マジック・ザ・リバース:逆転した因果律
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第1話:よい奴でも悪い奴でもすべて訳はあるものだ
この物語は、僕、エドワード・シンクレアが、身に覚えのない罪で「高危険度犯罪者」の烙印を押され、ある男を訪ねることから始まる。
ドイツ、ケルン市のどこかにある路地裏。僕は、どんな不可能な依頼でも受けるという『何でも承ります』という怪しげな事務所を訪ねた。
……いや、あまりにも、あまりにも信じがたい看板だった。子供の落書きじゃあるまいし。変な棒人間が「何でも聞いてやるぜっ!!」と叫んでいる虹色の看板……。小学生が作ってもこれよりはマシだろう。だが……もう後がない。
「ドアを開けながら あの……ここが『何でも承ります』で合っていますか?」
ドアを開けると、フリルドレスを着た少女が迎えてくれた。 「いらっしゃいま……えっ? シンクレア君!?」 その反応で分かる通り、彼女と僕は知り合いだった。
彼女の名前はエリザベス・トレメイン。学校では「シンデレラ」と呼ばれ、男子なら誰もが一度は恋をする、まさに「みんなのアイドル」だ。最近学校に来ないと思ったら、こんなところでバイトをしていたなんて。
「……久しぶり、シンデレラ。こんなところで会うなんて」 彼女は顔を赤らめて答えた。 「そ、その名前で呼ばないで……。あ、いけない。ここに来たってことは、『あの方』に会いに来たのよね?」
「あの方……?」 僕は首をかしげたが、彼女の「ついてきて、シンクレア君。あの方がどこにいるか教えてあげる」という言葉に従った。
案内された先では、一人の女が「ねえ、先輩~! こんなの放っておいて、あたしと遊びましょうよ~」と怪しげな男にベタベタと抱きついていた。男はそれを心底嫌そうに引き剥がしている。 「あー、どけ! このクソアマ!! 俺はお前みたいに、男にベラベラと好き好き言ってくる女が一番嫌いなんだよ!!」
「社長……お客様ですよ」 エリザベスが声をかけると、その男は顔を上げた。 「ああ、そうか! シンデレラ! カモ……じゃねえ、お客様を早くお席にご案内しろ!」
……待て、この男。今、僕のことを「カモ」って言おうとしたな!? 絶対にカモって言おうとしたぞ!!! この男、本当に信じていいのか? ……まあ、あのシンデレラがバイトしているんだから、マシなはずだ。
三枝(みつえだ)カットにポニーテール、サングラスで目を隠したその怪しげな男は言った。 「さて、おチビなお客様は、どんなご用件かな?」
「(訳ありな表情で)……実は、一ヶ月前のことなんですが……」
すると突然、その男が言葉を遮った。 「おい、今は第1話だぞ? この1話と2話で読者の心を掴まなきゃいけねえんだ。お前のクソ長い自分語りの回想で1話を潰すわけにはいかねえんだよ。回想に入るんじゃねえ。さっさと整理して喋れ」 男は鼻をほじりながら言い放った。
「な、何だって……っ!? この人、僕の過去回想をカットしたぞ……! カットしやがった……!! 正気か!? 普通の作品なら大人しく聞くだろ! これで読者が(読むのをやめたら)どうするんだよ!!」
……だが、今の僕に拒否権はない。僕は渋々、頭を下げて要件を話し始めた。
「あ……分かった、分かりましたよ。……つまり、一ヶ月前までは平和に暮らしてたんです。でも正確に二週間前、ある犯罪者が僕の姿をどうやってかディープフェイクして……僕が殺人を犯している様子が生中継されたんです。僕が人を殺す映像や、アメリカ大使館をテロする映像がニュースにデカデカと流れて……」
僕の事情を聞きながら、その男は全力で笑いを堪えているのが見え見えだった。
「あ、そ……そうなんだ(吹き出しながら)。分かったよ。で、何をすればいいのかな?」
「僕の姿で犯罪を犯している犯人を捕まえて、濡れ衣を晴らしたいんです……」
男は心底面倒くさそうな顔で、「で、金は?」と聞いてきた。 「え、お金……ですか?」 「ちなみに……500万ユーロからだぞ? ギャハハ!」
高いだろうとは思っていたが、あまりにも良心がない。この男、僕が高校生だと分かっているはずなのに、法外な額を吹っかけてきた。 男は言葉を続け、「おい、俺はこの業界じゃ超有名なんだぜ? 他の依頼人は基本800万ユーロは持ってくるんだ。お前、見るからに若そうだからわざわざ負けてやったんだよ。あ? 感謝しろよ、分かったか?」と逆に凄んできた。……僕は呆然とするしかなかった。
だが、背に腹は代えられない。「……後払いにしてもらうことは可能でしょうか?」と言うと、「はぁ? ふざけてんのか?」とキレられた。 仕方なく……「僕、『シンクレア家』の人間なんです」と明かすと、彼の顔色が変わった。
「シンクレア家……? おい、お前シンクレア家なのか? あのシンクレア家? 欧州五大名家の一つで、ドイツで最も影響力のあるあの家門か!?」 興奮して聞き返してくる男に、「あ……はい」と答えると――。
さっきまでの見下した態度はどこへやら。 「あいええええええ~! お客様……いえ、坊ちゃん……! お仕えいたしますよぉ……。あのシンクレア家のご子息が濡れ衣を着せられたというのなら、即座に晴らして差し上げましょう……!」 男は揉み手をして、僕にす리寄ってきた。……ものすごく、反吐が出るような表情で。僕は引きつった顔で「ありがとうございます……」と言うしかなかった。
