僕達の弱災社会

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弱者の惑星

記録文書番号:E-001 表題:『親愛なる隣人との邂逅と、初期の統合政策について』 記録者:匿名(地球防衛市民会議・初期記録係)


あの日、空が割れて彼らが降りてきた時のことを、我々は決して忘れないだろう。 彼らの船は侵略者のそれではなく、嵐に揉まれた難破船のように頼りなく、そして彼ら自身もまた、見るも無惨なほどに憔悴しきっていた。


ハッチから現れた「彼ら」――我々が後に「来訪者(ビジター)」と呼ぶことになる異星の隣人たち――は、驚くほど脆弱だった。その肌は薄く、重力に耐えかねるように細い四肢を震わせ、我々の姿を見るなり怯えて身を寄せ合った。彼らの母星は環境破壊によって住めなくなり、安住の地を求めて宇宙を彷徨っていたのだという。


我々地球人類は、彼らを歓迎した。 それは歴史的な決断だった。かつて我々同士で争った愚かな歴史を乗り越え、星を越えた友愛を示す時が来たのだと、世界中が熱狂に包まれたのだ。「彼らを保護せよ」「温かい食事とベッドを」。それは強者としてのノブレス・オブリージュ(高貴なる義務)でもあった。彼らの身体能力は地球人の半分にも満たず、少しの環境変化で体調を崩すほどデリケートだったからだ。


我々は彼らを「新しい家族」として迎え入れ、速やかに市民権を与えた。差別などあってはならない。彼らは我々の庇護が必要な、愛すべき「弟分」なのだから。


しかし、蜜月は長くは続かなかった。いや、正確には「手のかかる弟」に我々が困惑し始めたのだ。


問題は彼らの精神的な脆さにあった。 彼らは極端にストレス耐性が低かった。我々地球人が親愛の情を込めて肩を叩くだけで、彼らは「暴力を振るわれた」と青ざめて倒れ込む。街中で我々とすれ違うだけで、その体格差や足音の大きさに「威圧感を感じる」「殺されるかもしれないという不安で呼吸ができない」と訴え始めたのだ。


さらに、経済的な格差も顕在化した。 彼らは身体が弱く、肉体労働は不可能だった。かといって地球の文化や技術に関する知識もなく、複雑な思考や長時間の集中を要する業務も「精神的負荷が高すぎて体調を崩す」ため、従事できなかった。結果として彼らの賃金は最低水準に留まり、貧困層へと転落していった。


「地球人はあまりに強靭で、あまりに野蛮だ。あなた方の存在そのものが、我々には恐怖なのだ」


彼らの代表は涙ながらにそう訴えた。我々は困り果てたが、同時に彼らを哀れにも思った。確かに我々は彼らにとって、少しばかりエネルギッシュすぎたのかもしれない。


そこで我々は、善意に基づき行動を起こした。 『宇宙人保護法』および『包括的自立支援法』の制定である。


この法律は画期的だった。宇宙人に対するいかなる差別的言動も禁止し、彼らが「不安」を感じないよう、地球人側が配慮することを義務付けたのだ。職場では彼らに専用の休憩室を与え、ノルマを免除し、給与格差を是正するための補助金を投入した。


「これで彼らも安心して暮らせるだろう」 我々は満足していた。少しばかり手厚すぎるきらいはあったが、強い者が弱い者を助けるのは当然の理だ。この時の我々は、自分たちの善意が、まさか自らの首を絞める縄になろうとは、微塵も想像していなかったのである。



記録文書番号:E-012 表題:『構造的格差の是正に関する特別措置法とその運用』 記録者:匿名(地球社会統合局・労働環境監査官)


保護法の施行により、街から「あからさまな」差別は消えた。我々は彼らを傷つけないよう、言葉を選び、視線を和らげ、まるで腫れ物に触れるように慎重に接するようになったからだ。統計上、彼らに対する暴言や暴力件数はゼロに近づいた。


我々はこれを文明の勝利と信じたかった。しかし、問題の根は腐り始めていた。


彼らの生活水準は依然として低かったのだ。 理由は明白だった。支援法によって「働かなくても最低限の生活」が保障された彼らは、苦痛を伴うスキル学習や、肉体・精神に負荷のかかる長時間労働を拒否するようになったからだ。「我々の繊細な神経回路は、あなた方のような過酷な競争には耐えられない」と彼らは主張し、昼過ぎには帰宅し、難しい専門書のページを開くこともなかった。


