あくまでエルレの自己満足
鳩のまーりぃ
Prologue
その日、カルミナ教の信仰の象徴たる聖堂から、ほとんどの人の姿が消えた。
唯一神カルミナの教えは、この世界に最も広く浸透している宗教だ。それ故に、町の聖堂には毎日溢れるほどの人が集まる。
事実、今日も朝までは、この聖堂は人で溢れかえっていたのだ。
それが今はどうだろう。聖堂の中に残っているのは、たった1人のシスターと、邪教の神が遣わした悪魔のみ。この、たった2人だけである。
邪教の悪魔は、その名をフィアと言った。彼女は恐怖の神フォビアの瞳から生まれた悪魔である。
彼女はまだ、悪魔として生み落とされてから日が浅い。幼い彼女は、主神であるフォビアに見限られてしまってはその存在を維持することすらできない。
よって、その力の全てをもって、フォビアへの捧げ物を用意する必要があった。
彼女はこの日、朝の集会を行う聖堂を襲撃。聖堂にあるカルミナの女神像の上に降り立つと、その右目に宿る魅了の瞳でそこにいた全ての人間を魅了。その直後、魅了した全ての人に命令を下した。
「主神フォビア様に恐怖と、その全ての臓物、全ての血肉、そして魂を捧げよ」
人々は、迷いなく聖堂から出て行ってそれぞれに姿を消した。彼らはフィアから受けた命令を、抗い難い使命感を持って実行するのだ。遠からぬ未来に彼らは死ぬことになるだろう。
今日も、主神フォビア様への捧げ物ができた。そう満足げに頷いたフィアは、しかし像の真下。自身の足元を見下ろした瞬間にその眉根をひそめた。
そこには、1人のシスターが立っていた。
シスターは力強い目をしていた。キッとフィアを睨みつけている。
──まずい。
まだ幼い悪魔ながら、フィアは本能的な恐怖を感じた。あの人間と関わってはいけない。何かわからないが、その瞳からゾワゾワとした恐怖を感じたのだ。
フィアは、恐怖の神の遣いである自分が恐怖しているという事実にもまた、たまらなく恐怖を覚えた。全身が震え、嫌な汗が吹き出し、焦点が定まらない。
──逃げないと。
フィアはその翼を広げ、入ってきた窓から脱出を試みた。しかし、その試みは失敗に終わる。シスターが、結界を張っていたのだ。
***
高い天井。天井と壁に描かれた神話の絵画。荘厳な光を讃えるステンドグラス。そして、大きな女神像と豪華な教壇。
私はそれらが嫌いだった。
神に祈るだけで救われるのなら。神に祈るだけでその罪がそそがれるのなら。それこそ、こんなに沢山の人が聖堂に訪れる必要は無くなるだろう。
毎日毎日行われる、司祭の退屈な教え。私は、この司祭が毎晩シスターを部屋に連れ込んでいることを知っている。
自慢ではないが他のシスターよりプロポーションが良い私も、屋何度か誘われたことがあった。断ったけど。
そんな口から発せられる教えを、どうして信じることができるだろうか。私は、カルミナ教のシスターでありながら、心からカルミナ様を信じることができていなかった。
そんな私に、天使が舞い降りた。
天使は聖堂の最奥にある女神カルミナ様の像の上に舞い降りると、まず全員を満遍なく見つめた。その瞳に見つめられた瞬間、私はどうしようもない胸の高鳴りを感じた。
この全身がキュンキュンとする感覚はなんだろう。ああ、どこかから鐘の音が聞こえる。愛おしい愛おしい愛おしい愛おしい!!
私がこの胸に狂おしい、しかしまだ小さな火を灯した時、その天使は言ったのだ。
「主神フォビア様に恐怖と、その全ての臓物、全ての血肉、そして魂を捧げよ」
なるほど、あれは邪教の悪魔か。この胸の高鳴りはきっと、悪魔の魅了の力を受けてしまったのだろう。
……本当にそれだけだろうか。
一般の信徒、聖堂を守る聖騎士、司祭ですら、彼女の一声をきっかけに聖堂を出て行ってしまった。きっと、これから彼らは、各々が思う最も凄惨な死を、自らの手で実現するのだろう。そう、それは主神フォビアのために。
私の身体は動かなかった。舞い降りた私の天使から目が離せなかった。
見よ、あの艶々の美しいピンク色の髪を。プニプニの可愛らしい頬を。万人を魅了し、また恐怖に陥れる魔眼を。幼い体から伸びる麗しき翼を!