すると男は、ふざけた空気を一変させ、真剣な表情で告げた。 「とりあえず、この事務所にいろ。今のところお前は一級テロリストで、A+級ヴィラン扱いのターゲットだ。暇を持て余した連中……傭兵、キラー、ヒーロー、ハンター、見境なしにお前一人を狙ってるだろうからな」
冷静に分析した後、彼は僕に問いかけた。 「何か心当たりはねえのか?」
僕にはなかった。誰かに恨まれるような真似はしたことがないからだ。 「僕は、誰かに恨みを買うようなことはしていません……」
そう答えると、彼は心底呆れたような顔をして言った。 「……お前、本当に苦労知らずなんだな。いいか、ガキ。この世の中ってのはな、わざわざ恨まれるような真似をしなくても、絡んでくる奴がいるんだよ。お前みたいな高貴な貴族のガキなら、なおさらな。……はぁ。でお前の親父さんは何て言ってたんだ?」
「……父さんは、自分一人の力で解決しろって言いました」
僕がそう答えると、彼は頷いた。「賢明な親父さんだ。まあ、お前は将来、家門を継ぐ当主なんだから、これくらいの困難は自力で処理する能力を育てろってことなんだろうな」
「……でもさ、今更だけどお前の親父、クソ冷てえな。いくら何でも、ただの高校生(ガキ)の息子が全世界注目のテロリストに仕立て上げられてんのに、『強く育てるため』とか言って見捨てるとか、ねーわwww」
どう見ても親への侮辱 だったが、僕は反론できなかった。……正論だったから。 男は「まあ、適当に休んでろ。お前に濡れ衣を着せた野郎は俺が探し出してやるからよ」と言いながら、すぐにシンデレラを呼んだ。 「シンデレラ! あれを持ってこい」
お茶を飲んで休んでいた彼女は、「は、はいっ! 社長……!」と言って、ノート型パソコンを彼に手渡した。
彼は受け取ったパソコンを掲げ、「タラリラッタラー! 万能ノートパソコーン!」と、ドラ○もんのモノマネ似てない上にイラッとするをしながら言葉を続けた。 「このノートパソコンはだな! あの有名なリンゴのマークの会社のやつで、他のデバイスと同じくボッタクリな価格の代物よ! だが、性能だけは一級品だぜ?」
おい、やめろ……。アップルに訴えられるぞ。お願いだから……。ドラ○もんのマネもやめて! 権利関係で消されるから……!
彼は酷すぎるモノマネを終えると、「というわけで、このアッ○ルブックで整理するから、お前はあっちで休んでろ」と窓際を指差した。
「失礼ですが、お名前を伺ってもよろしいでしょうか……?」 気になっていた僕が尋ねると、彼は「あ? 俺か? 本名は教えられねえが、業界のコードネームは**『シャルル・ウンコ・ソードワード14世』**だ」とピースサインをしながら軽く言った。
僕は呆れ果てた。彼は今、フランス皇帝の名前を弄った別名を使っているのだ。「訴えられませんか?」と聞くと、彼は「あー、どうせバレねえよ」と受け流した。……一体何者なんだろう。なぜ他国の国王の名前をあんなに卑俗な名前に変えて使うのか、僕の頭では理解不能だった。
僕は考えるのをやめて、彼が示した席に戻った。すると、さっきまでシャルルさんにべったりだったあの女性が、今度は僕に興味を示し始めた。
「ねえ、君、可愛い顔してるね~? 先輩とは大違い。完全な子犬系じゃん? 何歳?」 「17歳です……」 「おっ! あたしも17歳なんだけど~。名前は?」 「エドワード・シンクレアです。あなたは?」 「あたしは白雪。珍しい名前でしょ? これからよろしくね、エドワード^^」
悪い人には見えない。だが、典型的な男好き のようだった。
「でもさ~、ニュースに出たのを見ると、ちょっと変じゃない? 君みたいにまともそうな子が、あんなことしたなんてさ。あたしには何でも話していいよ。先輩は変わってるからね~。なんていうか、一緒にいても自分しか知らないことばっかり並べ立てるから、聞いてて退屈っていうかさ~」
「僕にもよく分からないんです。実は、これが全部夢だったらいいのにって……本当に重荷なんですよ。目が覚めたら高危険度犯罪者で、1級テロリスト、A級ヴィランだなんて……」
白雪は言葉を継いだ。「でもさ……君、懸賞金とんでもないことになってるよね? 誰が捕まえても合法だってさ。20万ユーロ。……いっそ、あたしが捕まえちゃおうかな~? ヒヒッ、どう? 特級犯罪者になった気分は?」
「いいわけないでしょう……? 世界が崩れ落ちるような気分です」
その時、ベルが鳴り、誰かが入ってきた。 「エドワード君、いますか……?」という声が聞こえる。エリザベスが「いらっしゃいませ~」と出迎え、すぐに驚いた表情を見せた。
「あなたは……フロンツさん? どうしてここに……?」 「あ、あの……エドワード君が心配で……」
僕は驚いた。フロンツ、君がなぜここに……。 彼女の名前はフロンツ・アイナ・アインス。僕が学校で出会った女の子だ。皆が僕を敵に回す中、唯一味方でいてくれた子……。僕は彼女にまで被害が及ぶのが怖かった。 「フロン츠、僕とは関わらないほうがいい……。僕は高危険度犯罪者なんだ」
すると彼女は言った。「エドワード君……私たちは友達じゃない。困難な状況に陥ったら助け合うのが友達だよ、エドワード。だから……私はあなたを助けたいの。友達だから……」
その時、ノートパソコンを叩いていたシャルルさんが、チラリとこちらを見て軽く言った。 「お? お客様か?」
一瞬で状況を把握した彼は、首を傾げた。 「え? ただのあいつの友達か?」