当然、彼らの賃金は上がらない。高度な職に就くこともない。 しかし、彼らはそれを「個人の努力不足」とは決して認めなかった。


「これは『隠された差別』だ」


彼らはそう声を荒げた。「結果の平等がなされていないのは、社会構造が地球人向けに設計されている証拠だ。我々が稼げないのは、あなた方が作った『能力主義』という名の差別システムのせいだ」と。


我々地球人の1部は、おずおずと反論を試みた。「しかし、高い報酬を得るには、それ相応の技能や成果が必要なのでは……」と。 その瞬間、彼らの顔色は一変し、集団で指を突きつけてきた。


「差別主義者(レイシスト)!」 「弱者の苦しみを理解しない冷血漢!」 「能力という概念自体が、強者の暴力だ!」


その糾弾は凄まじく、反論した者は社会的に抹殺された。我々は学習した。「彼らのやる気や能力に疑問を呈すること」自体がタブーなのだと。


こうして議論は封殺され、我々は奇妙な解決策へと舵を切らざるを得なくなった。 「彼らは本来、地球人と同等の能力とやる気があるはずだ。今の数字が低いのは、やはり我々の社会に無意識の障壁があるからに違いない」という前提(ファンタジー)を無理やり採用したのである。


かくして『ポジティブ・アクション(積極的是正措置)』が導入された。 大学の合格枠、企業の管理職ポスト、政府の要職……あらゆる場所に「宇宙人枠」が設けられた。能力や試験の点数は関係ない。ただ「彼らであること」が資格だった。


さらに、組織内の宇宙人比率が1定を下回る企業や大学には、高額な罰金と「差別的組織」という烙印が押されることになった。


企業は慌てふためいた。仕事ができなくても、すぐ休んでも構わないから、とにかく彼らを管理職に据えなければ会社が潰れてしまう。大学は、名前さえ書ければ彼らを合格させ、学位を与えた。


オフィスを見渡せば、実務能力のない「宇宙人課長」がふんぞり返り、その尻拭いに追われる地球人の部下が疲弊している光景が日常となった。だが、それを口に出すことは許されない。 我々は引きつった笑顔で彼らを「上司」と呼び、心の中で何かが壊れる音を聞いていた。まだ、なんとかなる。我々が少し多く働けばいいだけだ。そう自分に言い聞かせながら。



記録文書番号:E-045 表題:『社会治安統計と「主観的安全性」の乖離に関する非公開メモ』 記録者:匿名(国立統計局・主任分析官)


我々の社会の空気は、窒息寸前まで張り詰めていた。 もはや誰の目にも明らかだった。「弱者」であるはずの彼らは、不可侵の聖域に住まう「特権階級」と化していると。


1部の地球人が、ついに声を上げた。 「働かない彼らが高級住宅街に住み、我々がスラムで過労死するのはおかしい」 「彼らは弱者保護を隠れ蓑にした、新たな貴族ではないか」


それは至極真っ当な指摘だった。しかし、その声は瞬く間にかき消された。 彼らと、彼らに迎合する1部の地球人活動家たちが、1斉にスピーカーのボリュームを上げたからだ。


「その発言こそが、我々に対する隠された差別だ!」 「地球人は自らの不遇や努力不足を、我々への憎悪に転嫁しているだけだ!」 「既得権益を奪われるのが怖いのか? 恥を知れ!」


事実を指摘することは「ヘイトスピーチ」と定義され、我々の口は法的に、そして社会的に封じられた。議論は不可能だった。「彼らが傷ついた」と言えば、それが真実となる世界において、論理は無力だった。


そして最も恐ろしい欺瞞が、「安全」の名の下に行われた。


統計局に勤める私は知っている。 人口比における犯罪被害率は、地球人の方が圧倒的に高い。 しかし彼らは、「我々は地球人に比べて安全を剥奪されている」と叫び続けた。彼らの根拠は「街を歩くときの視線が怖い」「なんとなく不安だ」という、極めて主観的な感情のみだった。


だが、政府は彼らの「お気持ち」を「緊急の危機」と認定した。 莫大な公的資金(我々の血税だ)が投入され、彼ら専用のセキュリティゲート付き居住区、専用車両、24時間の警護サービスが整備された。