ああ、今目があった。どうしてだろう、目が合った瞬間、彼女の瞳からは確かに恐怖を感じたのに。私はその恐怖から魔力を手に入れてしまった。
私の主神は、既に邪神フォビアになったということか。いや、関係ない。今の私の偶像はここにおわす天使様ただお一人だけ!
その時、天使様が飛び立った。その目線の先には天窓がある。ああ、どこかに行ってしまう。
私は、天窓に手をかざした。フォビアより賜った魔力を使って、手元にあるカルミナの聖典の魔法を発動させたのだ。
彼女は、天窓に貼った結界に衝突。そのまま床に墜落した。大丈夫、結界で地面への激突は避けたから。優しく、優しく。怪我をしないように。
ああ、どうしてそんなに怯えた顔をするのだろう。腰が抜けて涙目で後ずさる彼女の姿は、まるで親の助けを待つ子鹿のようで、可愛らしい。
その恐怖は甘美な蜂蜜のように全身に沁み渡り、私に魔力をくれる。
その小さな体を抱き上げた。私の胸に灯った小さな火。それは、愛する彼女を抱き上げた瞬間激しい炎になって私の身を焦がす気がした。
こんなことをすれば、私はどちらの信徒からも追われる身となり、断罪は免れないだろう。
それでもいい。それでもいいのだ。今は彼女と一緒にいたい。彼女を私だけのものにしたい。もしもこの心が、この行為が裁かれるべき罪だと言うのならば──。
「この罪だけは。神にすら裁かせはしない……!」
扉が閉まる音。聖堂の中から全ての人が消え去り、ただ静謐な光がカルミナの女神像を照らすだけとなった。
***
──どうしてこうなったのだろう。
カルミナのシスターは、フィアを聖堂の奥にある私室に連れ込むと、入り口に結界を張った。
そして、その名前をエルレと名乗り、こう言ったのだ。
「邪教フォビアの徒よ、これ以上カルミナ様の信徒に手を出すことは許せません。しかしながら、慈悲深きカルミナ様の聖典には、邪教の徒であるあなたを滅する魔法は刻まれていない。だから──」
エルレは、フィアの身体をベッドに横たえた。優しく、陶器を扱うように丁寧に。そして、そのままその幼い体躯の上に覆い被さった。
「ここで、私が閉じ込めます」
「や、やだ、外に出して……!」
「なりません。逃げてしまうでしょ?」
フィアの両手を押さえつけ、その首筋に、頬に、エルレの長い舌が這わされる。ゾクゾクとした不快感がフィアの身体をネズミのように走り、抵抗しようとするも力ではエルレに勝てず、びくともしない。
「ゃ、やだぁ……」
口から出たその言葉は部屋の空気に溶けていき、エルレ以外の誰かに届くことはない。たった一人受け取ったエルレは、その鈴のような声を聞いて内心で身悶えしていた。
ここは聖堂の奥の部屋。叫んだところで外には声は届かないため、先ほど魅了した元カルミナの信徒達はあてにならない。
魔法で抵抗しようにも、不思議なことにエルレの魔力量が時間ごとに増えているのを感じる。カルミナの信徒というものは、みんながみんなこのような化け物なのだろうか。
いや、それならば、エルレしか残らなかった説明がつかない。普通は司祭の方が力が上だ。ならばこのエルレというシスターが特殊な個体だったと考えるべきだろう。
フィアは考える。
──せめて、恐怖か魔力を取り込まないと本当に存在ごと消滅してしまう。ならどうしたらいいだろうか?
「ねぇ」
エルレは、フィアの内心を見透かしたように、耳元で囁いた。
「恐怖が必要なんでしょ? 私を怖がらせて見せて」
エルレは理解している。フォビアの信徒になった時から、『私の天使様は放っておいたら消えてしまう』という事を。
「貴女の、とびきり怖い話を聞かせて。フォビアの……恐怖の神の悪魔なら、できるでしょ?」
フィアにとって、生き残りを賭けた、命懸けの怪談語りが始まるのであった。
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