落葉なき椎
やざき わかば
落葉なき椎
正月も落ち着き出した日の午後。友人と居酒屋で飲んでいた男が、ふと窓の外に一本のシイノキを見つけた。
「おう。シイノキはいつでも元気に緑づいてやがらぁ。年末年始といろいろ忙しかったけどよ、こうやってお前と酒を飲みながら緑を見るってのも、乙なもんだ」
「そうだな。だけど、あのシイノキはちょっと不思議な謂れがあるんだよ」
「謂れ?」
友人の話によると、今まさに風にそよぐシイノキの葉。この葉が落ちるところを、誰も見たことがないと言うのだ。ただの一枚も。
「へぇ、不思議なもんだな。ほんとうかいそれぁ」
「まぁずっと観察しているやつがいるでもなし。ただ、木の下はいつ見てもきれいなもんで、葉っぱの数も見た目には変わってねぇんだとさ」
「なんでぇ、バカバカしい。道は誰かが掃除したかもしれねぇし、葉っぱの数なんて、見た目ではわかりっこねぇじゃねぇか。よぉしわかった。そんじゃ俺がしばらく観察することにすらぁ」
そうして男は、このシイノキの観察を始めた。たまに仕事で移動することはあるが、時間が空いたときは、ずっとこの居酒屋でシイノキを眺め続けた。
「なぁ、あんちゃん。そんなにあの木を見て、おもしれぇのかい」
「何言ってやんでぇ。俺はな、今大事な観察中なんだよ。そうだおやっさん。おやっさんは、あのシイノキの葉っぱが落ちるところを、見たことがあるかい」
「そういえば、ねぇなぁ。まぁ、普段は気にも留めてねぇから、はっきりとはわかんねぇけどね」
「木は留まってるのに、気には留めねぇってか」
数日経ち、数週間経ち、数カ月が経った。葉っぱは、落ちない。
「くそ。ほんとに一枚も落ちねぇな」
そこへ、友人がやってくる。
「よぉ。なんでぇまだやってんのか。おめぇも暇だねぇ」
「てぇへんなんだよ。まじで落ちねぇんだあの葉っぱ」
「だろ? だから不思議なんだよ。七不思議の一つにも数えられてるってぇ話だ」
本所七不思議。
本所(今の東京都墨田区)に語り継がれている、七不思議のことだ。しかし一番不思議なのは、七不思議といいながら八つ、九つくらいあることだ。
考えてみると、現在では学校の七不思議と言いながら、四つ、五つしかないところもあるそうなので、今の『若者の◯◯離れ』が取り沙汰される昨今、江戸時代はなんとも贅沢な時代と言える。
閑話休題。
「しかしよ、俺ぁまだ信じらんねぇな。あの木はたまたま、とろっくせぇだけなんじゃねぇか。自分がどれだけ生きてるのか、わかってねぇんだな」
「つまり、もくもくと生きてるってわけか。木だけに」
「うめぇこと言うじゃねぇか。そうだ。もくもくと生き過ぎて、自分がどんな状態かわからねぇんだ」
男と友人がたわいない会話をしていると、シイノキの様子に変化が生じる。
「お? なんか揺れてねぇか?」
「うん、揺れてる。あっ、葉っぱが落ちたぞ」
観察を続けて数ヶ月。男と友人は、やっと件の木の葉っぱが落ちるところを目撃した。居酒屋のおやっさんも一緒になって、この発見を喜んだ。
「な? 言ったじゃあねぇか。落ちねぇ葉はねぇんだよ。俺が見込んだ通りだったぜ」
「つまり、どういうことなんでぇこれは」
「落ちない葉はなし。要するに、『おちないはなし』ってやつだな」
落葉なき椎 やざき わかば @wakaba_fight
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます