動乱 EPISODE1
無邪気な棘
第1話 聖域の煽動者:廃都の読経
1. 灰色の新宿
西暦2026年、東京。かつて秩序の象徴であった新宿の空は、催涙弾の煙と燃え上がる廃車の黒煙に覆われていた。
都庁ビルを背に、地平線を埋め尽くすほどの群衆がうねりを上げている。「STOP DICTATOR」「NO WAR」――。掲げられた無数のプラカードは、もはや政治的な主張を超え、出口のない怒りの叫びと化していた。機動隊の盾を押し返すデモ隊の最前線では、日常的に火炎瓶が飛び交い、警棒が空を切る。
その暴力の熱波は、路地裏の生活圏にも侵食していた。角のコンビニエンスストアの強化ガラスが粉砕される。覆面の若者たちがなだれ込み、棚をなぎ倒し、火を放つ。燃えるアルコール瓶の青白い炎が、崩壊する文明の断末魔のように揺れていた。
2. 結界の内側
喧騒の渦から数キロ離れた下町の一角に、奇妙な静寂を保つ古刹があった。
山門をくぐれば、外の世界の硝煙の臭いは消え、重厚な沈香の香りが鼻を突く。しかし、そこにあるのは伝統的な平穏ではなかった。
本堂を埋め尽くしているのは、疲れ果てた表情の市民たちだ。背広を汚したサラリーマン、赤ん坊を抱いた母親、そして先ほどまで街頭で石を投げていたであろう血の気の多い若者たち。彼らの視線は一点、黄金の阿弥陀如来像の前に立つ一人の僧侶に注がれていた。
3. 過激なる説法
僧侶の名は慈眼(じげん)。端正な顔立ちに、意志の強さを物語る鋭い眼光を宿した男だ。彼はマイクの前に立ち、静かに、しかし地鳴りのような響きを持つ声で語り始めた。
「皆の者、聞こえるか。外の阿鼻叫喚が。あれこそが、現世が『末法』に塗り潰された証である」
慈眼は、数珠を握りしめた手をゆっくりと水平に振った。
「我々が求めるのは、死後の安らぎではない。この大地を『浄土』へと変えることだ。だが、その道を塞ぐ巨大な壁がある。権力という名の悪鬼、民の血を啜り、魂を縛り付ける政府という組織だ」
聴衆の中に、ひときわ強い緊張が走る。
「救済を妨げる壁は、祈りだけでは崩れぬ。仏がかつて修羅の姿を借りて悪を討ったように、我々もまた、浄土を勝ち取るための『剣』とならねばならぬ。現政府の転覆こそが、最大の供養であり、唯一の解脱への道なのだ!」
4. 浄土への進軍
「打倒せよ!」「政府を、壁を壊せ!」
本堂に集まった人々の口から、読経のようなリズムで過激なシュプレヒコールが漏れ始める。それはやがて巨大なうねりとなり、静かだった寺院を激しく揺さぶった。
慈眼の背後で、阿弥陀如来が慈悲深い笑みを浮かべている。だが、その瞳には外で燃え上がる炎が反射し、まるで憤怒の形相を帯びているかのようだった。
数分後、寺の門が開かれた。
そこから溢れ出したのは、もはやただのデモ隊ではない。宗教的な狂信と政治的な憎悪を融合させた、新たな「軍勢」であった。
彼らは再び新宿の戦場へと戻っていく。その手には竹槍や火炎瓶、そして「救済」という名の凶器を握りしめて。慈眼は一人、静まり返った本堂で、次なる炎の種を蒔くために目を閉じた。
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