時をかける母

みむらす

第1話 大型トラックに

 2025年12月24日――。


 7時ちょうど。朝のニュース番組のオープニングが始まり、アナウンサーの女性が今日の番組構成を喋っている。

 何度も見慣れたその台詞を聞きながら、私はキッチンに立つ。

 だが、そこから手が進まない。

 視界が涙に歪んでいるからだ。


「ママ!今日はこの服にする!」

 8歳になったばかりの娘、皐月さつきが駆け寄り、バイオリンのコンサートに着ていく真っ赤なドレスを体に当ている。


 私は皐月を強く抱きしめた。

 この子に私の涙は見せられない。


「ママ?どうしたの?」

「なんでもないよ……」


 あぁ、私はとうとうこの日に戻ってきたのだ。


 ………………


 2025年12月24日 19時29分48秒――。

 娘の左手に付けられた腕時計がその時を刻む。


 娘のコンサートが終わり、大通りに面した歩道を車道側から夫、娘、私の順に手を繋いで歩いていた。

 

 娘は白のドレスを着たままだ。

 よほど今日のコンサートが楽しかったのか、着替えたくないらしい。


 かくいう私も、大勢の観客たちの拍手に包まれ、深々とおじきをする娘の姿が目に焼き付いて離れない。

 私の鼓動は2時間前から昂ったままだった。


 キラキラと輝くイルミネーションの街に溶け込む純白の娘は、まるで物語のヒロインのようだった。


「パパ!サンタさんがいるよ!ケーキ買って帰ろ!」

 ケーキ屋の前でサンタの格好をした男性が客引きをしている。


「でも、今日はもうケーキ買ってるしなぁ」

「えー。わたし、サンタさんが売ってるケーキの方がいい」


 今日は頑張った娘のわがままをいくらでも聞いてあげたい。

「良いじゃない。今日はここのケーキ食べましょうよ」

「お前まで……。まぁいいか。明日もケーキ食べたら良いしな」


 店に入ると、娘は楽しそうな表情で「こっちのケーキが可愛い。でもこっちも美味しそう」と、どれにするかをずっと悩んでいる。

 その姿を微笑ましく見守る。

 娘は、自分が着ているドレスと同じ色のショートケーキを選んだ。


 夫は、店から出てきた私たちを笑顔で迎えた。

「好きなのは選べたかい?」

「うん!サンタさんが乗ってるの!」

 娘はケーキの入った箱を両手で抱き抱えるようにして、上部にある窓から中身を夫に見せている。


 夫がケーキを持とうとすると、娘は「私が持つの!」と言い張り、夫からケーキを取り上げ歩き出した。

 よほど気に入っているのだろう。

 あの様子だと「もったいなくて食べられない」とでも言い出しそうだ。


「もったいなくて食べられないとか言い出しそうだな」

「ぷっ!」

 夫の発言に私は思わず吹き出す。

「え、俺何か変なこと言った?」

「ううん。なんでもないよ」

 目の前を楽しそうに歩く娘に続いて私たちは歩き出した。


 交差点付近を歩いていた時だ。

 後ろの方で悲鳴が聞こえた――。

 その悲鳴は人を絶望に叩きつけるような恐怖の感情を孕んでいた。


 周囲がざわつき始める。

「刺された!」「おいおい、やべーよ。逃げろ逃げろ!」

 そんな声と共に目の前の人だかりが一気に開け放たれる。


 黒いフードを被り、サングラスとマスクをした男が息を荒げてこちらに走ってくる。


 私たちは驚き、その男に道を開けた。

 目の前を通り過ぎる男。良かった、私たちに危害は及ばなかったらしい。


 そしてその男を視線で追った先には――。

 恐怖に足がすくみ、ケーキの箱を抱えたまま、男を凝視している娘がいた。

「皐月!逃げて!!」


「邪魔だ!」

 男に突き飛ばされた娘の手からケーキが落ちる。

 あんなに楽しみにしていたケーキが、地面に落ちた衝撃で箱から飛び出し、ぐしゃぐしゃになった。


 だがそんなことよりも、娘が突き飛ばされた方向が悪かった。

 5月に8歳になった娘の体は軽かった。


 ぶつかったはずみで、車道へ突き飛ばされ、

 ブレーキを踏む間もない大型トラックに――。




 ――1時間後。

 私たち夫婦は病院にいた。

 大型トラックとの正面衝突。

 顔なんて見られる状態じゃなかった。

 真っ白だったドレスはズタズタになり、真っ赤に染まっている。


 娘の袖から覗く腕時計は、20時03分ちょうどで止まっていた――。

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