01.助けた少女、フィーナ

 ――時は少女を助けた次の日に遡る


 目が覚めた。


 窓から差し込む朝の光が、部屋を柔らかく照らしている。カーテンの隙間から見える空は晴れていて、鳥の囀りが聞こえる。

 ゆっくりと体を起こしながら、昨日のことを思い返す。


 ロクでなしの賊から一人の少女を助けることができた――

 前世で果たせなかったことを少しだけ取り戻せた気がする。胸の奥が少しだけ軽くなった。


 着替えを済ませ部屋を出ると、廊下の先で父と出くわした。


「おはようテオ」

「父さん、おはようございます」


 父は俺の全身を見回し、それから静かに言った。


「全く、無茶をしたな。だが、よく生きて帰った」


 叱責も称賛もない、けれど暖かい声だった。

 父らしい、そっけないけど優しい言葉。


「連れてきた少女のことだが、まだ12歳とのことだ」


 父が腕を組み、低く続ける。


「盗賊に親を殺され攫われたらしい。頼りになる身寄りもなく、しばらく屋敷で保護するつもりだ」

「分かりました。あの子は今どこに?」

「客間にいる。声をかけてやるといい」


 父に別れを告げ客間へ向かう。

 廊下を歩きながら昨日のあの子の泣き顔を思い出す。少しは落ち着いただろうか。


 客間の扉の前で立ち止まり軽くノックする。

 中から小さな声がした。


「……はい」


 か細い、怯えたような声。

 扉を開けると清潔な服に着替えた女の子が立っていた。


 髪はまだ少し湿っていて湯に入ったばかりなのだと分かる。石鹸のほのかな香りが漂う。

 昨日は無我夢中で気付かなかったが、幼いながら、とても整った顔立ちをしている。


 肩ぐらいまでの髪は薄い桜色。白い肌はまるで作られた人形のようで、繊細で壊れそうだ。

 だが、目にできた隈がその印象に影を落としていた。


 俺の姿を見た瞬間、びくりと肩が跳ねる。

 目には怯えの色。まるで叩かれると思っているような、身構えるような仕草。


「……おはようございます」


 俯きながら、囁くような細い声。

 消え入りそうなほど小さくて、聞き取るのがやっとだった。


「おはよう。そんなに緊張しなくても大丈夫。ここは安全だから」


 なるべく安心させてあげられるよう、精いっぱいの笑顔で答える。

 声のトーンも落として、優しく、柔らかく。


 だが少女の視線は泳ぎ、指先が服の袖を強く握っている。

 ぎゅっと、白くなるほど強く。まだここが安全だと信じ切れていないのだろう。


「ここは俺の家だ。もう盗賊も奴隷商も来ない」


 少女の目が少しだけ俺を見る。

 恐る恐る、確かめるように。


「もし来たとしても、俺が守るから」


 少女がゆっくりと顔を上げた。

 その瞳が、初めてまっすぐに俺を見た。


「本当に?」


 縋るような声。信じていいのか、裏切られないのか――そんな不安が滲む。


「ああ。もう大丈夫だ。君は助かったんだ」


 その言葉を聞いた瞬間――

 彼女の膝ががくりと崩れた。


「……おとうさん、おかあさん……」


 床に座り込んだまま声を殺して泣き出す。

 嗚咽を必死に抑えて、小さく震える肩。涙が床に落ちて小さな染みを作る。


 俺は慌てて近づき、どうすればいいか分からないまま、ただ近くにしゃがみ込んだ。

 泣き声は小さく必死に抑えられていた。それが余計に胸を締め付ける。


 本当、自分が嫌になる。

 この子を助け、いっぱしに守ったつもりか?前世の心残りを晴らしたつもりだったか?

