第2話 もう二度とお酒なんて飲まない。

 頭が痛い。

 頭が、割れるように痛い。

 喉の奥がぐるぐるしていて、胃袋が口から出てきそうになる。


(なに…これ…)


 まるで頭の中で棘のついた栗がタップダンスを踊っているかのような錯覚に襲われる。いま、自分が上を向いているのが下を向いているのか、それとも生きているのか死んでいるのかすら分からない。


「…」

「…りん…」

「凛、起きてっ!」


 肩を掴まれ、ゆすられる。そのたびに頭が揺れて、頭の中のイガグリが駆け巡る。


「わかった…おきる…起きるから、だから揺らさないで…」


 私はそう言うと、上半身を起こして私を殺しかけた犯人の顔をまじまじと見つめる。

 印象に残るのは、その瞳。

 強い意志を感じる瞳の中に、私を心配してくれている優しさも感じることが出来た。…そのわりには、もう少しで私、頭痛すぎて死んでしまいそうになったのだけど。

 髪の色は烏の濡れ羽色で、シャギーのかかったボブがよく似合っている。

 髪型以外は私と瓜二つなその顔の持ち主は、私のふたご、葵(あおい)だった。


「葵…いったいどうしたのよ…こんなに朝早くから…」

「凛、昨日が何の日だったか覚えてる?」

「きのう?」

「そ、昨日」


 いまだじくじくと痛む頭を絞って考える。昨日…昨日はいったい、何の日だっただろう。…うーん、それにしても、考えるだけで頭が痛い。どうしてこんなに頭が痛いのか…


(二日酔い)


 ふいに、その文字が頭に浮かんでくる。そうだ。私、今、二日酔いをしているんだ。これが噂の二日酔いか…こんなに苦しいなら、私はもう二度とお酒なんて飲まないようにする。

 お酒?どうして私、お酒飲んだいたの?

 あ、そうか。

 20歳になったからだ。


「私の誕生日、だったね」

「そして私の誕生日でもあるのよ」


 だって私たち、ふたごなんだもん。

 葵はそう言うと、腰に手を当てて私を見下ろしてきた。


「誕生日を凛に祝ってもらおうと思って、私昨日、家から一歩も出なかったんだからね」

「そんな事言われても…」

「だって20歳だよ?人生の節目だよ?やっぱりこんな大切な日は、大事な人と一緒に過ごしたいじゃない」


 相変わらず、愛が重い。

 この葵という私のふたごは、なんていうか、なんというべきか、ふたごの姉妹でありながら…私に対して、特別な感情を抱いてくれている。

 ぶっちゃけて言うなら、私の事が好きなのだ。

 それも姉妹愛や家族愛というたぐいの愛ではなく、異性に対する愛と同じベクトルの愛なのだ。


(まぁ、私と葵は女同士だから、異性愛とは少し違うか…)


 そう思いながら、葵が差し出してくれたポカリスエットのボトルの蓋を開けて、口をつける。美味しい。相変わらず頭の中は末期の戦場状態なのだけど、気のせいか少し痛みが和らいできたような気がする。


「じゃぁ、凛に挨拶することもできたし、バイトに行ってくるかな」


 そう言うと、葵は大きく背伸びをする。

 私は大学近くのマンションで一人暮らしをしていて、葵はまた別のマンション…彼女が通っている演劇スクールの傍…で1人暮らしをしているのだけど、なんだかんだで週に5回くらいは葵がうちに顔を出してきているので、ほとんど2人暮らししているみたいなものじゃないかな、と思わないこともない。


「気を付けてね」

「…20歳の誕生日に酔いつぶれて二日酔いになった女に言われても説得力が皆無だなぁ…」

「経験してるからこそ、分かるのよ」


 お酒は怖いわよ、気をつけなさい。

 そう言った私の言葉に、葵はにこっと手をふって、そのまま家から出ていったのだった。


 ふぅ。

 さて。


 時計を見る。

 今は朝の7時。

 大学の1限目が始まるのは8時半からで、私のマンションから大学までは徒歩でだいたい10分くらい。


(もう少しだけ、寝ようか…)


