悪役令息を完璧に演じきったら、ヒロイン全員が真相に気づいて病んでしまった件 〜俺はただ、お前たちの幸せな未来のために憎まれ役になっただけなのに〜
kuni
第1話
死ぬ、と思った。
トラックのヘッドライトが視界を埋め尽くす。耳を劈く急ブレーキの音。そして――衝撃。
俺の名前は佐藤健太、二十五歳。どこにでもいる平凡な会社員で、唯一の趣味は乙女ゲーム『エターナル・ハーモニー』を攻略することだった。仕事のストレスを癒してくれる、美しいヒロインたちと優しい主人公の物語。全ルートをコンプリートし、隠し要素まですべて回収した。そんな俺の人生は、横断歩道でスマホを見ていたという間抜けな理由で、あっけなく終わりを迎えた。
少なくとも、そのはずだった。
「――坊っちゃま、お目覚めですか?」
聞き覚えのない声が耳に届く。ゆっくりと目を開けると、見知らぬ天井が視界に入った。いや、見知らぬ、というのは正確ではない。この装飾過多な天井、この豪華なシャンデリア、この重厚な家具調度品――すべてに覚えがある。
『エターナル・ハーモニー』の悪役令息、アレクシス・ヴァンハイムの部屋だ。
「え……?」
思わず声が漏れる。慌てて身体を起こし、部屋の中を見回す。間違いない。ゲームの中で何度も見た、ヴァンハイム公爵家の嫡男の私室そのものだ。窓の外には広大な庭園が広がり、遠くに王都の城壁が見える。
「坊っちゃま、お顔の色が優れませんが……お気分がすぐれませんか?」
心配そうに覗き込んでくるのは、初老のメイド。彼女もゲームに登場するキャラクターだ。アレクシスに仕える専属メイド長、マルタ。
「い、いや……大丈夫だ」
掠れた声で答える。いや、大丈夫なわけがない。俺は死んだはずだ。それなのに、なぜ乙女ゲームの世界にいる? しかも、よりにもよって――
悪役令息として。
「本日は学園の入学式でございます。お支度を整えませんと」
マルタの言葉に、頭の中で記憶が走馬灯のように蘇る。『エターナル・ハーモニー』のストーリー。王立学園に入学した平民出身の主人公ユリウス・ブライトが、様々なヒロインたちと出会い、絆を深めていく物語。
そして、その主人公の前に立ちはだかる最大の障壁が――アレクシス・ヴァンハイム。傲慢で、冷酷で、すべてのヒロインを苦しめる悪役。
ゲーム終盤、彼は主人公に敗北し、爵位を剥奪されて追放される。そして、その後――
「魔王軍の侵攻で、この国は滅ぶ……」
思わず呟いた言葉に、マルタが首を傾げる。
「坊っちゃま?」
「いや、何でもない」
俺はベッドから降り、震える手で窓辺に向かった。庭園の向こうに見える王都の街並み。平和そのものの光景。だが、知っている。この世界の未来を。
原作では、アレクシスが追放された後、魔王軍が本格的な侵攻を開始する。弱体化した王国は為す術もなく蹂躙され、多くの民が犠牲になる。ヒロインたちも、それぞれ悲劇的な運命を辿る。
第一王女エリーゼは、政治的陰謀に巻き込まれて幽閉され、絶望の中で死ぬ。
騎士団長の娘リリアは、守るべき民を救えなかった自責の念から自ら命を絶つ。
天才魔術師カトレアは、魔王軍との戦いで力を使い果たし、孤独に息を引き取る。
すべてのルートで、ハッピーエンドなど存在しない。それが『エターナル・ハーモニー』という作品の本質だった。どれだけ努力しても、どれだけ選択を重ねても、必ず誰かが不幸になる。完全なハッピーエンドは、存在しないゲームだった。
「……なんで、俺がこんな奴に」
苦笑が漏れる。数多いるキャラクターの中で、よりにもよって悪役に転生するなんて。しかも、最も憎まれ、最も悲惨な末路を迎える男に。
だが――窓ガラスに映る自分の顔を見つめる。
銀色の髪、深紅の瞳。整った容姿だが、どこか冷たい印象を与える顔立ち。これが、俺の新しい姿。アレクシス・ヴァンハイムの顔。
「……待てよ」
頭の中で、ある考えが形を成し始める。
俺は、このゲームのすべてを知っている。すべてのルート、すべての選択肢、すべての結末を把握している。だったら――
「変えられるかもしれない」
この世界の未来を。すべてのヒロインたちの運命を。
「坊っちゃま?」
マルタの声が聞こえるが、俺の思考は止まらない。回転する頭の中で、一つの計画が形を成していく。
原作でアレクシスが追放されるのは、彼が主人公の成長を妨げ、ヒロインたちを苦しめるから。だったら逆に――主人公を最強の英雄に育て上げれば? ヒロインたちを密かに支援し、彼女たちの力を最大限に引き出せば? 魔王軍の侵攻に備えて、国の戦力を強化できれば?