彼は僕を一度、フロンツをもう一度見つめ、そしてほんの僅かな間、彼の視線がフロンツに留まった。 そして、何事もなかったかのように笑い始めた。
それからすぐに、彼は興味を失ったように手をひらひらと振って言った。
「おいシンデレラ、客じゃねえならさっさと追い出せ」 シンデレラは「でも……」と口ごもったが、シャルルさんは彼女の答えなど眼中にないようだった。 「うちは相談所か何かっつーの?」
そう吐き捨て、フロンツを追い出した。フロンツは出て行く間際、「エドワード君、6時にケルン大聖堂で待ってるね……。私たちが毎日会う、あの場所で……」と微笑んで去っていった。
シャルルさんは鼻で笑い、僕の方をちらりと見た。
「おい、マジで行くつもりか?」 「ギャハハ! お前、今指名手配中なんだぞ、ガキ」
彼は肩をすくめ、おどけるように付け加えた。
「行ってどうすんだよ? 市民様たちに『僕を捕まえてくださーい』って広告でもしに行くのか?」
口調は軽かったが、笑いの裏には妙に力がこもっていた。
「いいか。女にうつつを抜かしてると、人生とんでもねえ方向に転がるぞ。**『酒色雑技』**って言葉も知らねえのか?」
だが、僕はその言葉をあえて無視した。 「……僕の個人的な問題です」 短く答えると、そのままドアの方へ向かった。
後ろでシャルルさんが何か言いかけてやめる気配がし、舌打ちをして続けた。 「おい。世界ってのはな、他人に頼って生きるもんじゃねえ。お前自身、お前が自分を信じて、一人の力で生き抜くもんだ」
僕はそれを無視し、パーカーのフードで顔を隠したまま、フロンツに会いに行った。 ケルン大聖堂には、僕とフロンツだけが知っている秘密の場所がある。
それは地下のすぐそばだった。
正確にどうやって入り込んだのか、僕にもよく分からない。 ただ、運良く鍵を見つけ、それ以来、そこを僕たちだけの秘密の拠点として使ってきたんだ。
彼女は言った。 「エドワード君……来てくれたんだね」
むしろ、僕のほうが感謝したいくらいだった。最後まで僕を信じ、こうして庇ってくれるなんて。
「当然だよ」と、僕は答えた。
「君はあんな犯罪を犯すような子じゃない。まともな人間なら、無実の罪を着せられた人を助けるのは当たり前のことだから」 彼女はそう言いながら、僕の襟元を優しく整えてくれた。
僕はしばらくの間ためらったが、ついに正直な気持ちを口にした。
「フロンツ……正直に言うよ。僕、もう諦めたいんだ」
言葉が口から漏れた瞬間、胸の奥が崩れ落ちた。
「全部……何もかも」
手に力が入っては抜け、呼吸が少しずつ乱れていく。
「時々、そんなことまで考えちゃうんだ。自分が何をしたか覚えてないんじゃなくて……僕が自分で、自分の記憶を消したんじゃないかって」
その先の言葉は続かなかった。 喉が詰まり、視界が滲む。理由も分からないまま、涙がこぼれ落ちた。
「僕……本当に凶悪犯なのかもしれない」
口にした途단、自分が嫌でたまらなくなった。そんな自分が、大嫌いだ。
その瞬間、彼女は何も言わずに僕を抱きしめた。温かな体温が伝わり、固まっていた呼吸が少しだけ解けた。
「違うよ、エドワード君」
フロンツは静かに、だがはっきりとした声で言った。
「そんなに否定的に考えないで」
彼女は僕を離さないまま、言葉を紡ぎ続ける。
「君が自分自身を諦めた瞬間、その時こそが本当の終わりだよ。だから……君が、君を信じなきゃ。君が正しいってことを、自分自身で証明するんだ」
短い沈黙の後、彼女は微笑んだ。
「私も手伝うから」
僕は彼女から、家でも感じたことのない『安らぎ』という感情を受け取っていた。 彼女は僕を強く抱きしめたまま、静かに切り出した。
「ねえ……どうしてもあの事務所の社長に頼まなきゃダメかな? シンデレラさんがいても、あそこの社長は危険だし、信用できる人じゃない気がするの。嫌な予感がするわ……。君のお金だけ奪って、君を売るかもしれない」
「私と一緒に、逃げちゃダメかな……?」
「ねえ……? エドワード君……」
その言葉は、哀願に近かった。彼女は心から僕を心配している。それが伝わってくるからこそ、胸が痛んだ。 だが、僕は首を横に振った。
彼女は真剣に心配してくれている。けれど、僕にはもう、他に道がなかった。
「ごめん……方法がないんだ……。あの人の実力は本物だよ、フロンツ。だから、そのことは心配しないで……」
「分かったわ……結局、君の選択はそっちだったんだね。……君の選んだ道なら、私は応援するよ。エドワード君、ちょっと飲み物と食べ物を買ってくるね。君は今指名手配中だから、勝手に動いたら危ないよ」
彼女はそう微笑んで、外へ出て行った。 僕はしばし、自問自答した。……果たして、この選択で正しかったのだろうか。数多の選択と可能性が頭の中を駆け巡る。やっぱり、フロンツと一緒に逃げるべきじゃ……。
その時、無視して通り過ぎたシャルルさんの言葉が脳裏に蘇った。 『世界ってのはな、他人に頼って生きるもんじゃねえ。お前自身、お前が自分を信じて、一人の力で生き抜くもんだ』
数分後、彼女が戻ってきた。 「エドワード君、飲み物買ってきたよ」 彼女は微笑みながら言葉を続けた。 「急いで行ったからかな、ミネラルウォーターは売り切れで炭酸水しかなくて……ごめんね。この3週間、辛かったでしょ?」
僕は彼女に微笑み返した。 「ううん、フロンツ。炭酸水でも大丈夫だよ。むしろありがとう、食べ物まで持ってきてくれて……。少し生き返った気分だ」
