恋を失った私と、恋を知らない彼女

雄樹

第1話 月に吠える

 成人の年齢は20歳から18歳に引き下げられたというのに、飲酒が許される年齢は20歳据え置きなのは何故だろう。

 そう思って調べてみたところ、健康面への影響や青少年の保護のため、というのが理由らしかった。

 …私の大学の友人たちは入学当初からやれ合コンや、やれ新歓だと飲酒しまくっているみたいだけど、では彼女たちは全員、大学を2浪して入ったとでもいうのだろうか。


(そんなわけ、ないか)


 ただ単に、私が変に真面目なだけなのだろう。頭が固くて、融通が利かない。それが私、白鷺凛(しらさぎりん)という女の拭い去ることのできない本質なのだ。


 6月14日。

 私はめでたく誕生日を迎え、20歳になった。


 20歳になったからといって、世界が急に劇的に変わるわけじゃない。

 それでも私は、今日だけは一人で夜の街に出ることにした。


(誕生日、という免罪符でもつけないと、きっと何もしないまま終わっちゃうもんね)


 それはあまりにもったいない。人間、死ぬまでに年の数だけ誕生日を迎えることが出来るけれども、20歳というのは長い人生の中でもかなり重要な意味を持つ節目の日なのだから。


 こうして、さして大した理由もなく家を出た私は、ある意味、人生を変えることになる出会いを迎えることになるのだった。



■■■■■



「BLACK CAT…?」


 とあるバーの看板を前にして、私は首をかしげた。ここがいいバーなのかどうかすら分からない。ただ、繁華街の中で一番最初に目についたのがここだった、というだけだった。


(犬派か猫派かでいえば、私、猫派だから、ここにしようか)


 そんなくだらない理由で入る店を決めると、バーの扉に手をかけた。扉は思ったよりも重く、押すとぎぃと金属音が鳴り響いた。


(あ…)


 店の中に一歩足を踏み入れた瞬間、私は甘いアルコールの匂いに包まれたような気がした。店内は薄暗く、ジャズの音が流れている。


「いらっしゃいませ」


 出迎えてくれた声は、女性の声だった。

 白いシャツに、黒いベストとスラックス。胸元にはこれまた黒い蝶ネクタイが結ばれていて、全体的に白と黒のコントラストがはっきりしていて清潔感がある。

 しかし、何より特徴的だったのは


(すごく綺麗な金髪)


 肩先まで伸ばしている、その鮮やかな金髪だった。


(こんなに綺麗な金髪なんて、今までみたことない…)


 と思いながら、いや、待てよ、と思い返す。

 私は高校時代、生徒会長をやっていて、その当時の顧問教師もまた、今目の前にいるバーテンダーの彼女に勝るとも劣らないほどの美しい金髪だったことを思い出す。


(高校時代…)


 胸が、ちくっとする。

 もう二度とは戻らないあの日々。私の愛した人がいた、私の青春。


(どこに座ればいいのかな…)


 何せ初めての経験なので、どこに座ればいいものなのかも分からなかった。店内を見渡してみると、客は数人入っているみたいで、カウンターに座ってバーテンダーとちょくちょく話をしているみたいだった。


(初めてお酒を飲むのが目的なんだから、よく考えたら別にバーじゃなくても良かったわよね…それこそ、チェーン店の居酒屋でもよかったし、コンビニでお酒買ってきての宅飲みでもよかったかもしれない。いきなりバーというのは、ちょっと敷居が高すぎたかなぁ…)


 そんなことを想いながら店の入り口で立っていると、バーテンダーの女性の方がにっこりと笑って、


「こちらにどうぞ」


 とカウンター席の端っこを指し示してくれた。私はぺこりと頭を下げると、そそくさと促された席に座る。

 椅子は柔らかすぎず、硬すぎず、ちょうどいい塩梅で座り心地がよかったので、思わずほっと溜息が漏れた。


「お客さん、バーに来るのは初めてですか?」

「は、はい…私、今日が誕生日で…今日、二十歳になったばかりなんです」

「それは…おめでとうございます」


 そう言うと、バーテンダーの方は優しく微笑んでくれた。営業スマイルなのだろうとは思うのだけど、それを差し引いたとしても、十分魅力的な笑顔だった。


「ちなみに私も20歳ですよ」

「え…」


 同い年、だったのか。雰囲気が大人っぽかったので、とてもそうは見えなかった。そうなのか。へー。へー…え?


(20歳?)


