40代女性・営業職



 イマジナリーフレンドというものをご存じでしょうか。

 実在しない、想像上の友達のことです。


 私には、昔からイマジナリーフレンドが2人いました。同い年くらいの男の子と女の子です。

 女の子は、よく聞くトイレの花子さんに似た見た目でした。男の子は、白いTシャツを着ていたような気がします。どちらも前髪が長くて、目元は隠れていて、口からしか表情が読み取れませんでした。


 いつから一緒だったのかは、よく覚えていません。物心ついた頃にはもういて、小学校の低学年くらいまではいつも一緒でした。私がひとりでいると、ふと視界の端から現れて、誰かが近づいてくるといつの間にかいなくなっているのです。

 気づけば、どれだけひとりでいてもあの2人は来なくなっていて、なんとなくもう会えないんだなと感じました。別れの挨拶もできなかったので少し寂しい気持ちはありましたが、仕方がないと諦めていました。


 小学校6年生の頃のことです。たしか、運動会の練習が始まったくらいの時期でした。

 放課後の掃除当番がありましたよね。私は、体育館の裏手にある水道まわりの担当でした。

 横に長くて、蛇口が3つか4つ並んでいる、あのタイプの水道です。班の担当は体育館でしたが、水道掃除はひとりで十分だったので、私ひとりでやることになりました。


 少し暑い日でした。水を流しながら、たわしで排水溝のあたりをがしゃがしゃと擦っていました。特に汚れが落ちている実感もなく、早く終わらないかなと思いながら、惰性で手を動かしていたそのときです。

 突然、猛烈な吐き気が襲ってきました。のどの違和感が抑えられず、水道の縁に縋りつきました。

 周囲には誰もいません。助けを呼ぶこともできず、必死にえずいて、何かを吐こうとしていました。


 すると、口から白い何かが大量に出てきたのです。綿のようで、でも湿っていて、泡のようでもあって……何か、違うんです。吐き出すたびに、体の奥からぼこぼこと湧き出すようにあふれてきて、どれだけ吐いても止まりませんでした。

 流しっぱなしの水に、白いそれは抵抗なく流されていきます。

 排水溝に瞬く間につまり、一部がすきまから泡立つようにはみ出していました。

 ようやく吐き気が収まりましたが、身体から何かがごっそり抜けたような感覚があり、ひどい疲労感を覚えました。


 ああ、やっと…と思って視線を上げると、右隣に男の子がいました。とはいえ、まだ少し気持ち悪さが残っていたせいで、その胸元が見えるくらいまでしか頭を上げられませんでした。いつからいたのか、まったく気づかなかったので驚きましたよ。


 そして、左にも女の子がいることに気づきました。彼女は、私と同じようにたわしを持っていました。ジャージを着ていて、上履きも同学年の色だったので、掃除を手伝いに来てくれたのかもしれないと思いました。

 顔までしっかり見ることはできませんでしたが、なんとか話しかけようとしたとき、女の子の方が突然、訳の分からないことを言い始めました。


 私に向かって、魔女がいると言ったのです。責めるような、苛烈な口調でした。

 疲労で回らない頭が、さらに混乱していくのを感じました。

 わずかに視線を上げると、怒りにゆがんだ口元が見えました。その口元から、魔女がいるという叫び声が、何度も繰り返し発されています。

 意味を聞こうとしましたが、吐き気がぶり返したような気がして、また水道に頭を突っ込みました。足元で、彼女の履いた上履きが私の方に近づいてくるのが見えました。


 とっさに、白いものが詰まった排水溝を手で覆いました。彼女が魔女と呼んでいたのは、あの白い何かのことだったのではないかと思ったからです。

 なぜかは分かりませんが、その時の私は、彼女の行動を止めなければならないという使命感のようなものに突き動かされていました。それは、白いものを見たときに感じた、生まれたての何かを見たような気持ちに起因していたのかもしれません。