 全然だ。この子の両親はもう戻らない。俺が救えたのは、命だけだ。


「……助けてくれて、ありがとう、ございます」


 しばらくして少女はそう言った。

 顔を上げずに。まるで床に向かって祈るように。涙で濡れた声で。


「……ごめん。君しか助けられなかった」


 心からの謝罪。もっと早く気づいていれば、もっと早く駆けつけていれば。


 そう答えると彼女は首を振った。

 そして俺の目を見て――きっぱりと。


「あなたは命をくれました」


 その思いの重さに、俺は返す言葉を失った。

 12歳の少女が、こんな言葉を言わなければいけない現実が胸を締め付ける。


 前世で培った倫理観、生まれ持った想い。それらが一つの答えを告げている。

 ……俺はこの子を守らなくてはいけない。


「君の名前は?」

「……フィーナ、フィーナです」

「フィーナ」


 名前を呼ぶと、彼女が少しだけ顔を上げる。


「俺の名前はテオだ。約束するよ、君が幸せに生きられるよう、これからは俺が守るから」


 一つの決意。

 両親の代わりとはいかないけど、俺の手で助けたこの子の人生は明るいものでなければならない。

 前世から俺はハッピーエンド至上主義者だ。不幸な結末なんて、認めない。


「どうして……どうしてそんなに……」


 少し困惑したように呟き、再び声を殺して泣いた。

 今度は少しだけ安堵の色が混じっているように見えた。


 この日からフィーナは屋敷に住むことになった。



 ――次の日の朝。

 鍛錬場で剣を振っていると視線を感じた。


 振り返ると少し離れた場所にフィーナが立っている。

 朝日を浴びて桜色の髪が輝いている。


「おはよう。フィーナ」


「おはようございます。テオ様」


 昨日とは違い幾分落ち着いた表情だ。少しだけ血色も良くなった気がする。


「様付けは止めてくれ。別にフィーナは使用人というわけじゃないんだし」

「でも、テオ様は年上ですし、呼び捨ては……」


 フィーナが少し困ったようにうつむき、何か言いたげにもじもじとしている。

 指先を絡めて、恥ずかしそうに。


「じゃあ、あの……テオお兄さん、って呼んでもいいですか?」


 お兄さん。


 その言葉が胸に響いた。

 心臓の鼓動が少し早くなる。ドクンと、大きく。


(あれ?なんだこれ?)


 どうも、前世で妹を守り切れなかった俺が、初めて助けることができた相手から「兄」と呼ばれたことで動揺しているようだった。

 決して年下の女の子にお兄さんと呼ばれて興奮している変態ではない。……はず。


「……お兄さん?」


 返事がないことを心配したのか、フィーナがもう一度呼びかけてくる。

 小首を傾げて、不安そうに。


(やばい、もう一回言われた。尊い)


 心の中で叫ぶ。表情には出さない。出してないつもり。


「あ、ああ。それでいい。うん、お兄さんって呼んでくれ」


 少し声が上ずってしまう。


「本当ですか?」


 フィーナが嬉しそうに笑う。ぱあっと、花が咲いたような笑顔。


(可愛い。なんだこの生き物。保護欲が止まらない)


 いや待て。これ、前世込み30代のおっさんが血の繋がりのない12歳の女の子に「お兄さん」と呼ばせて喜んでるってことだよな。事案かな?


「お兄さん、顔が赤いですけど……」

「朝の鍛錬で体が温まっただけだ」


 嘘である。完全に動揺している。

 涼しい顔で平常心を取り戻したフリをし、話題を変える。


「ところで、何か用事?」

「いえ、特に用事があるわけじゃないんですが……」


 フィーナが少し遠慮がちに。


「訓練、見ていてもいいですか?」

「いいけど、危ないからあまり近づいたらダメだよ」

「はい!」


 そう言って彼女はその場に座り込んだ。

 膝を抱えて、じっと俺を見つめる。


 俺は訓練を再開し、剣を構えながら考える。


 なるほど……妹、妹かぁ。

 前世では実の妹にこんな気持ちを抱いたことはなかったんだけどな。守れなかったトラウマが変な風に昇華されてしまったのだろうか?


 まぁ、でも。


 横目でフィーナを確認する。

 少し安心したような表情で、俺が剣を振るところを眺めている。風に髪が揺れて、朝日がキラキラと反射する。


 この子を守っていけるよう、もっと強くならないと。

 剣を握る手に、力が入る。


☆★☆★☆★☆★☆★☆★


 それからのフィーナは影のようだった。

 俺の後ろを付いて回り、見失うと不安そうに探し回る。


「テオ兄さんはどこにいますか?」


 使用人たちはその問いかけを何度も聞いた。

 「庭で見ましたよ」「書斎で本を読まれています」「鍛錬場です」


 答えが帰ってくるたび彼女はほっとした顔をする。

 小さく胸を撫で下ろして安堵の息を吐く。


 そんな彼女を微笑ましく見守る俺の両親。

 俺はこのまま元気を取り戻してほしいと心から願った。


 そんなある晩のこと。


「お兄さん、眠れません……」


 枕を抱いたフィーナが、俺の部屋を訪ねてきた。

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