「紫苑ちゃん、このバーでバイト初めてどれくらいになる?」

「もう3年くらいになりますかね」

「あれれ?おかしいなー。たしかお酒を飲めるのは20歳になってからじゃないのかな?」

「もちろんそうですよ。私は法律をちゃんと守る偉い子なんで、実はバーテンダーやっていながらお酒飲んだことないんです」

「じゃあこの間飲んでたのは何だったのかな?」

「嫌だなぁ、田中さんったら。ほら、こちら私のおすすめのマティーニです。早く記憶なくすくらい飲んでくださいね」


 常連さんらしきお客さんと会話をしているバーテンダーさんを見つめる。私と同い年なのか…私は大学に通っているだけで世界のいろんな物事に触れることが出来ていると思っていたのだけど、実は狭い範囲内の切り取られたフラスコの底の世界しか見ていなかったんだな。


「風見紫苑(かざみしおん)」


 ふいに、バーテンダーさんが私に向かって語り掛けてきた。


「私の名前です。苗字よりも名前の方が好きなので、よろしければ紫苑、と呼んでもらえると嬉しいです」

「はい…有難うございます、紫苑さん」

「それで、よろしければ、お名前をお聞かせいただけますか?」

「白鷺凛(しらさぎりん)です」

「素敵なお名前ですね。それでは凛さん、何をおつくり致しましょうか?もしも特に希望がないのなら、私のおすすめカクテルを準備させて頂きますが…」

「おすすめでお願いしますっ」


 食い気味に答える。

 分からないことを分かったふりをしてもどうせろくなことにはならないのだから、ここはひとつ、素直になろう。

 今日は誕生日。

 ほろ酔い気分で素敵な夜を過ごすのもいいんじゃないかな。




■■■■■



「…だから…今でも忘れられないんですよぉ…聞いてます?ねぇ、聞いてます?紫苑さん?」

「はい…もうこの話、5回くらい聞いてますよ…」

「私はね…ただ、未来に幸せになってもらいたかっただけなんです…それだけが私の望む全てだったはずなのに、どうしてこう、胸がぽっかり痛いんですかね…」

「そうですね…私の私見を述べるのも4回目くらいになるんですけど、凛さん、聞きたいです?」

「あれ?」

「ん?」

「どうして紫苑さんが2人いるのー?あははははは」


 飲んだことは無かったけど、私はたぶん、お酒に強い方だと思っていた。

 私は大抵のことならできたし、できないことの方が少なかったからだ。


 中学、高校時代と成績は常に学年トップだったし。

 高校時代は生徒会長やっていたし。

 日本で一番入るのが難しい東京の大学に首席合格したし。

 たぶんこのまま、卒業したら官僚か弁護士にでもなるんだろうし。


「凛さんはすごいですね」

「すごくない」

「いや、すごいですよ。私なんて高校卒業して就職もせず、ずっとバイト生活してるだけですもの。凛さんみたいに、欲しいものすべて手に入れることなんて出来てないですもの」

「…いらない」

「え?」

「キャリアも、学歴も、何もかもいらない。私がこの世で欲しいのは、未来だけだったの」


 未来。

 星野未来。

 私がずっと好きだった子で…告白して、断られて、それでも好きでいることをやめることは出来なくて。


 世界で一番幸せなことは、好きな人が、自分のことを好きになってくれることだと思う。

 世界で二番目に幸せなことは、好きな人が、幸せになってくれることだと思う。


 未来が好きだった相手は私じゃなかったけど、未来は頑張って幸せを掴んだ。今は…結婚、している。

 本当の意味での結婚ではないのだけど、それでも、ちゃんとけじめをつけて形をつくって、幸せを掴んでくれている。


「私ね、幸せ」

「…本当ですか?」

「本当よー」

「じゃぁ、どうしてそんなに泣いているんです?」

「これは…」


 なんでだろう。

 あはは。

 私、お酒飲みながら、飲んだ分のお酒が全部目から流れ落ちて行っているみたい。


「紫苑さんにも好きな子がいるでしょう?その子が幸せになってくれたら、やっぱり幸せな気持ちになりません?」

「…私ね、その気持ちが分からないんです」

「わからにゃい?」

「ええ…私」


 人を好きになったことが、無いんです。

 だから、人を好きになるという気持ちが分からないんです。


 そう呟いた紫苑さんは、少し寂しそうだった。


「そうかー。それなら、お酒、お酒飲みましょう!お酒はいいですよー。とっても気持ちよくなれますから」

「…つい数時間前までお酒飲んだことなかったんですよね、凛さん?」

「そうだったかなー。昔のことは忘れちゃった」


 言いながら、頭をこつんと叩いてみる。ちゃんと痛い。


「じゃぁ、私がいいお店紹介してあげるね」

「有難うございます」

「BLACK CATっていうバーがおすすめ」

「うちですね、それ」


 紫苑さんはやれやれといった風に肩をすくめると、店内を見渡した。

 もうお客は私一人しか残っていなかった。

 最初は私の愚痴を聞いてくれていた常連さんたちも、いつの間にか一人、また一人と去って行っていたのだ。


(…なぜか最後はみんな、何とも言えない表情していたな…なんでだろう?)


