明日を迎えたくない僕たちに必要な7つのこと
千歳 一
一話 「6:30に再度アラームされます。」
夢の中で曲を聞いた。たぶんミスチルだと思う。
自分好みのメロディーだったが、タイトルが分からない。覚えている限りの鼻唄を聴かせても、スマートフォンには心当たりがないらしい。そうしているうちに目が覚めてきたので、諦めて縦になることにした。これは「横になる」以外の人間の状態を指す。
「こんなに四角だったんだな、俺の部屋は」声に出してみる。部屋からは一切の家具が運び出され、最低限の日用品だけが無造作に床に散らばっていた。もはや「部屋に大学生が住む」ではなく「箱の中に人が居る」だ。しかし幸いにも次の生活が保証されている俺は、安心して顔を洗ことにした。
「社員はアルバイト勤務と一切の性質が異なる。そのことを自覚せよ」オールバックの人事は登場するや否や前置き無くそう言った。それは何故か、そう問われた隣の女子は即答できず顔を青くしていた。人事は予定通りという顔で説教を始める。
今後俺たちが提供するべきは、時間ではなく個々人の能力になるらしい。決められた時間椅子に座って、言われた仕事だけをこなす社員に払う金はない。要約するとこんな感じだろう。
では新卒が提供できる能力とは何か。遥か前方に座る筋肉達磨が手を挙げる。仏頂面だったオールバックが初めて口角を上げた。ああ、確かにこいつが好きそうなタイプだな。
「それは、貴方たちが積み上げてきた過去にあります」
ん?
「これまでの人生で皆さんは様々な経験をして、成功をして、失敗をして、時には挫折も味わったでしょう」
はあ。
「そのときに何を思いましたか? 次はやり方を変えてみようとか、何くそ負けるか!とか、いろんな工夫があったはず。だからこうして皆さんは高い倍率をくぐり抜け、当社へ入ることが出来たのでしょう」
なるほど。
「生きるため、成功するためにそれぞれが行ってきた創意工夫や熱意は、当社で活躍するにあたって大事な資産になると信じています。だから皆さんには自分の過去を大事にしてほしい。それは誰にも真似が出来ない、貴方だけの価値になるはずです。もちろん、その価値は私たちも尊重します」
おお、と納得の声が方々で上がる。とどめと言わんばかりに人事は声を張り上げてスピーチを締める。そうして入社説明会は成功裏に幕を閉じた。
さて、明日の退去日までには残りの荷物を新居へ送らなければならない。スーパーへ空き箱とガムテープを調達して、集荷を依頼することが今日の仕事だ。手始めに配送予定の品をリストアップして段ボールの大きさを見積もることにした。何冊かの文庫本と、食器類と、最低限の着替え。
そして、四十cm四方の箱が一つ。
こいつのせいで、宅配料金は百サイズを超えそうだ。工具箱に似た形のそれを、俺は部屋の真ん中へ蹴やる。中身ががちゃりと音を立てた。
あ。
その音で、箱の内容物に思考が向いてしまった。それは俺の資産であるはずの過去の思い出に繋がり、そして懐かしさへ、
自分が覚えている一番古い思い出へ、ぼやけた輪郭を持つ女性の言葉へ繋がった。
「一年に一つずつ、一番大切な物をこれに入れるの。忘れないためにね。約束よ」
約束だから。俺は守り続けた。
無意識のうちに、俺は留め具を外して箱を開けていた。中は雑多な物で満ちていた。このクリアファイルは去年入れたもの。内定通知書と雇用条件通知書が挟まっている。我ながらよく入れたなと感心する。一昨年は、球団SのH選手がホームランを放った野球ボール。まさか自分の席に飛んでくるとは思わず、ボーッとしていた俺は鎖骨で受け止めた。治療費六千円を加味しても余りある価値を持つだろう。
うん、よく覚えている。何も問題は無い。しかし三年前、四年前は……と思い出を遡る俺の手は、必然的に七年前で止まる。
入っていないのだ。それより前は。
最古の品は優勝盾だ。「都立赤塚北高校体育大会優勝記念 一年七組」と金の字で彫られていた。
俺はここの生徒だった。それは記憶の範疇だ。つまり受験を経て、いやそれ以前に俺はこの高校を志望して、ここに入ったはずだ。
どうやって?
この箱の中身と同じだ。俺には七年より前、高校入学以前の記憶が無い。
俺の人生は、指定のブレザーと、この部屋での一人暮らしと、「思い出の箱」と、これを渡した女性の言葉から始まっている。
人事の言葉が甦る。「皆さんには自分の過去を大事にしてほしい」
俺には、大事にするべき過去の積み重ねが、割合にしておよそ三分の二が無い。
そのハンデは、無意識に表出する俺の言葉や表情にも陰りを与えていた。
この箱は、俺に残された僅かな価値だ。だから俺は幾度もこれを開けた。その中の思い出をなぞった。もっと前のことを思い出そうとした。でも、出来なかった。
逆回しのエピソードはいつも同じ方向に収斂して、最後はこの部屋にたどり着く。窓から夕焼け色の町を見ている、高校一年の俺の姿に。
通算数十回目の諦めと共に箱を閉じる。ありもしない過去を求めるより、確実に訪れる未来を心配したほうが価値がある。そしてその第一歩はスーパーの段ボール放置コーナーにある。俺は箱の取っ手を持ち部屋の隅へ――。
がたん、
箱の中身が全部出た。留め具が開けっ放しだった……。思い出の品々が、広くなった床に散逸する。その様子がなぜかとても怖くて俺は急いで拾い集める。
箱のそばに、同じ色の見慣れないものが転がっていた。底面と同じくらいの大きさの、四角いトレーのようなもの。拾い上げ、そこで合点がいく。
これ、二重底じゃないのか。工具箱にはよくある構造だが、あまりに綺麗に収まっていたのか、これまで七年間存在に気付かなかった。底なんてよく見なかったからなあ、と俺は箱を手に取る。
外れたトレーのさらに下、箱の本当の底に、それは挟まっていた。
灰茶色の藁半紙だった。まるで小学校で配られる質の悪いプリントのような。
綺麗に折り畳まれたそれを底から剥がし、開いてみる。
一瞬、脳内が赤く染まったような感触を覚えた。何かが変だ。これは、触れていい代物ではない。
でももう遅かった。紙と同じく質の悪い印刷内容は、不思議なほど滑らかに俺の中へ浸透する。
『立待北中学校三年一組
『大人になったらやりたいことリスト』
頭の中で、大きな音がした、気がした。
明日を迎えたくない僕たちに必要な7つのこと 千歳 一 @Chitose_Hajime
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