第十八話 『完読宣言』

修学旅行。それは「完璧なヒロイン」である霖にとって、24時間仮面を剥がせない地獄のような行事であり、尋にとっては、霖との距離が遠のく孤独な数日間になるはずだった。

行き先は、冬の京都。

観光地を巡る喧騒の中、二人はクラスメイトの目を盗んで、一瞬の視線の交差と、袖が触れ合うだけの接触で飢えを凌いでいた。


『ねえ、尋。起きてる?』

深夜二時。女子の相部屋、尋の枕元でスマホが短く震えた。

メッセージの送り主は、当然、別の部屋で寝ているはずの霖だ。

『今すぐ非常階段に来て。……限界』

尋は心臓の鼓動を抑えながら、同室の女子たちが寝静まっているのを確認し、音を立てずに部屋を抜け出した。冷たい空気の流れる階段の踊り場。そこには、パジャマの上に薄いパーカーを羽織っただけの霖が、膝を抱えて座り込んでいた。

「…霖」

「遅い。待ちくたびれて、建仁寺の天井画にでもなるかと思った」

霖は立ち上がると、尋の手を力任せに引き、旅館の裏手にある小さな庭園へと連れ出した。月明かりに照らされた雪が、不気味なほど白く輝いている。


「あー、生き返る。今日一日、ずっと瀬戸や佐伯たちの相手して……私、心の中で何回あいつらを清水の舞台から投げ飛ばしたか分かんないわよ」

霖は尋の肩に頭を預け、深く、深く息を吐いた。

「尋、あんたの匂いがする。図書室の、あの落ち着く匂い」

「修学旅行に来てまでそんなこと考えてるの、霖くらいですよ」

尋は苦笑しながら、冷え切った霖の指先を、自分のポケットの中で温めた。

「いいじゃない。ねえ、尋。あそこ見て」

霖が指差したのは、旅館の離れにある、今は使われていない古い茶室だった。

「あそこなら、誰にも見つからない。私たちの『出張図書室』にしましょうよ」


埃っぽい茶室の中、月光だけを頼りに二人は向かい合って座った。

霖は尋の膝の上に乗り、その首筋に顔を埋める。

「……ねえ、尋。卒業したら、どうなると思う?」

唐突な問い。霖の声は、夜の風に溶けてしまいそうなほど繊細だった。

「大学に行けば、こんな風に隠れて会わなくても良くなる。でも、私は怖い。あんたが私の『本性』に慣れて、私をただの、性格の悪い女だと思って……飽きちゃうんじゃ--」

「そんなわけ、ないでしょう」

尋は食い気味に答えながら霖の背中に腕を回し、強く抱きしめた。

「私は、基本的にどんな本でも物語の続きが知りたいんです。霖が、どんな風に笑って、どんな風に怒って、どんな風に私を困らせるのか。一ページずつ、一生かけて読んでいきたい。……これは、私の『完読宣言』です」

尋の言葉に、霖は小さく笑い、それから、今までで一番優しく、けれど逃がさないように尋の唇を塞いだ。

京都の夜、古びた茶室。

二人の吐息が白く重なり、消えていく。

修学旅行の喧騒から切り離されたこの場所で、二人の「放課後」は、終わりのない物語へと昇華していった。

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某日、図書室にて。 海凪 @nonnon_

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