彼女は言葉を繋いだ。 「ねえ、エドワード……急に言ってごめんなさい。紹介したい人がいるの」 「誰?」 「私のお兄ちゃん。名前はクローマー・アインス。今は小さな教会で神父をしてるんだけど……幸いにも、君を助けてくれるって言ってくれたの。エドワード、本当に良かったね! ……じゃあ、明日ここでまた会おう。私はもう行かなきゃ……ごめんね、エドワード君」
彼女は僕の耳元で囁き、姿を消した。
ケルン大聖堂の入り口に向かうと、そこにはシャルルさんが立っていた。彼はまるで全てを見通しているような目で、僕に言い放った。
「……で、色恋沙汰 いろこいざた は楽しかったか? 世間知らずの坊ちゃんよぉ!」
彼は僕の額に、めちゃくちゃ痛いデコピンを食らわせた。
「痛っ!! 何するんですか……!」
彼は呆れたように言葉を続けた。
あぁ? 痛えだ? こっちはなぁ、お前を探すのにどれだけ苦労したと思ってんだ! ケルンの街中を這いずり回ったんだぞ、この野郎! ……せっかく手がかりを掴んで教えてやろうと思って来てみりゃ、女とイチャついてやがって……。チッ、これだからお坊ちゃんは……」
彼は深いため息をつくと、吐き捨てるように衝撃的な事実を並べ始めた。
「いいか。てっきり殺人の現場をディープフェイクしたもんだと思ってたが、ありゃ『メナス』だ。犯人の能力は、コピーした相手の身体能力、メナス、姿形、その全てを写し取る『身体系メナス』だ」
彼はあくびをしながら淡々と告げた。 「つまり、あいつが自分の体で殺したんじゃねえ。お前の体を完全にコピーして殺したんだ。……何かに心当たりはねえか? 調べたところ、ドイツの奴じゃねえな。お前の周辺人物である確率は低いだろうよ」
「……」
「ついでに、お前の大事な『彼女様』がその犯人って可能性も捨てきれねえから、こっそり遺伝子検査もしといたぜ~」
彼はフロンツがいたあの短い時間に、すでにサンプルを採取していたようだった。
「結果、ハズレだ。あいつじゃねえよ」
僕は驚いて問い返した。「……一体、いつの間にサンプルなんて採取したんですか?」
彼は自信満々にニヤついた。 「実はよぉ、お前らがイチャついてる間、ドアの前で全部盗み聞きしてたんだよ! ギャハハ! いやぁ、見てるこっちが恥ずかしくなるような展開だったぜ、全く……。ゴホンッ、まあそんなわけでお前のサンプルと、あいつのサンプルも手に入ったってわけだ」
「じゃあ、その犯人のサンプルはどうやって手に入れたんですか?」 「あぁ、それか? 俺の知り合いにそういう専門家がいてな。そいつに頼んだんだよ」
僕は安堵のため息を漏らした。「……じゃあ、彼女 は犯人じゃないんですね」
「まあ、今はな^^」
僕は彼の言葉に集中せざるを得なかった。彼は驚くほど仕事が早い。僕はさらに問いかけた。 「……あなたは、どうして僕を助けてくれるんですか? 僕を助ければ、あなたまで危険な目に遭うはずなのに」
僕の言葉を聞くと、彼は心底呆れたような表情で答えた。
「おいおい、何を当たり前のこと聞いてやがる……」
彼は手で金のマークを作りながら、「当たり前だろ、これ以外に理由があんのか? お前の親父さんは、息子の濡れ衣を晴らした俺に、あ~~~っつい報奨金をくれるはずだからな。お前を守ってんのは全部これ(金)のためだ、この野郎。お前に金がなけりゃ、今頃サツに突き出してたっつーの。金持ちの親父さんに感謝しな」と言い放った。
僕は呆れ果てて、「……たかが、お金のために……?」と呟いた。 すると彼は言葉を続けた。 「あぁ? たかがだと? この世で金ほど、あぁ? 『疑念』を綺麗さっぱり消してくれる特効薬がどこにあるってんだよ。……さっさと事務所に戻れ! ……あ、そうだ。今日はチャンピオンズリーグ、バイエルン・ミュンヘン対マンチェスター・シティの16強戦じゃねえか……! クソほど苦労して予約したんだ、見逃せるかよ。おい坊ちゃん、俺はチャンピを見に行ってくる。どっか行かずに大人しくしてろよ!」
そう言って、彼はサッカー観戦に消えていった……。 一体何なんだ、あの人は。そう思いつつも、他に宛てのない僕は事務所に戻るしかなかった。事務所に入ると、シンデレラが迎えてくれた。
その時だった……!!
警官の制服を着た男たちが天井を突き破り、事務所を急襲した。 シンデレラと白雪は、警官たちよりも先に、壊れていく家具や壁のほうが気になっているようだった。
「エドワード君……みんな心配してたんだよ……」 彼女の気遣いに、僕は「あぁ、フロンツに会いに行ってたんだ。少しの間だけ」と答えた。 「そっか、フロンツさんに会いに行ってたんだね……。一言言ってくれればよかったのに」 「ごめん、急いでたから言いそびれちゃったんだと思う」 「でも、戻ってきてくれてよかった。本当に……」
その時、白雪が騒がしく近づいてきた。 「な~んだ、捕まってないじゃん。よかったね~、ホントに」 彼女は心配しているのか嘲笑っているのか分からない口調で続けた。 「君、その間にまたやらかしたでしょ! 懸賞金、また上がったよ。70万ユーロ!! これ、上がるスピードが『ワンピ○』の麦わらじゃん。いっそ海賊王を目指してグランドラインにでも行けば? ギャハハ!」
「……え? どういうこと……?」 「これ見てよ」 彼女がAから始まる有名な放送局のチャンネルをつけると、ニュースでは驚いたことに、また僕が殺人を犯している映像が流れていた。それどころか、フランス大使館に放火している映像まで……。
僕は凍りつくしかなかった。一体……誰が……!
