第九章 流通革命——配達と出張販売
季節が一つ、巡った。
店舗の周囲には、いつの間にか小さな畑ができていた。エルフィナが選んだ薬草を、リーネが毎日世話をしている。マルコは街道を駆け回り、健太は朝から晩まで患者を診ていた。
しかし、問題が生じていた。
「店長。また断らなきゃいけない患者が出た」
ある夕方、マルコが報告に来た。
「どういうことだ?」
「東の山向こうに、瘴気病の患者がいるんだ。でも、そこからここまで三日かかる。病人を連れてくるのは無理だし、俺が薬を届けるにも往復一週間かかる」
健太は眉を寄せた。
「一週間か……」
「その間に、症状が悪化するかもしれない」
リーネが心配そうに言った。
「瘴気病の初期なら、数日で急変することもあります」
健太は腕を組んで考え込んだ。
配達サービスは、近隣の村々には有効だった。しかし、もっと遠方の患者には届かない。マルコ一人では、物理的な限界がある。
「人手が足りないな……」
その時、自動ドアが開く音がした。
入ってきたのは、見慣れない男だった。旅装束を着た、三十代くらいの壮年。背中には大きな荷物を背負っている。
「おう。ここが噂の薬屋かい」
男は店内を見回しながら言った。
「随分立派な店だな。こんな田舎には不釣り合いだ」
「いらっしゃいませ。何かお困りですか?」
健太が応対すると、男は首を横に振った。
「俺は客じゃない。商談に来たんだ」
「商談?」
「ああ。俺はトーマス。行商人をやってる。この辺の街道は、全部俺の縄張りだ」
トーマスという行商人は、健太の店について詳しく知っていた。
「噂はあちこちで聞いてるぜ。魔法を使わない薬。安くて効く。庶民の味方。そんな店があるって」
「それで、商談というのは?」
「単刀直入に言う。俺に、お前の薬を卸してくれないか」
健太は目を細めた。
「卸す……?」
「俺は街道沿いの宿場町を回ってる。そこで、お前の薬を売りたいんだ。もちろん、ただで売るとは言わない。仕入れ値を払う。利益は俺が上乗せして取る」
「つまり、中間業者になりたいと?」
「そうだ。お前一人じゃ、遠くまで届けられないだろう? 俺なら、この辺一帯の宿場町全部に顔が利く。薬を広める手伝いができる」
健太は、少し考えた。
トーマスの提案には、メリットがある。販路が広がれば、より多くの人に薬を届けられる。しかし——。
「一つ、条件がある」
「何だ?」
「薬の使い方を、ちゃんと説明してもらう。ただ売りっぱなしじゃダメだ。用法用量、禁忌事項、副作用の可能性。全部、客に伝えてもらわないと困る」
トーマスは、渋い顔をした。
「そりゃあ、面倒だな。俺は医者じゃないんだぜ」
「だから、研修を受けてもらう」
「研修?」
「そうだ。うちの薬を扱うなら、最低限の知識を身につけてもらう。試験に受からなければ、卸さない」
トーマスは、しばらく黙っていた。
やがて、にやりと笑った。
「……面白い奴だな、お前。他の薬師は、金さえ払えば何でも売ってくれるのに」
「うちは、そういう店じゃない」
「分かったよ。研修、受けてやる。ただし、一つ条件がある」
「何だ?」
「研修を受けて合格したら、独占契約を結んでくれ。この辺一帯で、お前の薬を卸せるのは俺だけ。他の行商人には売らない」
健太は考え込んだ。
独占契約は、リスクがある。トーマスが問題を起こした場合、販路が途絶える可能性がある。
しかし、信頼できる一人に任せる方が、品質管理はしやすい。
「……いいだろう。ただし、契約には定期的な見直し条項を入れる。問題が発生した場合、契約を解除できるようにする」
「いいぜ。それくらいは覚悟してる」
トーマスは手を差し出した。
「よろしく頼むぜ、店長」
健太は、その手を握った。
一週間後、トーマスは研修を修了した。
覚えは早かった。元々頭の回転が速い男だったらしい。薬の知識だけでなく、接客術や問診の基本も身につけた。
「よし、合格だ」
健太が告げると、トーマスは得意げに胸を張った。
「俺を甘く見るなよ。行商人ってのは、何でも覚えるのが仕事なんだ」
「期待してる。じゃあ、最初の納品だ」
リーネとエルフィナが、木箱に詰めた薬を運んできた。解熱剤、鎮痛剤、胃腸薬、消炎剤。基本的なラインナップが揃っている。
「売れたら、また仕入れに来い。在庫は常に確保しておく」
「了解。じゃあ、行ってくるぜ」
トーマスは荷物を背負い、店を出ていった。
その背中を見送りながら、健太は呟いた。
「流通の第一歩だな」
「これで、もっと遠くまで届けられますね」
リーネが言った。
「ああ。でも、これだけじゃ足りない」
「足りない?」
