手鏡

猩猩

第1話

今年でもう35歳。


夢だった小説家を諦め、中途半端な企業に滑り込み、中途半端に生きていればもう三十路も後半に差し掛かる恐怖がのしかかる。


まさに懲役のようである。

ここからあと20年は働かねばならない。


家まで続く長い坂道を歩きながらため息をつく。


そもそも、何のために生きているんだ?


夢や目標、ましてや趣味などもない。


盲目的に生きる存在など死人と変わらないのでは…


思考を振り払い、ようやくついた家の玄関を勢いよく開く。


ふと、足に何か当たった感触がして下を見る。


そこには小さな段ボールがあった。






翌朝、目覚めるともう11時であった。


朝6時に起き、ランニングをして、その足でコンビニに行って___


そんなデキる社会人のような今朝はまるっきり奪われた。


「んだよ〜…」


顔を洗いに、洗面所へ行く途中昨日玄関に置かれていたあの段ボールのことが気になった。



結局開けるか開けないか、しばらく葛藤したが結局開けずに寝たのだった。


恐る恐るそれに近づく。


もしや、死骸じゃないだろうな。

いや、にしては小さいだろうか。


持ち上げてみると案外軽かった。


今気づいたが、これには伝票が無い。

つまり誤配送の類では無いだろう。

自身の記憶がないまま何かを包んだか、或いは誰かがここに置いたか?


いや家の内側だぞ?それに戸締りはしっかりするタチだ。忍び込まれるはずがない。玄関の鍵だって閉まっていた。


じゃあ尚更、いったい。


薄汚れた段ボール、どうしたものか…



…開けよう。

迷っていても仕方ない。

異臭などもしないから死骸などではない。大丈夫だ。


きっと自分自身で記憶がないまま包んだものに違いない。


ガムテープを剥がし、中を開く。


そこには汚いタオルに包まれた黒い手鏡があった。


手鏡?一体俺は何を考えて手鏡なんて?



ゆっくりと鏡を覗き込む。


平凡な顔をした俺が写るはずが、

そこに写っていたのは黒髪の女だった。


「うわぁぁぁ!!」


鏡を投げ捨て、急いで外へ向かう。

なんだか部屋全体が俺を批判しているように感じたからだ。


鏡への恐怖というより、家への恐怖の方が強かった。






それから友人を呼び出し、家へと戻る。



「いやでも半端なくね?それほんとなら」


若干の好奇心を含んで話すこの男は悠木だ。


「ほんとだから呼び出してんだ。頼むわ」


「何を頼んだんのか知らないけど任せろって。もしほんとならカチ割ってやるよ。お前の大切なケータイをな!」


「…」


普段なら笑える冗談もこの時だけは笑えない。



「で、これね?この手鏡」


「ああ、そうだ。」


覗けば女が写るはず…


「…なんともねぇじゃねぇか!!おーいお前ビビらせやがって」


「え?え?いや、しっかり見てみろよお前」


「何回でも見てや…」


そこで悠木が凍りつく。


「…見えたのか?」


その瞬間、悠木は鏡を思いっきり床に叩きつけた。


バリーン!!


俺は動けず、そのまま悠木の行動を待つ。


ゆっくり、悠木は手鏡を持ち上げて自分へ向ける。


「…うっわぁ」


「本物じゃん、これ」







どうやら鏡を破壊することは不可能のようだ。


悠木が床に叩きつけ、確かにパリーンと音はしたが、鏡自体に何の影響もなく、女自体も何もしてこない。


ドライバーで突いたり、石ややすりで引っ掻いてみたが効果はなかった。


「なんなんだこの女…」


薄気味悪く笑みを浮かべるこの女は表情を変えずにこちらを覗き返してくる。


「とりあえず寺にでも持ってくか?」


「それしかないっしょ…正直」


部屋の軋む音に怯えながら鏡を見ている悠木を見ていると、とある事を思い出した。


「そういえばお前、最初に鏡覗いた時、なんでビビらなかったんだ?もしかして見えなかったのか?最初だけ。」


「いや、なんか最初はなんも写らなくて?ハッタリかよとか思ってたんだけど2回目覗き込んだ時、ようやく肩の後ろらへんにそいつが写ってることに気付いたんだよ」


「肩の後ろ…」


肩の後ろなら確かに、自分の顔だけを覗き込んだ場合気づかないだろう。



ん?だが待て、肩の後ろ?


「肩の後ろに見えるのか?」


「うん」


「鏡の中じゃなくて?」


「え、いや、うん。そうやけど」


おかしい。


俺は鏡全体でこの幽霊の顔を見ていているが

悠木はそうでなく、自身の肩に幽霊が佇んでるように見える。


なぜ見え方が違うんだ?


俺とこいつでなぜなんだ。


離れて行ってる?


それか呪いが移り変わっているのか?


考えてもキリがない。



「とりあえず、寺に行こう」









「…というわけなんです。」


「ほぉー…」


感心するような声を出す男はこの寺の住職らしい。


「…私には何も見えませんね」


「肩の後ろとか、もしくはもっと後ろとかにいませんか?」


「うーん…」


住職に見えないということは仏教的な何かは通用するということだろうか。


「まあ、とりあえずお祓いの方を…」









「終わりました」


そう言って住職は戻ってきた。


「手鏡の方はこちらで処分させていただきますのでご安心ください」


「ありがとうございます…」


「…」


これで事態は収まるはずだ。


「意外とあっけなかったな。」


「…まあなー」


「なんかもっとこう…住職さんでも太刀打ちできない!俺たちはもうお終いだ!みたいな展開かと思ってたけど」


ポケットに手を入れ、歩き出そうとする。


「…」


「まあそんな気を落とすなって。手鏡はもう浄化されたし」


「…」


「…おい?」


ポケットの中に何かある。

想像もしたくないあの造形が浮かび上がる。

胸の中が極端に冷え込むような感覚に陥る。

違っていてくれ…頼む…


「あ、」

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手鏡 猩猩 @AND77

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