NG

塩見佯

第1話

 いつものバーでTくんと飲んでいるとYさんがやってきた。

 普段は若い女性を連れていることが多いのだが、今夜はひとりでの来店だった。もう十二時になろうというころで、一目で泥酔していることがわかった。

 Yさんは料理人である。今は焼肉屋を営んでいるが、若い頃は船の調理場で働いていて、世界中を渡り歩いていたそうだ。それなりの老齢のはずだが、体格はよく日焼けしていて若く見える。いつも違う女性を連れていて、夏場でも長袖を着ている。僕はYさんの上半身の肌を見たことがない。つまりは、そういうタイプの方なのだが、料理は上手く話題も豊富で、普段は陽気なおじさんという印象である。ただ、酔うと話が長く、こちらの話をいっさい聞かなくなってしまう。

 カウンターの向こうから、マスターが「頼んだ」と目で合図を送ってくる。隣のTくんは日本酒を四合以上飲んでいてもはや頼りにはならない。僕は少々気合いを入れてから、Yさんに声をかけた。

「Yさん、お疲れ様です」

「よーう、久しぶりじゃない、元気だった?」

 大きく手を広げて近づいてくるYさんは、怪我でもしたのか左足を引きずっていた。

 僕の後ろに仁王立ちすると、出てきたウーロンハイを一気に半分ほど飲み込む。上機嫌である。

 いわく、今日は仲間同士の会でしこたま飲んでいる。準備にトラブルがあって苦労したが上手くいってよかった。皆、満足してくれた。だからこの店に来た、うんぬんかんぬん。

「でさ、何の話よ」

「あ、犬の話ですね」

 急に話をふられたが、こちらも慣れたもので、先ほどまで三人で話していたことを簡単にYさんに説明する。

 今夜はマスターが飼っている老犬の話から、Tくんが子供のころに飼っていたペロという犬の話になった。かわいい犬だったがひとつ不思議なことがあったとTくんは言った。

 Tくんが小学生の頃の話である。

 家族旅行のため祖母の家に預けたぺロが脱走してしまい、行方不明になってしまったことがあった。幼いTくんはひどく悲しんだが、一週間後、ペロは何事もなく家に帰ってきた。当然、Tくんも家族も喜んだのだが、戻ってきたペロは以前とは様子が変わってしまっていたのだという。

「食べ物の好みが変わってたり、前はわりと馬鹿な犬だったのに、すごい落ち着いてて、別な犬みたいだったんスよね」

 たしかに不思議な話ではある。だが、飼い犬が一週間とはいえ野良をやればそのようなこともあるだろう。ひどい目にあって性格が変わるというのは人間でもある話である。

 ……というようなことを伝えたところ、Yさんが言った。

「それ、NGになったんじゃねぇの?」

「……はい?」

「だから、ペロじゃなくてさ、ネオペロだろ、それ。ネオ」

「……ねお、ペロ?」

「やっちゃったんだろ、婆さんがさ。まあ旨いらしいからしょうがねえよな」

 理解した。お婆さんがペロを殺して食べてしまい、有耶無耶にしようとしたが、孫が悲しむので似た犬を連れてきて与えたのだ、と言いたいのだろう。だから「ネオ」ペロだと。なんてことを言うんだ。

 Tくんは酔いのせいか、怒っていいのか判断がつかない様子である。どうしたらいいすか、と目で訴えてくるが無視する。

 そういやさぁ、とYさんが言った。

「船ってさ、犬を連れてくんだよね。で、どっかでそいつはいなくなるんだけど、出てきた鍋は喰わないほうがいいぞって言われたなあ」

 なかなかな話が出てきた。とはいえ、今でこそ愛玩動物の側面が強いが、犬を食べるというのは別段異常なことではない。大陸では今も食べさせる店があるという。ましてYさんが船に乗っていたのは前世紀の話である。

「俺の船もさ、犬のっけたことはあったけど、だいたい途中でNGにしてたなあ」

 あいつら汚ねえんだもん、とYさんはウーロンハイをあおる。懐かしい懐かしいと楽しそうにしているが、そろそろ聞かない方がいい気がしてきた。マスターはそっと目を反らす。おのれ。

 犬と言えばさあ、と再びYさん。

「この前さ、暴れっから、てんめぇNGにするぞーって、こう、ぐーってやっちゃってさ」

 そう言って、両手で首を絞める動きをする。

「そしたら俺の足をさ、ガッガッて二回も蹴りやがったからさあ、腹立って結局NGにしちゃったんだよね」

 Yさんは笑う。一週間早かったんだけど、まあ仕方がねえよなあ、ははは。なんとかなったからなあ。ははは。とりあえずみんな喜んでくれたからよかったよお。はははは。あ、マスター、ごっそさん。

 Yさんはバンバンと僕の肩を叩くと、会計を済ませ、マスターが用意した領収書を置き忘れたまま、足を引きずって帰っていった。

 Tくんは既に意識を失いゆらゆらと前後に揺れている。僕は僕でいったいどうしたものかと困惑していた。あれはほんとうに犬の話だったのだろうか。犬に蹴られたくらいで一週間も足を引きずるとは考えずらい。だいたい犬なら噛むはずである。船の話もどこからどこまでがほんとうに犬の話だったのか。

 耐えきれず、僕はグラスを片付けているマスターに声をかけた。

「……Yさんて犬、飼ってましたっけ」

 マスターは静かに首を振ると、一杯奢るよ、と言った。

 

 了

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NG 塩見佯 @genyoutei

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