押し入れにダンジョンが現れた!

唯々助

プロローグ

ヒロシはその日も、特に何も成し遂げることなく一日を終えようとしていた。


 午後四時。


 コンビニのアルバイトから帰宅し、ワンルームのアパートの玄関で靴を脱ぐ。部屋は六畳一間。ベッドとローテーブルと、テレビ。壁際に押し入れが一つあるだけの、どこにでもある部屋だ。


「……はあ」


 誰に聞かせるでもなく、息を吐いた。

 二十三歳。フリーター。

 夢は特にない。やりたいことも、なりたいものも、もう分からない。学生時代に思い描いていた将来像は、どれも現実の前で曖昧に溶けて消えた。

 生きている。

 ただ、それだけだった。

 腹が減っていたが、何を食べたいかも思いつかない。とりあえずジャージに着替えようと、ヒロシは押し入れの前に立った。

 引き戸に手をかける。

 その瞬間、違和感が走った。


「……?」


 押し入れのはずだ。

 布団と段ボールが詰め込まれているだけの、見慣れた収納スペースのはず。

 だが、指先に伝わる感触が違った。

 冷たい。

 木ではない。

 嫌な予感を覚えながら、ゆっくりと戸を引く。

 そこには――

 石だった。

 四角く積み上げられた、灰色の石。

 その奥へと、地下へ向かって続く階段。

 押し入れの奥行きは、せいぜい一メートルのはずなのに、視線の先には闇が広がっている。


「……は?」


 思考が止まった。

 冗談だろ。

 夢か? 疲れてるのか?

 ヒロシは一度、そっと戸を閉めた。

 そして、もう一度開ける。

 石の階段は、消えていなかった。


「…………」


 五秒。

 十秒。

 ヒロシは階段を見つめたまま、動かなかった。

 頭のどこかで、これは“触れてはいけない何か”だと理解していた。

 だが同時に、どうしようもなく思ってしまった。

 ――現実より、マシかもしれない。

 スマホを取り出し、電波を確認する。問題なし。

 靴を履き直し、財布と鍵をポケットに入れる。


「……ちょっと、見るだけだからな」


 誰に言い訳するでもなく、呟いた。

 階段は、ひんやりと冷えていた。

 一歩、また一歩と降りるたび、部屋の生活音が遠ざかっていく。

 数十段ほど降りた先で、階段は広い空間へと繋がっていた。

 天井の高い石造りの広間。

 壁には淡く光る魔法陣のようなものが刻まれている。

 そして、広間の中央。

 小さな机の上に、

 一匹の猫が座っていた。

 黒い体毛。

 やけに似合っているシルクハット。


猫はヒロシを見ると、にやりと口角を上げた。


「やあ、久しぶりだね」


「いや、初対面なんだけど」


 反射的にツッコミが出た。

 猫は気にせず、帽子に手を添える。


「ボクはモルディオ。ここで挑戦者を待つ案内人だ」


「挑戦者?」


「君のことさ」


 と、ここまでして言葉交わして気付く。


 え、なんで?猫が喋ってる。

 ヒロシは、その場に立ち尽くしたまま、ぽつりと言った。


「……あ、あの」


 猫は帽子のつばを指で押さえる仕草をして、楽しそうに言う。


「驚いたかい?」


 猫はひょいと机から飛び降り、二足歩行で歩き出した。


「ようこそ――ダンジョンへ、挑戦者くん」


 ヒロシの人生は、

 その一言で、日常から完全に切り離された。


ヒロシは、自分が今どこに立っているのか理解できていなかった。

 石造りの広間。天井は高く、どこかで水が滴る音が響いている。壁に刻まれた淡い光の紋様が、松明代わりに空間を照らしていた。

 その中心に立つのは、

 自分と――喋る猫。


「あ、あのダンジョンって……。ここは一体?