「トーマスが回れるのは、街道沿いの宿場町だけだ。街道から外れた場所には、届かない」
健太は、地図を広げた。
村を中心に、同心円を描くように、行動範囲が広がっている。しかし、その範囲の外には、まだ無数の集落がある。
「もっと多くの人を、巻き込む必要がある」
その機会は、思わぬところからやってきた。
数日後、村に一台の馬車がやってきた。
馬車を引いているのは、がっしりとした体格の男。深い皺が刻まれた顔。しかし、目は若々しく輝いている。
そして、その隣には——。
「ゴルド!」
リーネが声を上げた。
「おう、久しぶりだな、お嬢さん」
男——ドワーフのゴルドは、にかりと笑った。
「噂を聞いてな。面白い店ができたってよ」
ゴルド・アイアンハンマー。
ドワーフの鍛冶師で、かつてはリーネの実家に出入りしていた職人だという。
「お嬢さんの家が没落したって聞いて、心配してたんだ。元気そうで何よりだ」
「ゴルド……私のこと、探してくれていたの?」
「当たり前だろう。お嬢さんには、昔から世話になってたからな」
ゴルドは店内を見回した。
「しかし、変わった店だな。この明かりは何だ? 魔法か?」
「いいえ。店長さんの世界の技術だそうです」
「店長? そいつが親方か?」
健太が前に出た。
「薬師寺健太です。よろしくお願いします」
ゴルドは健太を上から下までじろじろと見た。
「ふん。ひょろい奴だな。本当に店を切り盛りできるのか」
「外見で判断しないでもらえると助かります」
「はっ! 口は達者みたいだな」
ゴルドは豪快に笑った。
「気に入った。俺は、ゴルド・アイアンハンマー。見ての通り、ドワーフの鍛冶屋だ」
「何か、うちに御用ですか?」
「御用ってわけじゃないが——」
ゴルドは馬車を指差した。
「——これの修理を頼めないかと思ってな」
馬車を見る。車輪の一つが、ひどく傷んでいた。
「修理は専門外ですが……」
「いや、違う。修理は自分でできる。問題は、材料と道具だ。この辺りで、良い鉄を扱ってる店を知らないか?」
健太は首を傾げた。
「鉄……? 申し訳ないですが、うちは薬屋なので——」
「待って」
エルフィナが割って入った。
「ドワーフの鍛冶師と言ったな。腕は確かか?」
「確かも何も、俺は王都でも名の知れた職人だぜ。まあ、今は流れ者だがな」
「なら、ちょうどいい」
エルフィナは健太を見た。
「薬の製造には、専用の器具が必要だ。今は代用品で凌いでいるが、限界がある。腕のいい鍛冶師がいれば、道具を作ってもらえる」
健太の目が、輝いた。
「なるほど……。ゴルドさん、一つ提案があるんですが」
提案は、こうだった。
ゴルドに店の設備の修理・改造・製造を担当してもらう。その代わり、食事と住居、そして報酬を提供する。
「住み込みで働けってことか」
「そうです。どうですか?」
ゴルドは腕を組んで考え込んだ。
「悪い話じゃないな。流れ者暮らしにも、そろそろ飽きてきたところだ」
「それに——」
健太は、一つのアイデアを口にした。
「——馬車の改造も、お願いしたいんです」
「改造?」
「移動式の薬局。馬車の中に、薬を積んで、各地を回る。店に来られない患者のところに、こちらから行く」
ゴルドの目が、鋭く光った。
「……面白いな。それは、図面を引いてくれれば作れるぞ」
「図面は俺が描きます。必要な機能は——」
健太は紙を取り出し、構想を説明し始めた。
薬品を安全に保管できる棚。簡易的な診察スペース。移動中に中身が揺れないための固定機構。
ゴルドは、熱心に聞いていた。
「うむ、うむ。これなら作れる。材料さえあれば、一ヶ月で形にできるぞ」
「お願いします」
健太は頭を下げた。
「うちは、人手が足りないんです。遠くまで薬を届けるには、新しい仕組みが必要なんです」
ゴルドは、しばらく黙っていた。
やがて、がっしりとした手を差し出した。
「いいだろう。俺を雇え。お前の店のために、腕を振るってやる」
こうして、新たな仲間が加わった。
ゴルドは、村の外れに簡易的な鍛冶場を設置し、すぐに仕事に取りかかった。
一ヶ月後。
約束通り、移動式薬局の第一号が完成した。
「どうだ。俺の傑作だぞ」
ゴルドが自慢げに馬車を披露した。
それは、ただの馬車とは明らかに違っていた。
側面には観音開きの扉がついており、開けると中の棚が見えるようになっている。棚には、サイズの異なる薬瓶がぴったり収まる穴が空いている。
内部には、折りたたみ式の椅子と机がある。患者を座らせて、問診を行うためのスペースだ。
天蓋には、店舗と同じ色の布が張られている。一目で「薬屋の馬車」だと分かるようになっている。
「すごい……」