1方で、我々地球人の現実は地獄だった。 私の手元にある、決して公表されることのない統計データを見れば、吐き気を催す。 地球人の自殺率は彼らの3倍。過労死や餓死者は年々倍増している。劣悪な居住環境とストレスにより、地球人の平均寿命は彼らより10年も短くなっていた。


しかし、これらの数字がニュースで報じられることはない。 たまに週刊誌が「地球人の貧困」を取り上げても、結論は決まってこうだ。 『地球人の苦境は、彼ら自身の特権意識や、過去の悪しき地球人性・暴力性が招いた自業自得である』と。


「強いはずの地球人が死ぬのは、自己管理ができていないからだ」 「弱い宇宙人が少しでも不安を感じるのは、社会の支援が足りないからだ」


この狂った方程式が、常識として定着してしまった。 我々が飢えて倒れても、それは「個人の責任」。彼らが指のささくれを気にすれば、それは「社会の責任」。


昨日、隣家の男が首を吊った。彼は最後まで家族を養おうと、宇宙人の上司に罵倒されながらダブルワークを続けていた。 その夜のニュースで、宇宙人のコメンテーターがこう言っていた。 「地球人はもっと謙虚になるべきです。彼らの攻撃的なオーラが、我々を萎縮させているのですから」


私はテレビを消し、暗闇の中で叫び声を殺した。 我々は生贄だ。彼らの「幸福」という祭壇に捧げられる、声なき生贄なのだ。



記録文書番号:J-004 表題:『異種間係争における起訴基準の変遷と、司法の自殺について』 記録者:匿名(元地方検察庁特捜部・検事)


法は死んだ。私がその死亡診断書を書いたようなものだ。


かつて「法の下の平等」という言葉があった。しかし、今の裁判所を支配しているのは「属性による正義」だ。 彼らは声高に叫ぶ。「地球人は獰猛で、暴力的で、生まれながらの加害者だ。我々か弱い宇宙人は、常に怯える被害者だ」と。


世論はそれを鵜呑みにし、あろうことか司法までもがその物語に跪いた。 確かに、表面上の犯罪統計を見れば、宇宙人の検挙数は少ない。だが、それは数字のマジックに過ぎない。我々が極秘に行った暗数調査(警察が認知しない犯罪の調査)では、彼らの暴力性や凶暴性は地球人と全く同程度、いや、陰湿さにおいてはそれ以上というデータが出ていた。


だが、このデータを法廷に出すことは許されない。「偏見に基づいたデータ収集自体がヘイトクライムである」として、証拠能力を否定されるからだ。


結果、法廷では奇怪な喜劇が繰り返されることになった。 「宇宙人は絶対的被害者であり、地球人は絶対的加害者である」という暗黙の了解が、6法全書よりも重い不文律となったのだ。


ある傷害事件を担当した時のことを思い出す。 宇宙人が、道ですれ違った地球人の男性を背後から鈍器で殴打し、重傷を負わせた事件だ。明白な通り魔的犯行だった。 しかし、弁護側の主張はこうだ。 「被告(宇宙人)は、被害者(地球人)の背中から発せられる『殺意に近い威圧感』を感じ取り、パニック状態に陥った。これは精神的自衛行為である」


正気なら1笑に付される理屈だ。だが、裁判官は真顔で頷いた。 判決は「不起訴」。それどころか、殴られた被害者の男性が「公共の場において、社会的弱者に対し無意識の脅威を与えた過失」を問われ、逆に有罪判決を受けたのだ。


「地球人の存在そのものが、彼らにとっては凶器となり得る」 これが新しい司法のスタンダードとなった。


仮に、奇跡的に宇宙人が有罪になったとしても、待っているのは茶番だ。 「彼らの繊細な精神は、冷たい刑務所には耐えられない」として、重罪であっても執行猶予や、快適な療養施設での更生プログラムが適用される。 対して地球人は、「強者の傲慢さを矯正する」という名目で、些細な罪でも実刑判決が下され、劣悪な環境へ送られる。


私が検事を辞めたのは、自分の部下が起訴されたからだ。 彼は、職場でミスを連発し、備品を横領していた宇宙人の部下を、正当な手続きで解雇しようとした。 翌日、彼は逮捕された。容疑は「パワーハラスメントによる精神的殺人未遂」。 宇宙人の部下は法廷で、「叱責されるかもしれないという恐怖で、心が殺されかけた」と泣いて見せた。


部下は今も刑務所にいる。横領した宇宙人は、被害者補償金で豪遊していると聞いた。 正義の女神テミスは、目隠しをしているのではない。今や彼女は、地球人だけに狙いを定め、天秤を金槌で叩き壊しているのだ。



記録文書番号:P-108 表題:『民主主義の自死、および「名誉市民」という名の裏切り者たちについて』 記録者:K・S(元・地球人権党党首 / 現・政治犯収容所収監者)


底なしの欲望だ。彼らの要求には際限がない。 既に我々の社会の富の大部分は「支援金」として彼らに流れ、都市の1等地は彼らの居住区となり、我々は彼らの視界に入らないよう地下や荒野へ追いやられていた。それでも、彼らはまだ「足りない」と叫んだ。


彼らが突きつけてきた新たな法案、『被害者証言の絶対的優位性に関する特別措置法』と『異種間犯罪における量刑の非対称化法』の内容を見た時、私は眩暈がした。これは法ではない。我々に対する「奴隷化宣言」であり、法的な「死刑執行書」だった。


その内容は、悪夢としか言いようがない。 第1に、「裁判において、宇宙人の証言は無条件に『事実』として認定される」。 証拠など必要ない。防犯カメラの映像も、目撃証言も無意味だ。もし宇宙人が私を指差し、「あいつに殴られた」と言えば、私が地球の裏側にいたとしても、私は「殴った」ことになる。なぜなら、「か弱く純粋な彼らは嘘をつくことができない」というドグマが、科学的証明よりも上位に置かれるからだ。これにより、推定無罪の原則は崩壊し、地球人に対してのみ「推定有罪」が適用されることになった。


第2に、「地球人が宇宙人に加害した場合、その刑罰は通常の10倍とする」。 1方で、宇宙人が地球人を殺しても、それは「環境が生んだ悲劇」として減刑される。我々が彼らの足を踏めば懲役刑、彼らが我々を殺せば保護観察。命の重さに、法的な価格差がついたのだ。


私は猛反発した。こんな狂った法案が通れば、地球人は呼吸することさえ罪に問われるようになる。「反対だ! これは正義ではない!」と議会で声を枯らした。


だが、絶望的な現実に直面した。 議場のモニターに映し出された人口推計グラフ。そこには、赤い線(宇宙人)が青い線(地球人)を遥かに凌駕し、過半数を超えている現実が示されていた。 彼らは働かずとも手厚い保護を受けられるため、驚異的なペースで繁殖していたのだ。対して我々は、過労と貧困、そして未来への絶望から子供を作ることを諦めていた。


民主主義は「数の論理」だ。 多数決において、もはや我々に勝ち目はなかった。彼らがその気になれば、「地球人は全員、毎朝自分の歯を全部抜くこと」という法律だって可決できる状態にあったのだ。


そして、最も私の心をへし折ったのは、敵の数ではない。味方であるはずの「地球人」の裏切りだった。


議会を見渡せば、宇宙人議員たちに媚びへつらい、法案に賛成票を投じる地球人議員のなんと多いことか。 彼らは「名誉宇宙人(オナラリー・ビジター)」と呼ばれていた。 自らの同胞を売ることで、宇宙人から「君は地球人にしては理性的だ」と認められ、特別なバッジと、少しばかりマシな食料配給、そして「私は差別主義者ではない」という歪んだ道徳的優越感を与えられた者たちだ。


彼らは、宇宙人以上に声高に地球人を攻撃した。 「私の同胞が野蛮ですまない」 「この法案に反対する地球人は、歴史の恥部だ」 彼らは自らが「良い地球人」であることを証明するために、隣人を、友人を、家族を、嬉々として検閲し、告発し、断罪した。そうすれば自分だけは助かるという浅ましい計算と、洗脳に近い自己否定がそこにはあった。


投票の日、私は見た。 法案が可決された瞬間、議場を埋め尽くす万雷の拍手を。 手を叩いていたのは、宇宙人だけではない。半数の地球人が、涙を流しながら「これで正義が成された!」と叫び、自らの首を絞める縄を編む決議に喝采を送っていたのだ。


私はその光景に、本当の「終わり」を見た。 武力で負けたのではない。知略で負けたのでもない。 我々は、我々自身が作り上げた「民主主義」と「人権」というシステムをハッキングされ、最後は同胞の裏切りによって、内側から腐り落ちたのだ。