 そう思い、目を閉じて。

 二日酔いでうまく機能しない頭を働かせると、昨夜のことを少しずつ思い出していったのだった。




■■■■■



「凛さん…私とお付き合い…してくれませんか?」

「え…普通に嫌ですけど…」


 月明りの蒼い光の下で、知り合ったばかりのバーテンダーから突然交際を申し込まれた私は、反射的にそう答えたのだった。


「え?即答?」

「いや…むしろどうして、普通に受け入れられると思っているんですか?」


 びっくりした表情を浮かべている紫苑さんに対して、びっくりしたのはこっちですよ、と少し非難の声を浴びせたくなる衝動に駆られてしまった。


「そもそも、私、あなたのこと何も知りませんし…」

「風見紫苑(かざみしおん)。20歳。B型っぽいってよく言われるけど、血液型はA型。バーテンのバイト以外もいろいろ掛け持ちでバイトしていて、趣味は絵を描くことと、歌うこと。好きな食べ物はカレーパン。嫌いな食べ物はキノコの山。凛、あなた、キノコ派?タケノコ派?これ大事なところだから、まずは先に聞いておくわね」

「別にどっちでも…」

「よかった。とりあえずは宗教上の戦争が勃発するという事態だけは避けられそうね」


 一人で勝手に納得している。


「いや、だから…」

「こんなバイトしてるからモテそうって言われるけど、うん。正直、けっこうモテる方だとは思う。自分から告白したことは今回の凛への告白が初めてなんだけど、告白された回数なら両手の指全部合わせても全然足りないね」

「自慢ですか?」

「ううん。ただ事実を並べているだけ」


 紫苑さんはそう言うと、腰に手を当てて、夜空を見上げた。

 ついついつられて、私も見上げてしまう。

 綺麗な満月。

 同じ月明りの下に、影が二つ。


「でも、誰とも付き合ったことが無い。付き合おうと思ったこともない。だって私は…」


 人を好きになる、という気持ちが分からないから。


 そう呟いた紫苑さんの声は、少しだけ、寂しそうだった。


「私ね、たぶん、壊れてると思うんだ。人間の格好してるけど、人間じゃないっていうか…人とチンパンジーのゲノムの違いって知ってる?」

「…たしか、98.8パーセントは同じで、違いはわずか1.2パーセントしかないっていうやつです?」

「そう、それ。さすが大学生さん。頭いいね」


 そういうと、紫苑さんはからからと笑った。


「愛を知らないなんて、1.2パーセントどころの違いじゃないよね。だから私は、人間じゃないんだよ」


 早く人間になりたーい、とふざけて私に襲い掛かろうとする紫苑さん。

 私をそんな紫苑さんを冷たく見返すと、


「それで、それが私になんの関係があるというんですか。あなたの都合に私を勝手に巻き込まないでくれますか?」

「いひっ。冷たいねぇ。さっきまではあんなに可愛らしかったのに」

「ごめんなさいね。これが素なんです」

「そうだねぇ…」


 紫苑さんはしばらく何か考え事をしていた。

 風が吹いてきた。

 今はお酒が回っているので身体はぽかぽか暖かいのだけど、お酒が入っていなかったらけっこう寒かったんじゃないかな、と思う。


「…凛が、好きな人の名前…」

「未来です。星野未来」

「そう未来ちゃん。もしも未来ちゃんが…」


 凛に向かって、死んで、と言ったらどうす…


「死にます。当たり前じゃないですか」


 当たり前のことを、当たり前に答えただけなのに、紫苑さんは私をまるで恐ろしい怪物かなにかだとでも言わんばかりの瞳で見つめてきた。


「うん。やっぱり、怖いよ、凛。ぞくぞくする。私も壊れているけど、あんたもずいぶん壊れているね」


 なぜか嬉しそうな紫苑さん。

 もうそろそろ解放してくれてもいいかな。

 私のマンションも近くなってきたことだし。


「じゃぁ、付き合うってのは無しでいいよ。でも友達、くらいならいいだろ?」

「私、友達ほとんどいないんで…」

「…けっこうめんどくさい子だね…いいよ、もう、分かった。じゃぁ知り合い、って関係でいいから」


 そういうと、紫苑さんは私にぐっと近づいてくる。

 そしてそのまま、私のポケットに何かを突っ込んできた。


「…なんです?これ?」

「チケット。今週末、ライブやるんだ、私」


 これでもけっこう人気なんだよ?私、モテるからね。


「あげる。見に来てよ。損はさせないから」


 そう言うと、紫苑さんはそのまま夜の街へと消えていったのだった。




■■■■■



 なんやかんやあって。

 朝8時。

 私は二日酔いでつらい身体に鞭打って、なんとか大学にたどり着いていた。


「暑い…」


 汗が出る。

 汗の中にもアルコールが含まれているんじゃないかな、と思うくらい、私の吐く息も昨夜のお酒がしっかりと残っていた。


(匂い…大丈夫かな)