 ヒロシの問いに、猫――モルディオは、わざとらしく胸を張った。


「よくぞ聞いてくれたね」


 そう言ってから、くるりとその場で一回転する。


 ……猫が二足歩行で回転した。


「ここは君の世界とは異なる理の場所。挑戦者が試され、選ばれ、そしてその多くが死ぬ――」


「なんかさらっと物騒なこと言わなかった?」


 ヒロシは即座に突っ込んだ。

 モルディオはきょとんとした顔をしてから、咳払いを一つ。


「失礼。――“ダンジョン”だ」


「いや、だからそのダンジョンって何なんだよ」


「説明が必要かい?」


「押し入れ開けたら階段あって、喋る猫がいて、ここはダンジョンだ、って説明ないと分からないって!」


 声を荒げるヒロシを、モルディオはどこか懐かしそうに見上げた。


「みんな最初はそう言うんだ」


「ん? みんな?」


「うん。君の前にも、何人もね」


 その言い方が、少しだけ引っかかった。


「……何人“も”?」


 モルディオは答えず、広間の奥を指差す。

 そこには巨大な石扉があった。

 人の背丈の三倍はあるだろうか。表面には、はっきりと刻まれた数字。

 ――1。


「この先が第一層。

 挑戦者はここから先へ進み、モンスターと戦い、時に力を得て、時に命を落とす」


「待て待て」


 ヒロシは両手を広げた。


「さっきから死ぬとか命を落とすって……ゲームじゃないんだよな?」


「現実だよ」


 即答だった。


「死んだら、ちゃんと死ぬ」


「ちゃ、ちゃんとって」


 思わず声が裏返る。

 モルディオは肩をすくめた。


「魂が肉体から離れて、元の世界には戻れない。まあ、よくある仕様だね」


「よくあってたまるか!」


 ヒロシは頭を抱えた。

 異世界。ダンジョン。喋る猫。

 頭が追いつかない。いや、追いつく気を拒否している。


「……帰れるんだよね?」


 少し震えた声で聞く。


 モルディオは、今度はちゃんと頷いた。


「帰れるとも」


「じゃあ今すぐ帰る」


 正直、この状況に興奮する自分がいないでもなかった。鬱屈を日常を終わらせてくれるかのような、このワクワク感に。


 しかし、いざ死ぬかも知れない。命を落とすかも知れないと言われると、二の足を踏んでしまう。ゲームではないのだ。ここは。


 ヒロシは踵を返す。


「――ちなみ、一度その階段をのぼると、もうダンジョンに入場する事はできなくなるよ」


 ピタリと足を止める。


「ダンジョンは常に挑戦者を待ち望んでいる。来るものは拒まない。大歓迎さ。しかし、挑戦しない者は拒む。もう2度と挑むことは許されない。………まぁ、でもそれでいいと思うよ。ハッキリ言って、ダンジョンに挑む多くの人はあっさりと死ぬ。命を粗末にしたくないのであれば、そのまま帰るべきだ」


 沈黙が落ちた。

 ヒロシは、しばらく床の石目を見つめていた。

 頭の中では、合理的な判断が叫んでいる。


 ――帰れ。

 ――関わるな。


 ここまで言ってるんだ。脅しでもなんでもないだろう。


 だが。

 押し入れを開ける前の自分を、思い出してしまった。

 何も期待せず、何も恐れず、

 ただ日付が変わるのを待つだけの毎日。

 生きているだけで、終わっていく感覚。


 日々の退屈、鬱屈とした日常。

 それらは命と等価ではない。

 退屈だと思えるのも命あっての物種だ。


 でも、それでも。


「ロマン、かぁ………」


 ダンジョンという響き。

 無味乾燥な日々を終わらせてくれそうな期待感。


 死という最大級の危険がつきまといながらも、確かにそこにはロマンが存在している。

 二度と挑戦できないと言われて、思わず足を止めてしまう程度には。

 

「おや、帰らないのか? ホントに死ぬかも知れないぞ? それでも問題ない!ってなら大歓迎だよ。ボクも微力ながらダンジョン攻略のお手伝いしようじゃないか」


 モルディオは、わざとらしく両前脚を広げた。

 その仕草がやけに芝居がかっていて、ヒロシは少しだけ気が抜けた。


「……いや、問題ないって言ったら嘘になるけどさ」


 ヒロシは頭を掻いた。


「正直、めちゃくちゃ怖いし。

 死ぬとか言われたら普通は帰るし」


 今すぐ帰って退屈だけど命の危険も何もない日常に戻った方がいい。

 理性では分かっているのだ。


 でも、それでも二度と戻れないとなれば、ここで引き返したら後悔する気もする。

 ダンジョン、などという突拍子もない、だけれども何処か牽かれてしまう響きには、その手のゲームや漫画、ラノベを良く嗜むヒロシにとっては垂涎ものの状況であるのは確かなのだ。


「うんうん」


 猫は何度も頷く。やけに理解がある。


「ボクとしても、無理にとは言わないよ。

 押し売りするほど、このダンジョンも落ちぶれてはいない」


「落ちぶれてるかどうかの基準が分からないんだけど……」


 ヒロシは溜息を吐き、天井を見上げた。


 怖い。

 理屈は全部「帰れ」と言っている。


 けれど――。


「……ねぇ、例えばダンジョンに挑んでみて、キツかったら途中帰る、ってことも出来るの?」


 これは重要だ。

 ダンジョンに挑んだら最後、ダンジョンを完全に攻略しきるまで戻れません、となったら流石に二の足を踏んでしまう。

 いつでもログアウトができるか、どうか。その差は大きい。


 猫はニヤリと笑った。


「もちろん。いつでも無かったことにして日常に戻る事は出来る。大半の挑戦者は最初の戦闘で現実を知ってダンジョンを去るか、死ぬかのどっちかだ。続けて挑戦する者は割合的には僅かだよ」