リーネが感嘆の声を上げた。
「これなら、どこへでも薬を届けられます」
「問題は、誰が乗るかだな」
健太が言った。
「俺は店を離れられない。リーネとエルフィナは、製造に専念してもらいたい。マルコは——」
「俺がやる」
マルコが前に出た。
「俺に任せてくれ。馬の扱いは分かるし、道もほとんど覚えた」
「でも、薬の説明は——」
「研修を受ける。リーネさんに教わって、試験も受ける。ちゃんと合格してから乗る」
マルコの目は、真剣だった。
健太は、少し考えた。
マルコは若い。しかし、この数ヶ月の働きぶりを見ていれば、能力は十分だ。
「……分かった。研修を始めよう」
マルコの顔が、明るくなった。
「ありがとう、店長! 絶対に期待に応えてみせる!」
二週間後。
マルコは、研修と試験を見事に突破した。
登録販売者としての知識は、まだ完璧ではない。しかし、基本的な症状の見極めと、薬の選定、使用方法の説明は、一定のレベルに達していた。
「よし、合格だ」
健太が告げると、マルコは飛び上がって喜んだ。
「やった! これで、俺も正式に——」
「ただし、判断に迷ったら、必ず店に連絡しろ。無理はするな」
「分かってる!」
マルコは移動式薬局に乗り込み、手綱を握った。
「じゃあ、行ってくる!」
「気をつけてな」
健太たちが見送る中、馬車はゆっくりと動き出した。
街道の向こうへ、遠ざかっていく。
それから一ヶ月。
移動式薬局は、予想以上の成果を上げた。
マルコは街道から外れた集落を回り、薬を届け、健康相談を行った。
彼の明るい性格と、丁寧な対応は、各地で評判になった。
「あの若い薬売りが来ると、村が明るくなるよ」
「病気のことだけじゃなく、色んな話を聞いてくれるんだ」
「次はいつ来るの? 楽しみにしてるのに」
マルコが戻ってくるたびに、彼は各地の様子を報告した。
「東の山村では、瘴気病の患者が三人いた。初期症状だったから、薬で抑えられたと思う」
「南の漁村では、食中毒が流行ってた。整腸剤をかなり使った」
「西の農村では、子供の熱が多かった。季節の変わり目だからかな」
その情報は、健太にとって貴重だった。
各地の健康状態を把握することで、必要な薬の生産量を予測できる。流行りの病気があれば、事前に対策を打てる。
「マルコ。君の報告は、とても役に立っている」
「そうか? 俺、ただ見たことを話してるだけなんだけど」
「それが大事なんだ。現場の情報は、何より価値がある」
健太は、マルコの肩を叩いた。
「これからも、頼むぞ」
マルコは、照れくさそうに笑った。
「任せとけ、店長」
トーマスの行商も、順調だった。
宿場町での売上は着実に伸び、リピーターも増えていた。
「店長、追加の仕入れを頼む」
トーマスが店に来るたびに、注文量は増えていった。
「解熱剤と鎮痛剤は、もう倍必要だ。あと、傷薬の評判がいい。そっちも増やしてくれ」
「分かった。生産を増やす」
エルフィナとリーネの負担は増えたが、製造工程の効率化を進めることで、何とか需要に追いついていた。
「このままだと、そろそろ限界が見えてくるな」
ある夜、健太は事務所で呟いた。
「人手が足りない。製造も、販売も」
「人を雇いますか?」
リーネが尋ねた。
「雇いたいが、適任者がいない。薬を扱うには、最低限の知識が必要だ。誰でもいいわけじゃない」
「それなら——」
エルフィナが口を開いた。
「——育てればいい」
「育てる?」
「今のリーネやマルコのように、一から教育する。時間はかかるが、確実だ」
健太は考え込んだ。
教育には時間がかかる。しかし、長期的に見れば、それが最も堅実な方法だ。
「……養成所を作るか」
「養成所?」
「登録販売者を育てる学校のようなものだ。志のある若者を集めて、薬の知識と技術を教える。卒業したら、うちの店か、あるいは自分で店を開く」
リーネの目が、輝いた。
「それは……素晴らしいアイデアです!」
「ただ、今すぐには無理だな。まずは基盤を固める。もっと多くの患者を診て、もっと多くの薬を作って、もっと多くの信頼を得てから——」
健太は窓の外を見た。
異世界の夜空。二つの月が、静かに光っている。
「——もっと大きくなってからだ」
転生薬局は、確実に成長していた。
製造部門。販売部門。物流部門。
それぞれが機能し、連携し、一つの組織として動き始めていた。
しかし、成長には、必ず反動がある。
その反動は、間もなく訪れることになる。
製薬ギルドという、巨大な敵の形をとって。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます