[800字]晴耕雨読

青切 吉十

晴れの日、諸葛亮はなにをしていたか

 「晴耕雨読」という成語がある。

 漢字源によると、『晴れた日は野に出て耕し、雨の日は家にいて読書する。自由な境遇をいう』とある。

 若い人は知らないだろうが、昔は「晴雨読」というなまえのブログがたくさんあった。


 さて、この「晴耕雨読」だが、語形からして、何となく日本産の成語かと思っていたら当たりで、中国にこの言葉はないようである。なお、日本での初出はよくわかっていない。


 上のうんちくからするとちょっとふしぎな話だが、この「晴耕雨読」で有名なのは、諸葛亮である。

 諸葛亮が劉備に出会う前、けいしゅうにいたころ、「晴耕雨読」の生活をしていたことは、三国志を好きな者なら大抵知っている。

 たしかに、そういう生活をしていたらしい。

 しかし、ここで気をつけなければならないことは、高島俊男に言わせると、諸葛亮が、実際にすきくわをにぎってはいなかっただろうということだ。

 それは、一種のたとえで、自分の土地からあがってくる収入で食べていたようである。

 そうすると、諸葛亮は晴れの日はなにをしていたのだろうか。

 晴れの日も読書をしていたのであろうか。百姓の管理でもしていたか。それとも人に会っていたか。来るべき、その日にそなえて……。諸葛亮の二つ名は「伏龍」であった。


 劉備は諸葛亮個人の才覚を認めて、自分より立場が下の諸葛亮のもとへ何度も出向いたとされているが(三顧の礼)、劉備が求めたのは諸葛亮個人だけではない。諸葛亮は荊州の閨閥(妻の一族を中心に結ばれた人のつながり)とつながりがあり、数は少なかっただろうが、友人・知人に知識人がいた。おそらく、劉備は諸葛亮のその面にも興味があったであろう。荀彧が曹操の家臣になったとき、その一族の知識人たちも連れて来て、曹操がたいへん喜んだという話があるが、それも狙っていたのだろう。

 優れた人というのは、ひとつの手段に複数の目的を持たせる。劉備もそういう人間だったにちがいない。

 と、それは、まあ、正史の劉備びいきの私だから、そう見えるだけかもしれないが。

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