「まあ……ここまで事が大きくなっても、先輩なら何とかしてくれるだろうけど、これ、近いうちにうちの事務所も捜査対象だね~」 白雪は苦笑いを浮かべた。 シンデレラは「ちょっと、白雪……。シンクレア君は今、すごく辛い状況なんだから、そんな風にからかっちゃダメ……」と僕を庇ってくれた。 情けなくて、涙が出そうだった。
それでも白雪は僕をからかい続けた。 「あ~あ。いっそあたしが捕まえて警察に突き出しちゃおうかな~? クフフ……」 彼女は、どこか不気味な笑みを浮かべていた。
その時だった……!!
警官の制服を着た男たちが天井を突き破り、事務所を急襲した。 シンデレラと白雪は、警官たちよりも先に、壊れていく家具や壁のほうが気になっているようだった。
「だめ……あれは社長が大事にしてたコーヒーマシンなのに……。あ、あれは奮発して買った職人仕立てのイタリア製ソファが……! だめ、だめよ……あれは社長が一番大切にしてた……あああ……っ!」 シンデレラは壊れた家具に触れては絶望し、うなだれていた。
一方、白雪はこの状況が滑稽だとばかりに、 「ねえねえ、警察のお兄さんたち~。そんなことしたら、うちの社長がマジで怒っちゃうよ~?」 と、逆に警官たちを挑発していた。
そんな白雪の言葉を無価値だと切り捨て、この作戦の指揮官と思われる男が口を開いた。 「私の名はヨハン・ブリッヒ……。UNメナス特別管理部・ドイツ支部、メナス対テロ直属部隊の総括部隊長として、エドワード・シンクレア、貴殿を逮捕する」
すると白雪は「おえぇ……。典型的な若年性老害(わかてろうがい)~……吐き気する。私、あんなのが上司だったら自殺しちゃうかも……」と毒を吐いた。
「貴様、エドワード・シンクレアを保護するつもりか?」 「まあ~、一応うちのお客様だからね~。あんたたちに勝手に連れて行かれると困るわけよ」 「公務執行妨害だと分かっての狼藉か?」 「知ったこっちゃないね」
白雪は嘲笑いながら続けた。 「メナス特別管理部のあんたなら分かってるでしょ? 私ら傭兵が、まともに法を守ったことなんてあったっけ?」
「確かに貴様ら傭兵は……公認職種でありながら我ら管理部を妨害……」
その瞬間、白雪が元素系メナスと思われる氷を生成し、警官全員を氷漬けにした。
「エドワード、早く逃げて! ここは私とシンデレラが何とかするから!」 白雪が叫んだが、シンデレラは「なんで私まであんたの無茶に巻き込まれなきゃいけないのよ……」と言わんばかりの泣きそうな顔をしていた。
凍りついていたヨハン部長は氷を砕きながら、「貴様……何をする……!」と睨みつけた。
「大切なお客様を守っただけだよ~ん」 彼女はひらひらと手を挙げ、降参のポーズを取った。 「別に、あんたたちに危害を加える意図はありませ~ん。……何してんの、エドワード! 私がこうやって時間を稼いだら、逃げるのが漫画の『お決まり(ベタ)』でしょ? 早く逃げて! あそこの隠し通路から逃げなさい。早く!!!」
彼女の言葉に、僕は走るしかなかった。
「……やっと行ったね。ふぅ~、任務完了!」 白雪は、まるで大仕事をやり遂げたような顔で笑っていた。
「……連行しろ」
シンデレラは泣きそうな顔で、「ちょっと……白雪、これからどうするのよぉ……うわぁん!」と泣きじゃくっていた。そんな状況下で、ヨハンは冷徹に命じた。 「エラ、テオドール。貴様らはエドワード・シンクレアを追跡し、生け捕りにしろ。私はこの公務執行妨害工作員どもを制圧する」
その言葉に応じ、背後にいた二人が姿を現した。 「了解しました、部長」 彼らはエドワードを捕らえるべく、夜の街へと消えた。
呼吸が喉の奥で焼けるほど、必死に路地裏を走った。だが……。
「ねえ、逃げ回るのって楽しい? 私、君みたいな人が理解できないんだよね。すぐ捕まっちゃうのに、どうしてそんなに無駄な足掻きをするの?」
不意に現れた謎の女――エラが、僕を地面に叩き伏せた。
「ぐわっ……! 僕は、僕は濡れ衣を着せられてるんだ……! 真犯人は別にいるんだ……っ!」 押さえつけられたまま、僕は必死に叫んだ。
すると女は、「うーん……この子、濡れ衣だって言ってるよ。どうする、テオドール?」と、路地の奥から歩いてくる男に問いかけた。
「惑わされるな、エラ。この手の輩が吐く言葉は全て嘘か言い訳だ。そう言えば誰もが自分の稚拙な細工に引っかかるとでも思っているのだろうが、我らメナス特別管理部を欺こうなど、相当に増長しているな。……この女ならいざ知らず、私、テオドール・シュマッヘルは騙せんぞ、エドワード・シンクレア」
「違うんだ!!! 犯人は別にいる! 他人の身体を写し取る『身体系メナス』なんだ!!!」
しかし、その叫びが終わるよりも早く、男の口から深い嫌悪の混じった声が響いた。 「黙れ、犯罪者め」
言葉が落ちると同時に、男は腰の長剣を抜き放ち、僕の両手を刺し貫いた。
「ああああああっ!!!!!」
あまりの激痛にのたうち回ろうとしたが、エラに押さえつけられ、指先一つ動かせない。
「私は貴様のような男を数え切れないほど逮捕し、殺してきた。そのどれもが『自分は潔白だ』『濡れ衣を着せられた』と抜かしていたが、結局のところ、全ては奴らが引き起こした結末だった。貴様も同じだ。自分で犯した記憶を消し、他人のせいにしているに過ぎん。貴様の醜い本性は、管理部の取調室ですべて暴いてやる」
