バトルロイヤルの世界に単独殲滅者

yoU

第1話 選定

 ある日、世界中の人々が一斉に硬直した。

 歩いていた者は足を止め、言葉を交わしていた者は口を閉ざし、

 銃声も、車のエンジン音も、風の音さえ――途絶えた。


 次の瞬間、

 視界は真っ黒になった。


 光はなく、上下も距離もわからない。

 ただ、どこまでも深く沈んでいくような闇が広がっている。

 自分の身体があるのかすら曖昧で、

 心臓の鼓動だけが、まだ「生」を主張していた。


 やがて、闇の奥から声が響く。

 それは男とも女ともつかず、

 感情という概念を削ぎ落とした、世界そのものの声だった。


 ――選定を開始する。


 その言葉と同時に、理解が流れ込む。

 説明されずとも、誰もが悟ってしまった。


 人類は、選ばれた。


 人々は二つに分けられる。

 一方は、かつて人であった者――人族。

 もう一方は、人であることを捨てる資格を与えられた者――魔族。


 理由は語られない。

 基準も明かされない。

 善悪も、功績も、努力も関係ない。


 ある者は人として戦場に放り出され、

 ある者は魔として力を与えられる。


 そして、最後に告げられた。


 ――この世界は、生き残りを決めるための舞台だ。


 闇が裂け、光が戻る。

 だが、元の世界ではなかった。


 そこにあるのは、

 逃げ場のない世界と、ただ一つのルール。


 生き残れ。


 焔堂 灯也えんどうとうや

 それが、僕の名前だ。


 黒髪で、どこにでもいそうな、普通の男。

 物語の中心に立つような顔でも、

 誰かを惹きつける特別な才能があるわけでもない。


 父は、強さを望まなかった。

 英雄にも、勝者にも、なってほしいとは思っていなかった。


 ただ――

「消えないでほしい」

 それだけだった。


 この世界は、優しいものから先に壊れていく。

 正しい者ほど傷つき、

 声を上げない者ほど踏みにじられる。


 父は、それを知っていた。


 だから「焔」という字を選んだ。

 すべてを焼き尽くす炎ではない。

 嵐の中でも、

 踏みにじられても、

 それでも消えずに残る、小さな焔。


 母は、「灯」を選んだ。


 闇を否定しなくていい。

 世界を変えられなくてもいい。

 誰かを救えなくてもいい。


 それでも、

 自分が立っている場所だけは、照らしていけるように。


 泣いている誰かの隣で、

 言葉がなくても、

 そこに在るだけで、夜を越えられるように。


「也」は、祈りだった。


“そうなれ”ではない。

“そうであれ”という、強制でも願望でもない言葉。


 お前が選んだ姿で、生きろ。


 それが、親から子へ許された、

 唯一の自由だった。


 ――だが。


 そんな大層な名前を持っていても、

 僕は自由ではなかった。


 高校時代、鬱病を発症した。

 理由は、はっきりとは覚えていない。

 気づいた時には、

 朝が来ることが怖くなり、

 未来という言葉が、空虚に聞こえるようになっていた。


 入退院を繰り返し、

 時間だけが過ぎていく。


 友人は距離を取り、

 励ましは、やがて沈黙に変わった。


 善意は信じた分だけ痛くなる。

 約束は、守られなかった時に刃になる。


 だから、学んだ。


 人は信用しない方が、楽だ。


 期待しなければ、失望もしない。

 寄りかからなければ、突き落とされることもない。


 心を閉ざし、

 世界と距離を取って、

 それでも息をしているだけの日々。


 ――そんな僕に、

 あの日、世界は告げた。


 選定を開始する、と。


最初は、訳が分からなかった。


視界が奪われ、

世界が止まり、

得体の知れない声が響いた。


けれど正直に言えば、

そんなことはどうでもよかった。


この胸を締めつける自己否定も、

息をするたびに湧き上がる希死念慮も、

全部、終わらせてくれるなら何でもよかった。


人として生きることが、

もう限界だった。


だから、願った。


――選ばれるなら、

人でない何かにしてくれ。


祈りでも、呪いでもなく、

ただの本音だった。


そして、案の定。


