第六話 召命
その知らせは、春の気配がようやく山肌に触れ始めた頃に届いた。
里の奥、屋敷の一間。囲炉裏の火は落とされ、昼の光が障子を白く染めている。影刻は座したまま、藤原定衡の使者の言葉を聞いていた。使者は丁重で、言葉を選び、何度も頭を下げたが、用件そのものは簡潔だった。
「――二十六日の午前、桜の多き御所にて、恩寵の儀が執り行われます」
影刻は黙って頷いた。それ以上の言葉を求めることもなく、ただ承ったとだけ返す。その声に揺れはない。
使者が下がると、影刻はそのまま立ち上がり、四天を呼ばせた。
集まったのは、真四郎、無明丸、椿、朧火。いつもと変わらぬ顔ぶれ、いつもと変わらぬ距離。だが、室の空気には、わずかに張りつめたものがあった。
「恩寵の儀が行われる」
影刻は要点だけを告げた。
「二十六日、午前。神衛衆の功を労うとのことだ。帝もお出ましになる」
沈黙が落ちる。
最初に声を上げたのは朧火だった。
「……え。恩賞?」
目を瞬かせ、どこか拍子抜けしたような顔で首を傾げる。
「何か貰えるんですか。酒とか……食い物とか」
椿が、ちらと朧火を見るが、咎めることはしない。ただ静かに口を開いた。
「十四日後、ですか。ずいぶん急ですね」
影刻はそうだなと短く返す。それ以上の感想はない。
「……しかし、帝自らとなれば、断る理由もありません」
椿の声音には疑念はない。ただ、事実を受け止めているだけだ。
無明丸が、腕を組んだまま低く言った。
「これまで……そのような儀が行われた例はありませんな」
誰かを責めるでもなく、ただ過去をなぞるような口調だった。
「半年後には、南北が一つになるという話も聞こえております。その前に恩賞とは……少々、腑に落ちませぬ」
影刻は無明丸を見たが、咎める色はない。
「前例がないからといって、異であるとは限らぬ」
淡々とした声だった。
そのとき、真四郎が口を開いた。
「無明丸の言う通りだ。……だが、だからこそ、なのかもしれない」
三人の視線が、自然と真四郎に集まる。
「統一が成れば、神衛衆の在り方も変わる。――あるいは、役目を終えた者として、労われる……そういう儀なのでは」
言葉を選びながら、真四郎は続けた。
「我らの務めが、一区切りつく。その前触れとしての恩賞……そう考えれば、筋は通る」
朧火がぽかんとした顔で言う。
「え、じゃあ……仕事、なくなるんか?」
「……そういう話ではない」
椿が静かに返す。
影刻は、しばし四天を見渡した。四人とも、異なる思いを抱いている。それは分かる。だが、恐れはない。疑いもない。
「いずれにせよ」
影刻は言った。
「我らの務めは変わらぬ。儀があろうと、統一があろうと、帝を護る。それだけだ」
その言葉に、四天は誰一人として異を唱えなかった。
真四郎だけが、ほんの一瞬、口を開きかけて――閉じた。
(……先代なら、どう見ただろうな)
胸に浮かんだ考えは、声にならない。影刻の横顔には迷いがなく、その姿を見てしまえば、言葉を差し挟む理由も見失われる。
影刻は、四天を信じている。四天もまた、影刻を信じている。だから、この場に亀裂は生まれなかった。
ただ、山の外では、誰かが静かに歯車を回している。それをこの時点で知る者は、ここにはいなかった。
何事もなければよい――
そんな言葉すら、誰の口にも上らぬまま。春は、何事もない顔で、里へ近づいてきていた。
た。
一方、先代影之のもとにも知らせは届いていた。
屋敷の奥、病床に伏す雉裂影之のもとへ、若い者が膝をついて控えた。
「先代様、棟梁より伝言にございます。来る二十六日、御前にて恩寵の儀が行われる由。神衛衆の功をねぎらうためとのことにございます」
影之は目を閉じたまま、しばし沈黙した。
囲炉裏の火が、ぱちりと爆ぜる。その音だけが、やけに大きく響いた。
「……そうか」
それ以上の言葉はなかった。
若者は続ける。
「棟梁影刻様は、すでに四天へもお伝えになったと」
影之の喉が、かすかに鳴る。
「影刻は……いつも通りであろうな」
「はい」
「あいつはそういう男よ」
「はっ?」
影之は、ゆっくりと息を吐く。
「よい。里には、余計なことを伝えるな」
「……は」
「儀は儀だ。何事もなければ、それでよい」
若者は深く頭を下げ、部屋を辞した。
ひとり残された影之は、天井を仰いだ。
「……何事も、なければよいが」
それは願いだったのか、独り言だったのか。影之自身にも分からぬほど、静かな声だった。
囲炉裏の火は、何も答えず、ただ赤く揺れていた。
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