テオドールは剣を引き抜き、冷たく命じた。 「エラ、こいつを縛れ。それから『メナス封印具』を装着しろ。こいつの能力は特殊系、それも精神操作(サイコ)系だ。貴様は危うく、こいつの術中に嵌まるところだったぞ」
「……マジで?」エラは、今度こそ本当に困惑したような表情を浮かべた。
だが、それは問題ではなかった。テオドールは冷酷に告げる。 「貴様なら、この封印具を嵌めたところで、そのメナスで何らかの細工を仕掛けてくるだろう……。今ここで二度と口が利けぬよう、舌を切り落としてやる。エラ、押さえていろ」
「テオドール、君はいつも犯罪者に対して厳しすぎるよ……」 エラがたじろぎながら呟くと、彼は一喝した。 「何……? 厳しいだと? この手の輩が民間人や社会に働いた悪行を考えれば、私のしていることなど氷山の一角に過ぎん。社会と善良な市民に危害を加える貴様らのような存在は、一人残らず消え去るべきなのだ。エドワード・シンクレア」
そう言い放ち、彼は長剣の切っ先を僕の口内へと向けた。 刃が迫り、絶望が喉を焼いたその刹那――。
「エドワード! こっちよ!!」
白い粉末が視界を遮った。フロンツが消火器を撒き散らしながら乱入したのだ! 彼女は震える手で僕の腕を掴み、叫んだ。 「エドワード!! 早く!! 目眩ましをしたから、今なら逃げられるわ! 私についてきて!!」
消火剤に視界を奪われ、エラが動揺している隙を突いて、僕は逃げ出した。 彼女の手を握り、必死に走り続ける。
「君に会うために、もう一度あの事務所に行ったの。でも、シンデレラさんもあのショートヘアの女の子も見えなくて、捜査中の標識と警察官たちがいた……。これは危ないと思って探していたら、路地裏から悲鳴が聞こえたから……。良かった……本当に。本当は、もっと早く来るべきだったのに……」
「ううん、フロンツのおかげで助かった。君がいなかったら、僕は舌を切られたまま処刑されてたよ……」
「もう少し行けば、お兄ちゃんのいる教会よ。我慢して……お兄ちゃんは補助系メナスの使い手だから、きっと治療できるわ」 彼女に肩を貸されながら、僕たちは聖堂へと辿り着いた。
聖堂の重厚な扉が開くと、鼻を突く火薬の匂いと血生臭さの間から、静謐な香(こう)の匂いが押し寄せてきた。祭壇の前、純白の司祭服を纏った男が、月光を背に祈りを捧げていた。
「フロンツ。道に迷った子羊とは、その子のことですか?」
神父の声は澄んでおり、平穏そのものだった。しかし、その平穏さがかえって僕には、異質な恐怖として迫ってきた。フロンツは僕を支えながら、切実に叫んだ。
「はい、お兄様……。この子が、例の子です。でも、今の状態がとても良くないの。警察に問い詰められた拍子に、両手をひどく怪我してしまったみたいで……」
すると神父――クローマー・アインスは、ゆっくりと身体を翻して僕たちを見つめた。彼の視線が、無残に貫かれた僕の両手で留まる。
「これは……。ですが、案ずることはありません、子羊よ」
彼の言葉と同時に、その手から神聖な光が溢れ出し、僕を包み込んだ。 「あなたの全ての苦痛は、私が肩代わりいたしましょう……」
その言葉を最後に、驚くべきことに僕の手は跡形もなく治癒していた。 「……ありがとう、ございます……」
彼は言葉を継いだ。 「道に迷った子羊よ。あなたは必ずや希望の道を見出し、再び光を放つことができるでしょう。ですから、どうか絶望してはなりません。フロンツ、彼を寝室へ案内し、休息を助けてあげなさい。私はしばし、彼を救うための策を練ることにいたします」
その言葉に、フロンツは「分かったわ、お兄様。エドワード、私が支えてあげる」と言って僕の腕を取り、寝室へと連れて行ってくれた。寝室は息が詰まるほど清潔で静かだった。まるで『棺』の中に入ったような妙な圧박感があったが、凄惨な追跡と苦痛から逃れた安堵感がその恐怖を覆い隠してくれた。フロンツは僕の隣に横たわり、僕を強く抱きしめた。「エドワード……私は最後まで君を信じるよ。たとえ世界中の誰もが君を敵に回しても……」「フロンツ……ありがとう、本当にありがとう……」僕はそう言って涙を流した。すると彼女は「泣かないで……エドワード、君にはこの状況を克服できる力があるんだから。もう大丈夫よ、私たちを信じて」と、僕の涙を拭い、優しくなだめてくれた。
だがその時、ドンッ! と聖堂の扉が荒々しく打ち破られ、テオドールとエラが踏み込んできた。「そこにいるのか! エドワード・シンクレア!! 我らの目を欺くために聖堂にまで逃げ込んだというのか!? 貴様という人間は……人間と呼ぶことさえおぞましいほどに卑劣だな……」テオドールの叫びに、エラは「ねえテオドール、……来たのはいいけど、ここ聖堂だよ? 神聖な場所じゃない。それに、なんで扉を壊すのよ……これ、また弁償しなきゃいけないんだから。こんな場所で不敬な真似をしたら、私たち報いを受けるよ……」と宥めたが、彼は一蹴した。「貴様は、存在もしない神が目の前の社会や市民よりも優先だというのか? あそこには凶悪犯がいる。逮捕するのが我らの仕事であり宿命だ!!!」僕はその声を聞いた。「フロンツ、これ以上君や君のお兄さんを困らせるわけにはいかない。もう、ここで捕まるよ!」と自首しようとしたが、彼女は僕をさらに強く抱きしめ、「行かなくていい。お兄ちゃんが何とかしてくれるから……」と僕を阻んだ。その手を振り払うことはできなかった。彼女の手つきには形容しがたい不気味さが満ちていたが、その奥にある優しさと安堵感が、今の僕を酷く穏やかにさせていたから。