 まったく理解ができない。

 よし、お酒飲んで頭をしゃっきりさせよう。ごくん。おいちい。


「あのー、凛さん」

「なんれす?紫苑さん」

「もう閉店なんですよ」

「そうなんですか」

「そうなんですよ」

「…おかわり」

「聞いてます?」


 そう言いながらも、紫苑さんは「これで最後ですよ」と言いながらカクテルを作ってくれた。ジントニック、というカクテルで、さっぱりとした口当たりでとても美味しかったので「おかわりしたいです」と言ったのに丁重に断られてしまった。ぐすん。悲しい。


 なんだかすごく眠たくなってきたので、私はカウンターに突っ伏すと、「あとで起こしてください」と言って一寝入りすることにした。

 紫苑さんはそんな私を見て「…はいはい」となぜか呆れたような口調で、それでも私が寒くないようにジャケットを掛けてくれた。







「凛さん…凛さんっ」

「なに…葵…まだ夜じゃない」

「葵って誰ですか?私は紫苑です、し、お、ん!」


 気が付いたら店の外にいた。

 もう深夜1時を回っているというのに、あたりは青白く照らされている。

 そうか、今夜は満月だった。

 この光は…月の光なのか。


「紫苑さんおはようございます」

「おはようじゃないですよ…ちゃんと立てる?」

「立てるー」


 そういうと、私はぺたんと道路に座り込んだ。

 アスファルトの冷たさがお尻に伝わってきて、ひんやりとしていて火照った身体に気持ちいい。


「立ててないからっ」


 紫苑さんは私の手を引っ張ると強引に私を立ちあがらせる。


「家どこ?とりあえずタクシー呼ぼうか?」

「あれれー、紫苑さん、紫苑さんじゃなくなってる?」

「何が?」

「喋り方ー。こわいー」

「こっちが素。さっきまでは営業!」


 そういうと、私のお尻をぱちんと叩く。

 痛いー。訴えてやるー。次に会うのは法廷だー。


「紫苑さん…短い付き合いでしたね…ちゃんと差し入れ持って面会に行くからね…」

「はいはい、それはよーござんした」


 ため息をはく紫苑さん。夜は冷えるから、息が白い。

 白い息。

 蒼い光。

 月明り。

 満月。


 日が回ったから、私の誕生日は昨日になる。

 昨日、私は20歳になった。


 恋を失ったまま、20歳を迎えてしまった。


「…凛さん?」


 後ろで、紫苑さんの声がする。

 私は一歩、また一歩と前に歩き。

 空を見上げた。

 月。

 蒼い、月。


 私を包み込むその光の中で、私の心が爆発する。


「未来の…未来の、ばかーーーーー!!!!!!!!!!!!!!」


 大好きだった人の名を。

 今でも忘れられない人の名を。

 もう、他の人のお嫁さんになってしまった人の名を…月に向かって。


「ばか…ばか…ばーーーーか!!」


 頭の中がアルコールで満たされているから、他に言葉が思い浮かんでこない。脳みそが全部酒と言う名の海に飲み込まれているみたいだ。

 だから、浮かんでくるのは。

 綺麗な言葉なんかじゃなくって、ただの、私の本音。


「好きーーーーーーー!!!!!!!!!!!」


 大好き。

 超好き。

 愛してる。

 未来のためなら、私、他に何もいらない。


「大好き…大好きーーー!!!」


 最初から報われることなんて無いと分かっていた恋だったけど、もう終わってしまった恋だけど、それでも、私の中にはしっかりとその残滓が残っている。


「幸せにならなきゃ…許さないからね!!!!!」


 私が言うまでもなく。

 未来は幸せになるだろう。

 私の想いが届こうが届くまいが、そんなの関係なく、あの子は幸せになるだろう。


 いいや。

 もう、それで。


 あの子が幸せになってくれるのなら。

 私は世界で二番目に幸せになれるんだから。


 身体の中のアルコールが全部涙と鼻水になって出てきた気がする。

 たぶん、今の私、すっごく変な顔になってる。

 汚いなぁ。

 ぐしゃぐしゃだなぁ。


「…なんで」

「ん?」


 バッグの中からポケットティッシュを探している私に向かって、紫苑さんがぽつりとつぶやいた。


「どうしてそんなに…」


 人を好きに、なれるんですか?


 私に聞いてくる。

 知らないよ、そんなの。

 好きなんだもん。

 ふられたって、離れていたって、人妻になっていたって、そんなの関係なく、大好きなんだもん。


「…私、好きって気持ちが、分からないんです」


 紫苑さんが、言葉を続ける。

 その金髪が、蒼い月明かりに照らされて輝いていて、金と青が混ざりこんで白銀のように美しく見えた。


「…好きって気持ち…知りたいんです」


 紫苑さんが、歩く。

 私に近づいてくる。

 そして私の手を握り、私の目をはっきりとまっすぐに見つめてきて。


 小さく。


 あなたとなら…知れるのかも。


 と、つぶやいた後。


 今度は大きな声で、いった。





「凛さん…私とお付き合い…してくれませんか?」

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