 彼女は、私が白いものを隠したのを見て、驚くほど怒り狂いました。白いものへの敵意が、私にも向いたようでした。

 どうして、と叫びながら、力いっぱい私の手をひっかいて、どかそうとしてきます。異常なまでの必死さと執着に、身体がこわばっていくのが分かりました。


 それでも懸命に踏ん張っていると、それまで黙っていた男の子が動きました。 焦ったように女の子を突き飛ばし、私の手の上に片手を重ねました。


 女の子は尻もちをついて、こちらを睨みつけました。 その後、何も言わずにどこかへ行ってしまいました。


 男の子は私の方に向き直って、ここの掃除は僕がやるから、保健室に行くといいよと言ってくれました。

 吐き気で頭がくらくらしていた私は、ありがとうとお辞儀をして、ふらつく足で保健室に向かいました。 手はみみずばれで赤くなっていましたが、血は出ていませんでした。


 保健室に着く頃には、だいぶ調子も良くなっていました。

 それでも一応大事をとって、気持ち悪くなった旨を伝えて、休ませてもらうことにしました。

 先生は手を見て心配してくれましたが、うっかり怪我をしてしまった、となんとなく誤魔化してしまいました。同年代の友達にあんなに攻撃的な態度をとられたのは初めてのことだったので、結構ショックを受けていたのかもしれませんね。

 消毒と簡単な手当てをしてもらいましたが、白いものを詰まらせたことと、その始末を誰かも分からない同級生に任せた罪悪感から、そわそわしていました。


 しばらく水を飲みながら休み頭がすっきりしてくると、だんだん、あの2人は私のイマジナリーフレンドだったのではないかと疑い始めました。

 成長していて記憶とまったく同じ姿ではありませんでしたが、逆に言えば、成長すればあんな見た目になっていたかもしれません。

 それに、上履きの色は、どちらも私と同じ学年のものでした。大した人数のいない同級生の顔を知らないとは思えません。


 もし本当にそうだとすると、困ったことがあります。私が後始末を頼んだ彼は、実在しない人物だった可能性があるのです。つまり、排水溝に白い何かが詰まったまま、放置してきてしまったということになります。


 掃除が終わる時間になれば、ぞうきんを絞りに来る生徒がいるかもしれません。

 迷惑がかかると思って焦った私は、保健室の先生にそのことを伝えました。支離滅裂な話だったと思います。

 それでも先生は、途中で遮ることなく最後まで聞いてくれました。最終的には、眉をひそめて、何が何だか分からないというような顔をしながらも、私の気迫に押されたのか、半信半疑で水道を見に行ってくださいました。

 でも結局、排水溝には何も詰まっていなかったそうです。


 それを聞いて、私はふとポケットに手を入れました。指先に、湿った綿のような感触が残っていました。

 どうしてそんなものが入っていたのかは、よく分かりません。

 けれどあのとき、排水溝を覆った手の下から、ほんの少しだけ何かがこぼれ落ちたような気がしていたのです。無意識のうちにそれを拾っていたのかもしれません。


 あの男の子が、本当に掃除をしてくれたのでしょうか。それとも、私には何も起きていなくて、記憶が都合よく捻じ曲がっただけだったのでしょうか。あるいは、白昼夢のようなものを見ていたのかもしれません。

 女の子が「魔女」と呼んだ、あの白い何かは一体何だったのでしょう。 私が吐いた、あれは。 考えても、分からないことばかりです。

 それでも、ポケットの中のそれは、あの出来事が本当に起こったことであると私に自信を持たせました。



 あれからずっと、あの白い何かは私の部屋の引き出しの奥にしまってありました。 捨てることもできず、触れることもできず、ただそこにあるんです。どうしても手放せなくて、そんなことをしてはいけないという気持ちになってしまって。

 ただ、最近思い出して久しぶりに見てみたんです。あの頃と同じ状態だと思ったら、なんだか少し大きくなっている気がしました。それに、なんだか干からびている気もして。

 だから、小さめの水槽を買って、その中に入れてみてるんです。今は水に浸す感じで置いてあります。



 その白い何かを見るたびに思うのです。 あの2人は、本当に私のイマジナリーフレンドだったのでしょうか。私の想像なんかじゃなくて、もっと別の……実在した何かだったんじゃないかって。私とはまったく関係のない、別の存在だったのではないかと。


 でも、やっぱり友達だったから、どうしても忘れられないんです。あの出来事は、確かに恐ろしいものでした。けれど、結局、彼らとちゃんと話すこともできずに終わってしまいました。私にとってはそちらの方がよっぽど心残りで…。


 彼女にも、何か理由があったのだと思います。少なくとも私と遊んでくれたあの子は、理由もなくいじわるをするような子ではありませんでした。

 だから、また会えたらいいなと思うんです。そうすれば、今度こそもっと、ちゃんとした別れ方ができるんじゃないかって。


 あの白い何かに変化があったら、また電話するかもしれません。では、ありがとうございました。

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