その時、聖堂の影の中からクローマー神父がゆっくりと姿を現した。「子羊たちよ……。恐縮ですが、今日は聖堂の運営をしておりませんので、お引き取りください」だがテオドールは彼の言葉など眼中にないというように剣の柄を握りしめ、唸った。「貴様がここを預かる神父か。おい、エドワード・シンクレアを隠さずに今すぐ出せ! 貴様らが犯した公務執行妨害と犯人蔵匿罪は目をつぶってやる、今すぐ奴を引き渡せ。貴様らが庇っているその男は、稀代の絶対悪でありテロリストなのだぞ!!!」彼は怒りに満ちた言葉を投げつけたが、クローマー神父はまるで怒れる子供を相手にするかのように慈悲深く答えた。「罪を不当に背負わされた、哀れな者なのです……。私は私が信じる神に救われたゆえ、私もその子羊を救いたいのです……」一方、聖堂の中央ではテオドールの忍耐が限界に達していた。「……救済だと? 貴様らの言うその偽善に満ちた神が、犯罪者野郎を救ってくれるとでもいうのか?」クローマー神父はテオドールの嘲笑にも、ただ静かに微笑んだ。「子羊たちよ、あなた方は勘違いをしていますね。私が仕えるお方は、あなた方が思い違いをしているような軟弱なお方ではありません」そう言うと彼は、「聖堂を汚す愚かな子羊たちには、しばし罰を与えねばなりませんね……」と呟き、不気味な笑みを浮かべた。
テオドールは叫んだ。「これだから私は神など信じないのだ!! 神を信じる奴らはこうして救いだの何だのと寝言を並べ立て、いざ目の前の正義を……!」テオドールの言葉が終わるよりも早かった。クローマー神父の手がテオドールの喉元を強く掴んだ。それはまるで光さえ追い越したかのような、人間の目では到底追いきれない速度だった。「テオドール……だめ、だめよ……いくら神父様でも許さない……」無表情だったエラの顔が初めて歪んだ。彼女がテオドールを助けるために飛び込んだが、クローマーは目もくれずにエラの腹部を容赦なく蹴り飛ばした。「カハッ!!」彼女は悲鳴と共に床に沈んだ。「案ずることはありません、子羊よ……。愚かなあなたのせいで、この我が神の聖堂を壊すわけにはいきませんので、手加減はしておきました」喉を掴まれたテオドールは憤怒の形相で長剣を引き抜いた。この拘束から逃れるための最後の足掻きだった。
だがクローマーは嘲笑うかのように、空いていた左手でテオドールの目の前にある長剣の刃を掴んだ。ガチッ、バキバキッ――! 特別管理部の精鋭だけが授かる特殊鋼の長剣が、クローマーの手の中で乾いた枝のように脆く砕け散った。「一体、貴様……本当に神父なのか!? 一体何なんだ、この強さは……!」テオドールが驚愕の混じった呻きを漏らしたが、クローマーは奇妙な細目で笑い、彼の首をさらに強く締め上げるだけだった。「聖堂に無断で侵入し、我が神の所有物である聖門を壊したあなたに教えることはありません」そう言ってテオドールの息を次第に止めていった。テオドールの顔面が紫に変色していく。静寂の中に、骨がきしむ不気味な音だけが響き渡った。クローマーは死にゆくテオドールの顔を鑑賞するように見つめた後、ふっと力を抜いた。テオドールが床に叩きつけられて荒い息を吐き出すと、クローマーはふらつきながら立ち上がったエラに向かって冷淡に付け加えた。「……あなたたちは非常に煩わしい存在でした。ですが、いつか我が神が降臨なさる際、重要な産物となるでしょう。命だけは助けてあげます」クローマーは抵抗する気力さえ失った二人を獣のように引きずり、祭壇の裏にある地下監獄へと放り込んだ。
一方、寝室にいたフロンツは、僕を強く抱きしめたまま言った。「もう静かになったみたいだね、エドワード。見て、お兄ちゃん凄いでしょ?」だがその瞬間、正体不明の悲鳴を聞いた僕は、これ以上ここにいてはいけないという猛烈な不安に襲われた。「……フロンツ、ごめん。やっぱりシャルルさんに会いに行かなきゃ……本当にごめん……」そう告げた途端、彼女の表情から生気が失われ、闇に染まった。「……何だって? 一緒にいるって言ったじゃない……あいつのところに戻るっていうの? だめよ……君は私と、永遠に一緒にいなきゃ……」その言葉と共に、彼女は僕をナイフで刺した。「フロンツ……?」彼女は「君は私のものよ、エドワード……」という薄気味悪い言葉を残し、僕の意識は遠のいていった。
同じ頃、『何でも承ります』事務所の前。「えい、クソ……! 今度はバイエルン・ミュンヘンが勝ち上がると思ったのに! ああ、あの金に物言わせる野郎ども! オーナーが石油王なら何してもいいってのかよ! ――ん、何だこれ」愛するチームの8強脱落に絶望した男、シャルルが憤慨しながら事務所に戻ってきた。だが、目の前の光景は悲惨だった。家宅捜索の赤紙が貼られ、粉々に砕け散った扉。消えた職員たちと、お坊ちゃん。「……はぁ? 何だこれ」シャルルの目が細まった。サングラスの奥の瞳が、チームの敗北以上の深い怒りに燃え始めた。
