであったかを痛感した。長いとか、太いとか、テクニックとか。それらはすべて、画面の向こう側の「収益」のために作られた幻想に過ぎなかったのだ。
「リアルなバナナは、もっと不器用で、もっと静かなもの。派手な音も出ないし、一瞬で終わることもあれば、なかなか熟さないこともある。でも、その不完全さこそが人間らしさなの。ネットのバナナはあなたの心を煽るけれど、あなたの隣にいる誰かの手を取り、一緒に歩んでくれるわけじゃない!」
先生は、プロジェクターの電源を切った。
「フェイクニュースに騙されないで。あなたのバナナは、あなたの人生という物語の主人公。誰かの動画の脇役じゃないのよ。自分のスペックを数字で測るのは、もう、おやめなさい。バナナの価値は、キログラムやセンチメートルではなく、どれだけ心を込めて育てたかで決まるんだから!」
タカシは、スマホをポケットの奥深くに押し込んだ。もう、暗い部屋で一人、偽物のバナナを追いかける必要はない。彼には、自分自身の「本物の果実」があるのだから。
第六章:「シュガースポットは愛の証」
補習も終盤に差し掛かった六日目。保健室には、なぜか穏やかなクラシック音楽が流れていた。バナナ先生は、少しだけ被り物を斜めにし、慈愛に満ちた表情でタカシを見つめていた。
「タカシ君。これまでの補習で、あなたは知識という名の肥料を手に入れた。でも、最後に伝えなければならないことがあるわ。それは『失敗してもいい』ということよ!」
「失敗……ですか?」
「そう。バナナはデリケートだから、時には途中で萎れてしまったり、思うように剥けなかったり、タイミングを逃して傷んでしまったりすることもある。若いうちは特に、自分のバナナをコントロールできずに、パニックになることもあるでしょう!」
先生は、少しだけ茶色くなったバナナを優しく撫でた。
「でもね、その失敗や、傷ついた経験こそが、あなたのバナナに深い味わいを与える『シュガースポット』になるの。完璧なバナナなんて、ちっとも面白くないわ。ちょっと形が悪くても、過去に苦い思いをしたことがあっても、それを糧にして、自分と相手を労わることができるバナナ……それこそが、本当に価値のある完熟バナナなのよ!」
タカシの中学時代に経験した、苦く、恥ずかしい思い出。当時は自分を呪い、バナナを捨ててしまいたいとさえ思った。だが、先生の言葉は、その傷跡を「愛の証」として肯定してくれた。
「性教育とは、単なる避妊の仕方を教える学問じゃない。自分が自分であっていいと認め、相手が相手であっていいと尊ぶ、究極の『人間賛歌』なのよ。バナナというツールを通じて、私たちは命の尊厳を学んでいるの。だから、自分のバナナを恥じることは、あなたの命そのものを否定することと同じなの。誇りを持ちなさい。あなたは、唯一無二の、最高に美味しいバナナなんだから!」
先生の言葉が、タカシの心の奥底に染み込んでいく。バナナというバカげた比喩の裏側に、これほどまでに温かいメッセージが隠されていたとは。
「傷つくことを恐れて、バナナを保冷庫に隠し続ける人生は寂しいわ。正しい知識という名の靴を履いて、たまには泥にまみれながら、自分の足で果樹園を歩きなさい。転んで皮が剥けても、また新しい皮があなたを守ってくれる。その繰り返しが、あなたを本当の大人のバナナにするのよ!」
タカシの目から、一滴の涙がこぼれた。それは、長い間彼を縛り付けていた「無知」と「不安」が溶け出したものだった。彼は初めて、自分という存在を、丸ごと受け入れられたような気がした。
第七章:「そして、バナナは明日を向く」
そして最終日。特別補習を終えたタカシは、保健室のドアの前に立っていた。彼の表情は、一週間前とは見違えるほど晴れやかだった。背筋は伸び、瞳には確かな自信が宿っている。
「先生、ありがとうございました。俺、なんだか……自分のバナナが好きになれそうです。正しく恐れて、正しく大切にしていこうと思います!」
「いい返事ね、タカシ君。卒業試験は、もち合格よ!」
バナナ先生は、被り物を脱ぎ(中から現れたのは、驚くほど美しい知的な女性だった)、一房の立派なバナナをタカシに手渡した。
「これは、あなたの新しい門出へのプレゼントよ。お腹が空いたら、いつでも食べなさい。カリウムは脳の活性化にいいからね。あ、防護服のサンプルもポケットに入れておいたわよ。備えあれば憂いなし、よ!」
「あはは、ありがとうございます。……でも先生、最後に一つだけ聞いてもいいですか?」
「なにかしら?」
「どうして、バナナだったんですか? リンゴやイチゴじゃダメだったんですか?」
先生は、窓の外に広がる夕焼けを眺め、いたずらっぽく微笑んだ。
「リンゴは知恵の象徴、イチゴは可愛らしさの象徴。でもね、バナナは『成長のプロセス』そのものなの。すぐに傷む、だからこそ、今この瞬間を大切にしなければならないという、命の切なさを教えてくれる。それに……それにね…」
先生は、タカシの耳元で囁いた。
「バナナの方が、圧倒的にコメディに向いてるでしょ? 性教育に深刻さは不要。笑い飛ばしながら、真実を掴み取る。それが、イマどきの若者に一番必要なビタミンなのよ!ウフフ…」
タカシは笑い、深く一礼して保健室を後にした。廊下を歩く彼の足取りは軽い。ポケットの中の「鎧」と、手に持った「知恵の果実」。それらは、彼がこれから歩む、長く、困難で、けれど最高にエキサイティングな青春の荒野を照らす、最強の装備だった。
教室の窓からは、バナナ色の夕日が差し込んでいる。タカシはふと思う。自分だけじゃない、この校舎にいる何百人もの生徒たちが、それぞれに違う形、違う色のバナナを抱えて、悩みながら生きているのだと。
彼はもう、誰かと自分を比べることはしない。なぜなら、バナナは、すぐに傷むものだから。だからこそ、今というこの瞬間を、誰よりも大切に、そして誰よりも明るく、笑いながら生きていこうと決めたからだ。
佐藤タカシのバナナな日々は、今、始まったばかり。その果実が、いつか最高の完熟を迎えるその日まで、彼は胸を張って、青春の坂道を駆け上がっていく。背後で、保健室の窓からバナナ先生の「頑張ってね、バナナ少年!」という声が聞こえたような気がした。
タカシは、手にしたバナナを高く掲げ、空に向かって「乾杯!」と叫んだ。その声は、春の風に乗って、どこまでも、どこまでも響き渡っていった…
SCENE#188 バナナは、すぐに傷むものだ! 魚住 陸 @mako1122
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます