天気

壱原 一

 

むかし故郷の集落の山に天気を操れる神様が居ました。


神様は集落の山の崖の半ばから生えていました。


山腹に、高さ大人たて4人程、ほぼ垂直の岩崖がんがいがあって、根元にまるで岩戸の様に大岩がもたれています。


大岩は丈が大人縦1人と半くらいで、自身や周囲の経年の移動ゆえ崖肌へ軽くめり込んでいます。


この大岩と崖肌との上部の僅かな隙間から、白くぽってり柔らかくみ出していたのが神様です。


神様は食み出した隙間から斜め上へと伸長し、うっとりと空を見上げる乙女の頭部を成していました。


大きさは丸切り人間です。


髪に相当する部分は、髪と呼ぶには細過ぎる白い繊維群が成していました。長く豊かで軽いれらをふわふわ風に泳がせて、うっとりと空を見上げる白一色の乙女の頭部が天気を操れる神様でした。


見た目に息や瞬きがあり、雨や音に反応しました。首や頭を意志ありげに動かすし、顔面も動くし、声を出しました。


総じてエノキやマッシュルームなぞの白いきのこの質感で、乙女の頭部のなりをした動物と言った感じです。


神様は多分ひとりでには天気を操りませんでした。


神様は集落に長く続く特定の血筋の男衆に、髪を掴まれたり頬を張られたり頭を殴られたりした時に天気を操るようでした。


神様は男衆にそうされると、うっとりしていた乙女の顔を、鼻に皺を寄せ歯を剥いた険難けんのんな悪相へ変貌させ、危機に瀕した鳥よろしくぎゃあぎゃあびゅいびゅい鳴きました。


すると干天かんてんに黒雲が込んでにわかに雨が降って来たり、逆に長雨の曇天に晴れ間が差したりしたので、代々の男衆は、本当に困った時だけ、そうして神様に天気を操ってもらっていたのです。


*


神様の素になった乙女は、むかし集落の1人でした。


涼し気な目に寡黙なたちさとい雰囲気のある子供で、同じ年頃の子供らと遊び回るのはそこそこに、暇があれば飽かずうっとりと空を見上げ続けていました。


子供はやがてぽつぽつと雨が降るやら雪が止むやら天気を言い当てるようになりました。


れは空を見上げ続けて蓄えられた知見の発露でしたが、当人の佇まいが相俟あいまってご神託を得ていると有難ありがたがられ、長じて乙女になる頃には、集落の長の家の嫡男へ嫁入りが決まっていました。


嫡男は良く人を見る統率力に秀でた質で、乙女をめとる事を喜びつつ、折に触れ嫡男と顔を合わせても超然と平素の調子を保つ乙女の芯の通り具合をいささか危ぶんでいました。


ただでさえ何時いつも澄まし顔で珍重ちんちょうされている乙女です。近く嫡男へ嫁いだ時、今のまま太々ふてぶてしく居られては、“嫁に大きな顔をさせている”と嫡男が周囲からあなどられ集落の取り纏めに障ります。


そこで嫡男は一計を案じ、気心が知れて口の堅い仲間達を見届けに、乙女を山へ連れ出して、無理に物にする事にしました。


強情者をり込める為、屡々しばしば用いられる方法です。話を仲間内に留めた分、良識的だった位です。


とは言え遣り込められる者がそれで良しとする筈もなく、乙女は激しく抗って嫡男をくぐり逃げました。


嫡男がぐ追い掛けて、仲間達が後へ続きました。


乙女の切迫は無論の事、嫡男の気負いも一入ひとしおでした。


女に拒まれ逃げられたら、笑い者です。名がすたります。


何としても逃げたい、捕らえたい2人は速く、お高い女の陥落か、仰ぐ男の失墜かと、嗜虐心をたかぶらせて物見に行く仲間達は遅れました。


乙女が追い詰められたのが、神様が生えた崖の前です。


単身追い詰めた嫡男と荒れ狂う揉み合いになる中、乙女が全力で身をよじり、嫡男の緊握きんあくが外れて、勢いのまま大岩へ倒れどちゃっと酷い音がしました。


乙女の涼し気な目もろとも顔の大半が潰れて、2度と天気を言い当てられなくなった音でした。


*


乙女は動きませんでした。嫡男は戦慄しました。


女に拒まれ逃げられた挙句、集落の宝を損なった。


背後からどやどやわらわらと仲間達の気配が近付きます。


凡百ぼんぴゃくの者ならまだしも、神託で天気を言い当てる共有の財を壊したとなれば幾ら気心が知れていても告発をまぬがれられません。


一巻の終わり。


破滅です。


そのとき嫡男の目に跳び込んだのが、大岩と崖肌の間に開いていた細く真っ暗な亀裂です。


嫡男は即座に決断して乙女を亀裂へ引き摺りました。途端乙女が痛みに起きて、破れてびろびろする口から凄まじい絶叫を放ちました。


危機に瀕した鳥よろしくぎゃあぎゃあびゅいびゅい鳴きました。


嫡男は顔を引き攣らせ、焦りにはやってたぎる頭を息が詰まるほど回転させ、突如乙女の叫びに被せてわあっと驚愕の声を上げると、おのれ放せと激昂し盛んに乙女を呼ばわりました。


切実に乙女を呼びながら叫ぶ乙女を亀裂へ押し込み、異常を察した仲間達を早く来てくれと急かします。


まどい出て藻掻く細腕を踏み付けて踏み付けて蹴り入れ、どうしてこんな事になったんだと真の悲愴ひそうを前面に、亀裂を半身でさえぎる姿勢でひしと大岩へ取り付きます。


駆け付けた仲間達をかえりみて、此処ここだ、この岩で穴をふさげと、真っ暗闇の内部から異形の叫びがこだまする恐ろしい亀裂を示します。


醜女しこめの姿をした怪物がこの中へ乙女を取り込んだ。きっと遣られて仕舞った。出て来ようとしている。


皆で此処を塞いでくれ。


誰も鵜呑みにしませんでした。


予期にそぐわない形で、お高い女が陥落し、仰ぐ男が失墜した。けれど其れを指摘しても無益です。


それより失墜してもなお機転と気概を見せる嫡男が、万一の時は仲間達が“嫡男に騙された”と言い逃れできる道を残しつつ助けを乞うのに応える方が、よほど益と悦に満ちています。


仲間達はすっかり仰天し、慌てて嫡男に加勢しました。


痛みと恐れといきどおりに正気のたがが弾け跳んだ怪物の咆哮ほうこうに負けぬよう、声を揃え、力を合わせて、えーいしょ、おいしょお、えーいしょ、おいしょおと大岩を押し、怪物を亀裂へ封じました。


崖の前は静かになりました。遣り遂げて弾んだ息の群れが暫し呆然と佇んで、戸惑い気味の足音と共に集落へ帰って行きました。


良心から顔を背けて目を交わす濃密なやましさと高揚が、面々を鈍麻どんまさせていました。


幾ら全員で尽力しても流石に大岩は動かせないし、大岩で塞いだ位で叫びまで密閉出来ません。


乙女が亀裂へ押し込まれて間も無く、当の亀裂の内部では、騒ぎと血の臭いに引かれ、亀裂の暗闇に通じる何処どことも知れぬ深奥しんおうから、白くぽってり柔らかく延々と伸長する物が、音も無く進み来ていました。


えーいしょ、おいしょお、えーいしょ、おいしょおと大岩が押される裏側で、のんびり乙女を取り込みつつ、大岩の裏へへばり付き、玄関の戸を閉めるように、ゆるゆる引っ張っていたのです。


崖の前が無人になった後も、白い物の伸長は止まらず、数日を掛けて満々と亀裂内を満たしました。


大岩と崖肌との上部の僅かな隙間から、ぷっくりと溢れ出して、ふくれ、涼し気な目が捻り出され、鼻が頬が口元が抜け出し、うっとりと空を見上げて、神様が生えました。


*


好奇心に堪え兼ねた1人が様子を見に来て神様を見付け、嫡男達に知らせました。


全員が隠れて集まって、崖へ来て神様を目の当たりにし、嫡男が窮厄きゅうやくの余り、仲間達が止めに入る暇も無く神様を殴りました。


その時は偶然と片付けられた不思議な天気の変更が、後の長い荒天に際し嫡男の脳裏へ想起され、すがるように試されて再現し、集落の宝が戻りました。


許嫁いいなずけたる嫡男との逢瀬の為、山で待っていた乙女は、乙女の容色と才をねたんだ醜女の山神に隠された。


嫡男が繰り返し山へもうで、乙女を返すよう祈願すると、乙女は天気を操れる尊い姿と化して戻り、集落を荒天から守っている。


神様の居所を知っていて、神様にお会い出来るのは、許嫁だった嫡男だけ。


長の家は益々発展し、嫡男は新しい良縁に恵まれました。孫の顔まで見た晩年に、前触れ無くかっぱりと口が裂けた神様に、のんびり取り込まれて消えました。


嫡男は家族を思い遣って、神様の居所や天気を操ってもらう方法を頑なに伏せていたので、家族は帰らぬ嫡男への憂い悲しみもる事ながら、今後荒天をどうしたものか大いに困って仕舞いました。


そこを救ってくれたのが、気心が知れて口の堅い、嫡男の仲間達です。


嫡男の重用を経て、今や集落の有力者となった仲間達は、嫡男が神様とお会いするとき送り出す役目を担っていて、その実いつも崖下まで嫡男に付き添っていました。


仲間達は次代の嫡男を呼び出すと、先代の嫡男が神様に召され2度と戻らないと知らせました。


有事を見越してたくされていた、神様の居所や天気を操ってもらう方法を、密かに伝えて遣りました。


以降、神様は永々えいえいに、うっとりと空を見上げ、嫡男の血筋の男衆に、髪を掴まれたり頬を張られたり頭を殴られたりして、険難にぎゃあぎゃあびゅいびゅい鳴き、都度天気を操っては、不意にかぱっと口を裂いて、のんびり男衆を取り込みました。


そうして先頃、ぽとっと落ち、元の白い物と同じ様に、際限無くひっそり伸長し、首から下を形作り、のろりのろりと立ち上がり、山の彼方かなた彷徨さまよって、色を得、重さを得、服を得、言葉を得、多くの人里を流浪して、徐々に自我めいたものを築きました。


もう神様で無くなって、うっとりと空を見上げていたら、こんな狭く暗い所へ押し込まれ、掴まれ、張られ、殴られて、手足を絡めてしがみ付き、やば乗り気じゃんと笑われた後、うわ何お前これ、口が、と、問われたので答えている所です。


良いお天気になりましたね。


むかし故郷の集落の山に居た天気を操れる神様でした。


私の話は終わりです。



終.

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天気 壱原 一 @Hajime1HARA

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