三国志演義〜転生した俺は知識と神の権能を使い劉備を王にする

Ricoh

第1話 黄天の世に降り立つ

春の暖かな日差しが、まぶたを優しく叩いている。

 佐藤俊樹(さとう としき)は、土と草の濃密な匂いを感じながら、ゆっくりと意識を覚醒させた。


​「……ん」


​ 目を開けると、そこに見えたのは見慣れた施設の天井でも、新しく通うはずだった高校の教室でもなかった。どこまでも高く、突き抜けるような蒼穹(そうきゅう)。そして、視界を覆うほどの巨大な樹木の枝葉だった。


​ 体を起こすと、乾いた土埃が舞う。

 俊樹は自分が、見渡す限りの荒野と、点在する森林の境界付近に寝転がっていたことを理解した。


​「ここは……どこだ?」


​ 不思議と恐怖はなかった。


 俊樹は自身の胸元に手をやる。シャツの下、肌に直接触れている硬質な感触。勾玉(まがたま)のネックレスだ。5歳の時に交通事故で両親を亡くして以来、片時も離さず身につけている唯一の形見。

 その勾玉が、今はほんのりと熱を帯びているように感じられた。


​ 立ち上がり、周囲を見渡す。

 空気が違う。


 日本の、排気ガスと人工的な騒音に満ちた空気ではない。肺いっぱいに吸い込むと、土の香りと共に、どこか鉄錆びたような、あるいは古びた紙のような匂いが微かに混じっている気がした。


​ 俊樹は背負っていたリュックサックを確認した。

 通学用に買ったばかりの安物だ。中には、施設を出る時に持たされた500mlのミネラルウォーターが一本と、昼食用の菓子パンが二つ。それに筆記用具と数冊のノート。


 スマホは……圏外だ。それどころか、電波という概念そのものがこの空間には存在しないような、絶対的な静寂があった。


​「夢、じゃないな」


​ 頬をつねるという陳腐な確認はしなかった。肌を撫でる風の質感、遠くで鳴く聞いたこともない鳥の声、そして何より、自身の内側から湧き上がる高揚感が、ここが現実であることを告げていた。


​ 俊樹には、現代日本への未練など欠片もなかった。

 両親を失ってからの10年間は、ただ「生きる」という作業をこなすだけの日々だった。養護施設の人々は優しかったが、それは職務としての優しさだ。本当の意味で自分を愛してくれる人間など、あの世界には一人もいなかったのだから。

​(だとしたら、ここはどこだ? 異世界か、それとも過去か)


​ 俊樹は歩き出した。


 しばらく歩くと、小高い丘に出た。そこから眼下に広がる光景を見た瞬間、俊樹の全身に電流のような衝撃が走った。


​ 遥か彼方、霞むように見える都市の城壁。

 その城壁の形、風にはためく旗の紋様。


 そして何より、街道を行き交う人々の服装――漢服(かんぷく)に身を包み、髷(まげ)を結った男たち。


​ 俊樹の脳裏に、貪るように読み込んだ知識がフラッシュバックする。


 図書館の隅で、孤独を埋めるように読み耽った物語。英雄たちの武勇、軍師たちの知略、そして数多の血が流れた動乱の歴史。


​「まさか……」


​ 俊樹は震える唇で、その言葉を紡いだ。


​「三国志……いや、後漢末期の世界か?」


​ 確信に近い直感があった。


 なぜ分かるのか、論理的な説明はつかない。だが、この空気の「味」を知っている気がした。血と鉄と、野望の味がする。


​ 俊樹は、歴史オタクなどという生易しいレベルではなかった。正史、演義、あらゆる関連書籍を読破し、年表や地図はすべて頭に入っている。


 もし今が、あの黄巾の乱の前夜だとしたら? あるいは群雄割拠の只中だとしたら?


​「面白い」


​ 自然と口角が吊り上がった。

 平凡で退屈で、孤独だった佐藤俊樹の人生は終わったのだ。


 ここが暴力と才覚だけが支配する乱世ならば、遠慮はいらない。


​ 俊樹の瞳の奥に、冷徹な光が宿る。

 彼は基本的に温厚で優しい少年だ。施設でも年下の子供たちの面倒をよく見ていた。


 だが、それは「敵ではない」相手に対してだけだ。

 彼の本質には、両親を理不尽に奪われたあの日から、世界に対する冷めた怒りと、自分の平穏を脅かす者への徹底的な排他性が眠っていた。


​(生き抜いてやる。知識を使って、この乱世を)


​ 俊樹は再びリュックを背負い直すと、城壁が見えた方角とは逆の、小さな村落が見える方へと足を向けた。


 まずは情報の収集だ。今は何年なのか、ここはどの州なのか。

​ 一歩を踏み出すたびに、胸元の勾玉が衣擦れに合わせて小さく揺れる。


 俊樹はまだ知らない。


 その勾玉に、日本の神話に連なる八百万の神々の力が宿っていることを。


 そして自分が、この大陸の歴史を根底から覆す「覇王」となる運命にあることを。


​ 風が強く吹き始めた。


 まるで、新たな英雄の誕生を祝福するかのように、あるいはこれから訪れる血の嵐を予感させるように、荒野の草花を激しく揺らしていた。

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