第十一章 王都進出——支店計画の始動

ギルバート・ロッソ。


 王国製薬ギルドの頂点に立つ男。その名前は、健太も何度か耳にしていた。


 五十代半ばと思われる風貌。しかし、肥満した体躯に反して、その目は鋭い。商人というよりは、獲物を狙う肉食獣のような眼光だった。


「ようこそ、いらっしゃいました」


 健太は、努めて平静な声で応対した。


「ギルドマスター自らのお越しとは、光栄です」


「ふふ。礼儀正しい若者だ。田舎の薬屋にしては、なかなか見どころがある」


 ロッソは店内を見回した。その視線には、品定めするような冷たさがあった。


「噂は聞いている。魔法を使わない薬。安価で効果がある。庶民に大人気だとか」


「お褒めに預かり——」


「褒めてはいないよ」


 ロッソの声が、冷たくなった。


「お前のやっていることは、ギルドの秩序を乱している。価格競争を煽り、品質管理を無視し、無資格者に薬を売らせている」


「品質管理は徹底しています。また、当店の販売員は全員、研修と試験を経ています」


「お前独自の基準でな。ギルドの認可を受けていない」


 健太は、口元を引き締めた。


「ギルドへの加盟は、検討しています。しかし、現時点で違法行為は——」


「違法かどうかは、我々が決める」


 ロッソは一歩、前に出た。


「この王国で薬を売りたければ、ギルドのルールに従ってもらう。さもなければ——」


 彼の目が、危険に光った。


「——商売を続けることは、難しくなるだろう」


 脅迫だった。


 あからさまな、権力を背景にした脅迫。


 健太は、背筋を伸ばした。


「……お言葉ですが、ギルドマスター」


「何だ」


「私たちは、ヘンリック伯爵閣下から営業許可を得ています。この領内での営業は、合法です」


「ほう。伯爵がお前の味方だと?」


「味方というより、公正な判断をしていただいているだけです」


「なるほど」


 ロッソは、にやりと笑った。


「しかし、伯爵の力が及ぶのは、この領内だけだ。王都では——王都では、私の言葉がルールになる」


 健太は、何も言わなかった。


「忠告しておこう。身の丈に合った商売をすることだ。田舎で細々とやる分には、目をつぶってやる。しかし——」


 ロッソは振り返り、出口へ向かった。


「——王都に出てくるな。それが、お前のためだ」


 自動ドアが開き、ロッソは去っていった。


 ロッソが去った後、店内は重苦しい沈黙に包まれた。


 リーネが、震える声で言った。


「あれが……ギルドマスター……」


「ああ。噂通りの人物だな」


 健太の声は、意外なほど落ち着いていた。


「店長さん。大丈夫ですか?」


「大丈夫だ。むしろ——」


 健太は、窓の外を見た。


「——やるべきことが、はっきりした」


「やるべきこと?」


「ロッソは言った。『王都に出てくるな』と。つまり——」


 健太の目が、鋭くなった。


「——王都に出れば、奴の脅威になるということだ」


 その夜、健太は仲間を集めて会議を開いた。


「状況を整理しよう」


 健太は、地図を広げた。


「今、うちの薬が届いているのは、この辺り一帯だ。近隣の村々、街道沿いの宿場町、そして領都ウェルテンベルク」


 指で示す範囲は、王国全土の地図から見れば、ほんの一角だった。


「しかし、これだけでは足りない。瘴気病は王国全土に広がっている。もっと多くの人に、薬を届ける必要がある」


「そのためには、王都に出る必要があるんですね」


 リーネが言った。


「そうだ。王都は王国の中心だ。そこに拠点を置ければ、全国への展開が可能になる」


「でも、ロッソ卿が——」


「分かってる。王都はギルドの本拠地だ。出店すれば、本格的な戦争になる」


 健太は、仲間たちの顔を見回した。


「だから、聞きたい。みんなは、どう思う? このまま引き下がるか。それとも、前に進むか」


 しばらく沈黙が続いた。


 最初に口を開いたのは、マルコだった。


「俺は、進む方がいいと思う」


「理由は?」


「配達で回ってて、分かるんだ。瘴気病で苦しんでる人は、どこにでもいる。でも、うちの薬が届いてない場所の方が、ずっと多い。引き下がったら——助けられる人を、見捨てることになる」