そうすれば、あの悲劇的な未来は回避できる。国は滅びず、ヒロインたちは幸せになれる。
だが、問題がある。
原作の流れを変えすぎれば、予測不可能な未来が待っているかもしれない。下手に介入すれば、さらに悪い結末を招く可能性もある。
だったら――
「俺が、完璧な悪役を演じればいい」
表向きは原作通り、傲慢で冷酷な悪役として振る舞う。主人公を罵倒し、ヒロインたちに冷たく当たる。すべての憎しみを一身に背負う。
だが、裏では――彼らを導き、支援し、強くする。誰にも気づかれないように、影から彼らの未来を守る。
そして最後、原作通りに追放される。その時には、主人公もヒロインたちも、魔王軍に対抗できるだけの力を持っているはずだ。
「俺が犠牲になれば、みんなが救われる」
完璧な計画だ。誰も傷つかない。いや、正確には俺だけが傷つく。だが、それでいい。
どうせ俺は、この世界では余計な存在だ。元々死ぬはずだった命。それを使って、誰かを救えるなら――
「悪くない」
窓の外を見つめながら、俺は静かに決意した。
アレクシス・ヴァンハイムとして生きる。完璧な悪役として、すべての憎しみを背負う。そして、誰にも気づかれずに消える。
それが、俺の選んだ道。
「坊っちゃま、本当にお顔の色が……」
「大丈夫だ、マルタ。それより、支度を頼む」
振り返り、初めて笑顔を作る。だが、それは冷たい、感情の見えない笑み。
これから、俺は悪役を演じる。完璧に、徹底的に。
「今日から、俺の新しい人生が始まる」
その言葉の意味を、マルタは理解できないだろう。理解する必要もない。
俺は一人で、この計画を遂行する。誰にも知られず、誰にも感謝されず、ただ静かに――すべてのヒロインたちを、幸せにするために。
王立学園の入学式。
それは、悪役令息アレクシス・ヴァンハイムの、孤独な戦いの始まりだった。
鏡の前に立ち、マルタが用意してくれた制服に袖を通す。漆黒の学園制服に、公爵家の紋章が刻まれた銀のブローチ。これを身につければ、俺は完全にアレクシス・ヴァンハイムになる。
「坊っちゃま、お似合いでございます」
マルタが満足そうに頷く。だが、俺の心は複雑だった。この制服を着た瞬間から、俺は憎まれ役を演じ続けなければならない。
「マルタ」
「はい、坊っちゃま」
「これから俺は、きっと多くの人に嫌われるだろう。お前も、俺のことを嫌いになるかもしれない」
マルタは驚いたように目を見開いた。
「そのようなこと……」
「いや、いい。ただ、一つだけ覚えておいてくれ」
俺は彼女の目を真っ直ぐ見つめた。
「俺がどんな行動を取ろうと、それには必ず理由がある。たとえ誰にも理解されなくても」
「……坊っちゃま」
マルタの目に涙が浮かぶ。だが、俺はそれ以上何も言わなかった。言えなかった。
馬車に乗り込み、王立学園へ向かう。窓の外を流れる王都の景色を眺めながら、俺は今日出会う人物たちのことを考える。
平民出身の主人公、ユリウス・ブライト。心優しく、正義感の強い青年。彼を最強の英雄に育てることが、俺の最大の使命だ。
第一王女エリーゼ・レグナント。聡明で美しいが、孤独を抱えた少女。彼女の心を守り、政治の闇から救わなければならない。
騎士団長の娘、リリア・アルトリウス。真面目で一途な少女。彼女の剣の才能を最大限に引き出す必要がある。
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