ビンゴ

塩見佯

第1話

 昔から不思議なものを見るんすよ、と呼び出され出向いたカフェの席でT君は言った。

「ってもひとつだけなんですけど。いや、ひとりだけ、って言った方がいいかも」

 それは中年の男性なのだという。身長は170センチほどで少々腹が出ていて髪は薄め。眉は太く目は細くやや丸顔。着古したワイシャツにスラックス、スニーカーを履いている。どこにでもいそうな風体なのだが、ひとつだけ特徴があった。

「なんか薄いんです」

 例えるなら「解像度の低い写真を無理矢理等身大パネルにしたみたいな感じ」なのだそうだ。近くでじっくりと見たことはないので、実際にどうなのかはわからないが、T君にはそう見える。だからT君はその男のことを「薄いオッサン」と呼んでいる。

 薄いオッサンは子供の頃からずっと、さまざまな場所に現れるのだそうだ。オッサンは気がついたらそこに居て、どこか遠くの方をじっと見つめて微動だにしない。公園の茂みの中や、道路沿い、誰かの家の庭やベランダ、海辺、大学の教室、駅のエスカレーター、ラブホテル等々。場所も季節も時間帯もいっさいの規則性はないのだという。

 子供の頃はさすがに驚いたが、定期的に見かけることと、ただそこに居るだけで害が無いため次第に慣れていった。

 ほんとうに何もなかったのか、と聞くと、ですです、とT君。

「ときどき増えるくらいで何もなかったっすね」

 T君はソイラテをずずっと音をたてて啜った。

 なんでも薄いオッサンは一体だけではないらしく、二体、三体と複数同時に出ることもある。それはだいぶ不気味な気がするのだが、T君は「あんまないんで大丈夫っすよ。レアです、レア」と気にした様子はない。

 さて、彼を相手にこの話をいったいどう掘り下げるべきか、僕が逡巡していると、T君が、あ、と声を上げた。何かを思い出したようだった。

「そういえば一回、嫌なことありましたわ」

「お、どんなのよ」

「女にフラれました」

 学生時代のことだというから、ほんの数年前である。T君はバイト先の後輩の女の子と「いい感じ」になっていた。その子は仕事は真面目なのだが、霊感があると自称しており周囲からは少々距離を置かれていた。T君は自身が薄いオッサンが見えることもあり、あれこれと気にかけている間に仲良くなっていったという。

「あれはバイトの忘年会の帰りだったっすね」

 その年は社員も参加し、余興のビンゴゲームなども好評でたいへんに盛り上がった。二次会も終わり流れ解散となったところで、T君は例の後輩さんとふたりきりで駅までの道を歩いていた。告白はまだだったが、手を繋ぐのは断られず、これは今夜このままいけるのではと下心が疼いていたという。

 混雑する大通りを避け、やんわりとホテル街へ向けて路地に入ったところで、T君は思わず足を止めた。道沿いのとある雑居ビルに薄いオッサンがいたからだった。一体だけなら無視ができた。だが、四階のベランダに各部屋ごとに計五体。さらに右端の上下にも五体と都合九体のオッサンがずらりと並んでいる様子はあまりにも異様で、さすがのT君も笑ってしまったのだ。

「んだよ、ダブルでビンゴじゃん」

 口からこぼれた自分の言葉でさらに面白くなってしまい吹き出してしまった。

 そんな時である。突然、後輩さんが握っていた手を振り払った。凄まじい顔でT君を睨んでいた。

「……ビンゴってなんのことですか」

 いやオッサンが、と言いかけたT君を遮って、後輩さんは雑居ビルを指差しながら、ほとんど叫ぶように言った。

「オッサンじゃねぇだろがよ!!!! どう見てもさぁ!!!! 」

 そう言われてもT君には、同じ顔をした薄いオッサンたちが並んで空を眺めているようにしか見えない。眼の前の風景はなんなら牧歌的ですらあったが、後輩さんはぶるぶると怒りに震えていたという。なんとか宥めようとするT君に背を向けると、後輩さんはあっという間に走って行ってしまった。

「ガチの全力でした」

 すげー速かったっす、とT君は笑ったが、僕の方は笑えなかった。彼には言わなかったが、もしかしてそれは怒りではなく、ほんとうは怖かったのではないかと、そう思ったからだ。

 彼女には薄いオッサンの、なんというか、本来の姿が見えたのではなかったか。思わず震えてしまうような「何か」。そして、それを見ながらけらけらと笑うT君。その両方に、後輩さんは言い知れぬ恐怖を覚え、耐えきれず、逃げ出したのではないか。

 後輩さんは年が明けてすぐにアルバイトを辞めてしまい、連絡も拒否されてしまったという。また、後輩をホテルに連れ込もうとして云々と噂が立ち、居づらくなってしまったため、一月ほどでT君自身も辞めたのだという。だからその後は一度も、後輩さんと話はできていなかった。残念ながら、彼女が何を見たのか、もう知ることはできない。

 話終えたT君は冷めてしまったソイラテを、カップを逆さにして最後の一滴まで飲み干そうとしていた。

 ところで、と僕はH君に聞いてみた。

「薄いオッサンって今でも見るの?」

「あ、ふつうに見ますよ。後ろの、角のとこの席。二人並んでます」

 T君が顎をしゃくった。ぞくり、と僕の背筋が震えた。何故だろう。意識した瞬間から強い悪寒を覚えたのだ。これは振り向かない方がいい。そう全身が警鐘を鳴らしていた。

 T君は震え始めた僕を見てニヤニヤと笑っていた。

 長い長い思案の後、僕はゆっくりと、後ろを振り返った。



 了

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ビンゴ 塩見佯 @genyoutei

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