第5話 こっち側
おかしくなってしまっている。ここで気づいた。自分が自分じゃないみたいだ。
他人の家だ。
知らない人間の生活の途中に、勝手に身体を差し込んでいる。
部屋のロッカーが目に入った。扉が、少しだけ開いている。
閉めればいい。
閉めて、何事もなかったことにして出ていけばいい。
でも、身体はもう、入る幅を測っていた。
中に入ると、金属と扉に挟まれて、呼吸が浅くなる。外の音が近い。生活の音だ。人が、すぐそばにいる。
足音が近づいた。
止まる。引き返さない。
取っ手に手がかかる気配がして、でも、引かれない。
ほんの数センチのずれ。
それだけで、この空間は保たれている。
この瞬間に、はっきり分かった。これは、衝動じゃない。癖でもない。
見つかる可能性を含んだまま、隠れていること。このリスクは何にも代え難い快感だ。
もうこの快感を知ってしまったらそっち側では生きていけない。
ベッドの下でも同じだった。床とフレームに挟まれて、上で人が動く気配を聞く。
危ない。
完全に、間違っている。それでも、身体は動かなかった。
暗闇じゃない。隙間でも、それだけじゃ足りない。人の生活に触れている、この距離。
踏み込んでしまった事実が、鼓動を速めている。
出るとき、後ろを振り返らなかった。
また来る、と思ったからだ。
自分の部屋に戻っても、落ち着かなかった。
あの家で見た仕草が、何度も頭に浮かぶ。
あの部屋の女子大学生も、
本当は、こちら側の人間なのではないだろうか。
すきま @3776-mt
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
参加中のコンテスト・自主企画
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます