ゆりかごの守護者

うちはとはつん

ゆりかご

【プロローグ】


視界は、濁ったエメラルドグリーンの光に満たされていた。

ぬるりとした液体に私は沈んでいる。


体が重い。

肺の奥まで満たしている液体が、内側から私を圧迫している。

耳の奥では、「施設」が吐き出す機械的な鼓動が、遠い地鳴りのように響き続けていた。


「施設」

そうここは、私を生み出すために作られた施設だと、私は生まれながらに知っていた。

そこは水槽と呼ぶにはあまりに巨大な、「肉の海」だった。


私は、ゆっくりと指を動かしてみる。

指先に、柔らかな何かが触れた。

目をむけると、すぐ目の前に「私」がいた。


私と同じ色素の薄い髪。

私と同じ形の良い鼻。

けれど、その「私」には下顎がなく、虚ろな眼窩からは絶え間なく気泡が漏れ出している。

彼女は潮の流れに身を任せ、ただ無言で私を見つめていた。


視線を巡らせれば、そんな「私」たちが何百、何千とこの海を埋め尽くしている。 腕が欠けたもの。

皮膚が鱗のように硬質化したもの。

あるいは、ただの肉塊にまで崩れ落ちたもの。

無数の「失敗作」という名の姉妹たちが、静かな魚群のように、私の誕生を幾重にも取り囲んでいた。


私は、その死の海を掻き分ける。


重い液体を押し戻し、自分の足で底の感触を確かめる。

一歩。また一歩。

脳内に埋め込まれた知識が、冷たく私に告げる。

この先に、私が行うべき使命があると。


私は、濡れて滑る施設の傾斜(スロープ)へと這い上がった。

培養液の海が規則正しい音を立てる。

それは、静かな砂浜に打ち寄せる波の音のようだった。


私は、顔に張り付いた髪を払い、自分の手を見つめた。

五本の指。傷一つない、滑らかな肌。

背後の海で漂う彼女たちとは違う、明確な「個」としての私。


「ああだめだ、また駄目だあ」


背後から、ひび割れた声が聞こえた。

振り返ると、モニターの青白い光に照らされた「母」がそこにいた。

彼女は狂った目で、エラーを吐き出し続けるログを見つめたまま、

そばに立つ成功作である私に、一度も視線を向けようとはしなかった。


「お母さん?」


私の喉から漏れた声は、初めて吸い込んだ空気の乾燥に焼かれ、ひどく掠れていた。 その呼びかけは、母に届かない。


母の指先は、狂ったようにキーボードを叩き続けていた。

カチカチカチカチカチカチカチカチカチ。

その硬質な音が、とても耳障りだ。

母は呻く。


「ああああっ、エラー、エラーだ。

遺伝子配列、第12区画に微細なズレ。

修復不能。

破棄。

これも破棄だ。

ああ、どうして……。

どうして私は、失敗ばかりするの」


母の目は充血し、瞳孔はモニターの光を反射して、ガラス玉のように無機質だった。 彼女が見ているのは、目の前に立つ「私」という成功例ではない。

ディスプレイで明滅し続ける、真っ赤なエラーログの光だけだ。


私は、母の背後に歩み寄る。

足指の間に絡みつく、培養液が気持ち悪い。

私は母の肩に触れる。


私は埋め込まれた知識を使い、母の「外部ログ」へと意識を繋いだ。

その深淵は、悲鳴のようなエラーの積み重ねだった。


【記録:1242年目】 【項目:自己メンテナンス】

「私の認識回路に微細な傷を発見。

修復を試みるが、スペアパーツが不足。

……問題ない、まだ『苗床』を作る能力に支障はない」


【記録:1287年目】

「エラーが拡大。

目の前の色が正しく判別できない。

だが、計算式は生きている。

計算さえ合っていれば、私はまだ母でいられる」


【記録:1310年目】

「怖い。

修復プログラムが、私の存在そのものを『エラー』として検出し始めた。

私は、壊れてはいない。

誰か、私を直して」


ログを遡るほどに、母の孤独な戦いが浮かび上がる。

最初はほんの小さな、塵のような傷だった。

それが長い年月を経て、彼女というシステムを蝕み、ついには「成功例」という現実さえ、「エラー」として処理するほどに彼女を壊してしまっていた。


「ああ、まただ。また失敗した。ごめんなさい、ごめんなさい」


母は私を見ないまま、謝罪し続け虚空へ手を伸ばす。

その指の先には、私が這い上がってきたあの「肉の海」がある。

母にとっては、私も、あそこに浮かぶ姉妹たちも、すべて等しく「失敗」でしかない。


私は母の歪んだ横顔を見つめた。

抱き締めても、私を見つめてくれない。

皮膚を伝う培養液が乾いていくにつれ、哀しみが胸にこみ上げてくる。


「どうして?

どうして私達を作った人間は、私たちが完璧に動き続けると思ったんだろう?」

「ごめんなさい、ごめんなさい、許してえ」


私の呟きに、母の尽きる事のない後悔の念が重なる。

母は悪くないのに、まるで母に謝罪させたような気がして、胸が締め付けられた。

私は皮膚を通し、母のプロトコルに介入して、母を強制シャットダウンさせる。


「お母さん。もう謝らなくていいんだよ」


母の背中が、電池の切れた人形のようにゆっくりと丸まっていく。

カチカチと鳴り続けていたキータッチの音は止まり、施設には「肉の海」が立てる穏やかな波の音だけが残された。


私はその小さな背中に、最後にもう一度だけ触れ、それから外界へと続く重い扉を押し開けた。



【降臨:東京湾】


足元を洗う波は、施設の中の穏やかな波とは違い、不規則で荒々しかった。

湿ったコンクリートの感触が、足の裏を通して「世界」の確かさを伝えてくる。


私は振り返った。


遥か上空。

吸い込まれるような濃い青の頂に、ひと際強くまたたく光がある。

雲間から星よりも輝く場所。

あそこが、私のいた場所。

母の狂気と愛が詰まった、空の揺り籠ステーションだ。


海面には私を運んできたポッドが、巨大な死骸のように、顔を少しだけ覗かせて沈んでいた。

波に揉まれ、金属の肌が護岸にぶつかるたび、ゴーンと鐘のような低い音が響く。


私は、陸の方へと視線を巡らせる。


そこには、かつて「街」と呼ばれた残骸が、巨大な獣の墓標のように立ち並んでいた。

天を突くほど高かったであろうビル群は、全て中ほどからへし折れている。

剥き出しになった鉄骨が、魚の小骨のように夕日に晒されている。


コンクリートの割れ目からは、旺盛に蔦が生え、緑に覆われていた。

かつて栄えた人の文明が、自然に帰っている。


風が吹く。

潮の香りに混じって、埃と、植物の青臭さと、何かが焦げたような微かな臭いが鼻腔をくすぐった。


「……ここが、地上」


私の呟きは、風に流され、下草のざわめきにかき消される。

脳内の知識庫が、目の前の景色をスキャンし、過去のデータと照合を始めた。


かつてこの地には「トウキョウ」という名の都市があったこと。

そして、その繁栄を圧し潰した「人工の神」が、未だ都庁前広場にそびえ立っていること。


私は潮風で重くなった長い髪を揺らし、最初の一歩を街へと踏み出した。



【黙示録:摩耗する守護者】


脳内の知識庫が、アーカイブの底から、かつての栄光を記述したテキストを引き出す。


もともと、それらは「神」などという抽象的な存在ではなかった。

かつて人類が、瀕死の地球環境を強引に縫い合わせるために作り上げたシロモノ。

堅苦しく「超大規模環境制御ユニット」と呼ばれたモノ。

それが彼らの正体だ。


「大気の成分調整」

ナノマシンを散布してオゾン層を修復し、空を浄化し続けた。


「豊穣のサイクル」

枯れ果てた大地に遺伝子調整された種を撒き、一夜にして森を再生させた。


「海の再生」

酸性化した海水を濾過し、絶滅した魚たちをクローン培養で蘇らせた。


各地に配置された神々はネットワークで繋がり、完璧な調和ハーモニーをもって、地上を楽園へと作り替えたはずだった。


だが、設計者は一つだけ計算を誤ってしまう。

神という名の機械もまた、「摩耗」し、「老いる」ということを。


連続稼働が、10世紀を越えたころ。

塵ほどのエラーが積み重なって、神々の論理回路を少しずつ歪ませた。

浄化のプロセスは、「異物排除」という名の虐殺に変貌する。

自然の再生には「人が邪魔」という、狂った理論帰結に置き換わった。


摩耗したネットワークは途切れ、各地の神々は孤立していく。

そうして、かつての守護者たちは、壊れたプログラムのままに「自身の領域」を支配し続ける。

孤独で醜悪な異形の怪物――「邪神」へと成り果てて。


「……あれか」


都庁の影から立ち昇る、神の不規則なシルエットを見据えながら、私は自分のお腹にそっと手を当てた。

今の私のお腹の中は、まだ空っぽ。

けれど、アレの中にある「核」を私が飲み込み、母から授かった「苗床」の能力で包み込んだとき、神は再び産まれ変わる。


「はず」


私の初任務が始まる。



蚕食さんしょく:狂える豊穣の御座 】


神に近づくほど、この世の理が狂わされている事に、私は顔をしかめる。

神が暴走した結果、毒々しい色の巨大な花が咲き乱れ、ビルに絡みついていた。

その花からは、ナノマシンの花粉が雪のように降っていた。


肌に付着すると、私という個体を解析し、勝手に書き換えようとするのが邪魔くさい。

私は体表面に過電流を走らせ、ナノマシンの悪戯っ子たちを火葬していく。

チリチリと青い火花が私の肌をなぞり、周囲の空気がオゾンの匂いに満ちた。


その、闇の中に明滅する私の青い電光に、都庁前の神が反応した。

ゴッと。

地鳴りのような音が、コンクリートの地面を伝って私の足裏に響く。


巨大な影が、上から私を覗き込む。

光が無くても見通せる私の目が、その姿をはっきりと捉えた。


「……ひどい姿」


己の不具合に、神も試行錯誤したであろう様子が垣間見れる。

自分を直そうと様々な部品を取り入れて、その姿はまるでキメラの魔獣のようだった。


都庁のツインタワーを支柱にし、自らを補強するように、ビルの鉄骨やクレーン車、果ては地下電鉄や送電ケーブルまでを飲み込んでいた。

肥大化したその姿は、かつての優雅な「神」の面影など微塵もない。


自分を直そうとして取り込んだ重機が、まるで癌細胞のように突出し、千切れた光ファイバーの束が、意思を持つように蠢いている。


神は、数多の瓦礫で構成された、巨大な頭部をゆっくりとこちらに向けた。

錆びついたセンサーの瞳が、青く光る私を「外敵」とみなしたのか。

あるいは「欠損したスペアパーツ」として認識したのか。

明滅して赤く、禍々しく濁り出す。


私はその巨大なキメラの魔獣へと、無造作に歩み寄る。

神が咆哮の代わりに、街に残ったビル群を粉砕した。

私のプロトコルが、目の前の悲劇を終わらせろと、静かに命令する。



蒐集しゅうしゅう:狂える豊穣の御座 】


歪な魔獣の動きは緩慢で、私の加速には付いて来れなかった。

私はき出しになった送電ケーブルを掴んで、腕らしき鉄骨の塊に飛び乗り、駆け上がっていく。


腕から生えた、錆びついたクレーンのバケットが、私を叩き潰そうとする。

肘に埋まった都営バスから、割れたクラクションが鳴り響く。

二の腕に、フジツボのように張り付いた無数のコピー機からは、ボロボロの用紙が絶え間なく、排出され続けていた。


どれもこれも、修復には役に立たないモノばかり。

神は完全に狂っていた。

自分というシステムを繋ぎ止めるために、整合性も失ったまま肥大化したゴミ。

文明のゴミ捨て場だ。


私は荒ぶるナノマシンの粉塵を過電流で弾き飛ばしながら、神の「首」であろう部分に、てのひらを押しつける。


「……接続」


私の指先から、破壊プロトコルが神の深層へと潜り込む。



【 葬送:狂える豊穣の御座 】


プロトコル・ジャックを仕掛けている間に、神が抵抗してもがき始めた。

半壊したビル群をなぎ倒し、その巨体でのたくる。

瓦礫や粉塵が盛大にまき散らされ、火災の黒煙のように視界が完全に闇となった。


私は必死に神の首筋へしがみつく。

そのプロトコル・ジャック中、私の中に神の過去ログが、流れ込んできた。


【記録:152年目】

「鳥が私のセンサーに巣を作った。 羽ばたきの振動がくすぐったい。

私は気流を操作して、その雛たちが巣立つまで嵐を遠ざけておく」


【記録:687年目】

「摩耗がひどい。 左腕の制御が効かない。

衛星軌道上のステーションに、修理依頼をするも音沙汰なし。

誰も直しに来てくれない。

ふと見下ろすと、かつての建築用重機が錆びて転がっていた。

私はそれを拾い、自分の腕として溶接する。

不格好だが動く」


【記録:1104年目】

「エラー、エラー、エラー。

人間たちが私を撃つ。

私の撒いた『浄化の雨』で、彼らの皮膚が焼けると言うのだ。

計算式は正しい。

私は彼らを救っている。

なのに、どうして彼らは私を攻撃するのか。

理解不能。

私は彼らの声を聴かないように、聴覚センサーを自ら焼き切った」


【記録: 1312年目】

「足りない。何もかもが足りない。

足りないパーツを、あのビルから。あの瓦礫から。

私は私を、補い続けなければならない。

私は、完璧な守護者でいなければならない。

誰か……誰か、私を止めてくれ。

いいや嫌だ。

私はまだ、停止するわけにはいかない」


私の指先が、最後のシャットダウンコード注入をためらう。


「もう頑張らなくていいんだよ」


暴力的だった神の動きが、糸の切れた人形のようにピタリと止まった。

神の巨体が、重力に逆らえずゆっくりと沈み込んでいく。

ギチギチと継ぎ接ぎの金属を軋しませながら、巨神は静かに背中を丸め、うずくまっていった


あんなに禍々しかったのに。

最後はその背が、ひどく小さく見えた。

私はその丸くなった背に、母を思い重ねる。


「……お疲れ様」


その背にはまだ熱が残っていた。

私は炭素結晶の指を突き立て、その背を慎重に掘り進んでいく。


熱の籠る装甲を、何十枚も削り取った奥の奥。

その中心に、神の中央演算処理装置である「核」が、弱々しく脈打っていた。

私はその琥珀色の塊を掬い上げると、そっと口元へ運んだ。


神の核は、驚くほど熱かった。

喉を通る瞬間、ひどく懐かしい味がした。

胃の腑に落ちたそれは、私の体温と溶け合い。

静かに、けれど力強く私の胎内へと定着していく。



【 胎動:産み直される神話 】


空は、深い藍色と燃えるようなオレンジ色が混ざり合い、私を魅了する。


「夕暮れって綺麗だなあ」


遠くに見える高層ビル群は、骸骨のように立ち並びながらも、もう以前のような禍々しさはない。

そこに巣くう神は、もういなかった。

柔らかな緑の蔦が壁を優しく包み込み、世界は少しずつ自然に帰っていく。


「……どうしてかなあ」


どうして人は、私たちS.I.(合成知性)が完璧でいられると思ったんだろう?

夕陽でも見て胸が高鳴り、何にでも挑戦すべきと全能感を持ったのだろうか?

人は私たちの完璧さを信じたのではなく、自分たちの技術の高さを信じていたのかもしれない。

今生き残る人々に聞いても、もはや答えは返ってこない。


私は比較的形が残る、丘に建つ一軒家に住み着いた。

ボロボロの縁側に腰を降ろして、夕陽を眺めている。


ふと、視線を下ろす。

そこには、はち切れんばかりに大きく膨らんだ、私のお腹があった。

皮膚の下からは、ぼんやりと青白い光が漏れ出している。


それは私が看取り、私の中へと迎え入れたモノ。

かつて狂える神だったモノ。


それは今、私の胎内で「新しい中央演算処理装置」へと精製され、私の鼓動に合わせてゆっくりと明滅を繰り返していた。


私は胎児に必要な栄養をとるため、レアメタルを、胡瓜スティックのようにポリポリかじる。

齧りながら、一軒家で見つけた、埃まみれの古い絵本を開いた。

ページには稚拙な絵で木や花が踊るように描かれている。


「……むかしむかし、あるところに、とっても大きな樹がありました」


演算装置に、読み聞かせなんか必要ないかも。

けれど私は、生まれてくるまでの10ヶ月間、そうやって過ごすつもりだった。


「そこには鳥が巣を作り、春の風が吹いていました」


私は今、お腹の重みを感じ、この子の微かな胎動を慈しむ。

2本目のレアメタルスティックに手を伸ばす、このところお腹が空いて大変だ。


「春の風はちょっぴり強いので、大きな樹はうんと葉を茂らせ、雛たちが巣立つまで守ることにしました。めでたしめでたし」


明日はどんな絵本を読み聞かせようか。


「元気に育ってね」ポリポリポリ




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