選ばれたのは、魔族だった。


身体の奥に、

冷たいものが流れ込んでくる。

骨の一本一本が、

別の規則で組み直されていく感覚。


痛みはない。

恐怖もない。


代わりに――

久しぶりの、達成感があった。


「やっと、外れた」


人であることから、

社会から、

期待から、

そして何より――

自分自身から。


あとで知ったことだが、

魔族は人族より圧倒的に数が少ないらしい。


その代わり、

彼らには“領域”が与えられる。


魔族は、モンスターを召喚し、

自分の支配するエリアを広げていく存在。

土地は拠点となり、

拠点は力となり、

力は生存に直結する。


群れない代わりに、

世界を侵食する側。


それが、魔族という種族だった。


そして――

最も重要な代償。


魔族は、

人であった頃の「周囲の記憶」を失う。


名前、顔、声。

誰に守られ、

誰に傷つけられ、

誰を愛していたのか。


例えば――

両親が、誰だったのか。


それらは、霧が晴れるように、

静かに消えていく。


悲しみは、なかった。


不思議と、後悔もない。


胸に空いたはずの穴は、

痛みを伴わず、

ただ軽くなった。


守るものがなくなり、

縛るものが消え、

戻る場所も、名前の意味も、

すべて置き去りにして。


僕は、魔族になった。


――人を、やめた。


それでも、

胸の奥に、

何かが微かに残っている気がした。


名前だったのか。

願いだったのか。

それとも――

消えなかった、焔だったのか。


それはまだ、分からない。

目を覚ました場所は、

どこかの人の部屋だった。


見覚えは、ない。

だが生活感だけは、やけに生々しい。


ベッド。

カーテン。

散らかった机と、壁に立てかけられた椅子。


「……どこだ、ここ?」


それが、僕が発した最初の言葉だった。


声は自分のものなのに、

どこか他人の声のように響いた。


ここが自分の部屋だということも、

そこで暮らしていた記憶も、

まるで浮かんでこない。


頭に残っているのは、

あの世界の声だけだった。


無意識に、スマホを手に取る。

ロックは、指紋で解除された。


――それすら、少し気味が悪かった。


画面には、通知が溢れている。

未読のニュース。

緊急速報。

世界中が、同時に息を吹き返した証拠。


最初に目に入った見出しは、これだった。


人族 vs 魔族

魔族エリアに透明な壁出現、侵入不可

○○国、魔族エリアへ核ミサイル発射

――壁に阻まれ、失敗に終わる


「……なんだ、これ」


指先が、わずかに震えた。


冗談でも、デマでもない。

映像も、証言も、各国政府の声明も、

すべてが揃っている。


街が止まり、

世界が分断され、

人と、人でなくなった者たちが、

明確に線を引かれている。


世界は、

急激に動き出していた。


それと同時に、

人類と魔族の間には、

理由のない嫌悪が芽生えたらしい。


恐怖が、憎しみに変わるのは早い。

理解しようとする前に、

排除しようとする。


それは、

人であった頃の僕にも、覚えがある感情だった。


部屋を歩く。

足音が、やけに響く。


――おかしい。


自分の名前が、思い出せない。


喉元まで何かが来るのに、

形にならない。


机の上に、

一枚の写真が置いてあった。


色褪せた、古い写真。


幼い子どもが、

男女二人に挟まれて、笑っている。


――たぶん、両親だ。


胸の奥が、

わずかに、ざわついた。


写真の裏に、

ペンで名前が書かれていた。


焔堂 灯也


「……えんどう、とうや」


声に出した瞬間、

不思議と、違和感が消えた。


しっくりきた。

まるで、ずっとそう呼ばれていたかのように。


「……そうだ」


記憶は、ない。

過去も、感情も、

人としての繋がりも、消えている。


それでも。


この名前だけは、残っていた。


「焔堂 灯也……」


僕は、そう名乗ることにした。


それが、

人をやめた僕に残された、

最初で最後の――選択だった。

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