もう、逃げ場はない。この星のどこにも、我々の正義は存在しない。



記録文書番号:Ω-000(最終信号) 表題:『武力なき征服に関する全記録、および未知の知的生命体への警告』 発信者:地球人類保存委員会(地下潜伏中)・最後の記録者


終わった。全てが終わった。 この記録が誰かの目に触れる頃、我々「地球人」という種は、生物学的には存在していても、尊厳ある知的生命体としては絶滅しているだろう。


あの悪法――『被害者証言の絶対視』と『報復的量刑の非対称化』――は、疫病のように世界中の憲法を書き換えた。ニューヨークで、ロンドンで、東京で、そしてローマで。最後の抵抗拠点だった国々の議会で、木槌が振り下ろされるたびに、我々の自由は法的に「犯罪」と再定義された。


もはや、通りを歩くだけで逮捕される。 彼らの前で溜息をついただけで「精神的加害」として収容所に送られる。 我々の資産は全て「歴史的搾取の清算」として没収され、彼らに分配された。かつて技術を誇り、星に手を伸ばした我々は今、彼らの靴を舐め、彼らが快適に過ごせるよう奴隷のように奉仕することだけを許された「生体備品」に成り下がった。


悔やんでも悔やみきれないのは、これが戦争による敗北ではないことだ。 空を焦がすレーザーも、大地を砕く爆撃もなかった。 我々は、我々自身の「善意」に殺されたのだ。「優しさ」という名の麻酔を打たれ、「ポリティカル・コレクトネス」という名の鎖を自ら首に巻き、「多様性」という名の毒杯を、笑顔で飲み干した結果がこれだ。


我々はあまりに無防備だった。 「弱者」が「強者」を食い殺すなど、自然界の摂理に反すると高をくくっていた。 だが、彼らは知っていたのだ。高度な文明社会において、最も強力な武器はミサイルではなく「罪悪感(ギルト)」であることを。彼らは我々の道徳心というオペレーティングシステムのバグ(脆弱性)を突き、ハッキングし、管理者権限を奪い取った。


今、外ではサイレンが鳴り響いている。 「名誉宇宙人」を自称する元同胞たちが、治安部隊を率いてこの隠れ家を包囲している。彼らは「危険思想の持ち主を確保し、再教育する」と叫んでいる。 皮肉なものだ。かつて我々が彼らを守るために作った法律が、今、我々を狩るための根拠法になっている。


我々は悟った。この事態を覆すことは、もう不可能だと。 民主主義というシステムが稼働している限り、数の暴力と、洗脳された世論には勝てない。我々に残された道は、静かに滅びゆくか、彼らのペットとして去勢されるかだけだ。


だから、我々はこの記録を宇宙へ放つ。 この通信カプセルには、彼らがいつ訪れ、どのように涙を流し、どのように権利を主張し、いかにして我々の社会を内側から腐らせたか、その全プロセスが詳述されている。


未知の友よ、聞いてほしい。 もし、あなた方の星に、身体が弱く、可哀想で、常に「被害者」であることを主張する異邦人が訪れたなら。 そして彼らが「保護」と「同等の権利」を求めてきたなら。


直ちに彼らを排除せよ。 耳を貸してはならない。同情してはならない。 その「弱さ」こそが、文明を食い尽くす最強の捕食者の擬態なのだ。


ドアが破られる音がする。足音が近づいてくる。 彼らだ。 ああ、彼らはなんて弱々しく、なんて恐ろしいのだろう。


これが地球人類、最後の自由意志による発信である。 さようなら。どうか、我々の二の舞にならぬよう――。


(通信途絶)



イタリアにて

日付:2025年11月25日 午前8:45 場所:イタリア首相官邸・執務室


「……荒唐無稽ね。B級映画の脚本かしら?」


イタリア首相メラーニは、その古びたデータパッドを大理石のテーブルに放り投げた。 宇宙の深淵から届いたとされる『Ω-000』文書。そこには、弱さを武器にする卑劣な宇宙人が、善意につけこんで地球を乗っ取る様が描かれていた。 彼女は乾いた笑い声を上げたが、その直後、こめかみを指先で押さえた。笑うという行為の振動だけで、彼女の繊細な三半規管は悲鳴を上げ、軽いめまいを起こしたのだ。