僕はようやく目を覚ました。気がつくと僕は縛り上げられ、ある儀式場にいた。フロンツが狂気に満ちた目で僕を抱きしめ、「君は私から逃げられないわ……」と呟いている。状況が把握できない僕の前に、クローマー神父が入ってきた。「お目覚めですね、子羊よ……。では、儀式を執り行いましょう。『Raub es dir(強奪せよ)』」彼の一言と共に、僕は悲鳴を上げた。全てを奪い取られるような感覚が全身を駆け巡る。「一体……なぜこんなことを……一体、なぜ……」僕が震えながら問うと、フロンツは僕の頬を撫で、口づけをしながら、世界で最も優しい声で残酷な真実を吐き出した。「エドワード……ごめんね、君の濡れ衣は私が着せたの。学校で初めて会って握手した時、すでに私は君の肉体をコピーしていたわ。君の体で悪行を尽くすのは心が痛んだけど、苦悩する君の顔を見たら、そうやって壊れていく君が可愛くて……私だけを頼るようにしたくて、止められなかったの……」
絶望に打ちひしがれる僕に、クローマーが告げた。「子羊よ、あなたのメナスは、我が神の再臨の際、大いに活用させていただきます。あなたのメナスは特殊系、それも全ての心理系能力を扱えるシンクレア家の秘伝メナス『繋がる世界(コネクティング・ワールド)』。あなたは真に祝福された者です。ですが、必要なのはメナスであって、あなたではありません。ですから――」フロンツが突然、僕の胸を切り裂いた。血が流れ、僕の下にある魔法陣が輝き始める。「あなたは素晴らしい栄養分となるでしょう……」不気味な笑みを浮かべた瞬間だった。「ほら見ろ!!! 言っただろ、シンクレアの小僧!! 女に捕まったら人生おしまいだってな!!!」その一言と共に、パリン――ッ! 聞き覚えのあるシルエットの男が、アクリルガラスを突き破って空中から華麗に登場した。彼はクローマーの額を銃で撃ち抜き、僕を抱きしめていたフロンツを蹴り飛ばした。
そう、事務所の社長、シャルル・ウンコ……何だったか、とにかくシャルルさんだった。「おい、どうよ? 今の俺、デビルメイクライのダンテっぽくなかったか? ギャハハ!」と聞く彼に、僕は「こんな状況で冗談を言ってる場合ですか……」と返した。すると倒れたはずのクローマーが、驚くべきことに蘇り、「貴様は……世界で唯一のS級傭兵、紅い悪魔……デミアン・デモニクス……? なぜ、あなたがここに……」「え……、あなた、僕にはシャルル・ウンコ何とかって……」「黙れ小僧! 今はそんなことどうでもいいだろ!」神父の問いに、彼は舌打ちした。「ちっ……。田舎の似非神父の分際で耳ざといな。お前らが俺のホ……いや、お客様を勝手に攫ったんだろうが! おまけに、お前らのせいでサツが来て、俺の事務所はメチャクチャ、家宅捜索まで食らったんだぞ! ああ!!!」デミアンは神父を無視して僕に怒鳴った。「おい、この野郎……! お前の依頼を受けたせいで事務所は壊れ、俺の奴隷たちはパクられたんだぞ! お前の親父にたっぷり請求してやるからな、覚悟しとけ……」一方的な無視に、神父は「やはりあなたは不敬ですね」と、僕のメナスを模した電撃で攻撃したが、彼は「あー、マジでとろくせえな」と首を軽く傾けて避けた。「おい似非神父、少しお仕置きしてやるよ」と言い切る前にクローマーが奇襲を仕掛けたが、彼は余裕の笑みで「そんなんで俺に当たると思ってんのか? そもそも、あんな女に騙された情けねえガキのメナスじゃねえか」と弄んだ。「おい、たったそれだけか?」と挑発していた彼は、何かを思い出したように、「……ちょっと待て、今、ユーロビジョン2026の放送時間か!? 初回放送じゃねえか!! 見なきゃいけねえんだよ!!!」僕は呆れ果てた。この状況で……? 神父も呆れたのか「あなたは傲慢が空を突き抜けていますね」と再び攻撃を仕掛けたが、男は重力を操るかのように空中で回避した。「おい、お前、案外強いな。普通のS級ヒーローなら詰んでたぜ。だが……俺はデミアン・デモニクスだ。その辺の雑魚とは格が違う。悪いが、遊びは終わりだ。1年ぶりのユーロビジョン初回放送を絶対に見なきゃいけねえんだよ……!!!」彼は左手の小指を立て、「ちょっと痛いぞ」と言って、クローマーの額を弾いた。
その瞬間、単に空間が歪むレベルではなかった。僕の目には、一瞬のうちに数千、数万の『別の可能性の聖堂』が重なって見えた。クローマーが勝利した世界、聖堂が存在しない世界、さらには僕が死ぬ世界まで――。あらゆる並行宇宙の因果律がデミアンの指先で衝突し、やがて『クローマーが敗北した世界』だけが現実として固定され、聖堂地下のあらゆる次元の壁がガラス細工のように粉々に砕け散った。彼は倒れた神父を見下ろし、「ほら見ろ、シンクレアの小僧。世界にはまだ、洗濯しても落ちねえレベルのゴミが溢れてんだ。……俺と一緒に、こういうゴミ掃除をしてみねえか?」と僕に提案した。
マジック・ザ・リバース:逆転した因果律 @BBVDID
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