第4話:泥水を啜る者、スープを飲む者


「早く兵站を差し出せ! 帝国の誇り高き騎士を差し置いて温かい飯を食うなど、万死に値する不敬であるぞ!」


 ロジは、眼前に突きつけられた冷たい鋼鉄を、一瞥だにしなかった。

 彼はゆっくりと、手にした万年筆を帳簿の上に置いた。カチリ、という硬質な音が重く響く。


「没収? 兵站を差し出す? ……無理ですね。法的根拠がどこにも存在しない」


「何だと? 貴様、自分の立場を理解しているのか!」


 バルバロスが顔を紫に染めて吠える。だがロジは動じない。彼は羊皮紙をバルバロスの眼前に掲げる。


「事実は一つ。この兵站は私の所有物です」


 ロジは、万年筆の先で羊皮紙の一箇所を指し示した。そこには、行軍会議の席上、バルバロスが激昂しながら書き殴った署名が、醜く歪んで残っている。


「あなたの署名サインにより、この軍の本体の食料車はすべて『戦勝祝いの酒樽』に置き換えられた。よって、現在この軍が公的に所有している食料は、この山道のどこにも存在しません。今ここで俺たちが口にしているのは、俺が私費で買い取った『私の資産』であり、軍の資産ではない。これを奪う行為は、帝国軍法第十二条――私有財産の強制略奪に抵触します」


「屁理屈をッ! ここは戦場だ、私の言葉が法だ!」


 バルバロスは激昂し、剣を握る手に力を込めた。凍えた筋肉が、剣先が小刻みに震える。


「私を殺して奪うならばご自由に。その代わり、この書類が然るべき所へ届くことになるでしょう」


「どうやってその書類を本国へ送るつもりだ? 通信兵も凍死し、ここは吹雪の山中だ。貴様を今ここで斬り捨てて証拠を燃やせば、すべては闇の中よ!」


 バルバロスの言葉には、追い詰められた獣のような浅ましさが漂っていた。

 ロジは銀縁の丸メガネを指先で直し、隣に控える少女剣士ティナへと視線を向けた。


「簡単な話です。「剣聖の加護」を持つ、このティナの速さと強さは本隊でも有名でしょう。私のような足手まといがいなければ、彼女一人で王都まで逃げおおせることなど、造作でもないんですよ」


 ロジの言葉に呼応し、ティナが音もなく抜刀した。

 暖かなスープで胃を満たし、休息を十分に取った彼女の動作は、剣を持つ手すらおぼつかない騎士たちとは根本から違った。鞘から抜かれた刃が、テント内の明かりを反射して美しく、不気味に輝く。


「俺を殺した瞬間、彼女は走り出す。お前の破滅を記したこの書類を持ってな。……選べ、バルバロス! 俺を殺して、お前が『ゴミ』だと罵ったものを奪い、後に軍法会議で首を吊るか。それとも空腹のまま、誇り高く戦死するか。二つに一つだ」