 朝、念入りにシャワーは浴びたのだけど、それでも内から溢れてくるものは隠せるはずもないか、と思うと嫌になる。

 こうして、痛い頭と戦いつつ、とぼとぼとキャンパス内を歩いていたら。


 とっとっとっと。


 背後から、軽快な足音が聞こえてきた。

 その足音は、まっすぐ私に向かってきている。


 ふりむく必要もない。

 この足音の主人を、私は知っている…というか、私にわざわざ話しかけてこようとする人なんて、数えるくらいしかいない。

 …ちょっと盛りすぎた。

 一人しかいない。


「凛ちゃん、おはよう!」

「…おはよう、陽花里(ひかり)」


 フランス人形がそのまま大きくなったような、輝かんばかりの美少女がそこに立っていた。

 私を見つめて、嬉しそうにしている。

 もしも尻尾がはえていたとしたら、たぶん、ぶんぶん振り回していることだろう。


 三崎陽花里(みさきひかり)。20歳。私と同い年で、同学年。

 私の数少ない…というか、たった一人の友人だった。


「えへへー。朝から凛ちゃんに会えたから、今日はいい一日になるような気がするよ」

「それはよかった」


 そのまま、ごくごく自然に私に腕を絡ませてくる。

 もう20歳なのだから、美少女ではなく美女と言うべきなのかもしれないけど、それでもやはり、陽花里を形容するなら「美少女」になってしまうのだ。


(髪の毛、ふわっふわ…)


 淡い栗色の髪の毛は太陽の光に照らされると、まるで金髪のようにも見える。

 金髪…金髪。


(…あの女…)


 この頭痛の原因の半分は、あの紫苑という女にもあるんじゃないかな。

 今度会ったら文句の一言でも言ってやろうかしら。


(…ま、いいか)


 どうせ二度と会うこともない女だ。

 昨夜の私はおかしかった。どうかしていた。そもそも、お酒を飲もうと思ったこと自体が間違いだった。


(まぁ、これで二度とお酒を飲まないという決心をすることが出来たから、統計的に考えればプラスだったかな…)


 そんなことを想いながら、歩く。

 隣の陽花里も、私に釣られて歩く。


 歩いて、歩いて。

 なんとなく。

 本当になんとなく、陽花里が、私のベストのポケットに手を入れた。


 いつもはこんなことしないのに。

 陽花里、大人しくて、とても聞き分けのいい、いい子なのに。


 そして。


「わぁ」


 陽花里が、喜びの声をあげた。その声だけで、空気が煌めいて浄化されていくような気さえしてくる。


 陽花里の手には、昨夜、あの女が勝手に私のポケットに入れたチケットが握られていた。


 …忘れてた。

 存在すら忘れていたから、家で捨てることさえしていなかった。


「凛ちゃん…これ…」

「あ、陽花里、それは…」

「すごーい!金色の闇のライブチケットだー!」


 全身で悦びを表現している陽花里。

 あまりにも嬉しそうだから、それ、捨てる気だったんだよね…とはとても言えない雰囲気になってしまった。


「私、大ファンなの!嬉しい!凛ちゃん、知っててくれたの?嬉しい!」


 ぴょんぴょん飛び上がっている私の唯一の友人を見ていると、もはやかける言葉は一つしか残されていなかった。


 ある意味、これも運命、だったのかもしれない。


「えーっと、陽花里…今週末…空いてる?」

「うんっ」


 こうして、週末、私は陽花里とライブデートをすることになったのだった。

 それにしても。

 バーの名前がBLACK CATで、バンド名が金色の闇だなんて…


 この先、どんなとらぶるやダークネスな展開が待ち受けているというのだろうか?

 

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