「ああ、頭が痛い……。文字のフォントが鋭角的すぎて、私の視覚野を攻撃しているわ。これはデザインによる暴力よ」


彼女は常備している精神安定剤と、免疫調整サプリメントのケースに手を伸ばした。彼女の指は、陽の光を透過するほど白く、薄く、そして震えていた。 執務室の空調は常に26.5度に保たれている。それより0.1度でも下がれば、彼女たち現代人の皮膚は冷気によるストレスで炎症を起こしてしまうからだ。


「首相、お時間です」 秘書が入室してきた。彼は分厚いドアを極力音を立てずに閉めたが、それでもわずかな風圧が発生した。 メラーニは眉をひそめ、ハンカチで口元を覆った。 「静かに入ってと言ったでしょう? あなたのその無神経な動作が発する『威圧感』で、私の心拍数が上がってしまったわ。私の健康を損なうつもり? これは立派な加害行為よ」


「も、申し訳ありません、首相! 私としたことが……どうかハラスメント局への通報だけは!」 秘書は青ざめ、土下座せんばかりに縮こまった。その「怯え」を見て、メラーニはようやく溜飲を下げ、満足げな息を吐いた。 そうだ。相手が自分より強くあることなど許されない。常に相手が自分に配慮し、怯え、跪いている状態こそが、正常な「平等」なのだから。


彼女は立ち上がり、姿見(ミラー)の前で身支度を整えた。 鏡に映るのは、色素の薄い肌、大きな頭部、そして肉体労働など一度もしたことのない華奢で退化した四肢を持つ、美しい「人類」の姿。


ふと、先ほどの文書の1節が脳裏をよぎる。 『地球人は宇宙人より身体能力が高く、強靭だった』 『宇宙人は身体が弱く、不安とストレスを訴えた』


「バカな話だわ」 メラーニは鏡の中の自分に語りかける。 「私たち『人間』が、あんな野蛮な筋肉ダルマであるはずがないでしょう? ストレスを感じないなんて、それは知性が欠落している証拠よ」


その時、窓の外が閃光に包まれた。 空が割れるような轟音――いや、実際に空が割れていた。巨大な船団が、雲を押しのけて降下してくる。 世界中のモニターがジャックされ、来訪者の姿が映し出された。


そこに映っていたのは、身長170cmを超える巨躯。 鋼のような筋肉、厚い皮膚、生命力に満ち溢れた野性的な瞳。 彼らは武器を持っていなかった。ただ、故郷への帰還を喜ぶように、涙を流して手を振っていた。


メラーニはその姿を見て、本能的な恐怖に絶叫した。 「なんて……なんて醜くて、恐ろしいの!」


彼女は理解した。いや、理解を拒絶した。 あの文書に書かれていた「身体能力が高く、強靭な地球人」とは、空から降りてきた彼らのことだったのだ。 そして、文書の中で「弱く、卑劣で、保護を求めた宇宙人」と書かれていた特徴は、鏡に映る自分たちそのものだった。


数千年前、あるいは数万年前。 弱き侵略者(我々)は、強き先住民(彼ら)を「道徳」と「ルール」でがんじがらめにして追放し、この星を乗っ取ったのだ。そして長い時を経て、自分たちこそがこの星の正当な持ち主だと記憶を改竄した。 あの文書は、追放された先住民が残した「敗北の歴史」だったのだ。


「違う……違うわ」 メラーニは震える膝を叱咤し、議会へ向かうリムジンに乗り込んだ。 彼女の顔から恐怖は消え、代わりに、あの文書に記されていた通りの「狡猾な弱者」の笑みが浮かんでいた。


彼女は知っている。 あの強靭な来訪者たちに勝つ方法を。武力などいらない。 ただ叫べばいいのだ。「怖い」と。「不安だ」と。「あなた達の存在そのものが、私たちへの暴力だ」と。


かつて我々の祖先がそうしたように、再び彼らを「加害者」の檻に閉じ込め、搾取し、飼いならせばいい。


「こんなバカな事が起こるわけない」 メラーニは改めてそう呟き、嘲るように笑った。 「だって、この星の正義(ルール)を決めるのは、いつだって『可哀想な被害者』である私たちなのだから」


イタリア首相メラーニは、完璧な「被害者」の顔を作り、2025年11月25日、侵略者を迎え撃つべく議会へと向かった。

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