 エルフィナが頷いた。


「私も同意見だ。瘴気病の研究を進めるには、もっと多くのサンプルが必要だ。王都には、患者も情報も集まる。研究の拠点としても、王都は不可欠だ」


 ゴルドが腕を組んで言った。


「俺は戦争のことは分からん。でも、職人として言わせてもらえば——逃げてばかりじゃ、何も作れん。腹を括って、立ち向かうしかないときもある」


 リーネは、少し迷っているようだった。


「私は……怖いです。ロッソ卿の力は、想像以上に大きいかもしれません」


「その通りだ」


 健太は頷いた。


「怖くて当然だ。俺だって怖い。でも——」


 健太は、リーネの目を見つめた。


「——怖いからって、逃げ続けることはできない。いつかは、立ち向かわなきゃいけない日が来る。なら、準備ができているうちに、こっちから仕掛けた方がいい」


 リーネは、しばらく黙っていた。


 やがて、小さく頷いた。


「……分かりました。私も、ついていきます」


 健太は、仲間たちに感謝の目を向けた。


「ありがとう。じゃあ、具体的な計画を立てよう」


 しかし、王都への進出は、簡単ではなかった。


 最大の障壁は、製薬ギルドの「認可」だった。


 王都で薬を売るには、ギルドの認可が必要だ。認可なしに営業すれば、違法として取り締まられる。


「ギルドに加盟するしかないんじゃないか?」


 トーマスが言った。


「加盟すれば、合法的に商売ができる。ロッソの妨害も、表立ってはできなくなる」


「でも、加盟するには試験がありますよね」


 リーネが言った。


「試験内容は、ギルドが決める。ロッソ卿が意地悪をすれば、合格は不可能です」


「それは覚悟の上だ」


 健太は言った。


「でも、やらなきゃ先に進めない。まずは、加盟申請を出す。試験を受ける。合格できれば、堂々と王都で商売ができる」


「合格できなかったら?」


「そのときは、別の方法を考える。でも、まずは正攻法で挑む」


 王都への旅の準備が始まった。


 健太とリーネが王都へ向かい、ギルドへの加盟申請を行う。その間、店はエルフィナ、ゴルド、マルコで回す。


 出発の前日、予想外の訪問者があった。


 馬車が一台、店の前に止まった。


 中から降りてきたのは、若い女性だった。


 二十歳前後だろうか。上品な身のこなし。しかし、服装は控えめで、派手さはない。


 そして、その横には——武装した護衛が二人。


「ここが、噂の薬屋ですね」


 女性は、店を見上げながら言った。


 その声には、どこか緊張が混じっていた。


「いらっしゃいませ。何かお困りですか?」


 健太が応対すると、女性は少し躊躇った。


「……実は、お願いがあって参りました」


「お願い?」


「私の弟が……病気なのです。瘴気病の疑いがあります」


 健太の表情が、少し変わった。


「瘴気病……」


「王都の医師にも診せましたが、はっきりとした診断は出ませんでした。魔法薬も効果がありません。そこで——」


 女性は、健太の目を真っ直ぐに見た。


「——あなたの薬なら、効くかもしれないと聞きました」


「誰から、そのような話を?」


「旅の商人から。『魔法を使わない薬を売る店がある。瘴気病にも効果があるかもしれない』と」


 トーマスの仕事だろう。彼の行商範囲は広い。王都にまで噂が届いていたとしても、不思議ではない。


「弟さんの症状を、詳しく教えていただけますか」


 健太は、問診を始めた。


 発熱。倦怠感。そして——赤紫色の発疹。


 典型的な瘴気病の初期症状だった。


「……確かに、瘴気病の可能性が高いです」


「助けられますか?」


 女性の声が、震えた。


「断言はできません。でも、試す価値はあります。弟さんは、今どこに?」


「王都の自宅です。連れてくることはできません。病状が——」


「分かりました。では、こちらから伺います」


 女性の目が、見開かれた。


「本当ですか?」


「ちょうど、王都へ行く予定がありました。そのついでに、弟さんを診させていただきます」


「ありがとうございます……!」


 女性は深々と頭を下げた。


「お礼は——」


「先に診察させてください。お礼は、結果が出てからで構いません」


 女性が去った後、リーネが健太に尋ねた。


「店長さん。あの方、どなたでしょうか」


「分からない。でも、護衛がついていた。普通の庶民じゃないだろうな」


「貴族……ですか」


「かもしれない。でも、今は関係ない。患者がいるなら、助ける。それだけだ」


 健太は、出発の準備を再開した。


 王都へ。


 ギルドへの挑戦と、新たな患者への治療。


 二つの目的を持って、彼らは旅立とうとしていた。


 翌朝。


 健太とリーネは、馬車に乗り込んだ。


「じゃあ、留守を頼む」


「任せておけ」


 ゴルドが頷いた。


「店は俺たちで回す。お前らは、王都で勝ってこい」


「ああ。必ず、いい知らせを持って帰る」


 馬車が動き出した。


 村が、遠ざかっていく。


 見慣れた風景が、次第に小さくなっていく。


「店長さん」


 リーネが、窓の外を見ながら言った。


「私たち、本当に王都で通用するでしょうか」


「分からない」


 健太は正直に答えた。


「でも、やってみなきゃ分からない。俺たちにできるのは、精一杯やることだけだ」


「そうですね……」


 リーネは、小さく笑った。


「店長さんは、いつも前向きですね」


「そうでもないさ。内心は、不安でいっぱいだ。でも——」


 健太は、前方を見つめた。


 街道が、遥か彼方まで続いている。その先に、王都がある。


「——不安だからって、立ち止まっていられない。前に進むしかないんだ」


 馬車は、王都へ向かって走り続けた。


 第二部、完。


 物語は、新たな舞台へと移っていく。

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