食い尽くし系の迷宮探索
小林湖底
第1話 美味しいお肉
この世界は呆れるくらいに弱肉強食だ。
たとえば現代日本では、どんなに貧しくても最低限度の生活が保障されている。憲法にも書かれているように、建前上はそうなっている。
でも、私が生まれ直したこの世界は違った。
弱ければ野垂れ死にするしかないのだ。
死にたくなければ強くなるしかない。あるいは知恵を振り絞ってずる賢く生きるしかない。私が選んだのは、主に後者だ。弱肉強食の世界を生き抜くためには、他の人間が思いつかないような活路を見出す必要があった。
だから、私は今日もモンスターを密猟する。
「お、ドラゴン発見。スープにすると美味しいんだよね」
私の目の前には、大口を開けて威嚇してくる一匹のドラゴンがいた。
体長は十メートルくらいだろうか。翼が生えていないので地竜と呼ばれるタイプだろうけれど、正式な名前とか生態とかは全然知らない。興味もない。
興味があるのは、肉が美味しいか否か。
今日の空腹を満たすに足る食材か否か。
たったそれだけのことだった。
私は小さく笑みを作った。
目の前のドラゴンは、今まで遭遇したどの個体よりも巨大だ。皮下に蓄えられた肉には、たっぷり脂が乗っているに違いない。
「いただきます」
心の中で合掌してから武器を握った。近場のゴミ捨て場に落ちていた、馬鹿でかい斧だ。これ以外の武器はボロいナイフしかないため、私にとっては唯一無二の切り札である。
ちょっと振り回せばそれで充分。
やつの息の根を止め、今日の晩ご飯にすることができる。
殺意を感じ取ったのか、ドラゴンが咆哮とともに突進してきた。
私は舌なめずりをしてそれを迎え撃つ。
今日の晩ご飯のために。
貧相な食卓を豪華なディナーに変えるために。
「死ね」
斧を構えて大地を蹴る。
* * * * *
この世界を端的に言い表すなら、極めて一般的な異世界ファンタジー、だろうか。文化史に詳しくないのでよく分からないけれど、文明レベルはたぶん中世だか近世だかのヨーロッパ。科学技術が遅れているかわりに、魔法とか魔具とかの不思議現象が存在している。
私はそんな世界に、貧民の子供として生まれた。
現代日本というぬるま湯に浸かってきた私にとっては地獄のような環境だ。不便とかそういう以前に、命の危険が常にまとわりついているのだ。
貧乏なのでろくに栄養がとれないし、ちょっと風邪をひいた程度で生死の境をさまようこともしばしば。野良のモンスターに殺されることだってある。実際、私の両親はとっくの昔にドラゴンに食われて死んだ。
だから私は、こんな生活から抜け出そうと思った。
――探索者。
ファンタジー世界の例に漏れず、この世界にもダンジョンのようなものが存在する。いや、正確には迷宮っていう名前だったっけ? とにかくその迷宮を探索するのが、探索者と呼ばれる存在だ。
迷宮には凶悪なモンスターの他に、無尽蔵の資源が眠っている。
何か特別なアイテムを見つけて地上で売れば、一夜にして億万長者になることもできるらしい。
一獲千金を夢見た私は、探索者になろうと一念発起した。たった一人の妹を引き連れ、迷宮を擁する迷宮都市――〝アリスベル〟にやってきたのである。
だけどまあ、夢見がちなお上りさんがそう簡単に成功するわけもなく。
なんとか探索者のライセンスは獲得できたものの、ランクは最低のF。
探索できるのは資源が狩り尽くされた上層ばかりだから、大した稼ぎにもならない。
ルールを無視して下層にダイブしようかと思ったこともあるけれど、たぶん実力的に無理なので現実的ではない。
どうしよう?
このままじゃ飢え死にしにちゃうよね?
妹には楽な暮らしをさせてあげたいのに……。
考えあぐねた結果、私は一つの結論に到達したのだった。
ある時、上層の犬みたいなモンスターが、別のモンスターの死骸を貪っているのを発見した。そこでふと思いつく。
もしかしたら――モンスターの肉をお持ち帰りすれば、食費が浮くのでは?