「……あ、帰れるんだ」


 ヒロシは思わず素で返した。


「もっとこう、“一度足を踏み入れたら最後、血と骨になるまで帰れません”みたいなやつかと」


 案内人たる猫、モルディオはフッと笑う。


「心が折れた挑戦者を無理に縛っても、良い結果にはならないだろ?」


「へぇ……」


 ヒロシは少し拍子抜けした顔をした。


 正直なところ、

 “帰れない”と言われた方が、覚悟を決めやすかった自分がいる。

 それはそれでどうなのか、とも思うが。


「まあ、もっとも」


 モルディオは淡々と続ける。


「途中で帰れるのは“生きていれば”の話だけどね」


「はい来た死ワード」


「事実だ」


 猫は即座に切り捨てた。


「最初の通路で死ぬ者も珍しくない。

 そういう者は、帰るも何もない」


「……サラッと言うなぁ」


 ヒロシは苦笑した。


 だが、その言い方には、変な湿っぽさがなかった。

 哀れみも、慰めも、期待もない。

 ただ「そういうものだ」と言っているだけ。


 それが逆に、妙に現実感を伴っていた。


「……案内人ってさ」


 ヒロシはふと思ったことを口にする。


「挑戦者が死んだら、悲しくならないの?」


「ならないね」


 即答だった。


 モルディオは少しも躊躇しなかった。


「それが仕事だから」


「仕事って言い切るなぁ……」


 猫は帽子のつばを指で軽く叩く。


「ボクらはただ見送ることしかできない。戻って来なければ、また待つだけだ。」


「……次の人を?」


「そう」


 淡々とした口調。

 だが冷たい、というよりは乾いている。


 ヒロシは、少し背筋が伸びるのを感じた。


 ――ああ、ここは本当に“そういう場所”なんだ。


「ちなみに聞くけどさ」


 ヒロシは、少しだけ笑って言った。


「俺、いま“ラノベ主人公補正”とか期待していい?」


「ダメだね」


「即否定っすか」


「君は特別じゃない」


 モルディオはあっさり言い切る。


「剣も魔法も、最初は持ってない。全て覆すような驚くべき能力もない。ステータスウィンドウみたいなものも、たぶん出ない」


「たぶんって何」


「出た人もいるから」


「いるんだ……」


 ヒロシの目が、ほんの少しだけ輝いた。


 それを見て、モルディオは肩をすくめる。


「ただし、期待しすぎると死ぬ」


「ですよねー」


 ヒロシは頷きつつ、深呼吸をした。


 怖い。

 間違いなく。


 でも同時に。


(……やっぱり、ちょっとワクワクしてるんだよなぁ)


 ダンジョン。

 挑戦者。

 命懸け。


 漫画やラノベで何百回も見た展開。

 自分とは無縁だと思っていた“物語の入り口”。


「……なあ、モルディオ」


「なんだい?」


「第一層のモンスターって、どんなの?」


「弱い、けど人を殺すぐらいなら訳ない」


「マジかよ……」


 ヒロシは肩を落としたが、少しだけ笑った。


「まぁ、でもさ」


 一歩、石扉の方へ踏み出す。


「ここで帰ったら、たぶん俺、一生“あの時入らなかったダンジョン”のこと考える気がするんだよね」


「後悔する?」


「するだろうね。間違いなく」


 即答だった。


 モルディオは、それを聞いても特別な反応は示さなかった。


「じゃあ、行けばいい」


「軽いな!」


「選ぶのは君だ」


 猫は事務的に言う。


「生きるも、帰るも、死ぬも」


 石扉の前に立つと、空気が変わるのが分かった。

 冷たく、湿っていて、

 確実に“何かがいる”。


 ヒロシは、拳を握った。


「……よし」


 自分に言い聞かせるように呟く。


「第一層、体験版ってことで」


「体験版で死ぬ人も多いけどね」


「だからその情報いらない!」


 石扉が、低い音を立てて開き始める。


 闇の向こうから、かすかな唸り声。


 ヒロシは一瞬だけ振り返った。

 日常へと戻れる階段。恐らく先に続いているのは来たとき同じ、自分の部屋の押し入れだろう。


(……今はまだ戻らない)


 ヒロシはダンジョン第一層へ足を踏み入れた。

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