世界煌々

八重垣 東風

第1話 革命前夜


「民が怒っている」

 明朝、窓の外、群衆が一つの獣のように蠢き、その中を、燃ゆる松明と怒声が飛び交う。

 国家の天と地が入れ替わる。革命である。

 中央が圧政を敷き、国民を酷薄に扱えば、こうなることは目に見えていた。

 王国の宮殿、3階のある部屋、窓の内側でその人物は怒れる獣を冷たい目で見下ろしていた。

「殿下、これはッ!?」

 メイドが一人、焦った表情で部屋に飛び込んできた。

「この国そのものが……、瓦解したのだ」

 殿下と呼ばれたその人物は、動じることなく、眼下に見える炎の揺らめきを見つめている。

 メイドも、近寄って窓の外に視線を向けた。

「だから言ったのだ。民の締め付けは程々にせよ、と」

 彼は苦々しく、そう言った。

「ユーリア、逃げようか」

 彼は振り返り、まるで散歩にでも誘うかのようにいった。

「ど、どこへッ。囲まれてますよ!」

 と、ユーリアは八方塞がりだ、と訴えるが、彼は余裕の表情をしている。

 そして、彼は、そんなメイドに好意的な微笑を向け、彼女の額をピンと指で弾いた。

 彼は、微笑して、

「お前は馬鹿だな」

 と、彼女へ向ける視線は、あくまであたたかい。

「ほら、お前も持て」

 と、メイドへ、足元に置いてあったカバンを一つ投げ渡し、

「父上たちはすでに逃げた。己も逃げねば路上の晒し首ぞ」

 そう、メイドを脅すように言った。

「……あ、その格好は……?」

 と、メイドは今気づいたように、彼の服装を見つめた。

 彼は、普段着ている貴族の服は着ておらず、ボロのような布を重ねた——貧民街の者が着ているような——見窄らしい服を着ていた。

「お前も、ほら。着替えろ」

 と、彼は未だ状況が掴めていないメイドにも、ボロ布を数枚、丸めて投げた。

 メイドは、ボロ布を投げ渡されて、律儀に服を脱いで着替えようとしたが、殿下に止められた。

「時間がない。メイドの姿がわからないよう上から羽織るだけで良い」

 宮殿を囲む火は、大地を鳴らし迫ってくる。

「その髪留めはしまっておけ」

 と、メイドがしていた花柄の髪飾りをさした。

 それは、メイドがいつも肌身離さずつけているものだが、

「あ、はい」

 と、従順にその髪飾りを外して服のポケットにしまった。

「よし、さっさとここを出る」

「殿下、どうやって逃げるので?」

 メイドが首を傾げた。

 殿下に命じられるまま、ボロを着ているうちに落ち着きを取り戻していた。

 彼女の問いに、殿下と呼ばれる者はその答えをまだ言っていなかった。

 彼は振り返った。

 その姿は、亡国の人間とは思えぬほど風格がある。

 まだ若年、しかし鳶色の目をひからせ、落ち着いている。

 彼は……、いや今まさに滅亡しつつある王国の第三王子、エル・ワール・フィルデリアは、

「決まってる。俺も賊徒になるのさ」

 振り返りざま、快闊に笑った。


 

 嘗て、栄華を誇った王国の宮殿は厳粛、金や銀で彩った装飾や高名な絵師による絵画が至る所に飾られ、王の威厳と権力をあらわしていたが、それも昔の話。

 今は、暴徒で満ち溢れ、権威と富は泥と煤に塗れた。

 その渦中、階下の暴徒の足音を聞きながら、王子とメイドはマントを被り、宮殿内の廊下を走る。

「それとユーリア、これから己のことはホールと呼べ」

「ほ、ほーる?」

「己はこれより無名の一市民。その為には王族としての名を一時捨てねばな」

 エルは、愉快に哄笑した。

「は、はあ」

 ユーリアは困った顔で頷いた。

 聞き覚えがないわけではない。

 この王子は、好奇心でよく城下に下りており、その時はホールと名乗っていたからだ。

 ユーリアも、それに同行したことが何度かあるので覚えている。

 二人はそのまま廊下を突き抜け、突き当たりにある階段にまでたどり着いた。

 この階段を下っていけば一階の裏口に着くはずだが、すでに階下、二階にまで暴徒は迫って来ている様子である。

 普通に下へ降りたら、もしかしたら他の暴徒に疑問に思われるかもしれない。

「ユーリア、そこの窓から出るぞ」

 と、エルは廊下つきあたりの窓を指さした。この場所は宮殿の影になっているところで、確かにここから出れば見つからずに脱出できるかもしれない。

 窓を開け、下を覗くとすでに縄梯子が掛かっていた。

 予め用意していたのだ。

 そして、エルはユーリアを先に降ろし、自分は階下に向かって、

「おいッ、奥に人影が見えるぞ!」

 と、階下の者達へ叫ぶようにしていった。

 すると、階下は大騒ぎ。

 ——貴族かッ!?

 ——王族だろうッ!

 ——捕まえろッ!

 ——捕えろッ!

 ——縛り首だッ!

 暴徒達は、標的得たりと大声地を鳴らす勢いで三階へ駆け上がってきた。

「あっ、遠くへ逃げていくッ。急げ!」

 さらにエルが叫ぶと、暴徒達は狂奔。

 宮殿内は雷鳴の如く轟き、制止するに叶わない。

 彼は、暴徒が三階へ到達する前に外へ飛び出し、するすると縄梯子を降りた。

「さて、行くぞ」

 彼はあくまで冷静、暴徒の跋扈する宮殿を尻目に、縄梯子を持っていたカバンの中に押込み、人気の無い裏庭をすたすたと歩き始めた。

 逃走経路は、すでに計画済みらしい。

「……」

 ユーリアは、無言で彼に付き従った。

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