モンスターの肉を食べることは禁止されている。
宗教的にも法律的にも、やっちゃいけないことだ。
でも、このまま稼ぎがなければ私も妹も餓死してしまう。
逮捕と死を天秤にかければ、どっちに傾くかは言うまでもない。というか、バレなければ問題ないはずだし。
私は犬の食い残しをつまみ、こっそりと家に持ち帰った。
それからである。
私がモンスターの肉を求めて迷宮をうろつくようになったのは。
* * * * *
「お姉ちゃん、お腹すいたー」
「お待たせ。スープができたよ」
スープをお椀によそい、テーブルの上に置いた。
ほかほかと湯気を立てているのは、私特製ドラゴンスープである。
具はタマネギとドラゴンの肉。塩と胡椒で味付けをした後、柔らかくなるまでじっくり煮込めば完成だ。
四畳半程度の部屋に、香ばしい香りが広がっていく。
思わず顔を綻ばせてしまった。
完璧だ。今日の晩ご飯は一流シェフにも負けない出来だね。
「どう? 美味しそうでしょ? ちょうどいいドラゴンがいたから殺してきたの」
「やったー! すっごく美味しそう!」
妹のルルカ(十四歳)は両手を挙げて喜んでいた。
さっそくスプーンを握りしめ、一口頬張る。
その瞬間、ルルカはとろんとした目で一時停止した。しかしすぐに目を見開き、ものすごい勢いでスープを掻き込んでいく。
「おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。おいしい」
「でしょ? 喜んでくれてよかった」
「おいしい。おいしい。おいしい。おいしい。おいしい」
ルルカは夢中になって肉を貪っている。
元気に育ってほしいから、ドラゴンの肉はなるべく多めによそってあげたのだ。でも野菜やパンも食べなくちゃ駄目だよ? バランスよく食べるのが大事だからね。
私も肉を口に運んでみる。
ほどよい火加減で、口に入れると溶けるようになくなってしまう。舌を電流で刺激するような旨味が口内に広がり、一瞬だけ意識を失いかけた。
なんという恍惚だろうか。
あまりにも美味しすぎてトリップしちゃいそう。
やっぱりモンスターの肉は格別だ。
そこでふと、ルルカが私をじーっと見つめていることに気がついた。どうやらスープとパンを食べ終わったらしい。
「どうしたの? おかわり?」
「ううん。お姉ちゃん、また一人で迷宮に行ったの?」
「あー」
最近、ルルカは私のことを心配してくれる。
冷静に考えれば、パーティーも組まずにソロで迷宮に潜り続けるなんて尋常じゃない。特に私のようなFランクの探索者は猶更だ。あっという間にモンスターに殺されてしまうだろう。
だけど、私にはパーティーを組めない理由があった。
「モンスターの密猟、違法だからね」
「うーん。じゃあ仕方ないか」
「うんうん。仕方ない仕方ない」
前にも言ったけれど、モンスターの肉をお持ち帰りすることは禁じられている。
だから私は一人で迷宮に潜るし、その際には必ず狐のお面をかぶって正体を隠すのだ。ちなみにこのお面も近くのゴミ捨て場に落ちていた。口元は隠れないタイプだけれど、まあ顔の上半分が隠せれば十分だろう。
とにかく、生きるためには仕方のないことだ。
バレなきゃ犯罪じゃないのだから。
「……お姉ちゃん、気をつけてね。何かあったら私に相談するんだよ?」
ルルカが真面目な口調でそう言った。
底無し沼のように綺麗な瞳が、私をまっすぐ見据えている。この子、本当にいい子だ。私なんかにはもったいないくらいの妹だよ。
「心配してくれてありがとね。私、ルルカのために頑張るから!」
「えへへー。お姉ちゃん大好き!」
「うん! 私も大好きだよ」
モンスターを密猟するようになってから、我が家には笑顔が増えたような気がする。食費が浮いて余裕ができたから――というのもあるけれど、たぶんお肉が美味しいからだ。美味しいご飯は家庭の雰囲気を明るくする効果があるからね。
「あー美味しかった。お皿は私が洗うね」
「やってくれるの? ありがとうルルカ」
「そのかわり一緒にお風呂入ろうね」
ルルカは皿を持って流しに向かった。スポンジに洗剤を加え、ゴシゴシと擦り始める。ちょっと前までは洗剤もスポンジも買えなかったけれど、最近はお肉のおかげで日用品が充実してきた。
特に嬉しかったのは、冷蔵庫を買えたことだ。不思議エネルギーで動く、異世界白物家電である。でかいモンスターを倒すとたくさん肉がとれるけれど、保存できなくちゃ意味がないからね。
「あ、そういえばお姉ちゃん」
「なに?」
「水筒壊れちゃったの。ごめんね」
「ええー?」
冷蔵庫の上に、ぐしゃぐしゃになった水筒が乗っていた。
まるで手で握り潰したかのような有様だ。金属製の水筒にしてはアクロバティックな壊れ方である。
「どうしたの、これ」
「ちょっと力を入れて握ったらこうなっちゃった。えへへ」
「えへへ、じゃありません。握る時は気をつけようね」
「はーい」
成長期とは怖いものだ。
ちょっと前までオレンジの皮を剥くのも「かた~い!」と言っていたのに、今では水筒を握り潰すほどになってしまった。
え? 握力がおかしい?
いやまあ、たぶんあれだ。異世界人だからだ。地球の人間よりもタフに成長するんだと思う。だって上位の探索者なんて、素手でドラゴンをぶん殴って倒すらしいよ。それと比べれば可愛いものだ。
そういえば、最近は私の力もめちゃくちゃ強くなっている。
力だけじゃなくて、スピードとか防御力とかも前とは比べものにならない。
私も水筒くらいなら余裕で破壊できる自信があるし、ジャンプ力も五メートルを超えた。
人間離れしてきた気がするけれど、私も成長期だし問題ないだろう。モンスターと戦う時に重宝するし。
「あ、そろそろ時間かも」
私は窓から夜空を見てつぶやいた。赤みを帯びた満月が空高く昇っている。
「どこか行くの?」
「取引だよ。お肉を欲しい人がいるからね」
「そっか。最近事件もあったし気をつけてね」
「事件?」
「うん。近くのお肉屋さんが襲撃されたんだって。犯人は逮捕されたみたいだけど、この辺りには凶暴な人間がたくさんいるみたい」
「大丈夫だよ。私はドラゴンも倒せる探索者だからね」
私は冷蔵庫から袋に包まった肉を取り出すと、ルルカに見送られて家を出た。もちろん、狐のお面も忘れない。
どこへ向かうのかって?
もちろん、人気のない路地裏だ。
このモンスターのお肉、実はけっこう高値で売れるんだよね。
しかも一度取引した人は、ほぼ百パーセントの確率で強烈なリピーターになる。
これだけ美味しいんだから納得だけれど、たまに自我を失うレベルになる人もいるから気をつけないと。特に身バレだけは勘弁。家まで押しかけられたら困っちゃうし。
まあ、そういう熱心なお客様のおかげで家計は大助かりだ。
そろそろ貧困生活を抜けられるかもしれないね。
「ふふ……今日はいくらで売れるかな」
私は薄っすらと笑みを浮かべながら、貧民街の路地をスキップで駆け抜けるのだった。
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