第31話 招かれざる凱旋、許都へ


​ 袁術を滅ぼし、徐州へ戻った劉備軍。


 だが、勝利の余韻に浸る間もなく、朝廷からの勅使がやってきた。


 その内容は、「袁術討伐の功績を称えるため、天子(献帝)のいらっしゃる許都(きょと)へ参内せよ」というものだった。


​「天子様からの直々のお召しだ! これは名誉なことだぞ!」


​ 劉備は無邪気に喜んでいたが、広間に集まった幕僚たちの顔色は優れない。


 特に俊樹は、勅書を見つめながら眉間に深い皺を刻んでいた。


​(……来たか。史実通りだ)


​ 許都にいるのは天子だけではない。天子を傀儡(かいらい)として操る、曹操孟徳がいる。


 これは栄転に見せかけた「召喚状」であり、劉備という危険分子を自分の目の届く鳥籠に閉じ込めるための罠だ。


​「兄上。……手放しで喜んではいけません」


​ 俊樹は静かに、しかし断定的に告げた。


​「行けば、二度と徐州には戻れないかもしれません。曹操は兄上の人望と器を警戒しています。許都に入った瞬間、我々は人質同然です」


「な、なに? では断るか?」


「断れば、『勅命違反』として曹操に討伐の大義名分を与えることになります。……行くしかありません」


​ 俊樹は劉備の目を見据えた。


​「ただし、生き残るためには策が必要です。兄上、今日から曹操の前では、徹底的に『牙を抜かれた凡人』を演じていただきます」

​                

​ 数日後、劉備一行は許都に到着した。


 都は曹操の強大な軍事力によって統制され、活気はあるものの、どこか張り詰めた空気が漂っていた。


​ 謁見の間。


 若き皇帝・献帝(けんてい)は、劉備を見るなり涙を流して喜んだ。


​「そなたが中山靖王(ちゅうざんせいおう)の末裔、劉備玄徳か。……系図を調べさせたところ、予の叔父にあたることが分かった。これからは『皇叔(こうしゅく)』として、予を支えてくれ」


「は、ははっ! 身に余る光栄……!」


​ 劉備は感涙に咽(むせ)び、平伏した。


 だが、その玉座のすぐ脇には、剣を帯びたままの曹操が立っている。


 曹操は冷ややかな目で、涙を流す二人を見下ろしていた。


​(……やれやれ。感動の対面だが、曹操から見れば『傀儡が勝手に味方を作ろうとしている』ようにしか見えないな)


​ 俊樹は列席しながら、曹操の殺気を感じ取っていた。


 史実を知る俊樹だからこそ分かる。曹操は合理主義の塊だ。劉備を生かしているのは「今のところ利用価値がある」か「殺すと世間の評判が悪くなる」からに過ぎない。

​                

​ その夜、劉備たちに与えられた屋敷。


 俊樹はすぐに劉備、関羽、張飛を集めた。


​「いいですか、兄上。曹操は疑い深い。兄上が少しでも『天下を狙う野心』を見せれば、即座に暗殺されます」


「う、うむ。ではどうすればいい?」


「明日から、畑仕事を始めてください」


​ 劉備と関羽たちがポカンとする。


​「は、畑? なぜだ?」


「政治にも軍事にも興味がない。今の楽しみは野菜を育てることだけだ……そう周囲にアピールするんです。そうすれば、曹操も『劉備は終わった男だ』と油断します」


​ 史実では、劉備は自発的にこれを行うが、今回は俊樹が先手を打って指示を出した。徹底しなければ、あの曹操の目は欺けない。


​「わかりましたか? 張飛殿も、街で暴れてはいけませんよ。ただの陽気な酒飲みに徹してください」


「ちぇっ、窮屈なこったな」


​ そこへ、屋敷の扉が叩かれた。


 曹操軍の軍師・荀彧(じゅんいく)からの使いだった。


​「佐藤俊樹殿。……曹操様が、個人的にお話がしたいと仰せです」


​ 室内の空気が凍りついた。


 俊樹は小さく息を吐き、隣に控える玲花と貂蝉を見た。


​「……二人とも、来てくれるか?」


「もちろんです、俊樹さん。片時も離れません」


「貴方様の盾となりましょう」


​ 二人の妻(眷属)が、俊樹の両脇に寄り添う。


 俊樹は二人の腰にそっと手を回し、安心させるように微笑んだ。


​「ありがとう。……大丈夫、ただの顔合わせだ。行ってくるよ」

​                

​ 案内されたのは、曹操の私邸の一室。


 曹操は書物を読んでいたが、俊樹が入室すると顔を上げ、興味深そうに目を細めた。


​「よく来たな、佐藤俊樹。……そして、後ろの二人はいつ見ても見事だ。傾国の美女を二人も侍らすとは、貴様も隅に置けん男よ」


​ 曹操の視線は、玲花と貂蝉の美貌、そして彼女たちが纏う人外の気配を見定めているようだった。


​「過分なお褒めの言葉、痛み入ります。……ですが、彼女たちは私の飾りではありません。私の命そのものです」


​ 俊樹は丁寧に、しかし毅然と答えた。


 曹操はフッと笑い、酒を勧めた。


​「単刀直入に聞こう。……劉備はどうだ?」


「どう、とは?」


「天下を狙える器か? それとも、ただの偽善者か?」


​ 試されている。


 ここで劉備を褒めすぎれば警戒され、貶しすぎれば嘘だとバレる。


 俊樹は、あらかじめ用意していた答えを口にした。


​「……兄上は、仁義の人です。困っている人を見ると放っておけない。ただ、それだけの男です」


「ほう?」


「天下を統べるような覇気はありません。今の兄上の関心事は、明日の天気が晴れて、カブが大きく育つかどうか……それだけのようです」


​ 俊樹は肩をすくめて苦笑してみせた。


 曹操はジッと俊樹の瞳を覗き込み、やがて楽しげに笑った。


​「カブ、か。……あの劉備が農夫に成り下がったか。面白い」


​ 曹操の殺気がわずかに薄れた。


 俊樹の「未来を知る知識」に基づく根回しが、第一関門を突破したのだ。


​「だが俊樹。貴様は違うな。……その瞳、ただの軍師ではない。まあよい、しばらくは余の賓客として楽しむがいい」


​ 曹操は退出を許可した。


 屋敷を出た俊樹は、夜風に当たって冷や汗を拭った。


​(……なんとか誤魔化せたか。だが、本番はこれからだ)


​ 歴史通りなら、次は「衣帯詔」事件が起きる。


 血塗られた密勅。それに関われば、劉備一派は破滅する。


 俊樹は夜空を見上げ、決意を新たにした。


​(絶対に署名なんてさせない。……歴史を変えてでも、兄上とみんなを守ってみせる

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