 テント内に沈黙が降りた。

 バルバロスの剣は、怒りと寒さ、そして逃げ場のない正論への恐怖によってガタガタと音を立てて震えている。


 その背後に立つ騎士たちもまた、言葉を失っていた。彼らの視線は、ロジの書類とティナの剣、そして大鍋の中で揺れるスープの間を彷徨っている。


「……ふざけるな」


 バルバロスが絞り出すような声を出した。その時、精鋭騎士の一人が、空腹に耐えきれずスープの鍋に手を伸ばそうとした。湯気に当てられ、理性が崩壊したのだ。

 ロジがそれを、氷のような冷徹な声で制止した。


「それは腐りかけの脂身と野草を煮込んだ泥水だ。高貴な騎士様が口にするものではないな。……酒なら、あそこの道端で凍りついているはずだ。それを舐めていればいい」


「貴様ぁ……っ!」


 騎士が逆上しようとしたが、ティナの切っ先がその喉元に突きつけられた。

 万全の体調を誇る彼女に対し、凍えきった騎士では勝負にすらならない。

 結局、バルバロスは屈辱に顔を歪めながら、震える手で剣を鞘に叩き込んだ。


「……フン、ゴミなど食えるか! 計算機風情が、増援が来れば真っ先に貴様を軍規違反で処刑してやる! 覚えていろ!」


 バルバロスは負け犬の捨て台詞を吐き捨て、テントを飛び出していった。

 乱暴に開かれた幕から、凄まじい冷気がなだれ込み、コンロの炎を一瞬だけ揺らす。だが、その冷気よりも先に、バルバロスの腹が盛大に鳴る無様な音が、ロジの耳に届いた。


 再び訪れた静けさの中、吹雪の音だけが天幕を揺らす。

 ロジは帳簿に向き直り、青墨の万年筆で最後の一行を書き加えた。深い蒼のインクが、白い紙に吸い込まれていく。





 深夜。

 皆が寝静まった頃、ロジたちのテントに一瞬、凍えるような寒気が流れ込んだ。

 脂身燃料の残り火が照らし出すのは、鍋に残った冷めたスープを、獣のような浅ましさで貪り食う太った影。


 バルバロス将軍だった。彼は理性を捨て、盗み食うという行為に手を染めていた。


 パチン、と指を鳴らす音が響き、魔法の灯火がテント内を照らし出した。


「……やはり来たか。わかりやすいほど計算通りだ」

 ロジが冷徹な声を上げ、隣ではティナが氷のような眼差しで抜刀していた。


「あ、あわわ……貴様、起きていたのか!」


 スープで口の周りを汚したバルバロスが狼狽する。だが、彼はすぐに開き直り、汚い笑みを浮かべた。


「ええい、構わん! たかがスープの一杯、将軍である私が食してやったのだ、光栄に思え!」


 ティナが殺気を放ち、一歩踏み出そうとしたが、ロジがそれを手で制止した。


「その必要はないよ、ティナ。この豚は法を破り、俺の私財に手を付けた。俺が直接、裁くのが筋というものだよ」


「何が裁くだ! 貴様ごときの「算術の加護」で何ができる!」


 バルバロスが嘲笑う。ロジは懐から、あの青墨の署名が記された羊皮紙を取り出した。

 次の瞬間、羊皮紙が不気味で鮮烈な蒼い光を放ち始めた。


「な、なんだ……この光は……ぐ、あ、あああッ!?」


 バルバロスが突然、己の喉を掻きむしりながら崩れ落ちた。彼の顔面に、青黒い血管が浮き上がり、蛇のようにのたうち回る。


「な、なにを……した……ッ!」

 もがき苦しみながら問うバルバロスに、ロジは冷酷な眼差しを向けた。


「加護の発動だよ。お前がそのインクで『署名』したときに、『契約』は締結した。お前の命は俺握られていたんだよ」


「馬鹿な……お前は……底辺の事務屋……『算術の加護』の持ち主のはずじゃ……」

「俺の計算の早さは、ただの地頭の良さだよ。本当の加護は――『契約の加護』だ」


 ロジが邪悪な笑みを浮かべる。バルバロスは目を見開いた。


「け、契約の加護だと……! 覇王の加護オーバーロード・グレイスの一つではないか……なぜ、貴様のような植民地出身の三等市民が……」


「黙れ。この悪徳貴族が。……お前の命を天秤に載せた契約、ここで履行する!」


 ロジが背を向けると同時に、青い光がバルバロスの全身を焼き尽くすように収束した。断末魔の叫びすら上げられず、帝国軍将軍バルバロスは、自らの署名に裏切られて絶命した。


 静寂が戻ったテントの中。

 ロジは懐中時計を取り出し、青墨の万年筆を動かした。


「……はぁ。バルバロスが死ぬまで、十時間も計算がズレてしまったな」

 ロジは万年筆のキャップをカチリと閉め、銀縁の丸メガネを直した。


「こいつの愚かさを係数に入れるのを忘れていたよ。……度し難い」


 青いマントを翻し、事務屋は再び静かに椅子に座った。



 翌日。

 敵要塞グスタフへ向かう軍列は、頭を失った蛇のように、行き場を失った。



(完)



――


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蒼墨のロジスティシャン 〜無能な将軍たちが酒を積んで凍死する中、ゴミと脂身で聖域を築く事務屋の勝利確定計算〜 いぬがみとうま @tomainugami

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